第2話 甘言は真実にー1

「淡雪さーん!」

 元気のいい声と共に、治療室の扉が開けられた。


「どうしたの、あおいちゃん」

 短めの丈の赤い袴を着て、室内だというのに頭には笠をかぶっている。背が小さく、人懐っこい笑顔はいつ見ても可愛らしい。


「腕すりむいちゃった」

「あら、こっちに座って。消毒するわね」

「えー、消毒ぴりぴりするからやだな」

「ちゃんとしないとだめよ。警備課の出動があったの? 気が付かなかったわ」


 赤いピンバッチを首元に付けた葵は、警備課の一員である。たまに暴徒化してしまう付喪神が存在するのだが、ヒトに被害が出る前に鎮圧、保護するのが警備課の役目。運動神経のいい付喪神が多く所属している。


「違いますよー。トレーニングしてたら、こけちゃっただけです」

「そうなのね。はい、腕出して」

「ううー」


 渋い顔をする葵の腕を持ち上げて、淡雪は救急箱から消毒してあるガーゼを取り出し、傷をぽんぽんと撫でた。葵がわずかに眉間に皺を寄せて我慢しているのが分かる。傷が開いたりすることのないよう、被覆材をかぶせて包帯をくるくると巻いていく。


「おや、葵ちゃん。また来ているのかい」

 修が治療室に入ってきた。修の言葉に、葵は、あははと笑って誤魔化している。


「あ、修、テーピングを取ってもらっていいかしら?」

「ああ、はい」

 修が立っている近くの棚にテーピングがあり、ついでに取ってもらった。葵はきょとんと首を傾げている。


「どうしてテーピングを?」

「どうしてって、足捻ったでしょ。 俺たちが気づかないと思った?」

「そうよ、私たちの目は誤魔化せないわよ」

 修と淡雪の二人に咎められて、葵は気まずそうに視線を逸らしたが、大人しく右足を出した。


「うん、そうね、腫れてはいないから、テーピングだけで大丈夫」

「よかったー」

「もしかして、治療終わったらまたトレーニング続けようと思ってた?」

「うっ」

 どうやら図星だったようだ。葵はしゅんとして肩を落とした。


「悪化しないように、今日くらいは安静にね。はい、傘出して、続けて修理するよ」

「はーい」


 葵は刀のように斜めに背負った傘を引き抜いた。大半が深い赤色、臙脂色で、持ち手に近い部分が黒い。開くと外側にぐるりと黒い帯があるようなデザイン。葵はこの傘の付喪神である。


「じゃあ、作業室行ってくるよ」

 葵がそわそわと修を見つめている。それに気づいた淡雪が修の白衣の裾を引っ張る。ふいを付かれたようで、修は膝をカクンとさせた。


「んん、どうしたんだい」

「葵ちゃんが修理しているところが見たいって」

「え、どうして分かったんですか!」


 目をまんまるにした葵に見つめられた。作業室、という言葉に目を輝かせていたからもしかしたら、と思ったが、当たりだった。


「いいよ、一緒に作業室行こうか」

「やったー」

「私も行ってもいいかしら?」

「もちろん」

 修がウインクを飛ばしながら了承してくれた。




 三人は紺色に色づく作業室の扉を開けた。部屋の壁に沿ってぐるりと置かれた小さめの机、そして部屋の中央にある大きな作業台が存在感を放っている。それぞれの机には様々な道具を置いていて、修理をする物に合わせて使い分ける。


「葵ちゃんと私はここで見ていましょ」

 淡雪は葵と一緒に部屋の端っこで椅子に座って見ることにした。葵は見やすいように笠をひょいと取ると、椅子の横に立てかけた。

「見られていると何だか緊張するな」

「ふふっ、しっかり見てるわよ」


 修は苦笑いをしたが、すぐに真剣な表情になって傘の表側を光に当てながら傷を探していく。最初は閉じた状態で、そして開いた状態でも確認していく。一通り診た後、修はこちらを向いて、手招きをした。


「せっかくだから、近くで解説聞きながらってのはどう?」

「見る! 聞く!」

 葵が嬉しそうに駆け寄って修の手元をじっと見つめる。淡雪もその後ろからそっと見守るようにして立つ。


「まず、擦り傷は傘の表面の小さな傷だ。ここに特殊な紙を置いて、上から薄く糊を塗っていく」

 修はピンセットで、向こうが透けるくらい薄い一枚の紙をそっと傷の上に乗せて、はけを使って慎重に貼りつけていく。慣れている作業とはいえ、その手際の良さに見惚れてしまう。


