第1話 修理課のお仕事ー1

 私室で、彼女はてきぱきと身支度を整えている。仕事着であるナースワンピースを身につけると自然と背筋が伸びる。青色のピンバッチを首元に付けた。長く白い髪は耳の横だけを残して高い位置で結んだ。ナース帽を頭に乗せて鏡を見る。


「うん、大丈夫」

 毛先だけ淡い水色の彼女の髪は、窓から入ってきた風でふわりと揺れた。時間を確認し、窓を閉めてから彼女は部屋を出た。





 ここ、付喪神つくもがみ統括とうかつ本部は付喪神たちがヒトの世で暮らしていくために必要な機関。管理課・修理課・警備課・無帰課むきかの四つの課で成り立っている。ピンバッチの色で誰がどこに所属しているのか分かるようにしている。青色のピンバッチの修理課は、四階建ての、三階のフロアにある。

 医務室の扉をノックすると、中からどうぞと声が返ってきた。


「おはよう、淡雪あわゆき

 黒いシャツと黒いスラックス、そして白衣を着ているいつものスタイルのおさむが朝の挨拶を口にした。


「おはよう、修。相変わらず早いわね。今日の予定は?」

「依頼のあった修理は昨日終わったし、特にないよ」

「えっ、依頼ってかなりの数あったわよね? あれ全部?」

「ああ。修理は俺の得意分野だからね。忙しかったけど」


 修理課の仕事は、物を修理することと、身体を治療することの大きく二つある。自然治癒力を持たない付喪神たちにとって、本部にとって、必要不可欠な課である。


「忙しかったなら、私も呼んでくれたらよかったのに」

「終わらせて、驚く恋人の顔が見てみたくて、ね」

 修は悪戯っぽく笑って、小首を傾げてみせた。どうやら修の作戦にまんまとハマったようだった。


「ということで、今日はとりあえず暇だから、コーヒーでも飲むかい?」

「ええ」


 淡雪の返事を聞いて、修は立ち上がって準備を進める。医務室には、診察や治療のための器具や体を休めるためのソファやベッドがあり、さらに奥には簡易的なキッチンがある。修理課のメインとなる部屋のため、一番広く、一番色々と置いてあるのだ。


「はい、砂糖とミルク入ってるから」

「ありがとう」

 テーブルに向かい合って座り、二人はほっと一息つく。コーヒータイムは好きなのだが、今日は何もしていないので何だかそわそわしてくる。


「飲み終わったら、掃除でもしてくるわね」

「じゃあ俺もそうしようかな。作業室ちょっと散らかってたし」

「決まりね」




 そのとき、ふいに鳩が部屋に飛び込んできた。本部では伝書鳩を使ってやり取りをする。どの部屋にも鳩が通れる小窓が付いていて、そこを通って部屋に知らせを届けてくれる。今入ってきた鳩の足にくくりつけられた紙には朱が入っている。緊急の証だった。

 急いで淡雪が紙を開いて読み上げた。


「急患! 至急一階へ」


 二人は部屋を飛び出した。

 本部の内装は、吹き抜けを中心に半円状に廊下があり、規則的に扉が並んでいる。白を基調とした内装は、無駄な装飾を排除し、洗練された博物館のような雰囲気がある。各階を繋ぐのは同じく白い階段。

 階段を駆け下りて、一階に行くと鳩を飛ばしたらしい受付嬢が手招きをしていた。その近くには女性が二人。一人はうめき声を上げて横たわっている。


「あの、助けてください! 先輩がわたしを庇って階段から落ちたんです! お願いします!」

 淡雪は横たわる女性に声をかけた。左腕と左膝に大きく広がった擦り傷があり、足首には少し腫れがみられる。


「大丈夫ですか」

「うう……は、はい」

 意識はあり、ちゃんと受け答えも出来る。


「手が空いている人! 担架でこの方を三階の手術室まで運んでください」

 職員が二人がかりで担架を持ち上げて階段を上っていく。


「手術室ですか?」

 一緒にいた女性が不安そうに見上げてくる。安心させてあげられるように、笑顔で答える。


「大丈夫です。足を怪我されているようなので、座ったままでの治療は負担がかかると思ったので、ベッドのある手術室がいいと判断しました」

「そ、そうでしたか。あの、ここはどこですか?」

 相当慌ててここに飛び込んできたのだろう。彼女はきょろきょろと本部内を見回している。


「初めて来られたのですね、ここは付喪神統括本部です。詳しいことはまた後でお話しますが、付喪神のための機関です。安心してください。私は修理課の淡雪といいます。砂時計の付喪神です」

