第2話 甘言は真実にー2(了)
話す場所は、本部のエントランスのソファとなったらしい。待っていると、一人の中年女性が訪ねてきた。
「よう来てくれはりました。管理課の竜胆いいます。こっちは修理課の淡雪」
竜胆の紹介に合わせて淡雪はぺこりと頭を下げた。
「こんにちは、わたし、座布団の付喪神で少し前に開化したところなんです」
開化、とは物が百年この世に在り続け、ヒトの姿を得ること。つまりは付喪神の誕生のことである。
「あら、そうやったんですか。もし何か困ったことあったら気軽に本部に相談してくださいな」
「ありがとうございます」
「さっそくやけど、狗宝のことについて、聞かせてもらっても?」
「はい。近頃、何だか腰が痛いな、と思っていたんです。でもわざわざ本部に行くほどでもないかなと考えて、特に何もしなかったんですけど、そうしたら彼女が突然現れて、これを」
女性がバッグの中から取り出したのは、赤茶色のコロンとした手のひら大の石だった。
「これは、パワーストーンの類いやろか」
「はい。鹿や牛の動物の胃袋の中で作られる、珍しい石だそうです」
「それ……聞いたことがあるわ。大昔、優れた解毒剤と信じられていた石。粉末にして飲んでも、傷の上に置くだけでも、身に付けるだけでも、その効果があって、一時期はエメラルドなどよりも高値で取引されたと」
淡雪はかつて本で読んだ知識と、目の前の石とを照らし合わせて独り言のように言う。
もちろん、効果があると言われたのは、大昔のこと。現代ではお守りのようなもので、実際に怪我や不調が治るものではない。
「その、石を渡してきたという女性がどこにいるかは分かりますか?」
「分かりません。ただ、カオリと名乗っていました。それ以外のことは何も」
「そうですか」
淡雪は落胆して、肩を少し落とした。得られた手掛かりは名前だけ。どうやって探せばいいのだろう。
「この石の効果はどうやったんです? それと、他にもこの石を持ってはる人、知ってたら教えてもらえませんやろか」
竜胆は、さらに質問を重ねていった。何か、考えがあるのかもしれない。
*
夕暮れ時、淡雪は公園にいた。竜胆の考えたある作戦を実行するために。
体調不良を演じれば、例のカオリの方から声をかけてくるかもしれない。漠然とした作戦だが、さっき本部で話を聞いた人、そして竜胆がネットワークを活用して収集した情報によると、この辺りでよく出没するらしい。
淡雪は公園のベンチでお腹が痛むように見えるよう、体を丸めていた。
『来やんな、まあすぐに会えるとは限らんし、今日のところは戻ろうか』
端末を見ると、竜胆からそうメッセージが来ていた。
『そうですね』
淡雪は、丸まったまま返信をした。そのとき、こちらに向かって歩いてくる靴が見えた。淡雪はすばやく、『来たかもしれません』と送った。そして端末を見えないように隠して、引き続き体を丸めた。
「あなた、大丈夫? 具合悪い?」
「少しお腹が痛くて。でも大したことはないです、本部に行くほどでもないですし」
座布団の女性が言っていたことを真似て言ってみた。これでどう出るか。淡雪は息を詰めて相手の様子を窺う。
スモーキーピンクのセットアップを着ていて、ワイドパンツの足が仁王立ちしている。にっこりと笑みを浮かべた赤いリップが印象的。
「じゃあ、これをあげる。どんな不調もすぐに治る魔法みたいな石よ」
彼女は、大きな肩掛けのバッグから、一つの石を取り出した。見覚えのある、赤茶色の石だった。
淡雪は気を抜かずにもう一言、彼女に投げかけた。
「本当に?」
「付喪神統括本部って知っているでしょう? そこの修理課のお墨付きよ」
赤茶色の石を差し出して、修理課の名を騙る。これで確定した。彼女がカオリ。
「嘘は、いけません。修理課はそんなものを見たことがない」
「!?」
急に口調が変わり、立ち上がった淡雪に、彼女は不信感を露わにして後ずさった。手渡そうとしていた石もバッグに逆戻りした。
「私は、修理課の淡雪。お腹が痛いと嘘をついたことはごめんなさい。でも、修理課のことを勝手に騙るのは、許しません」
「くっ」
彼女は逃げようとして淡雪に背を向けて走り出した。しかし、竜胆が公園の出入り口に立って逃げ道を塞ぐ。
諦めたのか、カオリは逃げることをやめ、その場に棒立ちになった。
「はあーあ。こんなに早くばれるなんて」
「どうしてこんなことを」
「あたしはイロ持ちになるもんだと信じてたわ。ツボミのころからずっと」
開化する前、百年未満の物たちは、人の姿形はあるが、人差し指ほどの小ささで物の近くをふよふよと漂っている。そんな彼らのことを、総称して『ツボミ』と呼んでいる。話すことは出来ず、人の姿をもつ付喪神とは違い、ツボミたちは人の目には見えない。もちろん彼らツボミ同士は見えているが。
もちろん、自我も意識もある。カオリは開化する前から、彩を持つことを期待していたという。しかし、彩は付喪神全員が持つものではなく、むしろ持たない者の方が多い。
「……イロ持ちは、いいことだけやあらへんよ。イロなしは永く在ること以外は、ヒトと変わらん。やから、工夫は必要やけどヒトの世界に馴染むことが出来る。でも、イロ持ちは能力というヒトとの大きな違いで、それが難しくなるんや」
「それに、百年在り続けるだけですごいことなんですよ」
