第7話 薬指の約束ー2

 試着室のカーテンの向こうから声が飛んで来た。


「ねえねえ」

「どうしたの? あ、何か手伝いかしら」

「ううん、愚痴を聞いてほしくて。彼氏と喧嘩したって言ったでしょ?」

「ええ」


 立ち上がりかけた淡雪は、再びソファに座り直した。二人掛けのふかふかのソファに体が心地よく沈み込んでいく。こうして着替えを待つ人への配慮なのかもしれない。


「喧嘩自体はよくするんだけど、昨日はどんなドレスがいいか、ネットで見ながら話してたんだ。あたしがこういうのがいいって言ったら、あいつ、それは違うって言ってきて」

「あら」


「その後も、色々候補を上げていったのに、駄目、違う、ばっかりで全然楽しくなくて。『そんなことばかり言うならいい!』って言ったら、向こうも『何なんだよ、話にならねえ』って言ってきて、そこから言い合いになって」

 カーテンの向こうから不満げな声が続く。


 きっとお互いに言いたいことをズバズバ言うために、喧嘩になるのだろう。淡雪には言い合いの喧嘩がよくあるという状況が想像出来なかった。修とはついこの間した喧嘩、というか一方的にこちらが怒っているような状況しか経験がない。


「そのままお互い部屋に閉じこもって、朝になっても何にも言わないまま、あいつ出掛けてくし。あたしは一人で見学に行くことになって、本当にもう!」

 もう、という苛立った声と共にカーテンが勢いよく開かれた。


 真っ白いAラインのウエディングドレスを身に纏った秋奈が現れた。ドレスの胸元と裾には、花モチーフの細かいレースが上品にあしらわれている。


「わあ、とても綺麗……」

「本当? 嬉しい~。てか、ウエディングドレスってけっこう重いんだ。こう、くるってターンくらいは出来ると思ってた」


 秋奈が上半身を左右に体をひねる動きに合わせて、ドレスがゆったりと揺れる。さっきまで不機嫌そうに愚痴を言っていた秋奈だったが、ドレスを着たことによって、笑顔がぱあっと咲いた。


 次はこれを着てみる、と言って再びカーテンの向こうへ行った。二着目は、プリンセスラインと呼ばれる、ふんわりとボリュームのあるドレスだった。袖もふんわり丸く、首元や腰回り、スカート部分にもふんだんにレースが使われていて、とても可愛らしい印象だった。


「こっちも素敵。可愛い感じで、巻き髪とかにしたら良さそうだわ」

「確かに!」

 ドレスの試着という日常ではあまり経験しないことを共有しているからか、淡雪と秋奈の二人はずいぶん前からの友人のようである。


「もう一つ、これも着てみたくて」

 そう言って指さしたのは、ふんわりとした小さな花柄のドレスだった。秋奈の選ぶドレスの傾向を見て、淡雪はあることに思い至った。勘違いかもしれないが、一応尋ねてみることにした。


「あの、ぶしつけでごめんなさい。もしかして秋奈さん、背が高いことを気にしてるの?」

「え、なんで知ってるの? あの二人から聞いた?」

 あの二人、あさひとゆうひのことだろう。彼らとそういう話をしていることが微笑ましくて、つい笑顔になってしまいながら、淡雪は首を横に振った。


「いいえ。ただ、選んでいるドレスを見ていたら、そんな気がして」

「そんなこと分かるの!?」

「なんとなくよ。背が高い人なら、このあたりのスレンダーライン、マーメイドラインのものを選びそうだと思ったの。手足が長いからきっと綺麗に着こなせるわ。大きな柄のものも合うかもしれないわね」


 スレンダーラインやマーメイドラインのドレスは、小柄な人には着こなしが難しい。つまり、背が高い人をより輝かせるためのドレスともいえる。私室に服飾の本が置いてあり、暇なときに読んでいたため、そういう知識があった。きっと過去の淡雪が見ていたものだろう。


 秋奈がきょとんとした顔で淡雪を見つめている。つい、自分の好きに話しすぎてしまった。余計なことを言ってしまったに違いない。


「ごめんなさい。今までのが似合っていないということじゃなくて、こういう系統だと秋奈さんのスタイルの良さが際立つかなって思っただけなの。ごめんなさい、忘れて」

「ううん、忘れない」

「え」


「確かに、あたし背が高いのあまり好きじゃないんだけど、そういう風に言われると、すらっとしたやつも着てみようかなって思った! 淡雪さん販売員とか向いてるんじゃない?」

