第5話 夢は現ー3(了)

 一週間後。あの日怪我をした者は全員回復に向かっていた。重傷者一名、軽傷者八名、行方不明者一名。警備課と管理課が連携して、襲撃してきた二人組と、行方不明になってしまった職員についての情報を集めているという。


 が、手掛かりはほとんどなく、テロである可能性が高いという推測で止まっている。


 修理課は修理、治療に本部内を走り回っていた。そして、才の予測通り、淡雪が目を覚ました。


「淡雪!」

 修は、修理治療で呼び出されたとき以外はずっと淡雪の傍に付いていた。目を覚ましたのも、ベッドの横の椅子に腰掛けているときだった。


「淡雪、痛いところはない? 眩暈とかは?」

「大丈夫、です」

 まだ覚醒しきっていない表情で、ぼんやりと修を見つめている。次第に焦点が合ってきて、修は安心して、涙が出そうになった。


「皆を呼んで来るね」

 そう言って立ち上がったが、淡雪が不安そうに修、そして部屋の中を見渡している。様子が、おかしい。水色だった髪が、毛先だけを残してほとんどが白くなってしまっている。


「淡雪? やっぱり具合良くない?」

「えっと、あの、あなたは誰ですか……?」

「え」








 手術室のベッドを修と才、あさひ、ゆうひが囲む。淡雪は不安そうに四人を順に見つめては、首を振り、覚えていないことを示す。


「分からない、です。すみません」

「謝る必要はない。自分のことは分かるか?」

 才の問いかけに、淡雪は自分の手のひらを見つめ、握って開いてを繰り返した。


「私は、砂時計。砂時計の付喪神。名は淡雪」

「それから」

「開化するまではお屋敷にいて、それから、ええっと……」

 自身が付喪神であること、ツボミの間のことは覚えているようだが、その後、開化してからの記憶がないようだった。


「そうか。お前は大怪我をして、一週間眠っていた。怪我の影響で記憶が飛んでいるようだ」

「そんな……」


 修は、ぼう然と立ち尽くしたまま、動けなかった。目が覚めた安堵感と、記憶がないという喪失感とで感情が制御出来ない。

 何と声をかけたらいいのか、そもそも自分は今何を考えているのか、分からなかった。どこかで選択を間違えたのか。


「他の課の者に淡雪が目覚めたことを知らせてきてくれ」

 才が修と双子に向けてそう言った。才の言葉を理解するのにも、時間がかかってしまい、双子に引っ張られるようにして部屋を出た。


「主任は休んでいてください」

「ぼくたちが知らせにいってきます」


 あさひとゆうひにそう言われ、修は、いや俺もと言いかけたが、二人に止められてしまった。


「主任、今とてもこわい顔をしています」

「休んでください」

 廊下に一人残された修は、ネジ巻き式の人形のようにぎこちない動きで私室に戻った。






「眠れないのか?」

 ぼんやりとベッドに腰掛けて、窓から空を見上げる淡雪に、才が声をかける。


「眠るのが、怖くて」

「怖い?」

「昨日のことが分からなくてこわいんです」


 淡雪の言う昨日とは、眠る前のこと、つまり一週間前のことを指しているのだろう。


「日々を過ごしていた感覚が確かにあるのに、つい昨日のことが思い出せない。それがとてつもなく怖いんです。自分が誰か、何者かはちゃんと分かる。なのに、昨日のことが何も分からないんです」


 絞りだすようなその声に、胸が締め付けられた。忘れられるのと、忘れるのとではどちらの方が辛いのか。そんなこと、比べられるものでもないのかもしれない。


「眠りたくなんです。今日のことも忘れてしまいそうで。今日は確かにあったのに、また消えてしまいそうで」

 自分の手で自分の肩を抱きしめて淡雪は縮こまった。


「俺たちは付喪神だ。だから、多少寝なくとも問題はない。そうだな、何か飲むか?」

「……はい」


 才は、こちらに視線を向けたかと思えば、カーテンを開け放った。

「修」


「あー、えっとこれは」

「何か飲み物を作ってくれるか?」

「え?」


 てっきり盗み聞きを咎められるかと思ったが、飲み物を要求された。そういえば、才が自分で何か食べ物や飲み物を用意しているところを見たことがない。


「分かった。何でもいい?」

「ああ」


 修は、淡雪とは目を合わさずに、簡易キッチンでコーヒーを淹れた。インスタントで、特に技術もいらないそれに、砂糖と、淡雪のものにはミルクも加えて混ぜ合わせる。


「はい、いつもの」

 二人の前にコーヒーカップを置きながらそう言ったが、今の淡雪に『いつもの』はない。余計なことを言ってしまった、と修はひそかに唇を噛んだが、淡雪はただじっとコーヒーカップを見つめている。


