第3話 確かな腕ー2(了)
机には楽器が三つ並んでいた。フルートとピッコロ、そしてバイオリン。特に破損が目立つのはバイオリンだった。ツボミが二人、不安そうにふわふわと漂っている。才がモノクルを外しているということは、診断は終わったのだろう。
「修も来たことだし、依頼内容を言うわ。修理するのはこの三つの楽器。一週間前、車で移動中に後ろからの追突事故に巻き込まれたらしく、依頼者本人には怪我はなかったけれど、後部座席に積んでいた楽器たちに被害があったそうよ」
「確かに破損はしてるが、普通の楽器店でも修理出来るレベルだったぞ」
才はそう言いながら原因の箇所を指さしていく。
「それが、二日後にある演奏会でこのバイオリンを使いたいらしいのよ」
「なるほどな」
「普通の店じゃ、一ヶ月はかかるね。二日後に使うってことはせめて一日半で仕上げないと。出来る?」
修は才に問いかけた。が、その答えは分かっていた。
「ああ。出来る」
「フルートとピッコロは? 同じく二日後?」
「いいえ。そっちは急ぎではないけど、修理に必要なパーツがもう製造終了していて手に入らないらしいの。代品でも直せるけれど、何か月もかかってしまうわ」
「なるほど。そういえば、前にもこういう依頼があったよね」
「え、そうなの?」
淡雪がきょとんと首を傾げた。それを見て修たちがハッとして顔を見合わせる。淡雪が目を伏せて笑うのを見て、修は気を取り直すように大きな声で言った。
「ええっと、じゃあ、バイオリンを才、フルートを俺とあさひ、ピッコロを淡雪とゆうひで」
修はそれぞれ依頼品を手で示しながら分担を指示した。
「ああ」
「了解」
「はい」
「はい」
返事と共にまずあさひとゆうひが動き出した。他の作業室にそれぞれ楽器を運び出していく。
「才、手が必要なら言って」
「ああ」
「演奏会を開くってことは依頼者ってバイオリン奏者なんだよね? 予備の楽器とか持っていそうなのに」
「それが、懇意にしている楽器店から代わりのバイオリンを提供してもらって練習しているけど、しっくりこないそうよ。『店長、ここ一週間くらい体調が悪いらしいのに代わりを用意してくれて感謝してる。が、相棒はあのバイオリン以外は考えられない』ですって」
「へえ、愛されてるね」
才はそのまま残り、修と淡雪は、それぞれの作業室の扉に手をかけて色付けた。
部屋に入ると、すでにテキパキとあさひが修理に必要な道具やパーツを準備してくれている。その間に修は才から聞いた原因の箇所を確認し、修理の手順を頭の中で組み立てていく。
「修さん、準備完了です」
「ありがとう。フルートの修理は大きく二つだ。リッププレートにある小さな亀裂と、ガタガタしているキーのネジ」
リッププレートは唇をあてる部分。そこに亀裂があっては吹くことが出来ない。穴をふさぐ役目のキーも、ふさぐことが出来なければ音が正しく出ない。
リッププレート、キーと言うのに合わせて、人差し指、中指と順に立ててあさひに状態を共有する。あさひは頷いて続きを待っている。
「ネジは緩んでしまっているから新しいのが必要だね。おそらくこのネジがもう製造していないパーツかな。このネジと一番近いものを部品室から持ってきてくれる? ……あ、いや、全く同じものを見たことがあるな」
「了解しました! 行ってきます」
あさひはネジを一つ見本として握りしめて部品室へ向かった。
修はフルートに向き合って、亀裂の修理に取りかかる。その前にツボミに声をかける。
「こんにちは。今から修理をしていくね。少し力を借りると思うからよろしくね」
こくこくと頷いているツボミを見て、修は微笑んだ。
あさひが用意した中から、15とラベルのついた瓶を手に取った。クリーム状のものが入っており、これが亀裂を修理するのに必須である。
「よし」
クリームを人差し指ですくい、亀裂の部分に薄く伸ばしていく。そして目の細かいクロスでそっと拭き取る。またクリームを塗り、拭き取り、をひたすら繰り返していく。徐々に隙間が埋まっていくような感覚が現れる。
