第3話 確かな腕ー1

 彼は公園のベンチに腰掛けて項垂れていた。


「本当に、どうしようもないのか……」


 誰に聞かせるでもなく、そう呟いたとき足元に一羽の鳩が歩み寄ってきた。目を見張るほど白い体に、尾だけが鮮やかに青い。よく見ると瞳も青い。じっと彼を見つめた鳩は、くるりと後ろを向き、トコトコと歩いて振り返り、また彼を見つめている。

 彼の脳裏に、ある噂話が思い起こされた。



『大切な物が壊れかけたとき、本当に強くその物に心を寄せる人の元にやってくる、青い瞳に青い尾を持つ見たこともない白い鳩。その後についていけば、どんな物でも直してくれる“青いとんがり屋根の診療所”に辿りつく』



 それは、ただの噂話、あるいはおとぎ話。

「おとぎ話でも、何でもいい。これらが直るなら」


 彼は、鳩の後についていった。公園を出て、近くの小学校の横を通り過ぎて、そう長い距離を歩いたわけではないのに、見知らぬ道を進んでいた。森の小道、という童話のような形容が合うな道をさらに進むと、青いとんがり屋根の建物が見えてきた。


「ようこそ。あなたが治したいのは、どんなものですか?」

 これまた童話に出てきそうなその建物の扉の前には、ナースワンピースを身に纏った女性が立っていた。




***




 本部に修のため息が広がり落ちた。

 作業室が驚くほど散らかっている。一つの机を中心に、同心円状に物が散乱している、この散らかし方は。


さい、だよね。片付けしてから出てって言ってるのにな」

 乱雑に置かれているように見えるが、きっと彼なりの法則性があるのだろう。しかし問答無用で物を引き上げていく。


 換気のために開けっ放しにしていた扉がトントンとノックの音を立てた。

「主任、お疲れさまです」

「お疲れさまです」


 振り向くと栗色のショートヘアが二人、顔を出していた。前髪の分け方とそれを留めるヘアピンの色以外は、ポロシャツに似た手術着のような制服も靴も仕草もそっくりである。


「あさひ、ゆうひ。買い物はもう済んだのかい?」

「はい。バッチリです」

 ピンクのヘアピンをしたあさひがピースサインと共に大きく頷いた。


「あ、でもまた言われましたよ。『坊や二人でおつかい? えらいわね~』って」

「飴もらいました」


 二人はシンクロした動きで握っていた手のひらを解いて見せてくれた。小学生ほどの見た目をしている双子は近所のおばさまたちに人気のようで、いつも何かもらって帰ってくる。


「ちゃんとお礼は言った?」

「主任! ぼくたち子供じゃないですよ!」

「ごめんごめん」


 からかうと、あさひがぷくーっと頬を膨らまして抗議した。その横でゆうひが部屋の中をのぞき込んでいた。


「あの、主任、部屋の片づけ中ですか? お手伝いしましょうか」

「二人ともこの後用事はない?」

「はい」

「はい」

「じゃあ手伝いお願いしてもいいかな?」


 ゆうひが水色のヘアピンで前髪を留め直してから、片付けに加勢してくれた。買い物袋を置いて戻ってきたあさひも加わる。


「才さんどこに行ったんでしょうか」

「まあ、三階のどっかにはいると思うよ。鳩のコールもあったし、もうすぐ戻ってくるんじゃないかな」


「そういえば、あの噂けっこう広がってるみたいですよ。さっきの買い物のときにも話してるの聞いたし。ね?」

「うん。あの、壊れた物に対して強い想いをもつヒトの所に、青い瞳と尾の鳩がやってきて、診療所に連れていってくれるっていう、あれです」


 ゆうひが定規を棚に戻しながら捕捉した。あさひもそれそれ、と何度も頷いている。


「そうなんだ、よかっ――」

「それは違うな」


 突然、声が割り込んできて三人は驚いて扉の方を振り返った。声の主は、ぽりぽりとグレーの髪がゆれる頭を掻きながら歩いてきた。


「才さん!」

「その認識は違うぞ。あの鳩はヒトではなくツボミのSOSを察知して駆けつけるんだ。そして俺たちの端末に信号を送る機械仕掛けだ。街に放っているから、四匹ほぼ全部が野生化しているがな」


