第1話 修理課のお仕事ー2(了)

 心配していた先輩が眠っている様子を見て彼女も安心したようだった。治療室の扉を色づかせ、彼女を椅子に座るように促す。


「はい、あなたも治療しますね」

「わたしは本当にかすり傷ですし、大丈夫です。それより、ここのこと、付喪神統括本部のこと教えてもらえませんか」


 話を逸らそうとする彼女に、どうしたものかと考えたが、確かに後で詳しく話すと言った。淡雪はガーゼと消毒液だけを持ってきた。


「傷が悪化しないよう、消毒はさせてください。そうしたらお話しします。その後に物を預かります。修理は絶対に必要ですから」

「……はい」

 消毒を手早く済ませて、淡雪は向かい合う形で椅子に腰掛けた。


「『陰陽雑記に云、器物百年を経て、化して精霊を得てより人の心を誑す。これを付喪神といへり』、この文言は知っていますか?」

「どこかで、聞いたことがあるような……」


「これは、昔の人間が私たち付喪神について記した書物の冒頭です。内容を大まかに言うと、心を得た物、付喪神が自分たちを捨てた人間に、仕返しとして町を破壊しつくした。そして格上の神によって退治された、というような感じです」

「なるほど……?」

 なんとなく分かる、というニュアンスで彼女は頷いた。


「そして、再びそのようなことにならないための機関が、この付喪神統括本部です」

「なんか、かっこいいですね」

「もっと身近に言うと、ヒトのような見た目をしていても、私たち付喪神は年を取りませんし、遙かに長い時を過ごします。そんな私たちがヒトの世に在り続けるには色々と困り事が出てきますよね。そのときに力になるのが、本部の仕事です」

「今日みたいな怪我もそうですよね。ヒトの病院には行けない」


 彼女は、急に表情を暗くしてそう言った。あの女性の怪我を目の前で見たからショックを受けているのだろうか。確か、自分を庇って落ちた、と言っていた。話を聞ければ、その表情を和らげることができるかもしれない。

 淡雪はそっと彼女に向かって手を差し出した。


「修理のために物をお預かりしますね。あなたは――そのネックレスの付喪神、ですか?」

 彼女の胸元に輝くネックレスは、しずく型のストーンがトップでシンプルながら華やかな印象がある。トップとチェーンを繋ぐ金具と、チェーンに少しの傷が見えた。


「はい。わたしはこのネックレスの付喪神です。先輩と一緒にジュエリーショップで働いています。先輩はわたしがまだひよっこだった頃から良くしてくださっていて、尊敬しているんです。プライベートでもよくお出掛けしたりして」

「素敵な先輩ですね」

 彼女は嬉しそうに頷いて肯定したが、すぐに顔を曇らせてしまった。


「そう、とても素敵な先輩なんですが、一つ、良くない所があって。その、事あるごとにわたしを庇うんです」

「庇う、ですか?」


「わたしは見た通り、壊れやすい物です。もし完全に割れてしまったら直すのは難しいです。だから先輩はわたしが転んだりしそうになったら、わたしを庇って自分が怪我をするんです。自分の方がすぐに直せるからって。……今回、わたしを庇ったせいであんな大怪我を」


 彼女は握りしめた手にわざと傷を作るように爪を立てた。その力の入り方は見ているだけで痛かった。淡雪はそっとその手を包み込んで力を抜くように促した。彼女が暗い表情をしていた理由はこれだったのだ。


