第6.5話 心得(了)

「才、起きてる?」

「起きているが、何だ」


 朝早く、といっても遅寝の才にとってだが、に私室の扉がノックされ、細い目のまま開けると修が立っていた。


「淡雪が落ち込んでいるみたいなんだ」

「そうなのか?」

「この前の依頼で、なんかあったのかと思って。ミイに聞いてみようかなって」

「む、そうか」

「才も一緒に来てくれないかい」

「は? 何故俺もなんだ」


 いいから、と修に腕を引かれて四階まで連れていかれた。前もこんなことがあったような気がする。才は、修が白い扉をノックするのを真後ろで腕組みして立っている。


「はい、なんでしょうか」

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、今いいかい?」

「大丈夫ですよ」

「淡雪がちょっと落ち込んでいるみたいで、ミイは何か知らないかい?」

「あー……」

 ミイが苦い表情をして、目線を斜め下に落とした。


 修とミイが話をしているのを、才はただ後ろで見ているだけ。本当に来る必要があったのか疑問である。


「何か心当たりがあるんだったら、教えてくれないかな」

「たぶん満月館の取り壊しが昨日だったからじゃないかと思います。送り式は本人の希望でしなかったのですが、本部からのお祈りはしました。淡雪さんにもそのことは伝えていました」

「そうか、色々と動いていたみたいだから、やっぱりショックだったんだね」

「あと……」

 ミイは、言うべきか迷っているようで、口を開こうとしてまた閉じてしまった。


「何か思うことがあるなら言えばいい」

 見かねた才が促すと、少し驚いた顔をしながらもミイは頷いて話し出した。


「コンサートが終わったとき、高校生の子たちに『満月館のことを忘れないであげて』と言っていたので、それがきっと……」

「きっと?」

「辛かったんだと思います。それは、わたしたちが出来なかったこと、失ってしまったこと、ですから」

「――っ」


 修は言葉を失って立ち尽くしていた。原因を突き止めはしたが、余計に修の動揺が増えてしまった。才は深くため息をついた。寝起きで頭が回らなかったことが仇になった。少し考えれば予想出来たかもしれなかったのに。


「時間を取らせたな」

「いえ」

 ミイは口元だけ小さく笑って頭を下げて部屋に戻った。わたしたち、と言ったということは、ミイも少なからず気落ちしているということだろう。余計なことを喋らせてしまった。


 才は修の肩を掴んで揺すり、放心から強制的に呼び戻した。

「あ、才、ごめん」

「今日は依頼もない。部屋で休むか、散歩でもして来たらいい」

「ああ、そうするよ」


 修はのろのろと階段を降りて、私室に戻っていった。背中が丸かった。淡雪に続いて修も気落ちして部屋に閉じこもってしまったということになる。





 才は作業を再開するために、研究室の扉に手をかけた。ちょうどそのとき、廊下をぱたぱたと走ってくる足音と共に名前を呼ばれた。


「才さーん」

「探しましたよー」


 あさひとゆうひがほっとした表情でこちらを見上げている。淡雪は私室、修と才はさっきまで四階にいたから、少しの間、医務室や作業室に誰もいない状態になっていたのだ。


「何かあったのか」

「葵ちゃんに、これ直せないかって頼まれました」

「警備課のパトロール中に持ち主の付喪神から声をかけられたそうです」


 あさひの手には、一本の杖。キツツキのくちばしのような形の持ち手の、木製の杖である。その中央あたりから下部にかけて大きな爪で引っかいたような一直線の傷がついていた。


