第5話 夢は現ー2
修は、驚いた。鍛錬を積んだ警備課の者たちが全員地面に伸されている状況など、今まで見たことがない。非常事態だとは思っていたが、ここまでとは。
「あさひ! 周囲に暴徒化した付喪神がまだいるかもしれない、気を付けて」
「は、はい。ざっと見回ってきます」
「無理はしないように。……これは、弓矢によるものかな。あとは鈍器で殴られたような。気を失っている者もいるが、致命傷を負った者はいないようだ」
修は端末で、本部へ負傷者全員を運べるように車を手配してほしいと伝えた。車が到着するまでに応急処置をしておかなくては。
「周りに怪しい人はいませんでした!」
「あさひ、ありがとう。今から怪我人の処置をするから、手伝って」
「はい!」
あさひは治療が得意な兆候が見られる。実践をしつつ、帰ったら淡雪に詳しく指導してもらうようにしよう。
大怪我の者はいないにしても、人数が多い。淡雪の方の状況がこちらより軽いものであれば、終わり次第こちらに来てもらうか、その逆だったとしてもこちらが早く処置を完了させなければ応援にも行けない。
「迅速に、かつ、丁寧に、正確に」
焦りそうになったとき、心の中で唱える文言を、口に出して自分を落ち着かせる。目の前の患者に集中しなければならないのは分かっているが、どうしても淡雪たちのことが気にかかる。
「あさひ、ゆうひと繋いで向こうの状況を聞いてくれるかい」
「はいっ、すぐに」
あさひも気になっていたようだ。この状況で気にならないわけがない。あさひに、向こうが心配だ、という言葉を飲み込ませてしまっていたようだ。上司としてなっていない。しっかりしなくては。
「しゅ、主任! ゆうひと繋がりません! どうして、一体何が、こんなこと」
「落ち着いて。今まで繋がらなかったことは?」
「あります。喧嘩したときとか。でも、そういうときは、ゆうひが応えようとしてないって意思は伝わるんです。でも、そうじゃない、ゆうひの意思がない。この手の向こうにゆうひがいないんです!」
あさひが完全にパニックに陥っている。ヒトではどの血縁関係より繋がりが深いとされる双子の繋がりが消えたということは、相当異常事態である。
「淡雪に端末で連絡をとってみよう、ちょっと待ってて。大丈夫だから、あさひ」
あさひの背中をさすって、深呼吸をさせる。修も一緒に大きく息を吐く。黒い靄のように自分の中にどんどん広がる不安を押し出すように。
「――淡雪? そっちは」
『ゲンザイ、オウトウ、デキマセン』
音を継ぎはぎで並べただけの無機質な音声だけが返ってきた。ゆうひも、淡雪も、応答しない。二人ともが応えないなんて、明らかにおかしい。頭に向かうべき血液が、全て下に流れ落ちてしまったかのように、頭が働かない、何も考えられない。
「主任、どうしましょう……」
「向こうで何かが起こっているのは確か、だから、すぐに駆け付け、でも、ここに車が来るまでは」
本当に考えが纏まらない。纏まっていないことを口にしてもあさひを不安にさせるだけだと分かっていても、止められない。
深呼吸。深呼吸をして。
「――ゆうひ!? 大丈夫!?」
あさひが縋るように左手に耳を当て、大きな声で向こう側へ呼びかけている。どうやらゆうひから応答が来たらしい。
修はあさひの左手に耳を寄せる。
「ゆうひ?」
『あ、あさひ……』
「すごく繋がりが不安定……ゆうひ、大丈夫?」
『ぼくは、大丈夫。警備課の人がたくさん、怪我してて、刀を持った人に、刺された。淡雪さんが』
「――!」
修の中で、下降していた体内の血が一気に頭に駆け上がってきた。
「淡雪が刺された!? すぐに向かう」
修はスクーターのエンジンをかけたが、目の前の怪我人たちを見て、一瞬動きを止めた。致命傷の者はいないにしてもこのままというのも……。
「行って、ください」
弱々しくもはっきりとした声が聞こえ、その主を見ると先ほど応急処置をした警備課の者だった。意識を取り戻したらしい。
「車は、来ますか」
「はい。呼んであります」
