第7話 薬指の約束ー3
「あら、秋奈さんからだわ」
一緒にドレス選びとお茶会をした日から一ヶ月半ほど経ったある日、秋奈からメッセージが届いた。あの日、別れる前に連絡先を交換していた。その数日後に彼氏とドレス選びに行き、無事に決まったというメッセージを受け取ってからは特にやり取りはしていなかった。
淡雪は、作業をしていた手を止めて端末を操作する。
記憶は戻らないままだが、仕事には復帰していた。何かしている方が落ち着く。修とは仕事に必要な最低限の会話以外はしていないが。
「何かあったのかしら」
メッセージには、『ちょっと相談したいことがあって、時間があったら会えない?』とあった。もう一つ、続けてメッセージが送られてきた。
『相談があるっていうのはもちろん本当だけど、淡雪さんとまたおしゃべりしたくて。ぜひまたこの前のカフェで』
「ふふっ、よろこんで」
思わず声に出して返事をしてしまった。可愛らしいお誘いだった。すぐに返事をし、日時を決めた。楽しみが出来た。
約束した時間に例のカフェに行くと、すでに秋奈が席についていて、こっちこっちと手招きをされた。
「待たせてしまったかしら」
「ううん。あたしが早く着きすぎただけだから。何頼む?」
メニューを広げてこちらに向けてくれる。淡雪は色々と目移りしたが、決まったと頷いて、店員を呼んだ。
「コーヒーと、チョコレートケーキをお願いします」
「あたしも、チョコケーキを! 飲みものは紅茶で」
かしこまりました、と言って店員はメニューを回収していった。
「チョコケーキ、限定って書いてあるし、美味しそうだよねー」
「ええ。つい目を奪われたわ」
注文したものが来るまで、他愛のない話を繰り広げて、ドレスはどういうものに決めたのかも聞いてみたが、当日までのお楽しみと言われてしまった。
秋奈はふうふうと冷ましてから紅茶を飲み、喉を潤していた。あのね、と本題に入った。
「相談の前に、淡雪さんは『サムシング・フォー』って知ってる?」
「いいえ、知らないわ」
「結婚式で、ある四つのものを身につけると、幸せになれるって言われている、風習みたいなものなんだ。確かイギリスの童話か何かが元らしいんだけど」
秋奈は空中を見ながら、人差し指から一本ずつ指を立てて説明してくれる。
「『サムシング・ニュー』何か新しいもの。『サムシング・オールド』何か古いもの。『サムシング・ブルー』何か青いもの。『サムシングボロー』何か借りたもの。の四つなんだ」
「へえ、素敵な風習ね」
淡雪は頬に手を当てて、顔をほころばせた。結婚式という日に、特別な意味を与えられる物の方もきっと幸せだろう。
「それで、何か古いものにする予定の物がけっこう古くて。これなんだけど」
秋奈がバッグから取り出したのは、木箱に入ったティアラだった。イミテーションのジュエリーが使われているようで、年季が入っているようだがその輝きは失われていない。
しかし、ジュエリーを支える座の部分に少し錆があったり、よくよく見るとジュエリーが取れてしまっている箇所もあった。
「このティアラね、おばあちゃんが結婚式のときに着けた物らしいんだ。お母さんに受け継がれて、結婚式で着けたんだって。それで今回あたしにって」
「代々受け継がれていくなんて素敵だわ。丁寧に保存してあったのね」
こうして物がヒトからヒトへと渡っていくのだと改めて実感した。ティアラのツボミにそっと微笑みかける。少し疲れのみえる顔をしているが、目が合うとにこっと笑い返してくれた。
「元々おじいちゃんがおばあちゃんに贈ったものらしいんだけど、その時のお店はもうなくて。どこに修理を依頼したらいいのか分からなくて」
秋奈はおもちゃの病院のスタッフだが、実際に修理を担当しているわけではなく、電話や受付などの事務員として働いているため自分で直すことは難しい。たとえ修理の担当者でも、おもちゃとティアラでは勝手が違うのだが。
