南国の花嫁 11-2 嬉しい知らせ

 ディアンとエオニアの住まいは、森に馴染んだ見掛け以上に広いものだった。奥にもさらに幾つかの部屋があるようだ。


 高い天井には、飛翔族の住居特有の天扉が設けられていた。窓から取り入れられた南国の陽光は薄布を透かしてやわらかな光となり、室内を明るく照らしている。


 入ってすぐの部屋は居間であるらしい。温かみのあるダイニングテーブルには手彫り細工が施されており、織物のかけられた木椅子は使い込まれて飴色に輝いていた。簡素ながらも丁寧な暮らしぶりがうかがえる室内だ。


 引き出しのついたコンソールデスクの上に、トルテの部屋にあるものと同じ、手縫いのぬいぐるみが置かれている。


「なぁ、これって、トルテが渡したやつだよな。ディアンたちがこっちへ帰るときに」


 相変わらず、何の動物を模したものなのかさっぱり分からない、モコモコ、もふもふとした白い毛並みのぬいぐるみだ。手足がなく、太い尾をしていて、キラキラと輝く紅玉ルビー製のビーズの瞳をしている。口はバッテン印に可愛らしく刺繍が施されていた。


「まぁ、大切にしてくださっているのですね」


 歩み寄ってきたトルテが嬉しそうに言った。視線を上げ、リューナの浮かべていた表情に気づいたのだろう、首をかしげるようにして微笑みながら言葉を足した。


「エオニアさんが小さな頃にお友だちだったという、お庭のペットさんの話を聞いて作ったものですわ」


「魔獣かな」


 ぬいぐるみから顔を上げると、いまは亡き両親のものだろう絵姿を飾った額縁が目に入る。壁の書棚には、古い装丁の歴史書や魔法に関する書物などが分類され並べられていた。さらに注意深く目を凝らしてみれば、インテリアに溶け込んだ飾り物のなかに、魔導の技による品の数々を見分けることができた。


 魔導士たちの住まいなんだな――、とリューナは改めて思う。ソファに並べられたふたつ揃いのクッションや、棚にある色違いのカップなどを目にすると、羨望せんぼうにも似た複雑な心境になるけれど。


「いらっしゃい、トルテちゃん! リューナくん!」


 くぐってきたばかりの戸口に、華やかな声が弾けた。リューナとトルテが振り返ると同時に、赤い瞳と薄桃色の髪の娘が室内に飛び込んできた。背には美しい純白の翼がある。


「エオニアさん!」


 トルテが嬉しそうな声をあげ、自らも駆け寄る。


 華奢な体格が特徴である飛翔族のエオニアと、人間族のなかでも小柄なトルテは、丁度同じほどの背丈だ。「久しぶり」「お元気でしたか」と賑やかな挨拶を交わしながら互いの手指を絡めあい、飛び跳ねるようにして再会を喜んでいる。


 エオニアが遥か未来で過ごした記憶はすでに失われていたが、『古代龍』来襲の騒動のあとソサリア王宮で過ごした数週間で彼女たちはすっかり意気投合し、未来と同じかそれ以上に仲良くなっていた。


「立ちっぱなしもなんだし、着いたばかりで疲れているよね。好きなところに座って構わないから、どうぞ」


 ほがらかな声に戸口を振り返ると、野菜を満載したカゴを抱えたディアンが戻ってきていた。


「それにしても驚いたよ、リューナ。あの大陸中央山脈をたった一日で縦断してくるんだもの。僕たちがこっちへ移動したときは、海路を使って大回りをして何週間もかかったのに。飛翔族でも越えられないほどに危険な風の吹きすさぶ絶壁や、ひとを寄せ付けないほどの高峰ばかりだからね」


「スマイリーが移動を引き受けてくれましたから。あたしたちは、気圧の変化や寒さから身を護るための守護障壁を、この子の背の上でしっかり張っていれば、それで大丈夫だったの」