「そんなことな――あ、もしかして、彼氏さんはこういう系統のドレスがいいって言いたかったのかもしれないわ」


 そんな気がした、というくらいの考えだったが、口にしてみるとそれが正解のような気がしてきた。


「えー、嘘。あいつがそんな」

「秋奈さんのスタイルの良さを一番分かっているのは彼氏さんだわ。昨日、何か言いかけたりしてなかったかしら?」

 秋奈は昨日のことを思い出すように、考え込んでいる。そして、何か思い当たることがあったのか、ぱっと顔を上げた。


「なんだ、そういうことだったのかー!」

「心当たり、あった?」

「うん。でもさ、言い方ってもんがあるよね。分かんないって」


 棘のある言い方をしているが、表情を見ればあまり怒っていないことが分かる。仲直りは早そうだ。


「じゃあ、このマーメイドドレス、着てみようかな」

「ええ、私も見たいわ」






 いくつか目星をつけたところで、今日の試着はお開きになった。

 後日、彼氏と来て最終的に着るドレスを決めるらしい。


 ドレスショップを出て、お礼にと、カフェでお茶をすることになった。連れられたカフェは、通りに面した壁が大窓で、並木道を歩く人たちが額の中に入った絵画のように見える。木製の丸テーブルが可愛らしいテーブル席につき、おすすめだというカフェラテを注文した。


「秋奈さん、今度彼氏さんと来るの、楽しみね」

「まあ、ね」

「どうやって仲直りするか考えているの?」

「うん。なんかこっちから謝るのは癪だしさ」


 彼女に似合うドレスのことで言い合いになるほど、彼女のことを考えている彼氏。彼氏の考えだと分かったら自分の好み以外のものも試してみる彼女。


「なんだかんだ、いいカップルだってことが伝わってくるわ」

「そう?」

 淡雪の言葉には疑わしげな表情が返ってきた。が、ふいに秋奈の顔が心配そうなものに変わり、首を傾げた。


「……淡雪さん、彼氏と喧嘩でもした?」

「え」

 どうして知っているのか。そんなに顔に出ていたのだろうか。


「あ、やっぱりそうなんだ。他のカップルのことをうらやましいとか、そういうことを言うときって大概自分たちが喧嘩してるときなんだよ?」

「なるほど……」

「愚痴聞いてもらったし、あたしも淡雪さんの愚痴聞くよ!」


 真剣な顔をしているが、わくわくしているのを隠しきれていない。だが、不思議と嫌ではない。事情を知らない、ヒトに話してみるというのもいいのかもしれない。もちろん、言える範囲で。


「秋奈さんの言う通り、恋人と喧嘩したの。というより、私が一方的に怒っているだけなのだけれど。あんなに声を張りあげて怒ったのも、喧嘩も初めてで、どうしたら良かったのかしら……」

「え、怒鳴ったことないの? てか喧嘩したことないの? 一度も?」

 秋奈が目をまんまるにして、そう聞いてきた。信じられないと目が言っている。


「ええ。記憶がある限りでは」

「そんなこと本当にあるんだ。じゃあ、初めての喧嘩になるんだ。えー、あたし初めて喧嘩したのいつだっけ……? うーん」

 思い出そうとしているようで、秋奈は腕を組んだまま動かなくなってしまった。少しして、だめだ、と言って腕をほどいた。


「参考になるかと思ったんだけど、もう思い出せなかった。そういえば、喧嘩の原因は何なの?」

「ええっと、彼は優しいのだけれど、優しすぎて思っていることを言ってくれなくて。気を遣ってくれているのは、分かっているのだけれど……」

 記憶のことには触れず、淡雪は言葉を選びながら答えた。


「それって、何か嫌だね」

「嫌?」

「うん。喧嘩したことがないって聞いて、最初はすごいって思ったけど、そうじゃない。言いたいことをお互いに言ったうえで喧嘩がないならいいと思うけど、気を遣って言わないなんて、他人行儀じゃん。恋人なのに、寂しいよ」


 淡雪は、『寂しい』という言葉が胸にすとんと落ちた。


 そうか、怒っているとばかり思っていたが、大部分は寂しかったのだ。自分で自分のことも分かっていなかったのに、修に分かって欲しいなんて、ただのわがままである。


「でも、淡雪さんは言いたいこと言ったんでしょ? 頑張ったんだから、彼氏さんがどう思っているのか、言ってくるのを待ってていいと思う」

 待つのが嫌だったら聞きに行くのもありだけど、と秋奈は付け足したが、あまりおすすめはしないけど、という裏の意味が口調から読み取れた。


「急かすのは良くないの?」

「あたしの経験上ではね」

 淡雪は、半分に減ったカフェラテの水面を見つめて、もうしばらく待ってみようと決めた。怒りが全くないわけではないのだ、まだ修と普通に話す気にはなれない。


「ねえねえ、ここのチーズケーキ美味しいんだ。愚痴ったことだし、一緒に食べない?」

「ええ、よろこんで」


 オシャレな雰囲気のカフェ、美味しいカフェラテとケーキ、話していて楽しい友人、これだけ揃っていれば、長居してしまうのが女子という生き物である。


 結局、額縁の向こう、外が夕焼けに染まるまで二人は他愛のない話で盛り上がった。外がオレンジ色であることに気が付いてから、初めて腕時計を確認して、そして慌てて店を出た。


「ばたばたしちゃってごめん! またね、淡雪さん」

「ええ、また」

 パーティードレスを買うという目的は果たせなかったが、気分転換という目的は十二分に達成した。少し軽くなった心と一緒に、淡雪は本部への帰り道を歩いた。

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