双つの都 10-27 暗躍する影

 悪夢のなかで、ぐるぐると果てしなく続く階段を登っていたことがある。どんなに必死で駆け上がろうとも、どこにもたどり着くことはないのだ。


 いまの状況もそれによく似てはいた。だが、決して同じではないものがある。離れぬようにぎゅっと握ったトルテの手の温もり、そして背負っているナルニエの重みだ。そして――。


「あいつ、追ってきたか?」


 敵の位置を把握しようと下へ向けて研ぎ澄ませたリューナの感覚が、尋常ならざる殺気を感じて警鐘を鳴らしている。だが、立ち止まって下を覗き自分の目で確かめるほどの余裕はなかった。


 全力で駆け上りつつも階段と通路の繋がりを見極めようと視線を上へ彷徨わせているのは、出口を求めてきざはしの行き着く先を見極めるためだ。いまの足場がどの通路へ繋がっていくのか、その先に続く階段はどこまで上っていけるのか――思考時間なしの盤上遊戯ボードゲームに挑んでいるときのように思考が疲弊し、他のことにまで気を配る余裕がなくなりつつあった。


「ちっきしょう。俺は考えるのがニガテだってのに!」


 口のなかで愚痴めいたつぶやきを吐きながらも、リューナは忙しく眼球を動かしながら空中迷宮の繋がりに挑み続ける。


「たぶん、追ってきたんじゃないかな……」


 先ほどのリューナの問いに対する答えだろう。リューナの耳に、すぐ傍で発せられた幼女の不安そうな声が届く。


「さっき出てきた通路がちらっと一番下に見えたけど……床も壁もぜんぶ気味悪いぐらい真っ黒だった」


 リューナが切り拓いた隙間は、あの大男には狭すぎて通り抜けることも叶わぬだろう。狭い通路で恐るべき武器をぶっぱなす奴なのだ。半端に壊された腹立たしい扉など、木っ端微塵に吹き飛ばしてくるに違いない。


「にしても、見張りも監視もいないのはありがたいな」


「ラッキーだね、お兄ちゃん。こんな細いところで戦ったら……まっさかさまに落っこちちゃうもん」


「まったくだぜ。こんな面倒なところ、さっさとおさらばしたいとこなんだけどな。感覚でいうと、そろそろ地上に出てもおかしくねぇくらい登ってきたとは思うんだけど――」


 この都の統治者ラウミエールは、空間を飛び越えて通路を開き、囚われていたナルニエのもとまで導いてくれた。けれど、そこまで到る道筋をすっ飛ばしたために、今いる場所が王宮のどの辺りなのかさっぱり見当がつかなくなってしまったのだ。加えて、無数の階段と渡り廊下をでたらめに積み上げていったかのように複雑な構造をした、この迷宮めいた通路の存在だ。


 正直、どこまで上れば地上階なのか、果たして外まで繋がっているのかという確信さえなかった。だが、リューナが弱音を吐くわけにはいかない。


「だいじょうぶだ、なんとかなる」


 リューナの内心の焦りに気づいていたのだろうか、トルテが元気づけるように明るい声を響かせた。


「ナルちゃんのいた場所からこの階段迷路までずっと、通路は一本だったんです。先ほどの兵たちもあそこまで降りているんでしょうから、別の場所へ出る道はきっとあるはずですわ」


 いつものごとく緊張からはずれたようにマイペースな彼女の言葉だが、声の調子には疲労の兆しがあった。まるで魔導の技を行使し続けているときのように。


 そのことに気づいたリューナは足を緩め、体を捻るようにして肩越しにトルテを振り返った。視線が合った彼女の大きなオレンジ色の瞳のなかに、無数の星のような白い煌めきが宿っている。リューナに引かれているほうではない彼女の手の指先は、小さな輪でも描くような一連の動きを繰り返していた。


「トルテ、まさか――魔法のトラップでも仕掛けられているのか?」


 リューナの言葉に、トルテは素直にコクンと頷きを返した。


「通路も階段も、ここは全てが危険です。あちこちに、発動すればただでは済みそうもない魔法陣が設置されているんです。それが見張りの兵がいない理由だと思います」


 リューナに手を引かれて走りながら、トルテが足もとの模様を視線で示した。通路や階段のどこもかしこも、不気味にのたくった線が絡み合ったように複雑な紋様が刻まれていて、ぼんやりと燐光めいた光を発している。そのおかげで、ここでは『光球ライトボール』を灯していなくても走り続けることができていたのだが――。


「装飾かなんかじゃなくて、まさかこれ全部が?」


 いつになく真剣なトルテの表情に不安を感じたリューナが訊ねると、魔導士である彼女からぞっとするような答えが返ってきた。


「はい。これらの紋様すべてが、トラップとして発動する魔法陣なんです。意識喪失のものから氷や闇の属性魔法を封印したもの、意識を破滅へ導く狂気の精霊を召喚するもの――いろいろあるみたいです。魔導によるものではなくて、あたしたちの王宮の守護魔法みたいに、優れた設計技術で組み上げられたものみたい」