 杖の修理には、素材や塗装、強度など、修理の要点が詰まっている。ちょうどいい機会かもしれない。


「お前たち二人でやってみるか。出張もして腕を磨いているんだろう」

「えっ、ぼくたちだけでですか」

「でも、主任は? 今どこにいるんですか」


 自信なさげに二人は顔を見合わせる。仕事を任せればもっと喜ぶかと思ったのだが。


「どうしてそんなに自信がないんだ? 出張先でちゃんとやっていると淡雪から聞いた」

 何故か二人は黙って俯いてしまった。こういうときは急かさず話を聞くものだと、いつだったか竜胆に言われたことを思い出し、才は二人が口を開くのを待った。

 そして、ゆうひが小さな小さな声で答えた。


「ぼくはあのとき、何も出来ませんでした」

「それは、ぼくだって」


 あの事件のことが、そして今も淡雪の記憶がないことが、二人の自信をなくさせているのだ。砂の復元は淡雪本人だけの問題ではない。早く成功させなければならない。


「修は今、調子が悪いんだ。お前たちでやってくれ」

「え、主任が?」

「大丈夫なんですか?」


 修が不調と聞いて、二人は驚いてあわあわとしている。自分たちだけで修理をしろと言われたときよりも焦っているように見える。それが少し面白かった。


「お前たち、修のこと好きだな」

「はい、もちろん」

「尊敬しています」

 二人は真剣な顔でそう即答した。


「主任に拾ってもらえたから、こうして開化出来て、修理課の一員になれたんですから」

 あさひとゆうひは、開化前、ただの手袋だったときに本部のすぐ近くに捨てられていたのを修が拾ってきたのだった。それからすぐに開化して、しばらく修理課で面倒をみていた。その後、ここで働くことになった。


「暖かくないって捨てられたんです、ぼくたち。でも、主任はぼくたちの手をあたたかいと言ってくれました」

 二人は小さな手をぐっと握りしめて、シンクロした動きで才を見上げて頷いた。


「やってきます」

「頑張ります」

 自信はなくとも、腕は着実に上がってきている。任せて問題はないだろう。


「ああ。何かあったら声をかけろ」 





 才は研究室に入り、作業台と向き合う。台の上には砂が見えやすい、黒い長方形のトレー。昨日復元を試みた砂を大きめのヘラで重ならないように広げていく。そしてモノクルで診る。トレーの右上と中央下にザザザというノイズが目に見えた。歪である。


「はーーー」

 大きなため息をつく。また失敗だった。


 砂の復元は、材質の近い砂を原料にする。極限まで細かくして、他の足りない材質の石や砂を同じように細かくしたものを加えて混ぜる。修理課独自の、接着に使用するクリームをほんの少し加え、時間を置き、乾燥させる。そしてフィルターを通して大きさを均等にして、一応は完成する。


 混ぜ合わせる配合やクリームの量、乾燥させる時間、その他様々な条件を変えながら、復元を試みている。この七十年間。


 こうして、修理課の者たちが不安定になるたびに、焦りが襲い掛かってくる。だが、焦ったところで、手元が狂うだけ。冷静さを保つように努めている。


「よし」

 才は、再び復元作業に取り掛かった。今日は昨日に引き続き乾燥させる時間を変えて、何パターンか砂を作っていく。




 研究室にはカレンダーや時計を置いていない。そのためどのくらい時間が経ったのかよく分からない。才は作業が一段落したところで、廊下に出た。廊下でもいいから外の空気を吸うことが大事だと、竜胆に言われ、一理あると納得したので、たまに出るようにしている。


 そこで、双子に杖の修理を託していることを思い出した。忘れる、ということではないが、作業に没頭すると思考力が全てそっちに行ってしまうのだ。


「あいつら、出来たのだろうか。見に行くべきか?」

 独り言を呟いたとき、二つ先にある作業室の扉が藍色に色づいた。双子が揃って出てきて、才の姿を見つけると、駆け寄ってきた。


「才さん」

「良かった。ちょうど休憩中だったんですね」

「作業中だと、何回声かけても気づいてもらえないんですもん」

「そうですよー」


 二人に言われて、今まで何度も声をかけられていたと知った。これからは気を付けると言いたいところだが、没頭しているときのことをコントロール出来るはずがない。

 才は聞かなかったことにして本題に入った。


「杖は直せたのか?」

「はい。少し時間がかかってしまいましたが」

「才さんチェックをお願いします」


 あさひが杖をそっと才に差し出してくる。それを片手で受け取り、光にかざしてムラを確認する。傷があったところを人差し指の腹でなぞり、でこぼこがないかどうか。床にトントンと突いてみて、強度の問題がないか。丁寧に仕上がりを確認して、才は頷いた。


