南国の花嫁

南国の花嫁 プロローグ 隣国タリスティアル

「うっわぁああっ。すっごい景色だねぇ!」


「はい、とってもきれいですね。お祝いパーティーの飴細工の雲みたいにキラキラしています!」


 澄み渡った深い青空に、嬉しそうな歓声が響き渡った。舌足らずな可愛らしい幼女の声と、澄んだ鈴の音のように発音の明瞭な少女の声だ。


「トルテは食うことばっかだなぁ。確かにちょっと腹減ったけどな」


「ね、おにいちゃん、あそこに『しんゆう』ってヒトがいるんでしょ?」


「そうだぜ、ナル。……ちなみに親友っていうのは名前じゃねぇぞ。すっげぇ大事な友だちって意味だ。名前のほうはな、ディアンっていうんだぞ」


「ふぅぅん? そうなんだぁ」


 光に透ける白銀の髪を風になびかせているのは、蒲公英たんぽぽ色の可愛らしい袖なしノースリーブのワンピースを着た幼女だ。淡い光を放つ水宝玉アクアマリン色の瞳をキラキラさせて、黒髪の青年リューナを見上げる。


 足もとの遥か下を飛ぶように過ぎる風景は、礫岩れきがんばかりの不毛な大地だ。だが、進行方向にあるのは地平を覆う濃い緑の領域、さらにその向こうには遠く地平まで続く大海原が眺め渡せた。まだ距離があることから、どれも精緻に描かれた絵地図のように興味深く目に映る。


 彼らが進んでいるのは大陸の中央に位置する広大な山脈の南側、タリスティアル王国の領土である。とはいえ、まだひとの力の及ぶ領域ではなく、自然の驚異と人外の生物が支配する魔境だ。


 危険なエリアを移動中でも彼らがのんびりとくつろいでいられるのは、他の魔を寄せ付けぬほどに油断ならざる、堂々たる威容をもつ幻精界の獣の背上に座っているからに他ならない。


「じゃあ、そのひともナルたちといっしょに遊んでくれるよね!」


「たぶんな」


 リューナがニカッと笑ったことに満足して、今度はその隣に座っている少女に向けて、幼女ナル――ナルニエは言葉を続けた。


「そのひとって、おねえちゃんの友だちでもあるんだよね? どんなひと?」


「えっとですね、ディアンは礼儀正しくて思い遣りがあって、いざというときにはとても頼りになるひとですよ。もちろんリューナも、とっても頼りになります!」


 すべらかな頬を染めてニッコリと答えたのは、オレンジ色に澄んだ大きな瞳をした金色の髪の娘だ。高く結い上げたツインテールがサラサラと揺れ、明るい陽光を宿してきらめいている。


「でもナルちゃん、あまり動いてばかりですと飛ばされてしまいそうで、ドキドキしちゃいます。しっかりスマイリーにつかまっていてくださいね」


「そういうトルテだって、危なっかしいぞ。ほら、もっとこっちへ寄っていいからさ。――て、おい!」


「きゃっ」


 リューナは言葉と同時にトルテの腕を掴んで引き寄せ、自分の胸に抱きとめた。高速で移動していることもあり、体重の軽い彼女は魔導による結界に護られていても風にあおられやすく、背の低いナルニエより姿勢を崩しやすかったのだ。


「あ、ご、ごめんなさい。ありがとうリューナ……」


 幼なじみの青年の腕にすっぽりと包み込まれ、トルテは素直に謝った。もともと年齢はふたつ違っていただけであったが、リューナのほうが過去へ時間をさかのぼった際にさらに二年の歳月を多く過ごしたため、結果として四歳も引き離されてしまっている。


 体格差による広い胸に抱かれた安堵感とともに、なんだかとても落ち着かない心臓の鼓動の高鳴りを感じてしまい、激しく戸惑ってしまう――トルテは最近、彼に対してそんなことを自覚するようになっていた。     


 リューナがトルテの頬に手を伸ばし、互いの表情が瞳に映るほど近くに顔を寄せる。


「ん? どうしたんだ、トルテ。顔が熱いみたいだけど、だいじょうぶか? そういやこっちはソサリアと違って気温が高いんだから、あんまり無理すんなよ」


「あ、いえ、その……あの、ピュイちゃんとキュイちゃんは平気ですか?」


 まるで心のうちを見透かされて指摘されてしまったかのように焦ってしまい、トルテはリューナの背後に伏せていたはずのふたつの小山に向けて首を巡らせ、リューナの視線から自分の表情をらせようとした。


「キューイ?」


 呼ばれたと思ったのか、小山のように丸くなっていた細長い影がクイッとくびを持ち上げる。リューナの腿にぽすんと顎をのせ、フニャアとあくびをしたあと、大きな瞳を真っ直ぐにトルテに向けた。


「こいつらは平気みたいだな。乗り物酔いがなくて助かるぜ」


 『巨大魔海蛇王レヴィアタン』の幼体である。ただし、まだまだ生まれたばかりの嬰児みどりご同然なので、体長は三リールメートルもない。蛇のごとく肢のない胴体はなめらかな鱗に覆われた虹色の体表をしており、頭部は竜の特徴である突起と牙を持つ怖ろしげな外観ながらも、ある種の神秘的な美しさを兼ね備えている。