このクリームは、最初は才が偶然から生み出したもので、修理を施す者にも、される者もしくはツボミの体力を消耗する。そして、実用化のために使用する物に合わせた配合、調合は修が行った。ラベリングはすでに五十を超えている。
「ふーっ」
体力もそうだが、集中力も必要となるため、修は一度目を固くつぶって腕を前にぐっと伸ばした。フルートを光に当てて傾けてみると、だいぶ亀裂が見えにくくなってきた。ツボミの子の様子を見ると、汗を拭うような仕草をしているが元気そうだ。
「うーん、楽器の子は大概体力のある子が多いけど、頑張り過ぎも良くないしね。少し休憩しようか」
修は椅子から立ち上がると、肩をぐるぐると回したり、前屈などをして体をほぐしている。ツボミの子の体力を考慮するのはもちろんだが、基本座り作業が多いため修は体力には自信がない。
「やっぱり運動した方がいいかな」
いつもより多めにストレッチをしていると、あさひが戻ってきた。
「戻りました! 修さん何してるんですか」
「ちょっとストレッチをね。ネジはあった?」
「はい」
あさひから差し出されたネジを確認する。
部品室には膨大な数の部品が保管されている。天井まで続く棚に、びっしりと詰まった引き出し、その中に細かく仕分けされた透明の袋が収納されている。上の棚のものは、車輪のついた階段型の台座を動かして取る。どこに何があるか把握することはもちろん、日々増えていく部品の情報を更新していかなくてはならない。
「うん。しっかり同じものだ。早かったね、あさひ」
「えへへへ」
あさひは少し照れながらも得意気に笑った。
「じゃあ、ネジの作業に入ろうか。外す作業やってみる?」
「いいんですか」
あさひは瞳を輝かせている。普段、修や淡雪と組むときはサポート役にまわることが多い双子だが、修理の技術もどんどん成長中である。
「頑張ります!」
「肩の力は抜いてね」
「はい」
細いドライバーを手に、あさひがキーのネジを外していく。楽器は精密であるため、一つ一つの作業に神経を使う。
そのとき、ノックと同時に扉が群青に色付いた。
「淡雪! む、部屋を間違えたか」
「才、淡雪は紺色の作業室だよ。手伝い?」
「いや、店長のところへ行ってもらおうと思ってな」
「店長って、依頼者の行ってる楽器店の? 部品か何か必要なら俺が行ってこようか」
しかし才は大きく首を振った。
「応急処置が必要かもしれない。淡雪が適任だ」
「……どういうこと?」
「まだ俺の推測の域を出ない。だが当たっていれば急いだ方がいい。話は後だ」
「分かった。ゆうひにはこっちの作業室に移るよう伝えてくれるかい?」
「ああ」
焦りを滲ませたまま、才は走り去っていった。修はあさひと顔を見合わせて、同時に首を傾げた。
「何があったんでしょう」
「何だろうね。ま、とりあえず、俺たちは目の前の修理に集中しよう」
「はい」
*
淡雪が戻ってきたのはそれから一時間半ほど経ってからで、連れ立って歩いているのは楽器店の店長、ということだろう。三十代半ばに見える彼はシャツにジーパンというラフな格好に紺のエプロンをつけている。
淡雪の処置が必要で、本部に連れてきたということは――彼は付喪神。
作業室はあさひとゆうひに任せて、修、淡雪、才は医務室で店長と向かい合っていた。才は依頼者の情報が書かれた紙を目の前に突きつけて問いかけた。
「お前、こいつのバイオリンの付喪神だな」
「よくわかりましたね」
店長は感嘆と少しの不愉快さが混じった声で返した。これから言われることを分かっているからだろう。
「自分の心臓ともいえる物を他人に、しかも人間に渡すなんて何を考えている。自分自身だ、お前にだってバイオリンは弾けるだろう」
「もちろん弾けます。でもそれじゃ駄目なんです」
「何故だ」
「あの人は僕よりも、僕のバイオリンでいい音を奏でるんです。僕よりも僕のことを分かっている、相棒。あの人になら心臓を渡したっていいって思った」