「トルテちゃんの、その肩の幻獣さんのことでしょう。ディアンから話は聞いているわ。とってもきれいな毛並みねぇ」


 人語を解する上位幻獣であるがゆえに、まんざらでもない表情でスマイリーが尾を揺らした。よろしくといわんばかりに、目の前のふたりの魔導士に向け、えとした月のような乳白色の瞳を穏やかに細め、器用に首を縦に動かしてみせる。


「あたしはナルっていうんだよ! こっちはピュイちゃん、こっちはキュイちゃん!」


 ナルニエが屈託のない明るい声を張りあげた。室内ではおとなしく動きを止めていたナルニエと幼い魔獣たちだったが、さきほどから落ち着かなげにうずうずと小さな体を動かしつつ、トルテたちの会話に加わるタイミングを覗っていたのだ。


「ピュイ、ピピピィリェ」


「キュー、キュイキュイ!」


「あら可愛い! よろしくねチビちゃんたち。さて、ディアンの言うとおりだわ、みんな座って! いまお茶を淹れるね。今朝ケーキ焼いたの、ドライフルーツたっぷりの! こっちへ帰る直前にマルムさんに教えていただいたレシピのとおりに作ってるから、味は保証できるはずよ」


「まぁっ、それは楽しみです」


 トルテが心の底から嬉しそうな声をあげたので、リューナは思わず彼女の笑顔を見ながら口を尖らせた。


「やっぱトルテ、腹減ってんじゃんか。言っとくけどな、食い過ぎたって背が伸びるわけじゃねぇんだぞ」


「違いますよ、リューナ。エオニアさんのお気持ちが嬉しいんです!」


 無邪気に言い張るこの少女の、細い体のどこに入っていくのだろう。そりゃ最近は胸も出てきたみたいだけどさ――リューナは口のなかでつぶやき、幼なじみの顔をぼんやりと眺めた。リューナくらいに背が高くなって歩く早さを同じにしたい、どこまでも一緒に行きたい……あのときそう告白してくれた少女の、花開くようにあどけない輝くような笑顔を思い出しながら。


「――ナ、リューナ。どうしたんだい?」


 ディアンの声に、リューナははっと我に返った。熱くなりかけていた頬を手の甲で乱暴にこすりながら「何でもねえ」と答え、手近な椅子にドッカと腰を下ろす。


 エオニアがもてなしの支度を整えるために奥の部屋に入っていくと、手伝うと言い張ったトルテとナルニエのふたりも一緒に奥の部屋へと消えていった。


「トルテも、ぜんぜん変わりないみたいだね」


「だろ? まったく、アイツの食い意地はさぁ――」


「ううん。ふたりの仲の良さが、だよ。でもリューナにとっては良くも悪くも、かな? ピュイ、キュイ、君たちもどうぞ座って。そっちの寝椅子は広いし頑丈だから、気にせずゆっくりするといいよ。さあリューナ、積もる話とやらを早く聞かせてほしいんだ。後で、僕からも話したいことがあるし」


「ちょっ、待てよ! 良くも悪くもって、どう意味だよそれ」


「いいから、さあ」


 それからしばらく、奥の部屋から皿が落ちたり盆がひっくり返ったりする賑やかな騒ぎが聞こえていたが、ようやく全員が甘いケーキと濃厚なミルクティーを堪能しながら椅子にゆったりとくつろぐことができた。その頃には、リューナの話は一息つけるところまで終わっていた。


「そんなことがあったのか……大変だったんだね。声を掛けてくれれば一緒に幻精界でもどこでも付き合ったのに」


「ありがとな、ディアン。でもあの時は、すぐ出掛けなきゃ間に合わなかったみたいでさ。いろいろあったけど、すべてはまるく収まったわけだし」


 リューナは椅子の背もたれに背を預け、ゆっくりと息を吐いた。喉の渇きを覚えてミルクティーを飲み干すと、トルテがすぐにおかわりを注いでくれた。手のなかのカップから温かい湯気がふわりと立ち昇り、ゆったりと揺れて穏やかに流れてゆく。