「先輩は、大丈夫ですよね、助かりますよね」

「私たち修理課が必ず助けます」


 彼女は力が抜けたようでその場に座り込んでしまった。腕にはいくつかかすり傷があった。彼女も後ほど治療が必要である。

 修は片膝をついて彼女と視線を合わせて問いかけた。


「俺は同じく修理課の修。道具箱の付喪神だよ。今運ばれた女性は何の付喪神か教えてもらえるかな?」

「ブレスレットです。普段は先輩の左手首に付いているんですけど、落ちた拍子に金具が壊れてしまったみたいで」


 そう言いながら彼女は、金色の二連ブレスレットをポケットから取り出した。目の細かいチェーンと、色とりどりのストーンが飾り付けられた少し大きめのチェーンとが連なり美しい。はずだが、今はかなり破損がひどかった。修は慎重にブレスレットを受け取ると、口をぐっと結んで淡雪に視線を送った。


「怪我がひどいから、治療を先にすべきだ。俺もそっちを手伝おうと思ってたけど、正直この状態のブレスレットの修理は時間がかかる。淡雪、頼めるか」

 修が物の修理を得意とするように、淡雪は身体の治療を得意としている。今回の場合は分担すべき。淡雪も理解していた。


「ええ、分かってるわ」

「助手を呼ぶか」

「あの二人は今出張中よ」

「ああ……そうだったな」

 修はもう一人の女性を不安にさせないよう、顔には出さないが少し迷っている。


「修、私は大丈夫よ。そのためにここにいるわ」

「ああ、そうだね。任せた」

 修はそう言うと階段を駆け上がっていった。

 淡雪もブレスレットの女性の治療のためにいち早く手術室へ向かわなければ。隣で不安そうに淡雪を見る彼女に柔らかく語りかける。


「あなたも、かすり傷があります。後で治療室へ来てくださいね」

「あの、一緒に行ってはだめですか。先輩の傍に」

「それは……」

 首を横に振ろうとしたが、彼女の切実な表情に淡雪は一人にするべきではないと判断した。


「分かりました。ではこちらへ。急ぎます」

 早歩きで階段を上がっていると、後ろから彼女の驚いた声がした。

「わっ」

 本部の白い階段は、踏みしめると一段一段がほのかに色づく。薄紅や琥珀、鶯色、少しするとまた元の白色に戻る。博物館のような雰囲気、なのだが、人が動くと色づくため視覚的には鮮やかなのである。


「初めて見ると驚きますよね、これ」

「はい、びっくりしました。でも綺麗ですね」

「扉も同じように開閉のときに色づくので、驚かないでくださいね」

 




 二人は階段を駆け上がり、手術室と書かれた千草色に色づく扉を開いた。

 女性はベッドに横たわり、担架で運んでくれた職員が傷口を水で流してくれていた。淡雪は彼らに礼を言い、それを引き継いだ。


「もう大丈夫ですよ。治療していきます」

「な、なんで。身体治したって、意味ないでしょう」

 女性は痛みに顔を歪めながらそう訴えた。


「先輩!? どうしてそんなこと言うんですか」

 彼女がベッドにしがみつくようにして、怪我をした女性を心配している。心配なのは分かるが、これでは治療ができない。


「落ち着いてください。私たち付喪神はいくら人の姿をしていても物ですから。自然治癒力はありません。怪我をしたら、物の方にも何か不具合ができていて、それを直すことで体の方もゆっくり治るんです」


