第4話 小さな両手ー2

 淡雪とゆうひは、地図を片手に依頼者の家へ向かう。念のため院長に淡雪が付き添うことを報告しに行ったら、エプロンを貸してくれた。今だけは淡雪もおもちゃの病院の一員である。


「出張修理はよくあるの?」

「たまに、ですね。忙しくて行く暇がないとか、子どもが小さくて病院まで行くのが難しいとかで、電話があって、こうやってスタッフが向かいます。でも、ヒトのスタッフが行くことが多いです」


「ゆうくんは?」

「……初めてです。今更ですけど、初対面のヒトと話すのが得意なあさひが行く方が良かったじゃないかなって思ってます」


 持参した修理道具入れをぎゅっと抱きかかえて、ゆうひは不安を閉じ込めている。淡雪はそっとゆうひの手を包み込み、微笑んだ。


「ゆうくんなら大丈夫よ」

 地図の示す家に到着し、インターホンを鳴らすと、すぐに女性が出てきた。三十代前半で、花柄のスカートがよく似合っている。


「はい、どちら様ですか」

「おもちゃの病院の出張で参りました」

「お持ちしてました。どうぞ、お上がりください」


 リビングに通されてまず目に飛び込んできたのは、というか、何かが足に飛びついてきた。驚いて足元を見ると、小さな女の子がしがみついていて、同じように驚いた表情をしていた。そして今にも泣き出しそうな表情へと変わっていく。


「あー、すみません。わたしと間違えたようで。本当にすみません」

 ひょいっと母に抱きかかえられて、女の子は定位置らしいカーペットの中央にちょこんと座らせられた。そのすぐ近くにくったりとしたパンダのぬいぐるみがあった。


「修理して頂きたいのは、あのぬいぐるみです」

 女性はパンダを指さしてそう言った。ゆうひは女の子を驚かせないようそっと近づいてぬいぐるみを観察している。近くにはふよふよとツボミがいる。


「今小学校に行っている長女の物なんですが、一歳半の次女がとても気に入っていて、外に持っていこうとすると、泣き出して止まらないんです」

「なるほど。少し見せて頂くことは可能ですか。それともお嬢さんの傍から離すこと自体厳しいですか」

「少しなら大丈夫だと思います」


 それを聞いて、淡雪はゆうひに目で頷きかける。ゆうひはぬいぐるみを持ち上げると、上から、横から、じっと観察し、修理箇所を見極める。その仕草はどこか修と似ているようにも見える。


「ええっと、目が取れかかっているところと、足のところから綿が出てしまっているところ、修理は大きくこの二つでしょうか」

「え、ええ。坊やすごいのね」


 女性がやや驚きながらゆうひに声をかけた。ゆうひは一瞬しまった、という顔をしたが、怪訝な顔をされなかったので大丈夫と判断したようで、ありがとうございますと答えた。


「彼は優秀な助手です。さっそく修理を始めていきますが、工具を使用するので、念のためお嬢さんの手が届かないよう、別の部屋で作業させて頂けるとありがたいのですが……」

 淡雪の言葉は半分本当で、もう半分はゆうひが作業する環境を作るためである。


「分かりました。ですが家の中でも、ぬいぐるみを離すとこの子が泣いてしまうかもしれなくて」

 女性は不安げに娘とぬいぐるみを見つめる。淡雪も同じように見つめてみて、あることに気が付いた。女の子はぬいぐるみそのものではなく、その近くにいるツボミを見てにこーっと笑っているようにも見えるのだ。


「少しだけ貸してね」

 淡雪はぬいぐるみを持ち上げ、女の子の視界を外れないようにしながら、少しずつ後ろに下がっていった。ぬいぐるみがある程度離れると、自然とツボミもぬいぐるみの方、つまり淡雪の方にやって来た。すると、女の子の表情が崩れて今にも溢れそうな涙が出現した。


「あ――」

 ゆうひが声を上げたのと同時に、淡雪はさっとぬいぐるみを女の子の傍に戻した。ツボミは女の子の肩にしがみつき、ふるふると首を振る仕草をした。


「ごめんなさい、と離れたくないわよね」

 その言葉は、ツボミに向かって投げかけられている。女の子はぬいぐるみそのものではなく、そのツボミと離れることを嫌がっていたのだ。


 ツボミの存在は通常、ヒトには認識出来ない。が、例外として七歳未満の子どもには見える場合がある。幼い子が空中を見つめている時はツボミ相手であることが多い。七歳までは神の子、という伝承との関連が言われているが、正確なことは分かっていない。


