南国の花嫁 11-1 嬉しい知らせ

「なんだか涼しげな空気が」


 どこからともなく吹き渡ってきた水霧を含む風に、トルテが心地良さそうな笑顔になる。


 『月狼王』が歩みを緩めると、リューナの耳にも数え切れぬほどの滝の音が、さざめくように耳に届いた。


 『水路の都』とも称されるロウロナは、ミディアルに次ぐほどの人口を有するほどに規模の大きな王都である。このまま進めば、郊外に住む者たちや巡回している警邏隊、旅商人や冒険者たちにいつ出会わないとも限らない。


「トルテ、ここらで降りよう。もう遠くないはずだし」


「あ、そうですね」


 リューナの言葉に、こくんとトルテが頷く。


「森の樹々がこんなにも背の高いものだから、すっかり忘れていました。スマイリーの大きさですと、誰かに見られたら吃驚びっくりされてしまいますね」


「それどころか、卒倒されちまうぜ。ここまでの大きさの幻獣は魔法王国の時代でも珍しかったんだから。それよか、さっさと降りとこうぜ。んで、すぐに『小型化』しといてくれよな、トルテ」


「はいっ」


 いよいよ友人たちの近くまでたどり着いたのが嬉しいのだろう、トルテが輝くような笑顔で頷いた。金色の長い髪がぴょこんと跳ねる。


「魔導の気配が濃くなっていますから、きっとこの近くなんだと思います」


「あぁ、そっか。魔導士がふたりも住んでいるんだもんな。家に守護魔法も設置してるだろうし、それなりの気配もあるだろ……てか、ふたり一緒に住んでるんだよな! くそおぉぉぉおッ、うらやましいったら――」


「どうかしましたか、リューナ?」


 こぶしを握りしめて叫びかけた言葉を途中で呑み込み、リューナは口もとの引きつりかけた笑みを浮かべて彼女に向き直り、なんとか誤魔化そうとした。


 トルテはそんな彼の顔をじっと見つめ、きょとんと首を傾げつつも、皆が地面に降り立ったあとスマイリーに魔導の技を行使した。威風堂々たる巨大な狼の体躯を、両手に抱えられるほどの大きさに縮めたのだ。過去の時代でハイラプラスから教わった複合魔導のひとつである。


 小さくなって少女の肩に乗った幻獣の上位種は、そのままおとなしくしていれば豪奢な襟巻きかぬいぐるみのようにみえる。この暑い環境には少々不釣合いなアクセサリーかもしれないが、幻獣であるスマイリーの体温はむしろ涼しく感じられるものだ。見た目は……まぁ、置いておくとして。


「お疲れさま、スマイリー。おかげでとっても早く着くことができました。あたしの肩でゆっくり休んでいてくださいね」


 トルテがにっこり微笑みながら細い指を近づけ、つややかな毛並みを撫でて『月狼王』をねぎらう。スマイリーはまんざらでもない様子で心地良さそうに目を細め、ふわさっと尻尾を垂らしておとなしくうずくまった。


「いやっほーっ。キュイちゃん、こっち、こっちだよぉ」


「ピューリィリュ」


「キュッキューイ」


 ナルニエとピュイ、そしてキュイの幼児三人組は、明るい笑い声や賑やかなき声を発しながらあちこちを走り回り、木のかげや地面の窪みを覗いて回っている。


「おい、おまえら気をつけろよ。昆虫やら蛇やらに咬まれたら大変だぞ。魔法王国時代には、ここいら全体すっげぇばかでっかい魔獣ばっか生息してた地域なんだからな」


 リューナが声を低めて凄みを加えつつ警告したが、ナルニエは余裕たっぷりに肩をすくめてみせた。


「だいじょーぶだよ! だってこっちにはピュイちゃんとキュイちゃんがいるんだもん」


 どこをどうやったらだいじょうぶだという結論になるのやら――思わず片手で頭を抱えたリューナの目の端に、ちらりと大きなものの影が映った。


「お?」


 顔を上げて歩き出し、樹木の生い茂る緑の壁を回り込んだリューナは、ニヤリと微笑んだ。


 居心地の良さそうな、あたたかみのある丸太造りの建造物を見つけたのだ。扉の外や窓には、タリスティアル特有の幾何学模様に織られた布が掛けられている。


 杭の打たれた小さな囲いの中の薬草ハーブの群生、赤いリボンのついた呼び鈴と飾り紋様の扉、窓枠に吊り下げられた香りの良い乾燥花ドライフラワー、飛翔族の住まい特有の天扉構造の造り屋根――どれもディアンに手紙で伝えられていた建物の特徴と一致している。


