第7話 薬指の約束ー1

 私室にいると、扉が控えめにノックされた。どうぞ、と返すと、扉が瑠璃色に色づき、あさひとゆうひが封筒を差し出していた。


「これは?」

「おもちゃの病院のスタッフさんの結婚式の、招待状です」

「ぼくたち、フラワーボーイを頼まれたんです」


 フラワーボーイといえば、結婚式で花嫁が歩く前のバージンロードに、花を撒く役割をする子どものことだったはず。


「親戚に小さい子がいないらしくて、ぼくたちにと」

「淡雪さんはぼくたちの従姉ということになっているので、ぜひ一緒にと招待状を預かってきました」


 約三ヶ月後の結婚式の招待状。その送り主には、『秋奈あきな』とサインがしてあった。彼女はおもちゃの病院へ行ったときに何度か会ったことのあるスタッフだった。


「もし良かったら、一緒に行きましょう」

「その、気晴らしになるかもしれませんし」

 二人は淡雪を気遣う声音で、少しぎこちなく笑ってそう言った。ありがとう、と返して淡雪はそっと扉を閉じた。


 招待状を机の上に置いてから、淡雪はベッドにうつ伏せに突っ伏した。分かっている、このまま部屋に閉じこもっていても仕方のないことは。




**




 一週間前。


 才から砂の復元が出来たと言われた。初めはそれが現実のことなのか、信じられなかった。事件が起きてから、才はずっと砂の復元に取り組んでいてくれていた。それ

でも、もう記憶は戻らないのだと、半ば諦めていた。


 しかし、これで、記憶が戻る。

 淡雪は力が抜けてその場に座り込んでしまった。


「淡雪!? 大丈夫かい」

「ええ。安心して、嬉しくて、つい」

 淡雪は砂時計を才に託し、念のため手術室のベッドで麻酔を打ち、眠ることにした。


「修、また後で」

「ああ、ここにいるから」

 修の顔を見ながら、淡雪は眠りに落ちた。




 目を覚ましたのは、次の日の夕方だった。丸一日以上眠っていたらしい。

 ベッドから体を起こすと、傍の椅子で修が腕を組んだままうとうとしていた。首が一定のリズムでカクンカクンと舟を漕いでいる。


「修」

 呼びかけると、修は文字通り飛び上がって目を覚ました。


「淡雪! 目が覚めたんだね。ちょっと待ってて、才たちを呼んで来るから」

「あっ……」


 修は言い終わる前に部屋を出ていってしまった。一人残された淡雪は自分の脇腹あたりをさする。少し違和感があるが、きっと縫合の跡だろう。修復とはいえ、砂を再び入れるには一度ガラスに亀裂を作る必要がある。最小限にしてくれたのか、痛みはあまりなかった。


 廊下から走ってくる音が聞こえて、修が才や双子を連れて戻ってきた。才が歩み出て淡雪に問いかけた。


「体調に何か問題はないか?」

「ええ、大丈夫よ」

「そうか。それで、記憶の方はどうだ?」

「ええっと、その……」


 言いよどむ淡雪に、才が怪訝な顔をした。そして、確認するようにもう一度問いかけてきた。


「事件の前のこと、そうだな、初めて修理課で仕事をしたときのことを、覚えているか?」

「……」

「淡雪?」


 黙り込んでいると、修が不安そうな声で答えを促してきた。淡雪は詰めていた息を吐き切って、そして、首を横に振った。


 覚えていなかった。記憶は戻っていなかった。


「そうか。…………くそっ、何故だ」

 才は淡雪に背を向けてから、悔しさと苛立ちをごちゃ混ぜにした言葉を吐いた。修は肩を落として立ち尽くしていた。あさひとゆうひは、駆け寄ってそれぞれ手を握ってくれた。


「淡雪さん、気を落とさないでください」

「もしかしたら、何かの拍子で思い出すかもしれません」


 一生懸命、淡雪を励まそうとしてくれているのが伝わってくる。小さな二人の手をぎゅっと握り返す。とても温かい。


「そうね、ありがとう」




 次の日から、淡雪は記憶を戻すために色々なことを試みた。才にもう一度砂時計をモノクルで診てもらったが、歪はないという。ならば、ゆうひの言う通り何か思いだすきっかけのようなものが足りないのだろう。


 砂時計の砂がよく混ざるように何度も時を計ってみたり、管理課に頼んで過去の記録を読み返してみたり、事件の現場にも足を運んだ。しかし、記憶の蓋は開かなかった。


「一体どうすればいいのかしら……」

 あちこち歩き回って本部に戻ってきた淡雪は、私室の椅子に力なく座った。

 扉を開けたままだったため、様子を見に来た修が顔を出した。部屋に入ろうとして躊躇って、廊下と扉の間に立ったまま声をかけてきた。


「淡雪、大丈夫かい」

「……」

「そう気を落とさないで。ゆっくりでいいから。淡雪は淡雪だよ。大丈夫」

 修は優しい声音で、何度も聞いた言葉を口にする。


 いつもはその声に安心して、言葉に励まされていたのに、今は当たり障りのない優しい言葉も上辺だけにしか聞こえなくて、感情のこもっていない聞き心地のいいだけの声も苛立たしかった。何が、大丈夫なのか。