店長は、一点の曇りも後悔もなくそう言ってのけた。信頼、敬意、羨望、心酔、どの言葉も彼の想いを表すのに当てはまらない。ただ、危ういほどに一直線である。
「それがこのざまだろう。物が傷つけば付喪神自身にも影響が出る。自分の預かり知らぬところで自分自身に危険が及ぶんだ」
才は語気荒く店長に詰めより、人差し指でその胸を突いた。珍しく苛立っていた。
しかし、店長はさっぱりとした口調で才を押し返した。
「それでも僕はあの人の奏でる音が聴きたいです」
「バイオリンは今ここにある。なんとでも理由をつけてお前に返すことだって出来る」
「やめてください。そのバイオリンはあの人の物です。修理を依頼したのも、それを受け取るのもあの人です」
「また壊れかけるとしてもか」
「はい」
そう答える意志は固く、他人がどう言おうと揺るがないように見えた。才は店長に背を向けて深くため息をついた。
「馬鹿だろう、お前」
「馬鹿ですかね」
振り返った才の手にあったのは、バイオリン。剥がれかけていた側板も、欠けていた弦を支えるブリッジも綺麗に整っていた。
「あ……」
「バイオリンは直してある。二日後にはお前の言う音が聴けるだろう。体の調子も徐々に戻るはずだ」
「ありがとうございます!」
「本当に、このバイオリンはあの人間に渡していいんだな?」
才は念を押すように、ゆっくりと問いかけた。
「はい」
「分かった。バイオリンは依頼者に返す」
ここまで何も言わずに見守っていた修と淡雪は顔を見合わせてほっと息をついた。才が彼の想いを跳ねのけて言い争い、または無理やり論破しまうのではないかと冷や冷やしていた。
「それから、これを」
才は店長の手のひらに小さなブローチを乗せた。それはバイオリンの形をしていた。
「これは?」
「バイオリンの破損部分から出た欠片と弦を拝借して作った。まあ、第二の心臓といったところだ。これがあればお前の心臓、バイオリンがどこにあるのかだいたい把握出来るし、万が一バイオリン本体が完全に壊れたとしても、それがあればお前は消えずに済む」
「! あ、ありがとうございます」
店長は風が起こりそうなほど勢いよく、何度も頭を下げた。才はまだ少し不満げだが、それでも口元には笑みが浮かんでいる。
楽器店まで送ると言ったのだが、大丈夫だという店長をせめて玄関まで見送った。体調は万全ではないはずだから、無理はしないように、という言葉がどこまで届いているか分からないが、店長は笑顔で本部を後にした。
「ひとまず、安心だね」
「才すごいわ。店長があのバイオリンだってよく分かったわね」
「まあ、ただの推測だったがな。壊れかけているというのにバイオリンの近くにツボミがいなかった。開化しているとしても、本人が所持していないのは余計おかしい。店長が体調を崩したタイミングが被っていたから、もしかしたら、って程度だ」
才は頭をぽりぽりと掻きながら言った。面倒くさそうにしつつもちゃんと説明はしてくれる。店長がバイオリンを受け取らないことを予測した上でブローチを作っていたことに関してはもう推測の範囲を超えているような気もするが、素直にそれを褒めるのも何だか癪に障る。
「すごいぞ~才~」
「うわっ、なんっ」
修は才の頭をぐしゃぐしゃと撫でながら褒めることにした。淡雪もそれに乗ってきた。
「えらいわ~才~」
「ちょ、なんなんだ!」
あたふたと修と淡雪の手から逃れた才は、眉間に皺を寄せて二人を交互に見た。その仕草がおかしくてつい笑ってしまった。
「何故笑う!」
「ごめんごめん。あ、そうだ。二日後の演奏会、皆で聴きに行かない?」
「あら、いいわね」
修は首を傾げて才の返答を促した。才は顎に手を当てて悩んでいたが、机の上のバイオリンを見つめて、小さく頷いた。
「そうだな。あいつのいう音がどれほどのものか、確かめることにする」
そう言いながら、口元が楽しみだと物語っているのは、言わないでおこうと思い、修はこっそり微笑んだ。
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