「おいトルテ! たぶんあれ、そうじゃないかな」


 周囲の木々と同化するように、建物を取り囲んでいる柵や外壁はごく自然に周囲の樹々へと繋がっていた。まるで森の一部であるかのごとく緑に馴染んだ家屋である。


 見通しが良いとはいえないほどに生い茂っている植物が周囲にあふれているというのに、建物だけはとても明るく照らされていて、なんとも居心地の良さそうな空隙になっている。うまいぐあいに家屋に陽光が当たり、窓の内側にかけられている色水晶の飾り物が揺らめくような輝きを放っている。


 まるで古くから存在している特別な場所を、森が守り続けているみたいだな――リューナは不思議な感慨を覚えた。隣国タリスティアル生まれの魔導士であるエオニアは、今暮らしている場所に幼い頃からずっと住み続けていたというから、もしかしたら親たちが魔導か魔術の心得のある者だったのかもしれない。


 軽い靴音が聞こえ、ふわりとした気配が彼の傍に駆け寄ってきた。トルテだ。パチンと両手を打ち鳴らして軽く跳びはね、彼の腕をつかんで嬉しそうな声をあげる。


「すごいわリューナ! 見つけたんですね」


「まだ、そうとは決まってないけどな。でも聞いていた特徴と似ているから」


「きっとそうですよ! なんて可愛いおうちなの。それにほら、見てください。家の周囲に目立たないよう、魔導の守護が設置されています。エオニアさんの施したものでしょうか」


「ディアンかもしれないけど、ずっと昔からあるものなら彼女のほうかもな。……それにしても、家のなかには誰の気配もないんだけど」


「もしかしたら、出掛けてしまったのかもしれませんね。連絡してからこんなにも早く着くなんて思わなかったでしょうし」


 トルテの言葉に、そういやそうだなと思い至る。スマイリーの移動速度が並外れていることはディアンも知っているだろうが、まさか大陸を分断している山脈地帯を一日で越えてくるとは思ってもいないのかもしれなかった。


「さて、と。どうしたものかな」


 ディアンとエオニアは飛翔族だ。周囲を見回したあと、友人たちの行動範囲を考慮し、リューナは空を振り仰いでみた。緑の額縁に切り取られた抜けるような青空に、人影はない。


「とりあえず、鈴を鳴らしてみましょうか。『伝達』の魔導のしるしが見えますから、離れていても伝わるようになっているのかもしれません」


 トルテが言い、手入れの行き届いているささやかな庭園に一歩足を踏み入れた。


 そのとき、家の裏手から声がかかった。


「誰かな? すぐ行くから、ちょっと待っていてくれるかい」


 耳によく馴染んだなつかしい声に、リューナとトルテは安堵と喜びの入り混じった顔を見合わせた。


 薬草ハーブの生い茂った庭奥から現れたのは、リューナと同じ年頃の青年だ。背はあるが線は細く、涼やかに切り揃えられた青い髪と、まっすぐな眼差しをしている。天鵞絨びろうどめいた白くつややかな布包みを背負っているようにみえるのは、青年の種族の特徴である折り畳まれた翼なのだ。


「ディアン!!」


 ふたりが声を重ねると同時に、向こうも訪問者が誰であるのかに気づいたらしい。


「やあリューナ、トルテ、いらっしゃい!」


 ディアンは嬉しそうな声を張りあげ、満面の笑顔でふたりを迎えた。


 およそ二千年前のグローヴァー魔法王国末期、飛翔族を率いていた最後の王。リューナの親友であり戦友でもある飛翔族の青年は、エオニアがタリスティアル王国へと戻る際、彼女とともに隣国へと渡ったのである。


 ソサリア王国で別れた一年前と変わりない親友の元気な姿に、リューナは心の底からホッとした。どうやら、幸せに暮らしているらしい。


「もう着いたんだね。驚いたよ。知らせをくれたのは一昨日おとといじゃなかったっけ。さすがスマイリーだね」


 ディアンの言葉に、「当然」という表情をした『月狼王』がトルテの肩上で頷いている。


「すまない、ディアン。会えると思ったらさ、居ても立ってもいられなくなっちまって。久しぶりだからな!」


「いいんだよ! 逢えて僕も嬉しい。エオニアもきっと喜ぶよ」


「エオニアさんは?」


「裏の菜園にいるよ。こんなに早く着くと思わなかったから、まだごちそうの材料を用意しきれていなくて」


「まぁ、おかまいなく」


 トルテが、にこにこと笑いながら返事をする。


「呼んでくるから、家に入っていろいろ話を聞かせてくれるかな。スマイリーがこっちの世界に居る理由とか聞きたいし、僕たちのほうからも積もる話がたくさんあるし、実は君たちに頼みたいことがあって」


