第5話 夢は現ー1

 付喪神には、基本的に『忘れる』という現象は起こらない。桜の花びらが落ちて地面に積もるように、紅葉が枝を離れて道に真っ赤な絨毯を作るように、記憶は蓄積されていく。


 その膨大な記憶を整理するために、付喪神は夢をみる。

 夢は、記憶である。




 ――両手を見つめる。これは誰の手だ。握るように意識すれば、その手はゆっくりと手の皺を握りしめた。これは俺の手だ。この手で砂を掬い上げても、指の隙間から零れ落ちていく。これは悪夢。そう、夢だ。


 ――誰の、夢だ?




**




 会議室にある簡素なテーブルに、ピンク色の可愛らしいテーブルクロスをかけて、丸いレース地のランチョンマットを三つ。小さな花が風に吹かれているティーカップに紅茶を注いで、オレンジのパウンドケーキにフォークを入れる。一口食べるとふわっと甘味が広がり、淡雪は顔をほころばせた。


「やっぱり竜胆さんの作るスイーツは絶品ですね」

「でしょでしょー」

「なんでランが得意気やの」


 淡雪と竜胆、竜胆の妹で、かんざしの付喪神である鈴蘭のお茶会は定期的に開催されている。淡雪が本部へ来たときに、初めて女の子が来た! と二人が喜び、歓迎会として開催して以来、定着した。今では他にも女の子が増えたがお茶会は基本この三人である。


「そうや、明日は淡雪と修の記念日なんやろ?」

「ほんと、あの時はいつくっつくんだろう、って思ってたよ。もどかしかったー」

 淡雪はその頃を思い出して頬が熱くなる。ごまかすように紅茶で喉を潤した。


「デートとかするん?」

「うーん、たぶんそうだと思います」

「たぶん?」

「習慣で予定は空けてますけど、どこか出掛けるとかそういう予定は特に。……私だけ楽しみみたいです。プレゼントなんて用意しちゃって」


 淡雪は手元に目線を落とし、口を尖らせた。

 すると鈴蘭に後ろからガバっと抱きしめられた。肩に顎を乗せて、手元を覗き込んでくる。


「もー可愛いー! 何を用意したの?」

「うちも見たいわ」


 淡雪は二人にねだられて、箱を開けて中を見せた。何故か二人はじっと『それ』を見つめた後、顔を見合わせて、そしてこちらを見つめた。


「一つだけ? お揃いにしないの?」

「わ、私が渡したいだけなので……」


 お揃い、を考えなかったわけではないが、特に約束もしていないこの状況では一人だけ浮かれすぎているような気がして、踏み出せなかった。


「健気やわ~、修にはもったいないわ」

「ほんとほんと」


 矛先が修の方へ向いてきたので、淡雪はさりげなくお茶を淹れ直すと言って話を別の方向へ向けようとしたとき、ノックと共に扉が色付いた。


「あのー、淡雪さん、ぼくらの練習をみてもらえませんか」

「あっくん、ゆうくん」


 本部の新人くんで、とおとせ十年と一番年数も若いあさひとゆうひ。修理・治療のことを勉強中で、淡雪は教育係のような役割をしている。


「もう、あさひ、今はお茶会中だし、また後でにしようって言ったのに」

「でもさ、明日は修さんが独り占めの日だし――あっ」

「あっ」

 あさひが慌てて両手で口を塞ぐ仕草をした。ゆうひもつられたように同じ動きをした。言っちゃいけなかった、と二人の表情が語っている。


 ということは……

「修も、ちゃんと楽しみにしてるみたいやね」


 竜胆と鈴蘭の微笑みに、嬉しさと恥ずかしさの混ぜ合わせの気持ちのまま、コクンと頷いた。





 お茶会をそこそこに切り上げ、淡雪はあさひとゆうひの練習に付き添うことにした。その間に、本部内が騒がしくなっていった。どうやら警備課の出動があったらしい。暴徒化してしまった付喪神を鎮圧、保護しにいったのだ。


 暴徒化する理由は、捨てられたこと、本当の使われ方をされなかったこと、忘れられたこと、など様々ある。


「念のため、手当ての準備をしておこうかしら」

 怪我をして帰ってくる人のために、準備をしてみたが、一向に連絡が来ない。いつもならばそろそろ帰ってくる頃なのに。



 ――ビービービー!