「淡雪さんも似た仕事をしてるって、あさひくんとゆうひくんから聞いてたから、何か知らないかなって」
「なるほど、相談ってそういうことだったのね」
修理課でならば、ティアラの修理は可能である。しかし、家宝である物をいきなり預かると言っていいものか。しかも、淡雪自身が修理すると言えば、当然修理の方法などを詳しく聞かれるだろう。ヒトとは違う修理課での修理の工程をどう話せばいいのか。
悩んだ淡雪が出した答えは、間に一人挟むことだった。
「知り合いにこういう物の修理をしている人がいるから、頼んでみましょうか」
「本当! いいの?」
「ええ」
端末で修に連絡を取ろうとして、淡雪の手が止まった。
もう怒りはほとんど薄れてしまったが、話していないのは意地に近かった。以前秋奈がこちらから謝るのは癪だから、という気持ちが少し分かる。
「ねえ、もしかして、その知り合いって彼氏さん? まだ仲直りしてない?」
「……お見通しね、秋奈さんには」
「そっか。思ったより根が深そうだね……。どうしたらいいんだろ」
秋奈の思考が淡雪の喧嘩の方にいってしまいそうになり、淡雪はそれを止めた。
「私のことは置いておいて、もう一人いるのよ。その人に聞いてみるわ」
淡雪はちょっとごめんなさい、と言って一旦席を外して才に電話をかけることにした。コールが何度か続いた後、才が応答してくれた。
『なんだ』
「直したいものがあるの」
『持って帰ってくればいいいだろう』
「家宝だからそう簡単には預かれないのよ。才も来てくれないかしら?」
『何故、俺が?』
理解出来ない、とその口調が主張している。電話の向こうでは眉間に皺を寄せているに違いない。
「修理を担当する人として、会ってほしいのよ。お願い」
『はー、分かった。場所を送ってくれ』
淡雪がありがとうと言う前に、通話は切れてしまった。来てはくれるらしい。端末にこのカフェのことを送信した。
三十分ほど経って、才がカフェに現れた。作業着兼制服である白衣を着たままだった。こうして見ると、医大生のようにも見える。
「もっと分かりやすい場所にしてくれ。周りに似たような店が多すぎる」
「迷ったのね」
「で、修理をする物は?」
秋奈が才と淡雪を見比べてそわそわしているのが分かった。物を見せるより先に紹介をしなくては。
「秋奈さん、こちらは才。私の同僚、先輩のような人。才、こちらは秋奈さん。おもちゃの病院のスタッフさんで、今度結婚されるのよ」
「こんにちは、よろしくお願いします」
「ん? ああ、よろしく。――って淡雪、修理する物ってヒトの持ち物か」
そう言われて、家宝とは言ったがはっきりヒトの物だとは言っていなかったことに気が付いた。才は付喪神の依頼だと思ってきたのだろう。誤解を生んでしまった。
「あの、いきなり他人のあたしが頼むのは失礼でしたか……」
元々不愛想で、そのうえ誤解によって少し苛立った声音の才は、きっと初対面では怖く感じてしまう。『ヒト』を他人と思ってくれたことは助かったが。
「いいえ、私の説明が不十分だっただけよ。才、依頼者は彼女で、このティアラを直すことが依頼の内容よ。いいかしら?」
話を合わせて頷いて、と思いながら才をじっと見たが、それが伝わる才ではなかった。
「いいも何も、それくらいなら淡雪一人で出来るだろう。俺を呼ぶ必要はな――」
「才! ちょっと来て」
言わなくていいことを言う才の腕を引いて、少し席から距離をとる。
「おい、何なんだ」
「説明しなかった私も悪いけど、話を合わせて欲しいのよ。そうね、『工芸品の修理をしているから、ティアラの修理も任せてほしい』って彼女に言って、お願い」
「何故そんなことを言わなければならないんだ」
「色々と理由はあるけど、一番は私たちが付喪神であることを知られないようにするためよ。大事でしょう」