 すずやかな風が、室内を巡っているのだ。家屋そのものに設置された、環境に属する魔法陣による魔導の為せる技。古い魔法であるのは、リューナの乏しい知識ですら容易に想像がついた。エオニアはこの家で生まれ育ったのだと言っていたから、先代以前からの魔導の技術なのかもしれない。


 魔導士であるための要素は血統として、親から子へと受け継がれてゆくものだから。


「さて、こっちの話は以上だぞ。ディアン、さっき何か重要な話があるみたいに言ってたけど」


 リューナが言葉を向けると、ディアンは噎せ返りそうになった。何故か突然落ち着きを失ってしまった彼の背を、隣に座っていたエオニアも吃驚びっくりしながら心配そうに撫でさすった。ディアンが小声で何ごとかを彼女に打ち明けると、エオニアもまた真っ赤になってうつむいてしまう。


「な、なんだよ。どうした急に?」


 リューナは目を見開き、隣に座っていたトルテもケーキを食べていた手を止めて友人たちに視線を向けた。


「あ、いや、心の準備はしていたつもりだったんだけど。驚かないで聞いてくれるかな」


 深呼吸をひとつしてようやく落ち着いた青年はわずかに頬を染め、幸せそうに微笑んだ。エオニアと眼を見交わし、微かに頷きあったあと、改めてふたり揃ってリューナたちに向き直る。


 その眼差しの真剣さに、思わずリューナとトルテの背筋も伸びる。


「――僕たち、結婚することにしたんだ」


 今度はリューナとトルテが眼を合わせることになった。ふたりは改めて友人たちを見つめ、ようやく口を開いた。トルテは胸の前で両手を握るようにしてとても嬉しそうに、リューナのほうは仰け反りながら剣の対戦相手に痛恨の一撃でも喰らったかのように愕然として。


「まぁっ!」


「ま、まじかよッ!」


「うん。タリスティアルでは十六から成人として婚姻が認められているからね。ソサリアは十八だと思うけれど。それで、彼女がすこしでも早く僕と一緒になりたいって、その、言ってくれたから」


 はにかむように、けれどこの上なく嬉しそうな親友の顔を、リューナは呆然と見つめた。やがてようやく理解が衝撃に追いつき、じわじわと喜びがこみあげてくる。リューナの顔にもディアンたちと同じように、笑いがあふれてくる。


「そっかぁ、それは先を越されたな! 先にハッピーエンドかよ、このやろ!」


「僕たちだけで誓いの儀をした後で王宮まで知らせに行くつもりだったけれど、こっちへ来てくれるっていうから、待っていたんだ。きちんとふたりに報告して、それから――」


「わたしたちの誓いの証人になってほしくて」


 ディアンの言葉をエオニアが継いだ。頬を染め、友人たちに身を乗り出すようにして先を続ける。


「ふたりが滞在している間に、結婚式を挙げたいの。あたしたちだけっていうのも寂しいって思ってたし、あの、できればあなたたちが居てくれるとすごく嬉しいんだけど」


「もちろんですわ!」


 間髪を容れず、トルテが飛び跳ねるように嬉しそうな声をあげた。リューナもこぶしを握って眼前に掲げ、声を張りあげる。


「もちろんだ、しっかり手伝わせてもらうぜ! けど、ふたりだけって、他に親族とか呼ばなくていいのか?」


 ディアンとエオニアは顔を見合わせたあと、首を横に振った。


「僕は二千年の歳月を経たこの時代に居るわけだし、それにもともと暗殺されて身内は残っていなかった。エオニアも幼い頃に両親を亡くして独りでここに住んでいたから」


「そ、そっか……悪いこと訊いちまった。ごめん」


 ディアンが微笑みながらもう一度首を振ると同時に、トルテがにこやかな顔で口を開いた。


「おふたりとも、本当におめでとうございます。こんなに素敵なことがあるのだとわかっていたら、いろいろと王宮から持ってまいりましたのに」


「いいのよ、トルテちゃん。その気持ちだけで充分! それよりね、このタリスティアルでは結婚式のドレスは自分で縫うのが習わしなの。あんまり自信ないから、あとで見てくれる? トルテちゃん裁縫上手だから、チェックしてくれると助かるなぁ」