淡雪も捕捉して彼女に伝えようとする。彩を持つかどうかは、開化したときに分かる。それにショックを受けているということは、きっとカオリは開化してから日が浅い。
「分かってる、そんなこと分かってる。それでも、あたしは彩が欲しかったの!」
癇癪を起こした子どものように、カオリは声を荒らげた。キッと眼光鋭く淡雪を見ると、カオリは何かをバッグの中から掴み出して、放り投げた。淡雪の胸元を目がけてその何かは飛んでくる。
何が起こったか分からず、ぼう然としていたら、目の前に臙脂色の傘がバッと広がった。投げられた物は、傘の内側にすくい上げられるように収まった。
「そこまでです。――淡雪さん、大丈夫ですか」
淡雪を守るようにして立っている葵が、にかっと笑って振り返った。が、すぐにその顔が引きつった。安静にと言われたのに動いてしまった、怒られる、と顔に書いてある。
「うちが呼んだんよ。念のためにと思うてな。怒らんとってあげて」
竜胆がやんわりとした声でそう言った。怒るつもりはなかった。葵がいなければきっと怪我をしていた。
「大丈夫よ。助けてくれてありがとう、葵ちゃん」
「いえ!」
自慢げに胸を張った葵の頭を撫でる。そして、葵がキャッチした物を見せてもらう。片手に乗る蓮の花。の形をした香立てだった。幾重にも重なった白い花びら、その先端はほんのりピンク色に染まっていて、上品でいて可愛らしい一輪の花。
「もしかして、これはあなた自身じゃないんですか」
「そうよ」
不機嫌な顔と声でカオリは答えた。途端、竜胆が血相を変えて声を上げた。
「何しとるん! 物が壊れたらあんた自身も消えてしまうんよ!? うちらにとって物は心臓、命そのものや」
「知ってる。けど、別にもういいかと思って。本部への嫌がらせも、本人たちにばれて、もうどうでもいいわ」
自暴自棄になっているカオリ。その言葉の中に気になるものがあった。
「嫌がらせ?」
「そう。修理課のお墨付きって言えば、修理課にクレームがいくでしょ。そういう嫌がらせ」
修理課の名を騙って石を配っていたのは、そういうことだったらしい。なんともまわりくどい。淡雪は大きく息を吐いた。
「なっていません」
「は?」
「嫌がらせになっていません」
怪訝な顔でこちらを見るカオリに、竜胆が捕捉するように説明をしてくれる。
「あの石を受け取った何人かに端末で話を聞いたんやけど、皆良くなったって言うとるんよ」
「は? そんなことあるはずないわよ。これはただの石。お守り程度の」
「付喪神、物とはいえ、私たちには心があります。お守りがあれば安心して気持ちが軽くなって、体が楽になることも」
「そんなこと……」
信じられない、とカオリは何度も頭を激しく振った。葵が取り押さえようと動き出しかけたのを、淡雪が止めて、カオリに歩み寄った。
「親身になって皆さんの話を聞いたそうですね。占い師やカウンセラーに向いているかもしれません」
「何よ、それ」
「イロがなくたって、誰かの役に立てる人です、あなたは」
零れそうなほど目を見開いて、カオリは淡雪を見つめた。瞳が潤んで雫がこぼれそうになったところで、カオリは乱暴に目元を拭って、顔を見られないようにか、背を向けた。
「ふん。じゃあどっかで看板出してやるわよ。修理課が霞むくらいに、相談乗って解決して」
「ええ」
「……でもこの石がお墨付きだってことは撤回するわ」
首だけ振り返って、小さな声で、カオリはそう言った。反省はしてくれているようだ。
「その必要はあらへんよ」
たった今端末での通話を切った竜胆がそう微笑んだ。嫌がらせだったとカオリが告白してから、どこかに連絡をしていたようだったが、どこにかけていたのか。
「あの石はおまじないの効果がある。持っていたらお守りになる。もし本当に体調不良や怪我があれば本部へ。と噂を上書きしといたからな」
何でもないことのように、頬に手を当てて竜胆は微笑む。竜胆のネットワークの広さには本当に驚かされるし、感服する。
ぽかんとした顔で立ち尽くすカオリ。しばらくして、大きな声を上げて笑いだした。
「はははっ、なにそれ、敵うわけないじゃん。あー負けた負けたー」
負けた、と言いつつその顔は憑き物が落ちたように、晴れやかである。
気の済むまで笑ったらしいカオリは、じゃあ、と言って去っていく。
「あ、あなたもいる?」
くるりと振り返って、カオリは淡雪に向けて狗宝を差し出した。
「いえ、いらないです」
「そう。じゃあ今度こそ。さよなら」
竜胆と葵は、ほっとして顔を見合わせた。
「捕まえたりはしなくて良かったんですよね。あの人暴徒化の危険もなさそうだったし」
「そうやね。駆けつけてくれてありがとうな、葵ちゃん。怪我は?」
「ないです!」
二人が話しているのも聞こえていないかのように、淡雪は、カオリの後ろ姿をぼんやりと見つめていた。
「――どんな不調でも治る魔法の石、そんなものがあったら、私が一番欲しいわよ」
「淡雪……」
「淡雪さん、どうかしましたか?」
心配そうな表情の竜胆と、首を傾げて聞いてくる葵、二人にいつもの笑顔を向けて、淡雪は答えた。
「いえ、何でも。帰りましょうか」
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