「ああ、出来ている」

「本当ですか!」

「やったー」


 二人は飛び上がるようにして嬉しさを溢れさせている。さっきまで緊張していた表情も晴れやかである。


「ぼくたちだけで修理課への依頼をこなせたんだ」

「さっそく依頼者のところへ持っていかなくちゃ」

「喜んでもらえるかな」

「うん、きっと」


 わくわくした様子で才から杖を受け取り、階段を降りていこうとする二人を見て、才はストップをかけた。


「待て。その杖を持ってきた警備課のやつは?」

「葵ちゃんですか?」

「ここに呼んでくれ。杖も一旦、研究室に置いていていい」

 二人は首を傾げながらも言う通りに杖を置き、葵を鳩で呼び出した。


 すぐに一階から階段を一段飛ばしで駆けあがってくる足音が聞こえてきた。

「はい、何でしょう」


 葵がにこっと笑いながら尋ねてきた。才は杖を研究室から持ってきて、葵に手渡した。


「こいつらが修理をした。依頼者に返しておいてくれ」

「え」

「え」


 二人が驚きと落胆の声を上げた。やはり、少し考え方がずれているようだった。

「依頼者にとって、誰が直したかなんてどうでもいいんだ。物が直ったか、それだけだ」


 才の言葉に一瞬固まってしまった二人だが、一拍遅れて同時に頷いた。それを見て、才は再び研究室の中に戻った。



~~


 研究室の扉が閉まって、あさひとゆうひはしょんぼりとしてため息をついた。初めて自分たちで依頼をこなせたことに舞い上がっていたのかもしれない。


「才さんの言う通りだね」

「物が第一。忘れちゃいけない」

「ねえ」


 呼びかけられて、二人はハッとした。そういえば葵がまだここにいた。急に緊張してきてしまったし、怒られているところを見られてしまったことが恥ずかしくなってきた。


「これ、二人が直したの? すごいね。かっこいい!」

 慰めている、というよりは、本当に感心して言ってくれているようだった。かっこいい、という褒め言葉に、あさひもゆうひも顔を赤くしながら、誇らしげに笑った。


「ありがとう」

「ありがとう」


 修理した者のことは、依頼者にとっては関係のないことでも、仲間にとっては関係あるし、褒められるべきことなのは間違いない。


~~




 少し時間が経ったころだろうか、扉がノックされた。返事をする前に、返事がないことを見越したかのように修が入ってきた。


「なんだ。休んでいたんじゃなかったのか」

「今回のことでは、俺が落ち込んでいたってしょうがないからね」

「そうか」

 才は短く返して、また作業台に向き合う。修の声が背中に当たる。


「物が直ったか、それだけ、か。その言葉は自分への戒め?」

「なんのことだ」

 どうやら双子と話していたところを見ていたらしい。まあ、別にそれがどうということもないが。


「才は正しいけど言葉が少し足りないんだよね」

「聞いていたならお前が捕捉したんだろう。その足りない部分とやらを」

「んー、今回は葵ちゃんがいたから俺の出番はなかったかな」

 何故そこで葵が出てくるのか分からなかったが、追及することでもないだろう。才はそこで会話を終わらせる。


 テーブルに、何かが置かれる音がした。見るとマグカップがコーヒーの香りを漂わせていた。


 あの言葉。才に置き換えれば、砂の復元という事実が重要で、誰が直したか、その過程も関係のないこと、となる。


「根詰めすぎないように。コーヒーここ置いておくから。砂糖は四つ入れてある」

「ああ」







 コーヒーもすっかり冷めた頃。今日何度目かの砂の復元をし、モノクルで診る最後の工程を行う。少し肩が痛くなってきた。これで今日は最後にすることにした。


「!?」


 才は何度も何度も、端から端までトレーを診た。診たが、ノイズが一つも見当たらない。歪が、存在しない。


 歪がないということは、それは異常も違和感もない、正常な物であるという証。ずっと目指してきた、成功を意味する。


 一人きりの研究室で、才は、ぽつりと事実を口にした。


「………………出来た」

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