 ディアンは輝くような瞳でリューナとトルテを順に見つめ、それから思い出したように言葉を続けた。


「そうだトルテ! あとで一緒に山羊やぎのミルクをもらいにいかないかい? エオニアがね、トルテに紹介したいんだってずっと言ってたんだ。生まれたときから世話をしている、とっても仲のいい山羊がいるんだよ」


「山羊?」


「ちょっと離れたところなんだけど、斜面になっている開けた場所があってね。僕たちは自然の恵みを分かち合いながら暮らしているんだ」


「それは素晴らしいですね! ぜひエオニアさんのお友だちに逢ってみたいです」


 楽しそうな話し声が届いたのだろう、周囲をコロコロと動き回っていたナルニエたちがようやく駆け寄ってきた。


「はじめまして。ナルニエっていいまち――いいます!」


 膝を軽く折るようにしてソサリア王宮式の優雅なお辞儀で挨拶をしたナルニエに、ディアンも身を屈めるようにして礼儀正しく挨拶を返した。姿勢を戻し、幼女の様子をニコニコしながら見守っていたトルテに視線を向ける。


「トルテの妹? なんだか雰囲気がとてもよく似ているね。でも――」


 ディアンは思慮深げな面差しになり、首を傾げた。彼は一年前の『古代龍』の騒動のあと、しばらく『千年王宮』に滞在していたのだ。このように印象的な幼女を見掛けたのなら覚えていないはずがないので、戸惑っているのだろう。


 それに気づいたリューナが口を挟むよりはやく、ナルニエの満面の笑顔が割って入る。


「えっへへぇ。おねえちゃんに似てるっていわれて、ナルうれしい! でもね、違うんだよ。ナルのおかあさんはファリエトーラ、おとうさんはバルバっていうの!」


 まるで本当に姉妹なのかと思うほどに、律儀な受け答えがトルテにそっくりだ――リューナは思う。けれど、実はナルニエは自分の母と父の名前を出逢うひとに伝えたいだけなのだろうとも思った。自分が愛を持ってはぐくまれた子どもであるということが、たまらなく誇らしく、またこの上もなく嬉しいのだ。


 リューナの目配せで、ディアンはすぐに得心してくれたらしい。膝を折って幼女の目の高さに視線をあわせ、微笑みながら頷く。


「そうなんだね、ナルニエちゃん。とてもよくわかったよ」


「うん! ナルって呼んでね」


「ディアン、詳しいいきさつはあとでゆっくり説明するよ。手紙にも書ききれなかったからさ、いろいろありすぎて」


「リューナのお手紙は、いつも短すぎるんです」


 なぜか少しだけ頬を膨らませて、トルテが言った。


「読むほうが簡単でいいだろ。時節の挨拶とか最近あった嬉しいこととか発見したこととか、トルテの手紙のほうが長ったらしすぎなんだっての」


「いろいろ伝えたいことがあるんですもの」


「会えばいいじゃんか。書いてる暇があったらさ」


「相変わらず仲いいね、ふたりとも。それもいいんだけれど、僕、さっきからずっと気になっていることがあるんだ。そこで遊んでいるのは、あのときの子龍と、もしかして――」


 自分のことが話題になったことに気づいたのだろう、キュイが長い首をもたげた。背の高いリューナとディアンを見上げるようにして、「キュイ?」と啼きながら首をクイッと捻ってみせる。


 ディアンの知識量も質も、魔導士のそれだ。幼体であるがゆえに大きさと見た目が伝説とはかけ離れているとはいえ、幼女やピュイと転がりながら遊びまわっていたキュイの正体を、正しく見極めることができたらしい。畏れと興奮のためか、声が微かに震えている。


「始原の存在がふたつも……。君たちには本当に、いつも驚かされるよ」


 心底から感歎していることを表すように長く息を吐いたあと、ディアンはリューナたちを家のなかへと案内し、急ぎ足でエオニアを呼びに駆けていった。


 好奇心に衝き動かされるというのも、魔導士の性分なのかもしれないな――自分の傍らでにこにこと笑っている幼なじみの顔を見ながら、リューナはしみじみと思った。


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