「失礼いたしました。別室での作業は難しいようなので、ここでさせて頂いてもよろしいでしょうか」

「そうしてもらえるとありがたいです。このテーブルを使ってください。この高さなら娘が道具に触ることはないと思いますので」


 女性はリビングのテーブルの上から雑誌やテレビのリモコンなどを引き上げながら言った。ここならぬいぐるみのツボミが女の子から離れる心配もないだろう。


「それにしても、ここまであのぬいぐるみに固執しているのを見ると、少し不安になってしまいます」

 女性はハッとして、すみませんこんなこと、と頭を下げた。きっと心の声が思わず出てしまったのだろう。


「きっと、大きくなれば、他の物にも興味をもつようになりますよ」

 これも半分本当で、半分は、そもそも七歳を超えればツボミは嫌でも見えなくなるのだから会いたくても会えなくなる。


 テーブルの上に作業用のマットを敷いて準備をしつつ、淡雪はゆうひに小声で問いかけた。


「ゆうくん、この修理何分で出来そう?」

「十分ほどあれば出来ると思います」

「分かったわ」

 淡雪は先ほど聞いたばかりの院長の端末へ、メッセージを送った。するとすぐに了承の旨の返事がきた。


 あらかた準備が整ったゆうひはどうしましょう、と淡雪に視線を送る。それを受け取った淡雪は微笑んだ。


「大丈夫よ」

「でも、ぼくが処置するわけにもいきませんし」

「出来るわよ」

 そのとき、大きな音が家の中を走り抜けていった。全員の肩をビクッとさせた正体はリビングの端に置かれた電話。女性は淡雪たちにすみませんと声をかけてから、受話器を取って応答した。淡雪たちにはちょうど背を向ける形になっている。


「ゆうくん、今のうちに」

「え、あ、はい!」


 一拍遅れてゆうひは状況を理解し、ぬいぐるみをテーブルの上までそっと持ってきて、修理を始めた。ぬいぐるみのツボミは女の子の傍を離れないまま、ゆうひの作業を見守っている。





 依頼者の家を後にし、おもちゃの病院へと戻る道。心なしかゆうひが落ち込んでいるように見える。修理の直前、淡雪は院長に依頼者を十分間引きつけて欲しいと頼んだのだ。


 依頼者の知り合いが病院内にいたので、協力してもらい、電話をかけてくれた。その十分間でゆうひは完璧に作業を完了し、女性にもツボミにも喜ばれていたというのに。


「ゆうくん? どうしたの」

「淡雪さんに仕事をさせてしまいました……」

 ゆうひはぽつりとそう言うと、また俯いてしまった。


 ここへ来る前、仕事ではない、くっついて行くだけと言ったのに、しっかり首を突っ込んでしまった。ゆうひの仕事の邪魔をしてしまった。


「ごめんなさい、余計なことをしてしまって」

「そうじゃないんです! 謝らないでください。……ぼくは、その、一人で出来るところを見せたかっただけなんです」

「!」


 おもちゃの病院での出張、それは二人にとっては修行のような意味合いもあるのかもしれない。どちらにせよ、そこでの成果を見せたいというゆうひの思いを、邪魔してしまった。淡雪は中腰になってゆうひと視線を合わせ、口を開いた。それはお世辞などではなく、思ったことそのままだった。


「出来ていたわよ。娘さんも、お母さんも、ツボミの子も、みんな笑顔だったわ。ゆうくんのおかげよ」

「でも……!」

 ゆうひはなおも否定の言葉を口にしようとし、淡雪の瞳を見て何も言えずに俯いてしまった。


「一人でしようとしなくていいのよ。修理課は五人いるのだから」

「……」


 何か言おうとゆっくり顔を上げたゆうひは、しかし、次の瞬間弾かれたように目を見開いた。そして、慌てて手袋を右手に付けて、電話の形を作った。


「あさひ? どうしたの?」

 あさひから急な連絡があったらしい。淡雪はしゃがみ込んでゆうひの右手に耳を寄せる。近づくと微かではあるが、向こうの声が聞こえるのだ。ヒトの耳には聞こえることはないらしいが。


『木馬が逃げた! 開化して、パニックになって、それで、その』

 あさひの声は焦りと驚きをそのまま音にしたような、要領を得ないものだった。ゆうひが何度もあさひ、と呼びかけて一度話を止めさせている。


「あさひ、あさひ、落ち着いて。深呼吸して。何があったの」

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