第4話

 元山は再び大学に来訪した。

 事務室の受付で警察手帳を見せながら、村上凛は登校しているか、それとも居場所を知っている人はいるかと尋ねると、受付に出てきた女性は鯱ほこばって事務長に確かめます、と言って、部屋の奥の方へ踵を消えていった。

 数分して、女性は白髪のオールバックの初老男性を連れて戻ってきた。

 初老の男性はにこやかに元山に問い掛けた。

「昨日お越しした、刑事さんで?」

「はい。村上凛さんに会いたいのですが、本日登校されてますか」

「どうだかね。そればかりは確認してみないと。少し待っていただけますか」

 初老の男性事務職員は、背後のスチールデスクの据え置き内線電話で、元山に送信先の番号が見えない位置で架電した。

 送信先と電話が繋がったのだろう、元山が村上凛を探していることを面倒事を相手に押し付けるような億劫な口調で伝えている。

 通話を切って受話器を置くと、元山に向き直る。業務に徹した温容な表情だ。

「生物学部の豊田弥太郎教授が、その村上凛とかいう生徒の所属する学部の教授先生で、その生物学部を訪ねていただければ」

「それではそちらを訪ねてみます」

 元山は頭だけで一礼して、昨日と同様に生物学部の棟へと足を運んだ。

 廊下を通り過ぎる女子生徒にまたあのオジサンいるよ、と気持ち悪く思われる不本意な疑惑の目を向けられながら、生物学部の教授室を伺う。

 元山がノックして名乗ると、えっ刑事さん! という仰天する声が聞こえて、躊躇うような沈黙の後、どうぞ、と堅い声で入室を許可した。

 元山にしてみれば、証拠の湮滅が疑われるならば無断で立ち入る覚悟を持ち合わせていたが。

 豊田は分厚いフォルダーを左わきに抱えたいかにも仕事中の姿で応対した。

「そのファイルは?」

 元山は挨拶もおろそかにフォルダーを指さす。

 微塵の動揺もなく、穏やかに答える。

「私が担当している生徒達の研究レポートが挟んであるんです」

「どうしてそれを今見ようと?」

「うん? まあ、生徒が一人殺害されてしまったものだから、思い出に浸ろうと捲っていたんですよ」

「自分が見ても構いませんか?」

「え、あ、はい」

 後ろ暗いところを隠すように、曖昧に返事をしつつ、元山にファイルを渡す。

 元山はフォルダーの中身を斜め読みした。

「何か気になる人でもいましたか?」

「いませんでした。とはいえ念のために事件と無関係と確定されるまで捜査本部の方で資料として保管します」

「極力早く返してください。成績を決定するのに使うのですから」

「事件と無関係と確定するまでと言いました。此方の我が儘ではありましょうが、協力の程を」

「わかりましたよ」

 豊田は元山の懇請に折れた形で、資料としての提出を了承した。

 元山はフォルダーを片手に持つと伺った当初の目的である、村上凛の居場所について尋ねた。

 豊田は首を傾げる。

「村上君の居場所、どうしてそんなことを?」

「現在、自分はその女性を調べていまして、本人から話を聞きたいのです」

「刑事さん。村上君の居場所は把握していないが、彼女と仲の良い生徒なら、彼女の居場所を知っているかもしれませんね」

「誰か、心当たりがあるのですか?」

 豊田がその名を告げると元山は礼を言って教授室を後にし、フォルダーを握ってぶら下げる慣れない持ち方で持って、別棟へ向かった。


 豊田から元山に紹介された女子生徒はフードコートで、トレイを受け取っているところだった。

 中央列の最奥に一人でロングテーブルの席を取ったのを見計らい、元山は彼女に近づいた。

 両手を合わせて食物への感謝を表した後、頭を上げた瞬間テーブルを挟んだ真向かいに立つ中年男の姿にぎょっと驚く。

「いや、行儀正しいですな」

 そう褒めながら元山が彼女の向かいの席の椅子を引いた時、「……変な刑事さん」と女性の口から怯える声を出した。