 ゆっくり治っていくことが多く自然治癒のように見えることもあるが。付喪神にとっては常識だが、彼女は動揺して頭から抜けているようだった。

 早口で説明した淡雪は、彼女を落ち着かせてベッドから離す。そしてベッドに横たわる女性に安心してもらえるよう、穏やかな声で話しかける。


「ブレスレットは今、全力で修理しています。ご安心下さい」

「なら、何もしなくていい。あなたの服が、汚れてしまう」

 淡雪はそう言われてナースワンピースに血が付いていることに気が付いた。が、そんなことは関係ない。


「これは汚れたって構わない服です。それに、治療は必要なことです」

「なん、で」

 淡雪は柔らかな微笑みを浮かべて、当然のことを口にした。


「だって痛いでしょう?」

「!」

「それに、心配してくれる人を安心させるためにも」

 今にも泣き出しそうな表情を浮かべる彼女を見て、ブレスレットの女性もようやく頷いた。


「私たちの仕事は物を直すことだけじゃないんです。この痛みを和らげて治すことも、修理課の仕事です」

「よろしく、お願いします」


 女性は身体の力を抜いて、そう言った。

 淡雪は砂時計を取り出した。真っ白い木製の外枠に守られたガラスの中には水色の砂がさらさらと揺れている。女性の手に握らせるように砂時計をひっくり返して置いた。離さないでくださいね、と声をかけて。


「これは……?」

 女性が不思議そうに手の中にある砂時計を見つめた。


「私はこの砂時計の付喪神です。そしていろどりは〈時を止める〉です」

「あなた、イロ持ち、なの」

「ええ」


 本部の職員の多くは彩と呼ばれる特殊な能力を持つ。彩を持つ方が本部の仕事がしやすく、積極的に勧誘しているためそうなったのだが。能力を持つ者をイロ持ち、逆に持たない者をイロなし、と言うこともある。


「え、時を止めるんですか!?」

 彼女が驚きの声を上げている。もしかしたら彩を持つ者に会ったのが初めてなのかもしれない。


「本当に時間を止めることが出来るわけじゃないんです」

 彼女と話しながらも、淡雪は常に手を動かして治療に入っている。まずは女性が手を当てて一番庇っている左肩を触診する。


「これは、脱臼している可能性が高いですね。転落したとき腕をつきましたか?」

「はい。咄嗟のことで思わず腕が出てしまって。普段からテニスをしていて、何度か亜脱臼をしたことがあるからきっと癖に――ってあれ? 痛くない」


 女性が肩に当てていた手を外し、不思議そうに見つめる。擦り傷の方の痛みも感じていないようだ。

 もう治ったのかと女性の目が問いかけていて、続いて口も開かれようとしていたが、淡雪が先に口を開いた。


「私の彩の〈時を止める〉というのは、正確には『感覚を一時的に止める』ってことなんです。砂時計に触れた人の感覚を、その砂が落ち切る時間だけ止める」

 淡雪は左腕を持ち、いきますと声をかけてから肩を正常な位置に戻した。女性は痛がる様子もなく正確に動く淡雪の手元を見ていた。


「この能力、日常では何の役にも立ちませんが、こういうときは麻酔のような役割をしてくれます」

 上の砂があと半分になった砂時計を見て、淡雪は気を引き締めた。


「痛みを感じない内に治療を終えます。もう少しの辛抱です」

 淡雪はてきぱきと捻挫したであろう足首を冷やし、その間に腕と膝の擦り傷の処置をしていく。女性は消毒をされたときに体に染みついた反射でビクッとしていたが、痛みは感じていないようで淡雪は安心した。

 念のために足首にテーピングをして一通りの治療を終える。ちょうど砂が全て落ち切るタイミングだった。


「止まっていた痛みが来ます、気を付けてください」

「んんっ」

 一瞬うめき声を上げたが、顔に苦しさは残っていない。ゆっくりと肩を動かして、いつも通りであることを確認して、女性はホッとした様子で笑った。


「ありがとう。とても楽になった」

 その一言で、淡雪の中にふわりと温かいものが広がる。ありがとうの一言が何よりも嬉しい。

 女性は長く息を吐いて、目を細めた。いや、瞼が重く下りてきたようだった。


「気を張っていたのと、治療で体力を使いましたからね。ゆっくり休んでください」

「じゃあ、お言葉に甘えて……」

 女性は吸い込まれるみたいに目を閉じて眠りについた。

 淡雪は使用中と書かれた札を掛けて、手術室を後にした。

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