第4話 小さな両手ー1

 その日、淡雪は私服で歩いていた。スキニーデニムに、袖がふんわりと広がるシフォンのブラウスを着て、向かう先はあさひとゆうひの出張先である。電車を乗り継いで一時間弱、地図に書いてある通り、いい香りのするパン屋の角を曲がって少しいくと白い壁の楕円形の建物が見えてくる。


 二階の一部がガラス張りになっていて、ぬいぐるみたちが行儀よく並んでいる。入り口には表札の代わりに『おもちゃの病院』と書かれている。


 自動ドアが開き、あさひが出てきたので、声をかけようとしたが、すぐ後に母娘が続けて出てきた。修理が終わったところなのだろう、女の子がうさぎのぬいぐるみを母と繋いでいない方の手でぎゅっと抱えている。


「ありがとうございました。ほら、お礼は?」

「ありがとう!」

「いえいえ。お大事にね」


 あさひはそう言うとうさぎの頭を優しく撫でた。女の子は元気良く返事をして、ばいばいと手を振って病院を後にした。


 淡雪は病院の中に戻ろうとしたあさひに声をかけた。丸みを帯びた可愛らしい書体で、『おもちゃの病院』と書かれた空色のエプロンを身に付けている。


「あっくん」

「淡雪さん! 早かったですね、迷わなかったですか?」

「ええ。二人が描いてくれた地図が分かりやすかったから」


 四つ折りにした紙を広げてみせる。分かりやすい上に可愛らしいイラスト付きで描かれていて、開いたときは思わず笑顔になった。


「ゆうひも呼びますね。今『つなぐ』ので待っててください」


 あさひは左手に手袋を付け、一度ぎゅっと握りしめてから、親指と小指をピンと立てて電話の形を作った。もこもこした子ども用の手袋は紺色に白のボーダー柄の手袋。それぞれ手首のところに、あさひはピンク色、ゆうひは水色の星型の刺繍がしてある。きっと左右の区別のために元の持ち主が付けたのだろう。


「ゆうひ、淡雪さんが着いたよ。――うん、うん。じっちゃんも一緒に? ――分かった。クマの部屋で待ってて」


 左右の手袋それぞれの付喪神であるあさひとゆうひの彩は〈手をつなぐ〉。あさひは左手、ゆうひは右手で電話の形を作ると会話をすることが出来る。この二人の間では端末いらずなのだ。


「じっちゃんも挨拶したいそうなので、奥の部屋まで行きますね」

「じっちゃんって、ここの院長さんのこと?」

「はい。ぼくらは院長の孫という設定にして、お手伝いをしているんです。あ、淡雪さんはぼくらの従姉ということになってます」

「そうだったの。ということは院長さんも付喪神なのね」

「かんなの付喪神ですよー」


 淡雪はあさひの案内のもと、病院の中に入っていく。外からみた印象よりも中はだいぶ広い。本部の作業室のような部屋があったり、預かったおもちゃを保管しておく部屋もあった。どの扉にも可愛らしい動物の形をした飾りがついている。この動物で部屋を呼ぶようだ。


「ここです」

 クマの形をした飾りのある扉を指さし、あさひはノックと共に中に入った。


「淡雪さん。ここまで迷わなかったですか?」

 ゆうひがお出迎えと同時にあさひと同じ気遣いをしてくれる。


「ゆうくんたちが描いてくれた地図のおかげで大丈夫だったわ」

「良かったです」

 部屋の真ん中に置かれた大きな机と、大きな椅子、それから立ち上がった人物に目がいった。机の上には院長、というネームプレートがある。ここは院長室のようだ。


「初めまして。わしがおもちゃの病院の院長じゃ」

「初めまして。付喪神統括本部・修理課の淡雪です。あっくんとゆうくんがお世話になってます」

 淡雪は挨拶と共に院長に深々と礼をする。すると、ふっさりとした白い髭をたたえた院長はあたふたとやめてくだされ、と言った。


「わしはこの見た目じゃが、ももとせ百年程度。あさひくんゆうひくんの先輩にはなるが、あなたよりずっと後輩なんじゃ」


 付喪神たちは、開化してからの年数を十年ごとの区切りで言い表す。ヒトで言えば年齢のようなもの。あさひとゆうひは、やそとせ八十年、淡雪は、ふたほいそとせ二百五十年。見た目は元の持ち主の姿に起因するため、見た目と年数は必ずしも一致しない。確かにここでは淡雪が年長者になるが、仕事をしに来たわけではない。