 鳩を作った張本人である才は、分かったか、と言いたげな目線をあさひとゆうひに送っている。


「ええっと」

「才、さっきのはヒト用に作って流した噂だよ。ツボミや機械だってことはヒトには秘密にしなきゃいけないからって」

「む、そうだったか。すまない」


 才はそう言って立ち去ろうとする。それを自然に見送ろうとして、修はハッとして才の背中に声を投げつけた。


「ちょっと、待って!」

「なんだ?」

「なんだ、じゃない。ここ、使ったの才だろう? 片付けしてから出てって言っただろう」

「ああ。……もう片付いているじゃないか」


 ちょうどあさひとゆうひが残りをテキパキと片付け終わったところだった。修と才に見つめられて、双子はピタッと固まってしまった。何かまずいことをしたかと顔を見合わせている。


「大丈夫、大丈夫だよ。片付け手伝ってくれてありがとう」

「お疲れ」

「じゃなくて、片付けてくれたんだから、ありがとう、だろう?」

「む、そうだな。ありがとう」


 才は二人に礼を言うと、廊下をのそのそと歩いていった。

 軽く息をついて、修は肩の力を抜いた。本部に入ったのは才の方が先なのだが、修理課の長――主任と呼ばれる――は修が務めている。管理課の課長いわく、『あの子はリーダーより放し飼いの方が合っているのよ』だそうだ。


 その点に関して異論はない。なぜなら彼は――天才だから。


「あ、端末に何か来てる」

「ほんとだ」


 二人の声と端末の音で思考から引き戻された。端末を見ると、鳩からの『クルクルポッポー』というコールだった。


「あれ、さっきもコールあったよね。それで淡雪が診療所に」

「『クルクルポッポー』は診療所に行く合図じゃないですよ」

「鳩からの救援信号です。何かあったみたいですね」


 あさひとゆうひは、端末で鳩の場所を確認し、軽やかに階段を降りていった。途中で才に鳥籠を渡されていた。そこに入れて持って帰ってこいということだろう。


「才、診療所に行く方のコールって何だっけ?」

 再び部屋に籠ってしまう前に、才に問いかけた。


「『クルッポー』だ」

「救援信号は?」

「『クルクルポッポー』だ」

「……絶妙なセンスしてるよね」

「唐突にどうした。褒めたところで何もないぞ」

「あ、いや、うん」


 続く言葉がなく、修は会話を切り上げ、医務室に向かった。

 手持ち無沙汰になり、コーヒーを入れることにした。特にこだわりがあるわけではないので、インスタントを適当に淹れる。


「ふう」

「修、俺にもコーヒーくれないか」

「いいよ。ちょっと待って」


 コーヒーの香りにつられてか、後ろから才がそう言ってきた。いや、コーヒーは淹れている途中なのだから、部屋の外までそう届いてはいないはず。ということは、付いてきていたということになる。


「修にありがとうと言い忘れていたと思った」

「?」

「片付け、修もしたんだろう。ありがとう」

 時間差の礼に思わず笑ってしまう。


「なぜ笑う」

「いいや。どういたしまして」


 コーヒーの香りの中で、修と才はテーブルについた。才は、コーヒーに砂糖を四杯入れる。


「苦いのだめなら紅茶とかもあるよ?」

「いや、これがいいんだ」

 才はくるくるとかき混ぜたスプーンを取り出して一口飲むと、満足そうに頷いた。


「ところで淡雪はどこにいるんだ?」

「診療所だよ。もうすぐ帰ってくると思うけど」

「そうだったな。……調子は、どうだ?」

「俺? それとも淡雪?」

「どっちもだ」


 お互いに視線を外したまま会話を進める。修はコーヒーカップの持ち手を見つめて言葉を返す。


「変わらずだよ」

「そうか」

 廊下から軽やかな足音が二つ聞こえてきた。二人が帰ってきたようなので、修は扉を開けて手招きをした。


「おかえり、二人とも」

「ただいま戻りました」

「鳩捕まえてきました!」


 そう言って見せてくれた鳥籠の中には青い瞳と尾の、白い鳩がちょこんと座っていた。咳をするように小刻みに震えている。


「どうしたんだろうね。才、見てくれる?」

「ああ」


 才は白衣のポケットから自分自身である、モノクルを取り出した。片眼鏡とも呼ばれるそれは、才の右目に装着される。才の彩は〈歪を見つける〉であり、物の異常や違和感を見つけ出すことが出来る。レンズを通してじっと鳩を見つめてから、喉元を指さした。