「すごーい。でもこの紙はずっとくっついたまま?」

「修理課特製の紙だからね、傷を直す効果があって、直るとこの紙は同化するんだよ。まあ、本当は絆創膏みたいに剥がす用に作ったんだけど、よく怪我をする葵ちゃん専用に同化するバージョンを作ったんだ」

「あたしのために! ありがとうございます!」

 驚きつつ、笑顔でお礼を口にする葵に、淡雪は軽くデコピンをした。


「あうっ、何するんですかー」

「頻繁に怪我をするのはあんまりいいことじゃないのよ。怪我をすることに、慣れちゃだめよ。修も、葵ちゃんを甘やかしちゃだめよ」


 はい、と言って葵はしゅんとしてしまったが、ちゃんと言っておかなければならないことだ。葵の頭を優しく撫でて、これから気をつけたらいいから、と声をかける。修の方も、肩をすくめてごめん、と言った。


「作業を効率的にしようと思ってやったんだけど、確かに本人に言うことじゃなかったね、ごめん」

「いいの。それにその改良はすごいことだもの。つい話したくなる気持ちは、分かるわ」

「お、淡雪が褒めてくれた。嬉しいね」

 頬杖をついて、修はとても嬉しそうに微笑んでくる。その笑顔で、しょうがない、と思ってしまうのだから、本当に。


「さて、もう一か所も修理していこうか。捻ったところは、この傘の骨の部分が少し曲がっているんだ」

「あ、本当だ」

 修は葵に見えやすいように、体を傾けて内側の骨の一本を見せる。

 そして修は、先が丸くなったペンチのような道具を使って、あっという間に骨をまっすぐに直した。


「はい、これで大丈夫」

「ありがとうございます!」

 葵は賞状を受け取るように、両手を前に出して丁寧に傘を受け取った。大切にしようとしてくれているのがよく分かる。


「いい子ねー」

 思わず葵の頭をふわふわと撫でてしまう。えへへと言って葵も嬉しそうにするから、また可愛い。


「それにしても、修さんってこんなにたくさんの道具を使いこなしててすごいです」

 葵は作業室に溢れそうなほどある道具たちを見回して言った。


「俺は道具箱の付喪神だからね。しかも彩は〈知識を入れる〉だ。天職じゃないかって思うよ」

「知識を入れる……? 見せて見せて!」

 本部の職員の中では年数が浅い葵は、修の彩がどういうものか見たことがなかった。


「修、見せてあげたら」

「そうだね」

 修は、反対側の机に置いていた自分の道具箱を持ってきた。箱を形作る木材が長い年月を感じさせる。角の部分が鋲打ちされているので強度はばっちりである。


「例えば、この道具を初めて見たとするね」

 先ほど傘の骨を直すときに使った道具を手に持つ。そして、道具箱の蓋を開けた。


「道具をこうやって箱に入れて、一旦閉じる。で、もう一回開けて取り出すと、その道具の扱いを習得出来るんだよ」

「おおおー、すごい……」


 葵が目を輝かせて道具箱と修を交互に見つめている。一度習得してしまえば、何度もする必要はないため、あまり使っているところを見られないレアな彩である。


「さて、俺は他の作業が残ってるから、このまま再開するよ」

「分かったわ。じゃあ、私たちは戻りましょうか」

「はーい」

 