「なら行ってください。ここは大丈夫です。あいつらの強さは、異常です。早く、行って」
彼の目には、怯えが見える。普段から鍛錬を積み、戦闘にも慣れている者がこれほどまでに言う者が、淡雪のところに。
「すみません! あさひ、行くよ」
「はいっ」
惨状。悲惨。そう表現するに相応しい有様だった。
「淡雪!!」
酷い現場の中で一番多く血を流しているのが、淡雪だった。白いナースワンピースはすでに真紅に染まっていた。水色の髪が、真っ赤な中に流れる一筋の川のように見える。
「聞こえるかい!? 淡雪、聞こえたら返事をしてくれ」
頬に手を当て、大きな声で呼びかけるが、閉じられた瞼はピクリとも動かない。肩を掴んで揺すってみても、結果は同じ。
「淡雪……どうして、こんな、俺が一緒に行っていれば。どうして、どうして」
赤く染まり続けている白衣の天使を、修は縋りつくように抱き締めた。大事な人の瞳に自分が映らないことが、とてつもなく怖い、恐ろしい。
「誰か、淡雪を助け――」
助けを求めた自分の声は、そのまま自分の耳に届いた。
今、ここで、直すことと治すことの知識が一番あるのは修である。誰か、ではない。修自身が、助けなければならない。頬を思いっきり叩かれたような錯覚がした。冷静になれともう一人の自分が言っているような気がした。
淡雪の口元に手のひらを近づけると、浅いながらもきちんと呼吸をする気配が伝わってきた。ゆっくりと淡雪をその場に寝かせた。
――よく診ろ。原因とその対処法。応急処置では限界があるにしても、自分の判断がこの後の淡雪の容体を左右する。
修はまず最優先である止血を行う。もうすでにかなり血が流れてしまっているが、これ以上流れることは防ぐ。傷口に強く圧をかけなければならない。手が足りない。他にも怪我人がいるのだ。
「あさひはどこに……」
顔を上げて、双子の姿を探す。少し離れたところで、ぼう然と立ち尽くしているゆうひに、あさひが心配そうに肩を掴んで話しかけているのが見えた。ゆうひの服も広範囲が赤くなっているのが分かった。
「ゆうひ! ゆうひも怪我をしてるのかい!? 早く診せて」
修の声に応えてあさひがゆうひの手を引いてこちらに来たが、ゆうひは黙ったままふるふると首を横に振った。その手は小刻みに震えている。
「ごめん、なさい。ごめんなさい」
「ゆうひ?」
「これは、ぼくの血じゃありません。淡雪さんが刺されて、血がたくさん流れて、刺した男の人がこっちを見て、怖くて、ぼく、気を失ってしまったんです。ぼくだけが、無事で、ごめんなさい、ごめんなさい」
ゆうひは、ボロボロと零れ落ちる涙と嗚咽に言葉を発するのを邪魔されながら、何とか伝えてくれた。ごめんなさいを繰り返すゆうひの小さな背中には、背負いきれないほどの恐怖が纏わりついている。
修はゆうひを抱き締めて、大丈夫大丈夫と背中をさすった。あさひも、泣きそうな顔をしながらゆうひの背中を支えた。
「あさひ、淡雪とゆうひを頼めるかい」
修はあさひに淡雪の止血を引き継ぐように示して、立ち上がった。
「はい。あの、主任は」
「俺は他の者の応急処置をするよ。ここにいる全員、助ける」
ほとんど暗示に近かった。致命傷に近いのは淡雪だけ。それでもこの人数を一人で対処するのは初めてだった。正直こわい。物の修理の方が得意なことが、今日ほどもどかしい日はない。
「……物……修理。ああ!」
あまりの惨状に失念していた。これだけの怪我であれば物にも損傷があるはず。身体だけでなく、物への応急処置も必要である。
修は淡雪の服のポケットなどを探した。しかし。
「ない。砂時計がない」
「えっ、いつも身に付けていましたよね、淡雪さん」
あさひが驚きと困惑を混ぜた顔で見上げてきた。そう、身に付けていないということは、この現場のどこかにあるということ。
「応急処置をしながら、砂時計も探そう。うん、大丈夫。迅速に、かつ、丁寧に、正確に」
自分に言い聞かせて一歩踏み出そうとしたとき、ゆうひが乱暴に涙を拭って、修の白衣の裾を掴んだ。
「砂時計は、ぼくが、探します」
「……辛かったら休んでて大丈夫だよ」