「わたし、こんなわたし嫌です。大嫌いです」


 彼女は淡雪に差し出しながら自分のネックレスを睨みつけた。そして、目線を滑らせて淡雪に移す。ハッと何かに気づいた表情でネックレスごと淡雪の手を握った。


「あの、修理じゃなくて、改造というか、壊れにくく作り変えてもらうことは出来ますか!?」

「!」

 彼女の質問に淡雪は思わず固まってしまった。希望を込めたその瞳に見つめられて、淡雪は目を逸らしたが、短く息を吐いてから答えた。


「出来るかという問いに対する答えは、はいです」

「じゃあ!」

「ですが、自分の命そのもの、または自分自身である物を、原形から変えてしまったら、あなたがあなたではなくなってしまいます」


「それってどういう……?」

「自我が消えたり、性格が豹変したり、あなたの先輩をはじめ、周りの人のことを忘れてしまうかもしれません」

「そんな」


 肩を落としてその場にしゃがみ込んでしまった彼女は、体が一回り小さくなったように見える。


「ネックレスの傷は小さいので、すぐに直してきます。少々お待ちください」

「はい……」

「……素敵なネックレスです。どうかそのままのあなたを大切にしてください」


 淡雪は修が作業しているであろう部屋を避けて、別の作業室に行き、ネックレスのチェーンとトップについた小さな傷を修理した。




 部屋から出て、すぐに彼女の待つ治療室に向かうには足が重く、手すりにもたれかかって吹き抜けの下を見下ろした。


「あんな言い方しか出来なかったわ」

 改造なんて勧められるものではないにしても、もっといい伝え方があったんじゃないかと淡雪はため息をこぼした。本部のことに純粋に興味を持ってくれていた、あの子を傷つけてしまったかもしれない。


「……でも、絶対に、改造なんて駄目だもの」

ふと、廊下の向こうからこちらに近づいてくる足音が聞こえた。


「淡雪、こんなところでどうしたんだい?」

 白衣をなびかせながら修が淡雪の隣にもたれかかった。


「うん、ブレスレットの人の治療と、ネックレスの――あ、もう一人の人ね」

「ああ」

「二人の治療は終わって、ネックレスの修理も終わったところ」

「さすが早い。でもその割には元気なさそうだね?」

「ちょっと、ね」

 修に話すか迷って、曖昧な返事になってしまった。


「じゃあ、そのネックレス、俺が渡してくるよ。ブレスレットの方の修理も終わったって伝えに行こうと思ってたから」

 淡雪の手元からするっとネックレスが修の手に移動した。でも、と言いかけたが修の笑顔に頷かされてしまった。


「じゃあ、お願いするわ。それにしても、ブレスレットの修理だいぶ早く終わったのね。もっとかかるかと思ってたわ」

「俺も。実はちょうど研究室から才が出てきたのが見えてね、手伝ってもらった」

 才、とは修理課の一員でとても腕がいい。修は内緒話でもするみたいに人差し指を口元に当ててウインクを飛ばした。


「なるほどね」

「じゃ、行ってくるよ。治療室でいいんだよね?」

「ええ」

 背を向けて一度歩き出した修は、足を止め、こちらを振り返った。


「後で話聞くから、作業室に」

 それだけ言うと修は治療室に駆けていった。




 作業室で一人座って修の戻りを待っていた。やはり自分が届けに行くべきだったんじゃないかと悶々と考えてしまう。


「淡雪? 入るよ」

 扉の向こうから声がして、慌ててどうぞと答える。考え込んでいてノックの音が聞こえていなかった。


「ネックレスを届けて、ブレスレットの修理も終わって傷も少しずつ治っていくから安心していいと伝えてきたよ」

「そう、ありがとう」

「それと、淡雪に伝えてほしいって言伝を預かった」

「え」

 聞くのが怖い気もしたが、修に続きを促した。


「『わたしたちを治してくれてありがとうございました。ここを頼って良かった。あなたに治してもらえて良かった。それと、素敵だって言ってくれてありがとうございます。好きになる努力、してみます』だって。口説いたりしたの? 妬けるなー」

 からかうような口調だが、修の表情から何を話したのか知っている、もしくは察していることが分かる。


 彼女から、ありがとうの一言が聞けただけで嬉しいのに、わずかでも背中を押せたかもしれないなんて、疲れが一気に吹っ飛ぶくらい嬉しかった。


「良かったね」

「ええ」

「さすがは淡雪」

 修は机に頬杖をついて微笑んでくる。


「ううん、まだまだだわ。修の期待に応えたいもの」

「大丈夫。淡雪はちゃんと頑張ってるよ」


 淡雪のナース帽の上に修の手がふわりとかぶさった。直接ではなく、帽子ごしに頭を撫でられて少し切なくなる。


「修」

「焦らなくていい。淡雪は淡雪だ。俺の、大事な恋人だよ」

「……ええ」

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