第2話

 被害者の男性が解剖に付され、包丁による刺傷が死亡原因であることが判明した。

 さらに身元を調べると男性は現役の大学生で、現場の自宅から電車で二つ離れた駅の近く大学に通う生徒であるという。

 元山は捜査一課の遠藤という若い刑事と、男性の通っていた大学で聞き込みすることにした。

 大学内で被害者の男性について聞き込みをするうち、男性が生物学部に所属している情報を得て、生物学部の教授に会うことが出来た。

「警察の方ですか?」

 研究棟の一隅にある教授室で生徒のレポートに評価を付けていた生物学部教授の豊田弥太郎は、元山の警察手帳を見て、僅かに驚きを滲ませた声を返した。

「ええ、先日亡くなられた……」

「神木君のことですかな?」

 機先を制するように豊田は尋ね返した。

「何故、神木君の事を?」

「今朝村上君から聞いたんだ。神木君が亡くなったとな」

「その村上君というのは?」

「うん? 知らないのか? 第一発見者になって自分が警察に連絡したと言っていたが」

「あの女性ですか」

 元山と遠藤は合点がいった。現場の部屋の前でおどおど待っていた女性だ。

 遠藤が代わって尋ねる。

「村上という女性と被害者の神木君は、どういった付き合いだったんですか?」

「わしは生徒達の人間関係など詳しく把握しとらんよ。わしの前では皆仲良いように見えるからな」

 犯人の特定に有益な情報は得られそうにないな、という表情で元山と遠藤は見合った。

 元山はしいて訊くべきことが思いつかず、事情聴取ではありきたりな質問をする。

「念のために訊きますが、豊田さんは被害者の殺された三日前の夜、どこにおられました?」

「三日前の夜十時から十二時とな。どうだったかな、確か盗まれた一匹を探しておったかの」

「盗まれた一匹とは?」

 豊田の供述の意味を解せず、元山は聞き返す。

「おお、そうじゃな。言わんとわからんの。盗まれた一匹とは、研究対象のカブトムシの事だよ」

「カブトムシ?」

 遠藤が慌ててかぶとむし、と携帯しているメモ帳に書き留める。

「一体、何の研究をされてるんですか?」

「カブトムシの角じゃな。簡単に説明すれば遺伝子研究だよ」

「門外漢の私にはわかりかねますが、カブトムシの角の遺伝子を研究している、という解釈よろしいですか?」

 豊田はそうじゃ、と頷いた。

「わしらは遺伝子別による角の形成との繋がり、を昨年から研究して、一週間ほど前結果の整理まで終わったんじゃが。研究結果を示す一匹が、三日前の夜から見当たらないんじゃ」

「盗まれたカブトムシの特徴は?」

「角の先が曲がっておる」

 かぶとむし、とメモの傍に鼻先の角が曲がっている、と遠藤は豊田の説明そのまま付記する。

 紋付型の事情聴取は済み、元山は望み薄で最後の質問をする。

「豊田さん。最後にお尋ねしますが『12‐a』という言葉に聞き覚えは?」

「『12‐a』とな。それこそわしが探しておるカブトムシじゃよ」

 豊田の声の調子が尻上がりに高くなった。

 元木は豊田の反応に好感触を得て、『12‐a』の盗まれる過程やら研究内容まで鬱陶しく思われるほど聞き出した。


 元山は捜査本部への連絡を遠藤に頼み、二手に分かれた。

豊田教授の計らいで被害者と特と親交のあった同生物学部の二人の男女を、大学のロビーに呼び出してもらった。

 刑事がいるとは知らず二人はロビーに来た。教授の姿を見えないので、左見右見している。

「こんにちは」

 元山は二人に歩み寄り、愛想よく声をかけた。

「あんた、誰だ?」

 二人のうち一人、男性が見覚えのない元山を怪しむ。

 元山が手帳を見せると、二人揃って目を見開く。

「あんた、警察かよ」

「もしかして神木君の事?」

 新宮に被せるように、男性の隣の女性が予想を確かめるように訊いた。

「ご存知でしたか」

「だって生物学部の研究仲間ですから」

 元山に訊き返されると、女性は途端に俯いて小声で言葉を返した。

 被害者のことについて触れるのは心痛む人もいるのか、と元山は刑事仕事に毒された自身の観念を省みる。

 ひとまず、殺人事件と関係しない部分を尋ねる。

「二人のお名前は?」

 背が高く多血質な男性は新宮智、人見知りのようで黒胆汁質な女性は小園花と名乗った。

 メモ帳に両者の名前を記す。

「神木はどうして死んだんだ?」

 新宮が元山を非難する声音で尋ねる。

「何者かに手によって刺殺されたようです。些細なことでも構いません、被害者を殺害する動機を持つ人を誰かご存知ですか?」

「そんなのいねぇだろ。神木と仲の悪い奴とか聞いたこともないぜ、なぁ小園」

「う、うん」

 同調を求める新宮に、小園はやはり俯いて小さく首肯する。

「すまねえな刑事さん、俺と小園は神木を殺すような人物には思い当たらない」

「それでは質問を変えますが、昨日の夜十時から十二時にかけて、二人はどちらで何をされていましたか?」

「俺は三日前の夜はずっと自宅にいたな。その時間なら映画見終わって、とっくに寝てたぜ」

「映画を見終わったのは時刻は?」

「十時ぐらいから観始めたから、多分十一時半は超えてたな」

「それを証明できる人は?」

「生憎いないな、それだけの理由を俺を犯人にしないでくれよ」

 元山に縋るような目で、新宮は言った。

 簡潔に新宮のアリバイをメモすると、小園の方に質問を向ける。

「小園さんは、三日前の夜十時から十二時、どこで何をされてましたか?」

 相変わらず視線を伏せたまま、小園は聞き取るのも大変な弱い声で答える。

「家で、寝て、ました」

「それを証明してくれる人は?」

 元山と目を合わさずに、ほんの小刻みに首を横に振る。

 一通りの事情聴取が終わると、元山は奇妙な符牒のことを持ち出す。

「二人は『12‐a』と数字とアルファベットの文字列を見たこと、あるいは聞いたことありますか?」

「カブトムシか。それこそ三日前の夜に教授から、その番号のカブトムシを知らないかって訊かれたよ。映画観てる最中だったから、知らないってすぐに電話切っちまったけどな」

「そうですか。小園さんは?」

「あ。わ、私も」

 俯けていた顔をさらに深く俯けて、短く返答した。

「豊田さんからカブトムシの行方についての電話が掛かってきて、知らないと答えたのですか?」

 極々小さく頷く。

「二人は無くなったカブトムシの存在自体は、事件前からご存知でした?」

「まあな。生物学部は皆知ってるぜ。とはいえ俺と小園は『1‐a』から『6‐b』の管理と観察を担当して、神木と村上が『7‐a』から『12‐b』を受け持ってたぜ」

「なるほど。それで数字とかaとかbとか何が違うんですか?」

「刑事さんはわかんねえよな。1から12は遺伝子細胞の種類に番号を振った数字で、aとbは十二ある角の遺伝子の一つの働きを阻害する薬の濃度だな。aの方が濃く、bの方が薄い」

 手元のメモ帳に新宮の説明を簡略図にして書き表す。

「差し当たりの質問はもうありませんが、捜査の進展次第ではまた事情聴取に来るかもしれませんが、その節もよろしくお願いしますよ」

「話せることは話すよ、刑事さん」

 顔を合わせた時は警戒していたが、元山の帰り際には幾分協力的な態度になった。

 元山は初動捜査による自分の聞き込みは終わった、と大学を後にした。

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