第5話 勇者様ってやつに出会ってしまいました

 しばらくそうして、抱きしめられるままになっていたのだけど、ウルフィーナさんの腕がようやく緩んで解放された。すごかった。ふわふわだった。他人に抱きしめられるなんて、人生の中で体験したことはほとんどなかったものだから、固まってしまったよ。


「ごめんなさいね。つい、強く抱きしめてしまったわ」


「だいじょぶです」


 そして離された先で両腕を広げて待ち構えているイケメンが視界に入った。けど、見ていないことにした。


「それでですね、生産者クラフターギルドとかあったら教えていただきたいんです。いくらかは路銀もありますけど、心もとないですし」


 そのままウルフィーナさんを見て話を続けると、視界の端でがっくり来ているイケメンがいた。何やってんだか。


「あら、マーヤちゃんは生産者クラフターなの?」


 生産者クラフターというのは文字のまんま、様々なものを作り出す人を言う。例えば錬金術ギルドに所属しているとポーションが作れるし、木工ギルドに所属していると弓などの武器から家具などの日用品まで様々なものが作れる。様々なものは様々なギルドの職人たちによって、基本的には分業制で作られている。例えば弓でいうなら、弦に使う糸は裁縫ギルドからのものだし彫金ギルドから小さな金具を購入もする。そうして木工ギルドが組み立てて完成するのだ。

 で、私は出来る限り引きこもっていたかったので、ゲームの序盤、そこそこのレベルまで戦闘系の職業のレベルを上げた後は、生産系ギルドを渡り歩きすべてのギルドで様々なものを作り出す許可を得た。もちろんレシピも知っているし、材料さえそろえば作ることも出来る。


「はい」


 でも、それは言わないでおくことにした。ここがどこかもよく分かっていない私が、口にするのは危険すぎると引きこもりの本能が告げている。


「そうなの。生産者クラフターをしている若い女の子なんて珍しいわ」


 ウルフィーナさんのその言葉に耳が象のように大きくなったような気がした。珍しい? 生産者クラフターをしている子が?


「まぁ、戦も近いという噂もあるし仕方ないわね」


 ぞく、と背中を悪寒が駆け上る。冷や汗が出てくる。戦。戦だと言った? この世界にも、それはあるのか。あのゲームの中で見たような光景が、この世界でも起こりうるのか。


「大丈夫」


 気付けばおなかの前で組んだ手をぎゅうううっと握りしめていた私は、彼がすぐそばにいることに気付かなかった。変なひと。変なイケメン。

 力の入れすぎで爪が白くなった手を、そっと包むように手を重ねてくる。顔が近い。顔がちかぁい。


「俺が守るよ」


 何じゃそれ。ていうか、何ていうフラグだ、それは。

 それはいけない。言ってはいけない。お約束ってやつだ。


「俺は勇者デァ・ムーティゲ。みんなを守るためにいるんだ」


 ……聞きたくなかった言葉が、続いた。聞きなじみのない言葉の裏に、知っている言葉で勇者と示しているのが見えた気がする。これは神様の力なのかしら?


勇者デァ・ムーティゲ……」


 言葉をそのまま反芻してみる。確かに、そう聞こえる。勇者、と。

 私はイケメンの顔をじっと見つめて、その目がまったく揺れていないことに気付く。なんて強い意思のこもった眼差しをしているんだろう。コミュ障にはきつい。マジできつい。


「俺が案内してあげる。ここに連れてきたのは俺だし、君のこと、なんとなく放っておけないんだ」


 しかもぐいぐい来る。これ断ってもきっと駄目なやつだ。ここに私を連れてきた神様がそういえば何事か言ってなかったっけ? 勇者がちょっとアレとかなんとか。


「あらあら」


 ウルフィーナさんは頬に手をあてて、どこか微笑ましげに私たちを見ている。これは完全にダメなパターン。助けてもらえないやつ。


「……ぁー」


 小さく絶望の声を吐き出す。これはもう、どうしようもない。私は今、この目の前の人たちを頼らざるを得ない状況にあるんだもの。腹をくくろう。それしかない。


「マーヤって呼んでもいい?」


 そわそわとしているイケメンは、私が視線を外したことにも動じずにそんなことを聞いてくる。


「……はい」


 とりあえず光が眩しすぎて完敗です。なぜか完敗って言葉を聞くと、グラスをかちーんとする乾杯の方が頭をよぎる。どうでもいいことだけど。ええ、現実逃避ですけど何か。


「俺のことはアルって呼んで! ウル姉、彼女と外出してもいいでしょ?」


「マーヤだって本調子ではないだろうから、鐘が鳴ったら戻りなさい」


「うん! 約束する!」


 なんだろうなぁ。言葉の語尾に必ず感嘆符が見える。あのビックリマークだ。


「じゃあ行こう。歩き疲れたら、俺が運ぶから安心して」


 そこを心配してるんじゃあないんですよ?! ねぇ?!

 手をひかれてそのまま歩き出そうとされて、慌てて引き止める。


「? どうしたの?」


「く、靴を履くので、ちょっと、待ってください!」


 精一杯絞り出した声は震えていた。もう対人間と話すのなんていつぶりだ。

 拒否されたらどうしようかと思ったけれど、意外にも(失礼な話だが)アルは黙って私を待っていてくれた。


「よし! じゃあ、行ってきます!」


 元気に歩き出されて、私は本当に不安ばかりを抱えながら彼に連れられて部屋を出た。

 ていうか、この人絶対あれだ。他人の話を聞かない。聞いているようで聞いていない。ちゃんと戻って来れるのかなぁ、私。

 この世界で生きていくための足掛かりを探すための最初の一歩は、こうして踏み出されたのだった。

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