「ああ、まあそうだな。分かった」
淡雪は、お待たせと言って再び秋奈の前に才を立たせた。少し固い表情のまま、才はさっき教えたように言った。
「俺は、工芸品の修理をしているから、ティアラの修理も任せてほしい」
本当に淡雪の言ったままを台詞のように言って多少ぎこちなかったが、秋奈の表情が柔らかくなったので、とりあえず成功だろう。
「どうか、よろしくお願いします」
「ああ。物は淡雪が持ち帰ってくれ」
「分かったわ。あら、せっかくだから、才もお茶していかない?」
そそくさと帰ろうとした才を呼び止めたが、才は首を横に振った
「俺は戻ってやることがある」
仕事、とは言わなかった。ということは砂の改良か記憶を戻す手段を探す作業をしてくれているのだろう。
「ごめんなさい、才」
「何がだ」
「いいえ、何でもないわ」
「何にもないなら、謝らなくていい」
才はそう言うと今度こそ店を出ていった。
秋奈が、大きく息をついていた。まだ緊張していたようだ。
「淡雪さんの上司の人、なんか独特な雰囲気のある人だね」
「ちょっと変わっているところもあるけど、腕は確かだから、安心して」
「うん。淡雪さんの紹介だもん。ところで今日もまた夕方まで話してく? 時間ある?」
「ええ、私は大丈夫よ。秋奈さんの方こそ、結婚式の準備とか忙しくないの?」
「息抜きは必要だもん」
二人は笑い合って、それぞれコーヒーと紅茶のお代わりを注文した。
秋奈から預かったティアラを持って、作業室に入ったら、才がすでに作業をしているところだった。使用中の札はなかった気がしたのだが。
「あら、才いたのね。別の作業室に行くわね」
「さっきのティアラの修理だろう? 俺もやろう」
「え、手伝ってくれるの?」
「言ったことはするさ」
木箱を作業台の上に置いて、一応才にモノクルで診てもらった。修理箇所は淡雪の想定した通り、大きく二つ、取れてしまったジュエリーと、座の錆の修理だった。ジュエリーの復元を才が、座を綺麗にする作業を淡雪が行うことになった。
「あの人間は淡雪を信用しているんだろう。別に俺を入れる必要はなかったんじゃないか」
目線は手元から外さずに、才が話しかけてきた。淡雪も作業を続けながら答える。
「でも、修理の工程とか聞かれたら困るじゃない。このクリームのこととか」
修理課で独自に作り、修理に使用しているクリーム。ヒトに対して説明するのは難しい。
「企業秘密とでも言えばいいだろう。第一、俺に渡すためという名目で淡雪にティアラを預けている。俺がいてもいなくても同じことだろう」
「それは……」
「その自信のなさは、やはり記憶がないからか」
才の口調は残念がる様子や憐れむ様子はなく、ただただ事実として発したものだった。そういえば、とふいに思い出したらしく才が言った。
「修と喧嘩をしているんだったな。だから修ではなく、俺に電話したのか」
「ええ、まあ」
「ああいうことは修の方が得意だろうに、不思議だったんだ。そういうことか」
何だか申し訳ない気持ちになり、淡雪は押し黙る。
「今回はずいぶんと長いな」
「今回?」
まるで前にも喧嘩をしていたかのような言い方に首を傾げた。覚えている限りでは喧嘩はしていないはず。
「前の私なら、喧嘩なんてしてないでしょうに」
「前の? ああ、事件の前ということか。そうでもないぞ。たまに喧嘩はしていた。しょっちゅうってほどではないが、たいして珍しいことでもなかった」
「……そうなの?」
「ああ。そう変わらない」
才なりに励まそうとしてくれているのか、それともいつものようにただ単に事実を言っているだけなのか。
前の私はどんなことで怒っていたのだろう。そう変わらない、という言葉に少し心が軽くなった気がした。
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