「あら、年数なんて気にしないでください。見学に来させてもらっている身ですし、今日、ここでは二人の従姉ですから」

 淡雪はにっこりと院長に笑いかけた。肩の力を抜いた院長は、笑顔を持って淡雪の気遣いを受け取った。


「あなたはおもちゃの病院についてはどのくらいご存知ですかのう」

「おもちゃを修理することに特化した場所、ということだけ」

 恥ずかしながら、と付け足して淡雪は答えた。


「いやいや、それが第一じゃよ。修理課と大きく違うところといえば、ここに来るほとんどがヒトであること、そして勤めているスタッフも大半がヒトであること、かのう」

「スタッフもですか」

「ご安心を。付喪神じゃということは知られないよう対策はしておる」


 いくつかある付喪神独自のルールの中で、付喪神であることをヒトに明かしてはいけない、というものがある。

 あさひとゆうひがたまにしかここに行かないのはそういう事情も関係していたのだろう。ここは診療所よりもずっとヒトに近い。


「じっちゃん~、淡雪さん案内してきてもいい?」

 あさひが待ちきれないという空気を出しながら院長と淡雪の間で頭をゆらゆらと揺らす。


「ああ。仕事のことはわしより二人の方が詳しいからのう」

「案内の前にウサギの部屋使ってもいい? 剣の依頼まだ途中だったと思うから。ね、あさひ」

「あ、そうだった」

「もちろんじゃ。使った後の整理整頓を忘れないようにな」


 まるで本当の祖父と孫のように会話をしてから、あさひとゆうひは淡雪の手を引いて部屋を出た。


「じっちゃんは、髭がふさふさだから、皆からクマさんって言われてるんですよ」

 ゆうひが内緒話のように教えてくれた。


「もしかして、それでクマの部屋が院長室?」

「大正解! です」


 あさひがニカッと笑って答えた。二人とも院長のことを慕っていることがよく分かる。




 ウサギの飾りのついた部屋の中は本部の作業室と似ていたが、少し作業台が低いような気がする。


「ここはぼくらが作業しやすいようにってちょっと改良されているんです」

「棚とか、台とか全体的に低くなってます」

 言われてぐるりとあちこち見てみれば確かに双子仕様になっている。


「あと、右利き用と左利き用がちゃんと両方揃ってます」

 自慢げにあさひがピースサインを前に突き出す。左手の手袋があさひ、右手がゆうひとして開化したためか、利き手もそれに準じている。二人が使う道具類はただでさえ子どもサイズで種類が少ないうえに、あさひの使う左利き用となるとさらに探すのが難しくなる。


「素敵な作業室ね」

「ウサギの部屋、ですよ」

「ふふ、そうだったわ」

 ウサギの部屋の机の上に、あさひはおもちゃの剣を置いた。さっき言っていた依頼の物だろうか。そして、一枚の紙を取り出して見比べるようにその横に並べた。


「これは問診票です。おもちゃを預かるときに書いてもらうんです。いつ頃傷が出来たのか、どこでなのか、どういった状況だったのか。分かる範囲で」


「問診票によると、これは正義の剣、ですね。怪獣と戦ったときについた傷だそうです」

 あさひは問診票の上に人差し指を滑らせてそう言った。その指の先を見ると、子どもらしい勢いのある字で書かれた『かいじゅう』の下に小さく整った字でジャングルジムと書き添えられていた。きっと母親の字なのだろう。


「ふふふ、素敵ね」

 二人は剣を持ち上げて色々な角度から観察し、光の反射の仕方もよく見ている。


「塗装をし直すだけで大丈夫そうかな」

「そうだね」

 息の合った二人の作業の様子を見つつ、淡雪はふとあることに思い当たった。


「ここでは、あっくんの得意分野の出番はあまりなさそうよね」

「たまに付喪神の人も来るんですよ。ちょっとした怪我とかで」


 あさひは身体の治療、ゆうひは物の修理を主としているのだ。淡雪と修は両方こなすが、それぞれ淡雪は身体、修は物を得意とする。ちなみに才はどちらも凄腕である。仕事内容にもよるが、得意不得意を埋めるようにペアを組むことが多い。


「まあ、そうは言っても修理に関してはやっぱりゆうひですよ!」

「でも、ヒトと話したりするのはあさひの方が上手いんです。ぼくは何だか緊張しちゃって。あさひはすごいです」

「そんなことないって。あ、ぼく、塗装のやつ借りてくる!」


 あさひは照れ隠しのようにそう言うと、ウサギの部屋を飛び出していってしまった。淡雪とゆうひは顔を見合わせてにこにこと笑い合った。




 なかなかあさひが戻って来ない。探しに行こうとしたゆうひを、すれ違うといけないから、と引き留めたが、それにしても遅い。


「ごめん! 遅くなった!」

 扉をバンッと勢いよく鳴らして、あさひが帰ってきた。


「ううん、こっちは大丈夫だけど、何かあった?」

「そこでじっちゃんに呼び止められて、出張修理してほしいって電話があったから、どっちか行ってくれって」

「分かった。出張ってことは忙しくて来れないとか?」

「いや、なんかおもちゃを外に持って行けない? とか何とか」


 あさひは塗装の道具を机に置きながらそう答えたが、あさひ自身も内容は詳しく知らないようだった。


「そっか。どっちが行く?」

「物のことだから、やっぱりゆうひが行ってきて。正義の剣はぼくに任せて」

「了解」

 頼もしい二人のやり取りを傍から聞いて、淡雪は成長を見守る母か姉かのような気持ちを味わっていた。


「ところで、付き添いは?」

「それが、いなさそうで」

 二人がシンクロした動きで腕を組み、うーんと唸っている。淡雪は二人の腕をちょんちょんと突いた。


「付き添いって?」

「子どもの見た目のぼくらだけじゃ何かと不便なので、事情を知っている人に一緒にきてもらうようにしてるんです」

「あ、もちろん付喪神の人です。でも今日はお休みの人が多いみたいなので……」

 再び腕が組まれてしまった。ヒトでは付き添いにはならないし、他の人が空いていれば双子に出張を頼むこともないだろう。


「私で良ければ行くわよ」

「え、いいんですか!」

「でも、今日は遊びに来てくれたのに、仕事をさせてしまうなんて」

 喜ぶあさひとは対照的に、ゆうひは目を伏せて淡雪の申し出に躊躇している。淡雪は中腰になってゆうひと視線を合わせる。


「仕事ではないわ。ゆうくんの仕事にくっついていくだけだから、ね?」

「……はい。よろしくお願いします」

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