「げッ。この模様が全部そうだってのか!」


 リューナは思わず駆け走っていたスピードを緩め、今まさに踏まんとしていた紋様を避けた。通路の端に寄ればなんとか踏まずに通過できるが、幅広く描かれている大規模なものがほとんどだ。とてもではないが、全てを完璧に避けて通るのは難しい。かなりの歩幅がない限りは。


「今の今までしっかりがっつり踏んできたような気がするんだけど……」


「だいじょうぶです。全て通り過ぎる直前に解除していますから。ただ――」


 眉を寄せたトルテの視線が、リューナが走っている通路の先へと向けられた。言葉が途切れ、彼女の目が見開かれる。


「リューナ、前を!」


 彼女の視線を追って前へ向き直ったリューナは、慌てて急制動をかけた。勢いのついていた足が虚空へと踏み出しかけ、体勢が崩れる。空中に身投げしてしまうところを、無理に仰け反るようにしてなんとかこらえる。


「あ、危ねぇ……」


 目の前の通路はすっぱりと断ち切れたかのごとくなくなっていた。その先に跳びうつることのできそうな足場はない。首を突き出すようにして下を覗き込むと、あまりの高さにぞっと首筋に不快な感覚が奔ってしまう。


「うぁ……くそッ。こっちじゃなくてさっきの通路だったか」


 しばらく遺跡探索に出かけていなかったせいもあってか、冒険の勘が鈍ってしまったのかもしれなかった。深呼吸をして半ば目を閉じ、たどってきた道筋を頭のなかに描き出す。複雑に絡んだ探求の糸をもう一度慎重に繋ぎ直してみる。


 先ほど下っているかにみえた通路が、正解だった可能性が高い。


「仕方ない、戻ろう」


「はい」


 立ち止まったときトルテはすでに肩で息をしていたが、素直にリューナに従った。


 戻りはじめたとき、ようやく追いついてきたピュイが状況を理解し、恨めしげな声とともに熱い息をひとつ吐いた。みな疲れはじめている。リューナは思わず上を見上げた。


 まだまだここより上には、果てがあるのかもわからないほどに、階段と通路でできた悪夢のような立体交差が延々と続いている。恐ろしく巨大な円筒の塔の内部を、児戯じみた立体迷路に仕立て上げたように。


「どっかの遺跡みたいな無限ループとかじゃないといいけどな。魔法が張られてる確信が持てりゃ、壁を壊しまくって穴を開けて――」


「リューナ!」


 トルテの悲鳴のような叫び声と同時に、リューナの視界が黒一色に染まった。次の瞬間、鼓膜を殴られたかのような衝撃とともに聴覚が吹き飛ぶ。無音のなか、凄まじい爆風を受けた体が空中に撥ね上げられる。


「クッ!」


 リューナは咄嗟に、トルテの体を片手で引き寄せ、首元で繋がれていたナルニエの手をもう一方の手で掴んだ。回転する視界のなかで急速に迫る壁面に気づき、必死で体勢を変えて足を向ける。


 壁に叩きつけられた一瞬後、衝撃の奔流が彼らを呑み込んだ。





 派手に降ってくる大量の瓦礫に顔をしかめ、ラムダは真上へ向け構えていた大弓を床に下ろした。重量のある突起に敷石が大きく穿たれたが、どうせ降り積もっていく瓦礫にまぎれて目立ちはしない。


 本来ならば、ここまであちこち破壊してしまったあとは統治者への報告が面倒だったのだが、もうそのような遣り取りをすることもない。この王宮が徹底的に破壊されようとも、崩れたところで何人下敷きになろうとも、もはや彼の与り知らぬことであった。


 統治者に仕えていた茶番も、護る側としての責任者の仮面も、もはや過去のもの。


「とうに始まっていたのだ。いや……終わっていたというべきか。全てはに目をつけられたときから、すでに命運尽きていたも同然だったのだ。我が身が実体を持ったのも、あの古代生物が紛れ込んできたのも、幾重にも用意されていた道筋のひとつひとつに過ぎぬとはいえ」


 降り注いでくる瓦礫を腕で乱暴に振り払いながら、金属鎧に身を包んだ男は声に出して吐き捨てた。自分の治めている領域に起こったこと全てを把握している統治者ラウミエールだろうが、今さら何を聞かれようと気にすることではないのだ――ラムダは荒々しく頭を振り、壮絶な笑みを浮かべた。


「すでに奴は気づいているだろうがな」


 だがそれでも、我に新たな力を与えている別次元の存在には気づくまい……最期の最期までな。後半部分のつぶやきは、さすがに声には出さなかった。


 現生界と深く係わることで実体を持つことになった幻精界の住人たちは、属していた領域の統治者のくびきから完全に解き放たれる。各々が独立した意思を持ち、独立した欲望を持つに至るのだ。


 たいていは、次元を越えて繋がれた絆を受け入れ、自然に変化を受け入れていく順序だろうが、彼の場合は違っていた。


 幻精界や現生界をも超越した世界に棲まう大いなる意思によって翻弄された、彼の数奇な運命。そのきっかけをもたらしたのは統治者どもであり、決定的な戦乱の渦に巻き込んでくれたのは人間たちであった。


「滅びるがいい、跡形も残さず。『無』にし消失するがいい、この呪われた我が身とともに。盛大な花火は、さぞかし素晴らしい見ものだろうぞ」


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