第6話 虹の音色ー1
――クルッポー
――クルッポー
「あら、鳩ちゃんからのコールが二つも。私、行ってくるわね」
「ああ、いってらっしゃい」
淡雪は、途中の片付けを修に任せて、診療所へと向かう。ほぼ同時に二件もあることは珍しい。もし鉢合わせしたら、どちらかには待っていてもらわなくては。依頼の内容は口外無用。そのヒトが何より大事に想っている物のことである、むやみに他のヒトの耳に入れるものではない。
「あらー」
診療所の裏口から入り、やってくるヒトを出迎えようとしていたら、もう来てしまった。しかも何やら大勢で。どこまでが一組目で、どこからが二組目か分からない。
淡雪は診療所の表の扉を開き、訪問者たちに声をかけた。
「ようこそ。治したいものを順番に聞いていきますので、もう一方の方々には少し待っていてもらってもよろしいですか?」
制服に身を包んだ彼女たちは、互いに顔を見合わせてから、三つ編みの少女が代表するように淡雪の問いに答えた。
「その必要はありません」
「?」
「わたしたちの直して欲しい物は、同じです。――
「お願いします!」
「お願いします!」
全員が、よく通る声でそう言いながら頭を下げた。その迫力に一瞬気圧されたが、淡雪は彼女たちに顔を上げるように言って、診療所の扉を大きく開けた。
「詳しく、話を聞かせてもらえますか?」
とんがり屋根の中は天井が高く、実際よりも広く感じられる。猫足の低いテーブルの上には小さな花瓶に入ったコスモス。ソファに腰を下ろすように彼女たちを促した。
よく見ると、彼女たちの制服は二種類、つまり二つの学校の生徒たちが、同じ物の修理依頼に来たということ。淡雪は、満月館について、改めて尋ねた。
「満月館は、全国合唱コンクールが行われるホールで、わたしたち高校生合唱部の憧れで、目標なんです」
「でも、老朽化で今年取り壊されることが決まって。わたしたち、今年初めて満月館の舞台に立てるはずだったんです」
「全国の合唱部がそこを目指しています。お願いです、直してください」
音楽ホールの修理。かなり規模の大きい依頼である。期待の眼差しを向けてくる彼女たちの想いに応えたいが、今ここですぐに頷くことは出来ない。
「依頼内容は分かりました。まずは、そのホールの現状を職員と共に視察に行きますので、その後でまた」
「どれくらいですか?」
「二、三日後にまたここで。そのときには同じ鳩が迎えに行くと思いますから」
彼女たちを見送り、淡雪は考え込んでいた。ホールの修理となると、修理課の人員だけでは足りないかもしれない。おもちゃの病院のスタッフにも応援を頼むべきか。ともかく、本部に戻って相談をしなくては。
「おかえり、淡雪。どんな依頼だった?」
「ただいま。大きい依頼だったわ。女子高生たちからの音楽ホールの修理」
「え」
「え?」
修は音楽ホールと聞いて何故か驚いた顔をした。おかしなことは言っていないと思うのだが。
「もしかしてその音楽ホールの名前、『満月館』だったりする?」
「えっ、そうよ。満月館を直して欲しいって。どうして修が知ってるの?」
「さっき本部にも修理の依頼が来てね、満月館を直して欲しいって。ピアノの付喪神で、今年の合唱コンクールの伴奏に使われるはずだったらしいんだ」
ヒトだけでなく、付喪神にとっても目指すべき夢の舞台のようだ。ヒトからも付喪神からも愛されるその満月館にとても興味を引かれた。
修も同様に返答は後日、と答えたらしい。やはりまずは実物を見ないことには始まらない。
「明日、才と一緒に視察に行ってくるわ」
*
満月館は、その名の通り円形のホールで、収容人数は五千人にもなるという。街中に突然巨大なホールが現れたように思うが、歴史でいえばこのホールを中心に街が栄えていったと言える。
「立派ねー、フルムーンホール」
「フルムーン、満月か。このホールの愛称か何かか?」
「いいえ、正式名称よ」
「は?」
才の額の中央に寄った眉が、何を言っているんだ、と主張している。
「昔は『満月館』が正式名称だったらしいんだけど、数年前から近代的に、海外向けに、って『フルムーンホール』に改名したのよ。でも、みんな長年、満月館で慣れ親しんでるから、あまり定着していないみたいね」
「名前よりも、その存在感が勝るか。そんな物そうないぞ」
「ええ。すごいわね」
淡雪と才は、話をしながら満月館の周りをゆっくりと歩いた。才の右目にはモノクルが装着されている。どこを直すべきか正確に知るために、才の彩は欠かせない。
一周して、才は深く瞬きをしてからもう一度満月館を見上げた。
「どう?」
「……歪が多すぎる。今、この状態で在るだけで精いっぱいだろう」
「そうなのね、やっぱり」
淡雪は肩を落として小さく返事をした。修理課で、このホールを救うことは出来ない。
「やっぱり? 淡雪、お前分かっていたのか?」
「昨日、満月館については出来るだけ調べてみたのよ。築百三十五年。柱にヒビが見つかり、耐震性の調査をしたらアウト。改装工事の案もあったけれど、管理人の助言もあって」
「新しく建てる方が安全面でも、金銭的にも得策、か」
才は言葉の続きを予想してそう言った。その通りだった。壊れかけたものを直すよりも、新しく作り出す方が楽であることが多い。取り壊しの判断が間違っているとは言い切れない。だがそれはあくまでヒトの領域内での話で、付喪神であれば、自分たちであれば修復が可能になるのではと考えていた。
