第6話 虹の音色ー2(了)
「お願いします!」
昨日電話で頼み込んだおかげで、満月館のエントランスに通してもらうことが出来た。部長の二人と、満月館の管理人にいざ直談判。
「どうか、お願いします。満月館で歌う予定だった生徒たちに、歌う機会を作ってあげたいんです」
管理人は難しい顔をしたまま、動かない。グレーのスーツを着こなしている彼は、童顔だが三十代らしい。マッシュルームヘアがその幼さをさらに強調しているように見えるが、今話題にするものではないだろう。
「ここはもう取り壊しまで閉館とすることが決まっているんだよ」
二人は管理人に対して怯むことなく、説得を試みる。
「そこを何とかお願いします。観客は入れなくて構いません」
「ずっとここを目指してきたんです」
「……あまり関係者以外に話すものではないけど、一番危険なのは舞台の上なんだ。誰も舞台上にあげることは出来ない」
彼はそう言うと、話は終わりだと言うように背を向けてしまった。
舞台上が危険である、そういう噂があることは事前に調べていて知っていた。だから、淡雪はその対応策を考えていた。
「客席で歌うのなら、可能ですか?」
「は?」
「生徒たちが客席で歌って、ピアノもエントランスに設置するんです。扉を開けておけば、いつも通りとはいかなくても音は聞こえますよね」
「それは、そうかもしれないけど」
管理人が少し悩み始めたのを見て、淡雪は二人に目配せをした。畳みかけるなら今である。
「客席で歌わせてください。お願いします!」
「わたしたちはここで『虹』を見るために、練習を続けてきました。歌わせてください」
それに、と三つ編みの方の少女がエントランスから見える、メインホールへと続く扉を見つめながら言った。
「それに、今まで合唱部の憧れでいてくれた満月館に、感謝を伝えたいんです」
「ありがとう、って歌に乗せて。皆で」
管理人の目がわずかに一瞬見開かれたように見えた。少し考えている様子だったが、彼は分かったと口にした。
「えっ、本当ですか」
「歌っていいんですか」
彼は、頷いてそれを肯定した。二人の顔から緊張感が抜け、ぱあっと笑顔が広がった。淡雪も胸をなで下ろした。何とかなって良かった。
「今日はもう遅い。詳しいことは追って連絡するから」
管理人の言う通り、外はもう日が沈みかけている。コンサートの詳細を話したいという無言の訴えを感じたが、二人にはまた後日、と言って帰宅を促した。
二人と一緒に淡雪も帰ると思っていたのだろう、淡雪が一人エントランスに戻ってきたのを見て、管理人は少し驚いた顔をした。
「少し、お話しませんか。管理人さん」
「心配しなくとも、コンサートのことは後日きちんと連絡する」
「ええ、そのことに関しては心配してません。だって、あなたがやると言ったんですから」
彼の表情が訝しむものに変わっていく。
「それはどういう――」
「あなたが、満月館の付喪神ですよね」
一瞬、彼は目を丸く見開いたが、穏やかな表情になって頷いた。
「ああ、その通り。僕が満月館の付喪神さ」
満月館は築百三十五年、開化して三十五年は経つ。付喪神は物の傍を離れないことが多い。管理人という立場は一番都合がいいだろう。それに、満月館の行く末について管理人の発言力が大きかったという記事も見た。
「どうして、取り壊しに賛成したんですか。自分自身ですよ、心臓ですよ?」
「自分自身のことだから、よく分かる。もう限界なんだ。……今年の合唱コンクールは、元々やるつもりだった。けど、柱にヒビが入った」
「体の方にも痛みがあるんじゃないですか」
柱にヒビ、身体でいうなら骨にヒビが入っているかもしれない。
「あちこちガタがきているから、今更どうということはない。それよりも、僕の意地でコンクールを強行して、子どもたちに怪我をさせることはしたくなかった。絶対に」
自分が満身創痍の中、彼女たちのことを最優先に考えているのだ、この付喪神は。どうにかして修理を出来ないのか、という想いが再び湧き上がってくる。このまま、何も出来ないのか。
「取り壊しは、僕から提案した」
「え」
淡雪の考えを読んだかのように、彼はそう言った。迷いはなくすがすがしくも見える笑顔を浮かべて。
「管理人の意見として。開化してすぐに管理人になったけど、見ての通り童顔だから十五年くらいして代替わりしたことにしたんだ。今は息子ってことになっている。七三にしていた髪型をマッシュルームにして出来るだけ別人に見えるようにして」
話が逸れた、とマッシュルームヘアを掻いて彼は話を続ける。