「はい!」


「まずは陽が落ちる前に食材の確保をしておこう、エオニア。トルテたちが来たら、メリダの丘まで一緒に行きたいんじゃなかったっけ?」


「そうね、ご馳走の準備もしなきゃ! あの子たちも紹介したいし、誓いの儀を行う場所も綺麗に飾りたいし」


「ここは南の国ですもの、お花もいっぱい飾るんですよね」


 いつもあふれんばかりに自室に花を飾っているトルテが、何気なく訊ねた。エオニアは残念そうに少し微笑みながら答えた。


「それがね、いまの時期だけはちょうどいい花がなくて。でも場所全体を飾ることはできないけど、髪飾りくらいは布で作って用意したいなぁって考えていて」


「まぁ、そうなんですの? でも、ハルシアビスの花はタリスティアルの夏の風物詩にもなっていませんでした?」


「さすがよく知っているね、トルテは」


 ディアンは微笑み、けれどすぐに表情を曇らせた。


「確かにハルシアビスの花なら今の季節、王都の近くにもたくさん咲いているけれど、なにせ巨大な樹花だからね。繊細さに欠けるというか大きすぎるというか……花嫁の髪に飾るのにはちょっと似合いそうになくて」


「あ、確かにそうかもしれませんね……」


 ふたりして「うぅ~ん」と腕組みをしてうつむいてしまった幼なじみと親友を交互に眺め、リューナはふたりの脳裏に描かれているであろう光景を想像してしまった。すなわち、巨大な花を頭の上にのせてつぶされそうになっている花嫁エオニアの姿を。それは……さすがにまずいだろうな――リューナも思案に暮れて天を仰いだ。


 そんな青年と娘たちの遣り取りを聞き、動きをぴたりと止めた幼子おさなごがいた。


 ナルニエだ。先ほどから小さな手にフォークを握りしめ、一心不乱にケーキや果物を山盛りにした皿と格闘していたのだが、場の雰囲気が変わったことに気づいて顔を上げたのである。


 ほっぺたについたケーキのかけらを舐めとりに頭部を寄せてきたキュイの胴と、隣で同じくケーキにかじりついていたピュイのくびにガッキと細い腕を回し、小さな声で囁くように言葉を発した。


「ねえねえねえっ、聞いたふたりともっ? これってゼッタイ、チャンスだよねえ?」


「ピ、ピュルルィエ、ピピィリ? ピュリリィピピ」 


「でしょでしょ、ピュイちゃんもそう思うでしょ」


 龍にしては精一杯に低めた小声で問い返してきたピュイに向け、ナルニエはにんまりとした笑顔をみせた。


「えっへへぇ。くん、くん。ナルはね、幻精界に関係のあるもののことは離れていてもわかるんだよ。このにおいはねぇ、ぜえぇぇぇったい、お花がどこかに咲いてるにおいなの!」


「キューキュ、キュルルゥ?」


「ちがうよ、ケーキの匂いじゃなくて! ね、わかる? だからねぇ、お花があったら、おねえちゃんたちぜったい喜ぶと思わない? 『けっこんしき』とかいうものには必要だよ。絵本で見たもの! すっごいゴーカでめでたしめでたしって感じで、とってもきれいでシアワセなの」


「ピ?」


 魔獣が浮かべる表情としては、とてつもなく器用に、ピュイは片方の眉とおぼしき場所を引き上げてみせた。もしリューナあたりが幼い子どもたちの遣り取りを見ていたら、呆れた表情を浮かべたに違いない。そしてたぶん、心配のあまりおっかない表情をして、痛いゲンコをゴツンと落としてくるのだろう。


 だからいっそう、ナルニエは声を低めて言葉を続けた。


「ピュイちゃん、キュイちゃん、ナルがなに考えてるかわかる? だからね、ナルたちで採ってこようよ!」


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