「私は、これが好きだったんですね」

「!」

「あ、いえ、思い出したわけではなく、いつも飲んでいたのなら、好きだったということかなと」


 淡雪が申し訳なさそうに首を振る。あからさまな反応をしてしまったこちらが悪い。気にするなと首を振り返す。


「あの、私に教えてください。『淡雪』のことを」

「えっと、それは」

「いいんじゃないか。記憶が戻るきっかけが見つかるかもしれん」


 言いよどむ修に対して、才はそれを推奨した。このままではいつまでも淡雪とまともに会話をしそうにない修への後押しのつもりだったのかもしれない。


「……分かった」

「よろしくお願いします」


 淡雪は丁寧に頭を下げた。顔は少し強張っていて、手も固く握りしめたまま。緊張と不安が見て取れる。今、一番不安なのは淡雪だ。支えなければ。


 淹れたままになっているコーヒーを手で示し、三人で夜中のコーヒータイムを始める。


「あ、美味しい……」

 淡雪がぽつりとそう零して、静かに笑った。目覚めてから、初めての笑顔だった。







「あの、お仕事をさせてください」


 療養している淡雪から、そう言われて修は驚いて固まってしまった。かなり時間はかかったが、怪我はほとんど治っていて、近頃は本部内を歩いてまわるようになってきた。が、あくまでも療養中という立場だった。失われた砂も、戻ってはいない。


「仕事って、修理課の仕事?」

「はい」

「でも、記憶は戻ってないだろう? 無理に仕事をしなくても、ゆっくりして」

 修の言葉の途中で、淡雪は首を振った。


「何もしないままここにいるのは、申し訳なくて。でも私に何が出来るのか、分からなくて、才さんに相談したら、治療をしてみたらどうかと。手が覚えているかもしれないからと」


 自分よりも先に才に相談していた、という事実に心が少しもやもやしてしまう。修と恋人同士であったことももちろん忘れているわけだから、仕方ないのだが、感情はどうも追いつかない。


「――ってこんな状況で俺は何を考えてるんだ」

 頭を乱暴に掻き、小声で自分を戒めて、厄介な感情を追い払う。


「あの、やっぱりだめですか……」

 淡雪がおずおずと問うてくる。今のでは淡雪に対してイラついていたように見えてしまっていただろう。重ね重ね不甲斐ない。


「いいや、だめじゃない。才がそう言ったんだろう」

「はい。修さんに聞くように、と」

「?」

 いまいち会話が噛みあわず、修は首を傾げる。淡雪も同じように首を傾げている。


「えっと、才は何て言ってた?」

「治療をしてみたらどうか、と」

「それから?」

「本当に仕事がしたいなら、修理課の主任は修さんだから、許可を取って指示を仰ぐように、と」

「! ……そういう、ことね」


 修理課の方針として、淡雪をどうするか、それを決めるのは主任である修だと、才はそう考えているし、それが当然と思っている。恋人だから、ではなく主任だから決めろ、というのはとても才らしい。


 ちゃんと考えて、ちゃんと背負わなくては。


「いいよ。許可する」

「あ、ありがとうございます!」


 勢いよく頭を下げたことで、淡雪の髪がふわりと広がって肩を流れた。怪我が治れば戻るかと思ったが、髪が元の色、水色なのは毛先だけで、それ以外は白いままだった。失った記憶の象徴のようで、少し不気味に思えてしまう。