「管理人が言った、ということになってるけど、息子の立場じゃそれほど発言権はないから、合唱コンクール協会にいる付喪神を説得した」
「協会の中にも付喪神がいるんですか」
「同じように代替わりしたことにしてるやつもいるし、年齢不詳で通してるやつもいる。色んな形で音楽に関わっていたいって付喪神は多いさ」
確かに楽器などは長い年数使われ、開化する例は多い。以前修理課で修理したバイオリンの付喪神も楽器店の店主をしていた。音楽はヒトも付喪神も惹きつけるのかもしれない。
「付喪神なら、余計に取り壊しには反対したのでは?」
「最初は。でも何とか説得した。皆に莫大な金をかけさせることはしたくない。もう直せないんだから。……そっちだって分かっているんだろう? 本部の目に狂いはないと聞く」
本部、という言葉に淡雪は驚いて一瞬固まってしまった。同時に、まだ名乗っていなかったことも思い出した。
「遅ればせながら、付喪神統括本部・修理課の淡雪といいます。……その、知っていたんですね、私が本部の者だと」
「知り合いのピアノくんが、本部に行けばどうにかしてくれるから! と言って飛び出したきり戻らない。顔を見せるよう、言ってもらえるとありがたい」
そう言う表情は、手のかかる弟を持つ兄のように穏やかだった。そして切り替えるように凛とした顔になって、淡雪に、というより広く宣言するように言った。
「取り壊しは決定事項。欠片も残すつもりはない。子どもたちはもちろん、あいつも、新しい場所を目指すべきなんだ」
「……余計なことをしましたか」
彼は表情を和らげて、ふるふると首を振った。
「今年のコンクールを出来なくしてしまった罪悪感があった。それに、感謝を伝えたいと言われて、想像以上に嬉しかったんだ」
「必ずコンサートを成功させましょうね」
「ああ」
淡雪は、彼女たちの説得の中でずっと気になっていたことを尋ねてみた。あのとき彼は理解していたように見えた。
「あの、一つ気になることがあって、彼女たちが言っていた『虹』って何のことですか?」
彼は、少し挑戦的な笑顔、どこか彼女たちと似ている笑顔でこう答えた。
「せっかくコンサートがあるから、それまでのお楽しみということで」
*
コンサート当日。
このコンサートの意義に賛同し、そして参加したいという高校は数多くあった。その中で発起人の二校と、地理的な関係で満月館に来ることの出来る三校、合わせて五校が参加することとなった。
今回のコンサートは女声三部で行われる。そのため、学校の区別なくソプラノ・メッゾソプラノ・アルトの三つパートに分かれて整列することになった。ショートヘアの彼女はソプラノに、三つ編みの彼女はアルトにそれぞれ位置していた。
舞台上には誰もおらず、客席と通路を埋めつくす生徒たち。開け放たれた扉の向こう、エントランスにはピアノが設置されている。本部に依頼に来たというピアノの付喪神の彼が伴奏を担当する。
「壮観ですね」
「ええ」
淡雪と、せっかくだから一緒にと誘われたミイは、管理人に連れられてホールの後方上部にある部屋にいた。客席を上から見下ろすような形になり、様々な制服がマーブル模様のように見える。
「ここはセンタールームと言って、ピンスポット――照明を操作するための部屋だ。いつもここから子どもたちの歌を聴いてるんだ」
「特等席ですね」
「もう一度、ここで歌を聴くことが出来るなんてな」
管理人はホールに面したガラスに手を当てた。何度も見てきただろう景色とは少し違うかもしれないが、それでもその目は感慨深げに細められていた。
舞台側の客席中央に設置した台の上に、指揮者が立った。二曲歌う予定だが時間の都合上、リハーサルは一度だけだった。生徒たちの顔には緊張の色が見られる。
「いよいよ本番ですね」
指揮棒が構えられた。生徒たちの視線が指揮棒の先に集中し、ピンとした空気がホール内を駆け抜ける。流れるように動いた指揮棒が始まりの拍を打つ直前、彼女たちが一斉に息を吸う気配がした。
ホールに響き出した歌は、始めは静かな風のようにゆるやかに流れ、そしてどんどんと重なり合っていくハーモニーは得も言われぬ美しさだった。壮麗で、聞く者の心を穏やかにしていく。ピアノの音は歌声を乗せる舟のようにゆったりと安定感を持って聞こえてくる。
「すごい……」
淡雪は無意識にそう呟いていた。気づいてすぐに手のひらで自分の口を覆った。自分のわずかな声や息遣いが邪魔に思うほど、彼女たちの歌を余すことなく聞きたかった。隣を見ると、ミイが目を閉じて聴き入っていた。