「思ってもいないことを言わないでよ」

「え?」


「ゆっくり? 大丈夫? 私は早く思い出したいし、何も大丈夫じゃないわ!」

 修はぼう然と呆気にとられている。今まで修に対して声を荒げたことはなかった。驚いて当然だろう。でも止まらなかった。


「私の記憶が戻ってないって知ったとき、あなたどんな顔してたか分かってる? ――残念そうにしてたけど、どこかホッとした顔してたのよ!」

「――っ」


「私に思い出して欲しいの? 欲しくないの?」

「いや、俺は……」


 煮え切らない修の態度に淡雪の苛立ちは頂点に達した。どんなに悩んでも苦しくても、修は決して触れてくれなかった。距離をとって、こちらを本当には見ようとしない。


「私は思い出したいのよ! 修は過去の私しか見てないもの。あなたの呼ぶ淡雪は私じゃない。今の私は――『淡雪』の偽物よ! 大っ嫌い!」


 思いっきりガラスを床に叩きつけたような気分だった。言ってはいけないと分かっていたことをはっきりと口にした。怒りが体中を支配していて、少しの罪悪感と快感がまとまりついていた。


 淡雪は強引に扉を閉めて、修を廊下に追いやった。扉の向こうから呼ぶ声がしたが、全て無視した。何も、話したくない。




**




 淡雪はベッドから顔を上げた。思い出して落ち込んでいたって仕方がない。修理課の仕事も、休養ということでこの一週間はやっていない。


「結婚式ね……パーティードレスなんてあったかしら」

 淡雪は両開きのクローゼットを開けて、衣服をかき分けてドレスを探した。制服であるナースワンピースの他には私服のワンピースやスカートがつり下げられている。事件後に買った服はわずかで、ほとんどは前からこのクローゼットにあったものである。


 過去の淡雪の服は、今の淡雪の好みと変わらないため、そのまま着ていたが、過去の自分にも怒りの矛先が向いている今、ここの服を着る気にはなれなかった。そもそもパーティードレスはなかったが。


「せっかくだし、お買い物に行こうかしら」

 深い緑色の地にクリーム色の花が散りばめられたワンピースに着替えて、外出の準備をした。ドレッサーの引き出しにも、過去の淡雪が集めたらしいアクセサリーが並んでいる。


 一つ異質なものが、箱に入ったままのサイズの合わない指輪である。が、それには目もくれず、淡雪は最近買ったシンプルなストーンのイヤリングを耳に添えた。


「淡雪さんお出掛けですか」

「ええ、少しね」

 すれ違いざまに職員に声をかけられて、淡雪は曖昧に答えて本部を出た。






 街には多くの人が歩いている。歩道に沿って並んだ花壇に咲く花たちが足元を色とりどりにしてくれている。ショーウインドーの中に咲く様々な物たちも、華やかなもの、気取っているもの、控えめなもの、たくさんあって買いにきた目的のものでなくても目を惹かれる。


 ワゴンがいくつか並んでいて、スイーツを売っているようだった。クレープを食べているカップルがいる。彼女よりも彼氏の方がクレープに喜んでいるように見えて微笑ましい。


「あっ」

「わあっ」


 前から走ってきた女性に気が付かず、ぶつかってしまった。お互い尻餅をついてしまい、淡雪のバッグはそれほどでもなかったが、相手の女性のバッグの中身は飛び出してしまった。


「すみません、大丈夫ですか」

「大丈夫大丈夫。こっちこそすみません、前見てなくて」

 女性はガサッと荷物をかき集めてバッグにしまった。淡雪が差し出したポーチをありがとう、と言って受け取った。歯を見せてにっこりと笑うその女性の顔に、見覚えがあった。黒いロングヘアで、背が高くすらっとしている彼女は。


「秋奈さん、ですか?」

「え、あなたは……あ! あさひくんとゆうひくんのお姉さんの」

「従姉の淡雪です。私まで結婚式に招待していただいちゃって」

 記憶の中のおもちゃの病院で会った淡雪と、目の前の淡雪とが合致したようで、彼女はパッと顔を明るくした。


「いいのいいの。淡雪さんはお買い物?」

「ええ、そうですよ」

 淡雪の返答に、なぜか秋奈は難しい顔をした。おかしなことは言っていないと思うのだが。


「あの、何か……」

「その敬語やめて。たぶん同じ年くらいでしょ?」

 真剣な顔で何を言うのかと思えば、敬語で話さないでという可愛らしいお願いだった。淡雪は微笑んで了承した。


「じゃあ、お言葉に甘えて。秋奈さんもお買い物?」

「うん。いや、買い物というか、ウエディングドレス選びに来たんだけど。その、彼氏と一緒にのはずだったのに、喧嘩になっちゃって……」

「あら」


 秋奈は、ハッとして腕時計を見た。ドレス選びということは、予約をしているのかもしれない。のんびりおしゃべりしていてはまずいのでは。


「ねえ、淡雪さん今から時間ない? 一緒に来てくれない?」

「え! 私が?」

「予約してるから行かないわけにもいかないし、でも一人で行くのはやだし。お願い!」


 切実なその表情を見て、淡雪は少し悩んだものの、頷いた。結婚式までは三ヶ月ある。ドレスはまた今度見に来ればいい。


「本当に!? ありがとう!」

 秋奈に腕を引かれて、ドレスショップに向かった。

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