 何を言ったのかと女子生徒の顔をまともに見た元山は、しばし記憶を絞り出すように眉根をしかめて、あっと息を呑む。

「あの時すれちがった」

 元山が生物学部の棟へ歩いている途中で、彼に醜悪な物を見る目を注いだ女子生徒だった。

「ひ、人違いです」

 顔を覚えられたのが不服なのか、女性生徒は顔を逸らして元山の見間違いだと主張した。

 聴取前から毛嫌いされるのは弱ったな、と元山は内心落ち込む。

 元山が来たのは丁度昼食の時間帯で、他の生徒がひっきりなしにフードコートの内外を行き来していて、部外者の元山と向かいに座る女子生徒に好奇の視線が集まる。

 他生徒の視線に堪えられなくなった女子生徒は、元山を邪魔だと言わんばかりの目で睨み上げる。

 思いも寄らぬ鋭い怒りの眼光に、元山は実娘の激憤を含んだ眼差しを喚起し、反射的に立ち上がり硬直してしまった。

「凛ちゃんのことなら、後で話します。中庭の花壇前で待っててください」

「は、はい」

 女子大生の睥睨に気圧される、警察の一人としてみっともない我が身に臍を噛みながら、フードコートから中庭に退散した。


 正当化に偏った自問自答を繰り返して刑事の威厳を取り戻しながら、元山が中庭の花壇前ベンチで足を組んで聴取対象の女性生徒の待っていると、ニ十分後に満を持して女子生徒がフードコートから中庭に出てきた。

 あからさまに人目を気にしながら元山のいる花壇前に歩いて来る。元山の刑事畑の視点では街中で挙動不審で辺りをきょろきょろする奴は、大体が犯罪者予備軍か犯行前後の者だと決まりきっている。

「随分と遅かったですな。証拠物をトイレへ流してきてなどおりませんな?」

「当たり前よ」

 粘着的な声質で訊かれて、怒鳴るように言い返した。

 何故そこまで目の敵にするんだ、と元山は不満だ。

 女子生徒は訊くなら訊くがいい、という気構えの出来た様子で元山を見据えた。

「あたしに訊きたいのは凛ちゃんのことでしょ」

「仰る通りです。あなたが村上凛さんと仲が良いと伝え聞きまして」

 元山は肯定した。

「しかしまあ、情報提供者としてあなたの名前を教……」

「大谷朋美」

 先んじて名乗った。

 豊田教授から聞かされていた名と同じである確認も取れ、メモ帳を取り出し元山はようやっと聴取に入ることが出来る。

「村上凛さんとの交友期間は?」

「高校の一年、同じクラスだったの」

「それでは村上凛さんの高校時代をご存知なんでしょうねぇ。高校時代の村上凛さんはどんな高校生でしたか?」

「普通の女子高生。もしかして非行とか疑ってる?」

「一つの可能性として、ですが。今あなたがここで嘘を吐いても履歴書や通っていた高校に問い合わせれば判明しますがね」

「嘘なんて吐かない」

「そうしてくださると警察としても大変助かる。それで村上さんはこれまで人間関係で何かトラブルは。些細な事でも仰ってください」

「凛ちゃんは思い込みが激しいから、挙げたらキリがない」

「そうですか。では最近に絞って、生物学部の人達とはどうですか?」

「ああ、そういえば。この前、誰かがムカつくって言ってました」

「誰か、とは?」

 大谷朋美は目線を上向けて、思い出そうとする顔になる。

「たしか、なんとかはなって名前だった」

「小園花ですか?」

 元山が記憶を助けるように言うと、大谷は目を見開いて人差し指を振る。

「そうそう、小園花。凛ちゃんはその子に怒ってた」

「理由は?」

「凛ちゃんの彼氏をその子も好きになった、って愚痴ってた」

「三角関係ですか?」

 男女関係による殺害の線が浮かび上がってきたぞ、と元山は露頭してきた成果に内心で欣喜雀躍した。

「でも、また凛ちゃんの思い込みで決まり」

 大谷朋美が愉快気に笑って、元山の捜査意欲をしぼませるような断定を言い放った。

 元山の携帯電話に着信が入ったのは、そんな刹那である。

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