「ここに何か詰まってるな。というか、こいつ前も詰まらせてなかったか」

「確か、豆を詰まらせてましたね」

「また豆を食べようとしたのか。消化器官はないのだから必要ないだろう。おい、やっていいぞ」


 あさひは頷くと、鳥籠から鳩を取り出し、動かないようにしっかりと固定した。そして、ゆうひが手刀で思いっきり鳩の首を後ろから打った。

 ポーンと効果音が付きそうなほど勢いよく豆が鳩の口から飛び出した。鳩はバタバタと羽を動かして元気であることを主張する。


「もう大丈夫そうだな。しかし……野生化しすぎて食事をしようとしたのか、興味深い。だが、豆を食べようとしたのは四匹中こいつだけ。豆を消化出来る機能を付けたら本当に食べるのか。それを原動力として応用出来るか。うむ、検討の余地はあるかもしれないな」

 ぶつぶつと才の独り言が続いている。修は苦笑いを浮かべながら才の肩を叩く。


「才、その改良は今のところいいから」

「何故だ。興味深いぞ」

「本当に野生化したら困るだろう」

「面白いじゃないか」

「ツボミのSOS見つけられなくなるよ!?」

 何とか才を説得していると、廊下の向こうから箱が歩いてきた。


「すみません、通ります~」

 そう箱が言った。いや、箱を抱えた葵だった。そのすぐ後ろに淡雪も。


「診療所から、これ運ぶの手伝ってほしいって連絡したのに、誰も答えてくれなかったから、葵ちゃんにお願いしたのよ」


 淡雪はそう言って口を尖らせた。すねたような口調をしているだけで、実際はあまりすねていないし、怒っていない。


「ごめん、鳩に夢中になってた」

「何か楽しそうなことがあったのね。教えて欲しいけど、その前に」

 淡雪は修理課の皆を見回して、微笑んだ。


「皆、依頼よ」



「この箱、どこに置いたらいいの?」

 葵の視線はきょろきょろと扉を行き来している。慌ててあさひとゆうひが駆け寄り、荷物を受け取ろうとするが、葵は首を振った。


「重いから運ぶよ、大丈夫!」

「じゃ、じゃあ、こっちの作業室に」

「この、机に置いてもらって」


 葵は少しも重くなさそうに作業室の机の上に箱を置いた。人より体力のある葵には軽くても、きっと双子には文字通り荷が重いだろう。二人は少し落ち込みつつも葵からは目を離さない。


「おいお前たち、顔が赤いし挙動もおかしいし、体調でも悪――」

「はいはい、二人はどこもおかしくないから安心して」

「む、何故言い切れる」


 双子の淡い想いに口を出すのは良くないし、察しの悪い才は黙っていてもらおう。淡雪にアイコンタクトを送る。


「才、ひとまず箱の中身を診てくれないかしら? 詳しい話はそれから」

「分かった」


 淡雪と才は依頼の物の診察を始め、あさひとゆうひもそれを手伝っている。手は足りているようなので、修は廊下の手すりにもたれかかって暇を持て余しておくことにした。

 葵がとことこと、こちらに歩いてきた。


「修さん」

「運ぶの手伝ってくれてありがとうね」

「いえいえ。あの、言い方あれだけど、才さんが出てくるの珍しいよね。あたしあんまり話したことないかも」

「そうだね、才は普段研究室に籠っていることの方が多いから」

 研究室の扉を示しながら修は話す。


「才は、あの青い目の鳩を作ったんだ。本部で使われてるこの端末も、警備課が使う拘束用の札とかもね」

「そうなの!?」

「本部のための特殊なものはほとんど才が作り出してるんだ」

「すごい人なんだ……」


 葵は感嘆の声を漏らして自分の端末や道具たちを見つめている。そうさせる才が誇らしくもあり、少し羨ましい。


「……あいつは、天才だよ」

「修さん?」


 どうやら表情に出てしまっていたらしい。葵が不思議そうな顔をして首を傾げている。


「何か道具のことで要望があれば才に言ってみるといいよ。そろそろ作業始めそうだから、俺も行くね」

「うん。力仕事あったら呼んで!」


 葵は手をぶんぶん振って階段を駆け下りていく。後ろ姿を見送ってから、修は藍色に色づく扉を開いた。

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