「ピューイィィ、リーピュピピィエ、リュー……」


 一番後ろで腹をつけて伏したまま、なんとも気持ち良さそうな寝息をたてているのが、『古代龍エンシェントロウ』の子どもだ。まだ小柄なトルテに足りぬほどの背丈にもかかわらず、あかがね色の鱗に覆われた太い体躯と鉤爪のある屈強そうな手足を有し、背には昆虫めいた繊細な二対のはねがある。


 どちらも神と並び称されるほどに畏敬の念を抱かれている始原の存在であり、伝説として語られはすれど現代に生息しているはずのない絶滅種であった。けれどいろいろな経緯があり、こうして生まれたときからリューナとトルテとともに過ごしており、家族のように大切な仲間となっている。


 ただし『古代龍』であるピュイのほうはリューナに対し、トルテを巡ってライバル的な想いをいだいているらしく、その点では彼らをいま乗せ運んでいる巨大な狼姿の幻獣、スマイリーと同じような関係にあるといえる。


 『月狼王ムーンウルフロード』は本来、幻精界に棲む幻獣の上位種だ。トルテの魔導により、この現生界でも実体を保っているが、もともとは純然たる魔力マナで構成された存在なのであった。


 艶やかな毛に覆われたからだ躯は、背に人間族のおとなを十人ほど乗せられるほどの巨大さを誇り、二対の脚は柱を思わせるほどに太く頑丈で、大陸の北から南までの膨大な距離をたった一日で移動するほどの走破性を備えている。


 この幻獣も、現代の『召喚』の魔導技術では本体そのものをこちらの世界に具現化できるはずのない、驚異的な存在なのであった。


「王宮もすごくきれいだけど、こっちもキラキラしててすっごいきれい! やっぱこっちの世界は最高だね!」


 ナルニエが小さな手を打ち鳴らして喜んでいる。リューナとトルテは顔を見合わせ、ニッコリと微笑みあった。


「あたしたちも今回の訪問が初めてなんですよ。噂にたがわぬ美しさって、このことですね!」


「ほんとうだぜ。この光景はすっげぇったら! な、トルテ」


「そうですね、リューナ」


 『月狼王』の背に乗った一行は、山脈を越えた最後の尾根で立ち止まった。眺め渡した眼下に広がる、素晴らしく壮大な眺め。数多あまたの尖峰や絶壁、礫岩の続く不毛たる大地の連なりを越えてきた目には眩しいほどの、明るい緑の絨毯じゅうたんと水路の煌めきである。


 トリストラーニャ大陸でも有数の景観として知られる王都、『水路の都』ロウロナだ。





 現生界に生きる五種族のなかのひとつ、飛翔族の統べる王国タリスティアル。


 ソサリア王国と『大陸中央』フェンリル山脈を経た南に隣接した、滝と水路の王国だ。気候区分では亜熱帯と熱帯に属しており、冬であっても気温と湿度の高さは夏のソサリア王国の比ではない。


 地表を覆うのは、豊富な水、そして層を成す巨大な植物群だ。樹木は何十リールメートルという高さまで聳え立ち、その下には樹冠が層を形成しており、まるで緑の織り布が積み重ねられて雪崩のように崩れかかっているかのごとく凄まじい自然そのままの領域も多々あった。


 それらの緑の間を網の目のように縫いながら、膨大な水が流れている。瀑布のごとき勢いで水飛沫を霧のように巻き上げる場所、細長い滝が何百と並んでいる場所、そしてなにより、幾重にも重なる幾何学模様に張り巡らされた水路が集合している場所が、植物学者でなくとも感動を呼び起こされるほどの圧倒的な景観となって眼下に広がっている。


 トルテが「飴細工の雲」と言ったのは、陽光を反射して繊細に光り輝く糸のごとき滝と水路、そして天高く巻き上げられた水霧を表現してのことであった。


「タリスティアルの王都は、グローヴァー魔法王国の時代にフェリアさんの統治していたエルフ族の都、トレントリアがあった場所だからな。植生はだいぶ変わったみたいだけど」


「まぁ、そうだったんですか」


「ああ」


 リューナはトルテに頷いてみせながら、ちょっぴり得意げな気分になっていた。トルテの知識は、彼女の母ルシカに次いで幅広く深いものだと思っているので、彼女の知らないことを自分が教えるという状況に嬉しさを感じたのだ。過去に残って人間族の王として奮闘していた二年間が、なんだか誇らしく感じられるから不思議なものだ。


「現代では、飛翔族の王が統治しているのですよね」


「王国の解体後、エルフ族の民は幾つもの部族に分かれて、大陸のあちこちに散らばったんだよ。いろいろあって。後に残ったのは飛翔族だったというわけさ。けど、ここもミストーナと同じで一時は放置されてたはずなんだけど」


「確かに、タリスティアルの建国は百二十年前でしたから、そうかもしれませんね」


 話している間にも『月狼王』は幾本もの滝や段差を跳び越え、少しずつ樹木の連なりが開けてきた場所までたどり着いていた。ちらほらと、朽ちてはいたが明らかに人工的な遺跡めいた建造物や柱、丸太を並べた材木場が見えはじめている。


「王都の入り口、まだ距離があるはずだけど。ひとの気配があってもおかしくないな、そろそろ」


 リューナは口の内でつぶやき、周囲に視線をめぐらせた。


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