「ぼくは、怪我をしていません。もっと辛い人、痛い人がいます。ぼくが、休んでいるわけにはいきません」
瞳からは今も涙が溢れ、手の震えも止まってはいない。それでも、ゆうひは修から目を逸らさない。
この子は強い。強くあろうとしている。
「分かった。砂時計は任せたよ。たぶんかなり損傷をしていると思うから、小さな破片も見逃さないように」
「はいっ」
ゆうひに砂時計の回収を任せ、警備課の怪我人の処置にあたる。ほとんどが止血、そして物の損傷具合を確かめることで精いっぱいだった。
「主任! 車が来ました」
あさひの声に短く返事をし、怪我人を車に乗せていく。本部側の機転で二台用意していたため、全員を乗せることが出来た。
担架に横たわった淡雪の顔色は不気味なほど白く、まるで人形のようだった。
「淡雪……」
*
「待て、才!」
修は作業室に入ろうとした才の肩を掴んで、少々乱暴に止めた。
「明らかに砂が足りていない。このまま修理してはだめだ」
砂時計はゆうひが見つけ、周囲に散らばった破片も回収してくれた。しかし、亀裂からかなりの量の砂が流れ出ていた。修、あさひも加わって出来るだけ砂を集めたが、全ては回収出来なかった。一部は風に飛ばされてしまった可能性が高い。
「分かっている。だが、血も流しすぎている」
「それはっ」
「ガラスの亀裂を塞がなくては、身体の傷も治らない。あの状態のまま放置するというのか?」
「そうじゃなくて、もう一度現場に行って砂を……」
「三人がかりで回収したんだろう。これ以上は無理だ」
「でもっ」
不完全な状態で修理をすれば、どうなるか分からない。それは才にも分かっているはずだが、身体への負担を考慮したゆえの選択だろう。分かっている。分かっているが、頷くことが出来ない。
「修。俺は、修理が終わったら淡雪の砂の復元を試みる。同じ物質になるように。俺は天才だ」
だから、と才が言葉を続ける前に、修は才の肩から手を下ろした。ここで才を引き留めていても何にもならない。分かっている。
「……才、頼む」
「ああ。お前は淡雪に付いていろ。修理には体力も必要だ、異変があればすぐに教えろ」
修は頷いて、才の後ろ姿を見送り、手術室の扉を色付けた。
手術室のベッドには淡雪が横向きに寝かせられている。修と才によって縫合を終えた傷口は血を流すこともせずただただそこにある。手術前よりも安定した呼吸をしていることに安堵するが、閉じられたままの瞼にはやはり不安が押し寄せてくる。
「淡雪、早く目を開けて」
端末が軽快な音でメッセージの受信を知らせる。見ると、才から『修繕作業を始める。患者の容態の変化に注意しろ』と業務連絡のような内容だった。さっき同じことを言って別れたばかりなのに。
――そうか、才も必死だ。冷静さを保とうとしているだけで、きっと動揺も混乱もしている。
作業が始まったのなら、ここで淡雪の傍に付いているのが、今の修の役割。
「頑張れ、淡雪」
手を握り呼びかける。わずかな変化も見逃さないよう。
次第に淡雪の額に汗が滲み、苦しそうに息を繰り返すようになった。才に状況を伝えつつ、タオルを軽く押し当てて汗を拭い、可能な限り水を飲ませた。
淡雪の残っている体力が想定よりも少なく、作業を一気に押し進めるのは危険だった。才と相談し、少しずつ少しずつ作業を進めることにした。一気に体力を奪わないように注意したものの、淡雪は熱を出し、苦しんでいた。修は額を冷やす、汗を拭うなど、少しでも苦痛を減らせるようにと奔走した。
約六時間。修繕作業は無事に終わった。才も修も張っていた力が抜けて、医務室のソファに突っ伏した。
「お疲れ、才」
「修もな」
「大丈夫だよね」
「ああ。だが目が覚めるまで一週間ぐらいかかるだろう」
「そう……」
一瞬流れた沈黙の間に、二人は夢の中に誘われた。誘われるがまま、眠りに落ちた。まだたくさんいる怪我人の対応に再び呼ばれるまで、わずかな休息ではあったが。
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