 突然、けたたましい音が響き渡った。異常を知らせるその音は端末から発せられている。すぐさま手に取り、メッセージを確認する。


『暴徒化した付喪神との戦闘で負傷者多数。修理課は現場へ急行。南東方面、北西方面』


 箇条書きに近い文面から、その緊急性が読み取れる。

 あさひとゆうひと共に廊下に駆け出た。同じように修と才が廊下に飛び出してきたところだった。


「修! 才!」

「皆、聞いたね。俺とあさひで南東、淡雪とゆうひで北西へそれぞれ向かおう。才は本部に残って帰ってきた人への対応と処置を」

「ああ、全員用心しろよ」


 才からの言葉で背筋が伸び、四人は治療に必要な道具たちを手に、エントランスへ走った。


「淡雪、気を付けて」

「修もね」

 ぽんと頭を撫でられて、その手に安心すると共に気を引き締めた。





 淡雪はスクーターのエンジンをかける。スクーターは基本的に急ぎのときしか使われない。本体と、その横に連結出来る荷台。荷物を入れることが多いが、双子なら体も小さく乗り込むことが出来る。ゆうひが救急箱を抱えて荷台に乗る。


「ゆうくん、しっかり掴まってて」

「は、はい」

 アクセルをめいいっぱい踏み込んで、現場へと急行する。淡雪の水色の髪が風にたなびく。さっきから何か嫌な予感がする。




「淡雪さん! あそこに」


 ゆうひが指さす方には茂みがあり、その奥に誰かが倒れているのが見えた。すぐさまハンドルを切り、近くにスクーターを止め、倒れている者に大丈夫ですか、と声を掛けながら駆け寄った。


「――ッ」


 治療を施す者として、患者の症状を見て固まるなどあってはならないこと。冷静に診て、何をすべきか的確な判断しなければならない。


 しかし、今、淡雪は動けずにいた。症状、などではない。ここの惨状に気圧されてしまったのだ。


 たくさんの警備課の者が、全員地に伏し、地面を血で赤く染めているのである。何か所も傷を負った者もいれば、致命傷まではいかなくともかなり深い傷を負っている者もいる。どの傷口も鋭く一直線。鋭利な物で斬りつけられている。


「うう……」

 一人の呻き声にハッと我に返った。突っ立っていても何にもならない。まずは応急処置。それから本部に連れて帰る方法を考えなくては。足を怪我している者も多いから、車を呼ぶのが最善。手早くメールで知らせる。


 傷の状態から見て、全員同じナイフのようなもので斬られている。複数の警備課職員が、たった一人にここまでさせられたと、そういうことになる。

 修の方も同じような状況なのか……。


「ゆうくん、あっくんに向こうの状況聞いてみてくれないかしら?」

「はい、分かりま――あ、あわ、うっ、後ろ!」


 ゆうひが尻餅をつきながら必死の形相で後ろを指さして、訴えてくる。振り返る間もなく、胸に爛れるような熱さが襲ってきた。立っていられず、その場に膝から崩れ落ちた。


「な、にが……」


 熱くてたまらない胸元に目線を落とすと、自分を貫いている白刃と目が合った。この惨状の原因は、ナイフではない。血を纏った白銀の刀だった。


 『刺された』と自覚した途端、熱さはつんざくような痛みに変わり、声すら発することが出来ない。酸素を求めるように口をパクパクとさせるだけの淡雪に、後ろから呑気な声が降ってきた。


「あれ? キミ、こいつらと着てる服違うね。あー、戦闘員じゃなかったのか、間違えちゃった。ごめんごめん」

 そう言うと、その男は刀を一気に淡雪の胸から引き抜いた。


「痛かった?」


 中身が、魂が引きずりだされるような感覚に襲われ、しかし、その反動に抗えず、淡雪は仰向けに倒れこんだ。視界が大きく歪み、その男の顔はよく見えなかった。


 ぼんやりとした視界の中、ゆうひがこちらに駆け寄ろうとして、倒れてしまったのが分かった。


 ――ゆうくんに、手を出さないで……


 熱い、暑い、汗が止まらない。どんどん溢れてきて、元々白かったとは思えないほどナースワンピースが鮮紅に染まっている。寒い、指先がひどく冷たくて、指の一本も動かせない。もう瞼を持ち上げる気力もない。


 瞼を閉じる直前、倒れこんだ衝撃で転がったらしい砂時計だけがはっきり見えた。ガラスに出来た大きな亀裂から、水色の砂を零し続けている。



 ――ごめん、なさい。気を付けてって、言われた、のに。修に、あれ、渡したかった、のに。



 淡雪は、意識を手放した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る