 修は軽く頭を振って、切り替えた。

「本当に手が覚えているか、確かめてみて、それからは俺についてもらおうかな」

「いいんですか? 主任ってお忙しいのでは……」

「そうでもないよ。それに、才は腕はいいけど連携や指導には向いてないし、あさひとゆうひはまだ修行中。ということで、俺が残るんだけど、いい?」

「よろしくお願いします」


 少し緊張を滲ませた笑顔で、淡雪は頷いた。これから二人でいる時間が増えるだろう。これが頼ってくれる口実になればいい。


「隠しているのも嘘ついているような気がするから、言っておこうと思って」

「はい」

「俺と淡雪は、恋人同士なんだ」

「――え!?」


 目も口も丸くして驚いていた。ほんの少し、顔が赤いようにも見えた。緊張して強張っていた肩が、いい具合に力が抜けている。今はそれだけで、充分。





 才の言う通り、淡雪の手は覚えていた。技術面はほぼ問題がなかった。知識面は忘れていたが、元が白紙な分、吸収が異様なまでに早かった。淡雪はほどなくして修理課の戦力となった。



――――そして、七十年が経った。



「修、こっちは終わったわ」

「ああ。後はやっておくよ」


 淡雪はありがとう、と言って廊下を歩いていく。高い位置で髪を結うのも、話し方も、仕事の仕方も、『淡雪』である。


「…………似てきたな」


 無意識に自分の口から出たその言葉に、修は身の毛がよだつ思いがした。『誰』が、『誰』に似てきたというのか。なんとおぞましい、身勝手で愚かな考えか。


「ごめん、淡雪」

 砂の復元は想像以上に難航していた。才はほとんどの時間を研究室に籠って復元作業を行っている。が、成功しない。才に難しいものに、修が手を出せるはずもなく、もどかしさが積もっていた。



 七十年も経てば、淡雪の髪が元々、水色一色だったことを知らない者も出てくる。あの事件を、知らない者も本部にはいる。葵もその一人。七十年という月日は、ヒトでいえば一生に近い時間である。


 修は、今の淡雪を別人と思えばいいのか、本人として接したらいいのか、分からなくなっていた。あさひとゆうひは、本人として接している。淡雪のため、きっと意識的にそうしている。才は、おそらくそういう感覚はない。淡雪は淡雪、それ以外の何

がある、ということだろう。


「……俺だけが、煮え切らないんだよね」

 最近では淡雪が、記憶を失くす前の自分、修と恋人であったときのように、振舞おうとしている。それが分かっていながら、気付かない振りを続けている。淡雪は淡雪、なんて言いながら、心からそう思っているのか自信がない。こわくて、触れることも、出来ない。


「……ごめん。ごめん、淡雪」




***




「ん……」

 自分が目覚めたことを自覚して、体を起こすが、頭がガンガンする。医務室で仮眠をしていたのだった。


 作業をしている才の背中が見えた。声をかける前に才から話しかけられた。

「起きたか。ずいぶんうなされていたが」

「悪夢をみた」

「……あの事件のか」


 修は頷いた。才はこちらを振り返らないままだったが、返答は分かっているのだろう。


「かなり長いこと夢をみたよ。俺どのくらい寝てた?」

「ほんの二十分程度だ」

「二十分? たったそれだけの時間に何十年分のことを夢みたのか。それは疲れるはずだよ。……ん? でもあれ」

 ここでようやく才が作業台から手を離し、こちらを振り返った。


「どうした?」

「いや、夢のはじめの方は俺の記憶じゃなかったんだ。たぶん、淡雪の……。でもどうして」

「本当にあるのか。夢が混ざることが」

「混ざる?」


 聞き慣れない言葉に、修はそのまま復唱した。才は、ああ、と言って捕捉で説明をしてくれる。


「近くで寝ると、稀に夢が混ざることがあると聞いたことがある。相手の記憶が、夢となって現れるらしい」

「淡雪もここで寝てたの?」

「五分くらい、うたた寝していただけだがな」


 たった五分で、淡雪はあの記憶をみたという。失くした事件の記憶の夢。おそらく目が覚めたときには覚えていない。しかし、潜在意識にはその恐怖が残っているかもしれない。


「淡雪どこに行ったか分かる?」

「確か部品室を見に行くと言っていた」

「分かった、ありがとう。砂糖とミルクの入ったコーヒーを差し入れてくるよ」

「ああ、頼む」


 どうすべきか、の答えは出ないが、今はただ、早く淡雪の笑顔が見たい。

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