管理人は、出会ってから一番穏やかな表情をして、ガラス越しにホールを見ていた。淡雪の視線に気づき、彼は口を開いた。下は一曲目がちょうど終わり、二曲目の準備中だった。
「『虹』のこと、聞く?」
「はい、聞きたいです」
「コンクールで優勝する高校は、歌っているときに虹をみるっていうジンクスというか、噂が、子どもたちの間で流れたんだ。高校合唱部では知らない者はいない」
彼女たちが言った『虹が見たい』とはここで優勝したいという意味だったのだ。しかし、室内で虹を見るとは、どういうことなのだろうか。
「あ、もしかして」
「そう僕の彩さ。声、歌などの音には色がある。その音色を見せることが出来る能力」
「管理人さんにはいつも音に色が付いて見えるんですか?」
「ああ。特に合唱の色は綺麗だ。それぞれ高校の特色も出るんだ。統一された歌声は澄み切った青空のような色。安定感のある歌声はどっしりと構えた山の色」
「素敵。ロマンチックですね」
ふわりと笑ってそう言ったミイに、小さく口端を上げるだけの笑みを返してから管理人は続けた。
「どの合唱も綺麗な色をしている。その中でも人の心を打つのは、様々な声がお互いの存在をかき消すことなく、調和して重なり合い一つになる合唱。――それこそ、虹のような」
ホールでは再び指揮棒が動き、二曲目が始まった。さっきの歌からさらに壮麗な美しさと、パートごとの鮮やかさが際立っている。まるでここにいる人数以上の歌い手がいるかのように重なり合った声がどこまでも広がっていく。
管理人は一瞬目を見開いて、そしてライトを調節するバーに手をかけた。ライトは舞台に当たるようになっていたが、絞りを極限まで開けた状態のため、ほとんど分からない。
「あの、何をし――」
淡雪は途中で言葉をなくし、ホールの光景に目を奪われた。このセンタールームから舞台上にかけて、天井を覆い尽くすように虹がかかっている。この美しい七色が、彼女たちの合唱の色。きっとライトを当てることが彩を使うために必要な手順なのだろう。
「…………綺麗」
生徒たちは、一斉に天井を見上げていた。指揮とピアノに付いていくように歌い続けている彼女たちの顔が驚きや喜びに染まっていく。
波紋が水面に伝わり、ゆっくりと平らになるように、最後の音が消えていった。一瞬の静寂のあと、わあっと歓声が上がった。今日初めて会っただろう他校の生徒たちが抱き合って喜んでいたり、感極まったようで泣いている子もいる。
「今までで一番大きくて、綺麗な虹だった……」
管理人の左の頬には一筋の雫。自分が涙を流していることにも気づいていないようだった。ガラスに両手と額を当てて、ホールの光景を目に焼き付けるようにぐるりと見回している。
「今日は……いや、今日までずっと素晴らしい音色を見せてくれて、ありがとう。僕は、幸せだ」
コンサートを終えて、生徒たちは名残惜しそうに満月館を出ていく。もらい泣きがあちこちで発生して、目を赤くした生徒も見られるが、みんな晴れ晴れとした顔をしていた。
淡雪とミイは彼女たちを見送ろうと玄関のところまで来ていた。エントランスまで一緒に降りてきた管理人は、そこで立ち止まった。
「最期に彼女たちに会わなくていいんですか?」
「いい。きっと泣いてしまう」
そう言って、彼は頑なに動こうとしなかった。しかし少しずつ前進していて、結局エントランスのギリギリに立って玄関を見ていることにしたらしい。
淡雪は、診療所に来ていた生徒たちの姿を見つけて声をかけた。
「とても凄かったです、虹は見れましたか」
「はい! 今まで歌ってきた中で一番寂しくて、でもとても楽しかったです」
その笑顔で、このコンサートをやることにして良かったと、淡雪は心からそう思った。
「もうすぐ取り壊されてしまうけれど、今日ここで歌ったこと、満月館がここに在ったこと、どうか忘れないで」
彼女たちが大きく頷く。彼は何も残すつもりはないと言っていたが、彼女たちの記憶に残り、満月館はきっとずっと存在し続ける。それはとても尊いことだろう。
生徒たちは、互いに呼びかけ合って玄関で整列した。まっすぐに満月館を見上げている。
「せーのっ」
一人の合図で生徒たちは大きく息を吸った。
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
凛とした、よく通る彼女たちの声は一体何色だったのか。
エントランスで泣いている彼を見る限り、それはきっととても美しかったに違いない。
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