「どうしてもだめ?」
「ああ。俺たちでも、どうしようも出来ない」
「そう……」
淡雪は、ホールを見上げて、ごめんなさいと呟いた。才は無言のまま顎を引くようにして頭を下げた。
「これはもう修理課の案件ではない。無帰課に引き渡せ」
「ええ、分かってるわ」
*
付喪神統括本部・
物は百年在り続けると、命を得て付喪神となる。しかし、全ての物が開化して付喪神になれるわけではない。百年経つことなくツボミのまま、終えるものたちの方が圧倒的である。そんなツボミたちのために祈るのが、無帰課の仕事である。一番空に近い四階に位置しているのも祈りが届きやすいように、との想いがある。
そして他の課と大きく違うのは、何らかの理由で無帰課職員は全員自分が何者であるかすら覚えていないこと。一切の記憶がない者がここで働いている。
「ミイちゃん、いる?」
四階の私室の一つをノックすると、すぐに応答があって扉が色付いた。薄いピンク色のAラインの綺麗なワンピースを着た女性がふわりと微笑む。
「こんにちは、雪さん。中へどうぞ」
「えっと、仕事の引き継ぎと、少し相談したくて」
「分かりました」
ミイは要件を聞くよりも前に部屋の中へと招き入れてくれる。
状況が少し違うが記憶がない者同士、仲間意識のような親近感があり、なんとなく居心地がいい。仕事とは関係なくお互いの部屋をよく行き来している。
「あっ、さっきちょっと寝てたので、わたし髪ボサボサですね。わー恥ずかしい」
ミイは鏡に映った自分の姿を見て、慌てて髪を梳かしている。一度櫛を通すだけでふわりと内巻きになる髪質はいつ見ても不思議である。
「すみません、お仕事の引き継ぎ、でしたよね。もしかして音楽ホールのことですか?」
「あら、もう知ってたのね」
「実は、取り壊しが決定したという話をたまたま聞いたんです。それで、わたしたちの出番があるかもしれない、と」
知っているのならば話は早い。淡雪はヒトと付喪神の両方から依頼があったこと、そして修理は不可能であることを簡単に伝えた。
「そうですか……引き継ぎのこと、了解しました」
「ありがとう。それでね、相談というのが、依頼者のために何か出来ないかしら。あんなに想っているのに直せない、諦めて、と言うのは……」
「そうですね、何か……」
淡雪とミイはテーブルを挟んで考え込む。
「一緒に送り式をして、皆で満月館を送り出すのはどうでしょうか」
ミイがそっと両手を合わせて、そう提案してきた。
送り式とは、無帰課が行う、役割を終えたものを送り出す儀式のことである。ツボミたちのため日常的に行われている祈りとはまた別に、依頼があったときや付喪神となっているものを送る際に行う。
「ピアノの子はともかく、ヒトの彼女たちは送り式には呼べないわ」
「そうですよね……じゃあ、送り式とは別で、歌を贈る機会を作るとかでしょうか」
「歌を贈る……コンサートのようなものを開く?」
「はい。実現可能かは、分からないですけど」
「やってみるわ。ありがとう、ミイちゃん」
もう少しゆっくりしていっても、というミイの申し出に首を振って、淡雪は階段を走らず急いで降りた。コンサートを実現させるなら、もう少し満月館について調べておかなければ。
*
翌日の夕方、高校生たちにとって放課後になる時間に合わせて、才に頼んで鳩に彼女たちを迎えに行ってもらった。
診療所には、言い難い緊張感が漂っていた。正確には、淡雪の緊張が伝播して彼女たちまで緊張させていた。
「まず、視察の結果をお伝えしますね」
彼女たちの喉がゴクリと動くのが分かった。期待と不安の入り混じった瞳にこれから現実を伝えなければならない。昨日から心の準備はしてきたはずなのに、少し臆病になってしまう。淡雪は空気を食べるようにして息を吸い込んだ。
「満月館、フルムーンホールは修理不可能という結果でした。期待に沿えず、すみません」
「そんな……」
「どうにかならないんですか!」
身を乗り出して懇願する彼女たちに、淡雪はもう一度頭を下げた。落胆の声がさざ波のように一気に広がり、彼女たちは力なくソファに体をうずめた。
「本当に、無理なんですか」
ショートヘアの少女が、希望を捨てていない瞳でそう食い下がる。が、その希望に沿うことは出来ない。
「はい。修理は不可能です。あの状態で今まで保っていたことが、信じがたい程だということでした」
「そうですか……取り壊しは止められない、か」
現状は伝えた。そしてここからが本題である。
「一つ、皆さんに提案があります。取り壊される前に、満月館でコンサートをしませんか。満月館を、皆さんの歌で送り出すんです」
広がったさざ波が戻ってくるように彼女たちの表情が明るくなった。その中で、難しい顔している少女が二人。三つ編みの少女と、ショートヘアの少女。周りの生徒から部長、と呼ばれている。この二人がそれぞれの合唱部の部長なのだろう。
「そんなことが、出来るんですか?」
「今、満月館は立ち入り禁止のはずです」
もっともな意見だった。淡雪は頷いてから口を開いた。
「はい、なので今から直談判しに行きます。一緒に、来てくれますか?」
二人は驚いた表情を浮かべたが、すぐに凛とした、少し挑戦的とも見える笑みを浮かべた。
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