 一旦、治療室に戻り、念のため葵の怪我の状態を確認した。

「大丈夫そうね。もし足が痛むようだったら、冷やすものも貸せるけれど、どうしようかしら」

「いえ、大丈夫です」

「分かったわ、じゃあ無理はしないようにね」

「……」


 葵は俯いて返事をしない。不思議に思ってのぞき込むと、葵は唇を噛みしめて何かを堪えていた。


「あたし、強くなりたい」


 バッと顔を上げた葵は口を真一文字に結んで、両手は強く握りしめていた。

「警備課の皆の足を引っ張らないように。もっと強く、早く一人前になりたい。修さんにも淡雪さんにも迷惑かけないようになりたい」

「葵ちゃん……私たちは、迷惑だなんて思ってないわ」

「はい、でも、もっと頑張らなきゃ」


 目の前の思い悩んでいる少女に何を言ったらいいのか分からず、淡雪は押し黙ってしまった。その気持ちがよく分かるから。


「私も、もっと頑張らなきゃ」

「え、淡雪さんはもうすごい人じゃないですか。こんな風に治療が出来て」

「ううん、まだまだなの。頑張らなきゃ」

 淡雪は眉を下げて自信なさげに笑ったが、ハッとしてすぐにいつもの笑顔に戻した。逆に励まされ、気を遣わせてしまった。


「大丈夫。一緒に頑張ろうね」

「はい、頑張ります!」


 元気よく素直に頷いた葵は、淡雪には少し眩しく思えた。お大事にね、と言って葵を見送った。




「はー……」

 淡雪は椅子の背もたれにもたれかかって、思わずため息が出てしまった。ふと見ると、治療室の扉が開きっぱなしだった。いつから開けたままだったのか。


 扉を閉めようと立ち上がったところで、誰かがそこに立っていることに気が付いた。


「あれ、竜胆りんどうさん?」

「声かける前に気付かれてしもうたわ」

 彼女は、二十代半ばの女性の見た目をしていて、低めの位置で髪を結わえて、上品な淡い緑色の着物を身に纏っている。管理課の一員である竜胆は、くしの付喪神で、淡雪のずっと先輩にあたる。


「竜胆さん、今日はお店お休みですか?」

「ちょっとこっちに用事があってな」


 竜胆と、その妹で、『はなのさと』というスナックを街中で経営している。管理課は、付喪神に関するあらゆる情報の収集、管理を行う。その情報収集先はヒトも含まれている。竜胆たちはスナックに来る付喪神、ヒトからの情報を集めているのだ。


「なあ、淡雪」

「はい」

「頑張りすぎて無理しやんようにな」

「え?」

 淡雪は戸惑って、目線を足元に逃がした。竜胆は少し肩をすくめて捕捉してくれた。


「そこの扉が開けっ放しやったから、葵ちゃんとの会話聞こえてしもうて。やからちょっとしたお節介」

「あ、そうだったんですか。お恥ずかしい……」

「もう少しだけお節介言うとくと、仕事そのものは確かに自分が頑張ることやけど、不安とか焦りとか、そういう気持ちのことは、もっと頼って甘えてもええと思うよ」

 竜胆は一歩近づいて淡雪の胸の辺りを指さした。


「でも……」

「もっと修に寄りかかり。恋人なんやから」

 素直に頷くことが出来ず、曖昧に笑った。竜胆がさらに何か言いたげなことを察した淡雪は、話を逸らすことにした。


「用事は、放っておいていいんですか?」

「そうやった。実は修理課に聞きたいことがあってな。狗宝くほうって知っとる?」

「いえ、聞いたことないです」

「やっぱりな」

 竜胆は、ふうっと息をついて、頬に手を当てた。何かあったのだろうか。

 淡雪は竜胆を治療室の椅子に誘導して、話を聞く体勢を作った。


「最近な、付喪神の間で噂になってるんよ。どんな体の不調も治す、狗宝という魔法のような石がある。付喪神統括本部・修理課のお墨付きやって」

「知らないです! そんなこと、他の修理課の誰も言ってなかったです」

「ということは、何者かが修理課の名前を騙っとるってことやな。どうにかせんと――あ、ちょっとごめんな」


 竜胆の袂の中で端末が鳴り、一度席を立った。

 本部の者が持つ端末は、ヒトの物とは違い特別製である。その動力は付喪神である自分たちの体力。一回端末を使うと、階段を一階分ダッシュしたくらいに疲れるのだ。距離があるときは便利だが、本部内ならば鳩を使った方が何かと都合がいい。


 普段、本部におらず、はなのさとにいる竜胆は頻繁に端末を使うだろうから、華奢に見えるが、きっとちゃんと体力作りをしているのだろう。


「ごめんな、待たせてしもうて」

「いえいえ」

 全く息切れをしていない竜胆に、尊敬の目を向けながら、淡雪は手を顔の前で振った。


「実は、狗宝を実際にもらったっていう子から話が聞けそうやの。淡雪も一緒に聞いてくれへん?」

「分かりました」

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