双つの都 10-28 暗躍する影

 ラムダは凄絶な笑みを浮かべ、漆黒の鎧の肩を震わせてさざめくような声を発した。頭上を振り仰ぎ、彼の最後の戦いの烽火のろしとなる獲物たちが落下してくるのを待ちながら。


 だが、目当てのものはなかなか落ちてこない。


「フン、どこぞに引っ掛かりでもしたか」


 下げた大弓の代わりに構えていた鉤爪のごとき妖しげな剣を腰に留め戻し、もう一度頭上に視線を向ける。ラムダは眉間に皺を刻み、目を狭めた。


 直撃はしていなかったはずだ。じかに狙って心臓を射抜いてやるつもりだったが、この迷宮に無数に設置されているトラップたる魔法陣のひとつに遮られ、真っ直ぐに矢を射ることができなかったのである。瓦礫と埃の幕はそのうち晴れるだろうが、やはり獲物たちの降ってくる気配はなかった。


 背に留めつけてある矢筒から新たな矢を引き抜き、再び大弓を持ち上げ、頭上へ向ける。寒々とした闇と無機質な色彩に沈む視界のなか、ちらとでも鮮やかな色彩の切れ端でも見えれば、今度こそ射抜くつもりで。


 引き絞っている弓弦ゆづるの奏でる呪詛のような鳴音に、彼は唇の端を吊り上げた。彼の運命を翻弄した別次元の力も、戦う力として役立つものならばいといはしない。


 彼の本来の武器であった『黒雷撃矢』は、『無』の力を宿したことにより、いまや脅威の代物となった。様々な負の要素と大いなる破壊の力、そして周囲に吹き荒れる衝撃の余波。


おそれることは何もない。無敵と謳われる幻精界の統治者どもであろうとも、この矢をまともに喰らえば奴らにとっての最悪の結末は避けられぬはず」


 己が思考に浸り続けていたラムダは、雪崩れ落ちてくる瓦礫と埃が止む気配がないことを見て取り、忌々しげな舌打ちを響かせた。禍々しく脈打つ大弓を再び下ろし、屈強な鎧肩に担ぎ上げる。


「まぁいい、どうせ奴らは動けぬはず。直接行ってとどめを刺せばよい」


 ぬらりとわらい、降り積もった瓦礫を踏みしだきながら歩き出した。


 この王宮の隅々までを、彼は熟知している。役立たずであった部下どもが滅多に訪れぬこの『蜘蛛網の間』の構造をも把握している。人間族の魔導士らふたりと目障りなガキ一匹が立っていた通路まで、すぐにたどり着くことができるに違いない。


「不意打ちを喰らっては、さすがの魔導剣士も防げなかっただろうな」


 威勢ばかりの黒髪の青年が無残に倒れ伏した光景を思い浮かべ、ラムダは残忍な形に口の端を歪めた。


 いま動けぬ状態にあるならば、なおかつ意識を留めているのならば、あやつの目の前で魔導士の娘をいたぶってやるのも悪くない。そのあとでゆっくりと……ひとりずつ息の根を止めてやる。


「暁の瞳をした金の髪の魔導士、それを守護している黒髪の魔導と剣の遣い手……妙な因縁だ。似ても似つかぬ他人だろうが、代わりに奴らをもてあそんでやれば、少しは鬱憤うっぷんを晴らすことができるかもしれぬな」


 現生界から来たという目障りな魔導の遣い手どもは、何としてでも排除せねばならぬ――ラムダは大柄な体躯ゆえの歩幅の大きさを活かした凄まじい速度で階段を駆け進みながら、心の内で呪詛を吐くようにつぶやき続けた。


 よりにもよって、彼が辛酸を舐めた世界から来た者たちであり、彼の企みを叩き潰すことのできる可能性を持つ力を携えた『魔導士』だというのだから。加えて、まるでこの世界を護ろうとする意思に呼ばれたか導かれでもしたかのような、タイミングの良さ。


「まさかとは思うが、忌々しいラウミエールが全てを見透かして呼び込んだのではあるまいな……」


 嫌な懸念が脳裏を掠め過ぎたが、今さら後には引けなかった。


 すでに賽は投げられた。ラムダにとっても己が欲望と切望を遂げ、復讐を果たす又とない好機。そして命ぜられた破壊を完遂し、『無』へと全てを捧げねばならぬ。我が運命をもてあそんだ世界に対する、憎悪とともに。


「与えてやろう――『死』よりもなお決定的な事象、『消滅』という結末を」





 リューナは呻いた。ズキリと激しい痛みが頭蓋を刺す。


「く……そッ……!」


 意識が飛んだのは、僅かな時間だったはず。目を開いたリューナの瞳に、頭上から石の破片が落ちてくるのが映っている。遥か頭上のほうまで、凄まじい破壊の爪跡が残っていた。迷宮の大部分が破壊されてしまったらしい。


 痛みを無視して腹と首に力を篭め、リューナは上体を起こした。咄嗟にかばったのだろうトルテの体を胸に抱き、ナルニエを背に乗せたまま、横向きに倒れていたのだとわかる。


 ふたりの安否を心配して心臓をぎゅっと掴まれたように感じたリューナだが、トルテが微かに呻き声をあげたのを聞き、ナルニエもすぐに目を開けたのを見て取り、ホッと安堵の息を吐いた。


「ナル、無事か?」


「うん……ナルは、だいじょうぶ。おねえちゃんは?」


「へい……き。平気です」


 ナルニエの声が聞こえたのだろう、トルテが目覚め、腕を突っ張るようにして起き上がる。


 トルテの腕に血の滲んだ箇所を見て、リューナは『治癒ヒーリング』を遣うために手を伸ばした。トルテが微笑み、彼の手をそっと押さえる。


「ありがとう、でもだいじょうぶ」


 トルテは視線を動かし、変わり果てた周囲の光景に気づいて息を呑んだ。


「それよりリューナ、いったいなにが起きたんでしょう……ピュイはどこ?」


 問われて周囲に目を向け、リューナはひやりとしたものを感じた――ピュイのやつが居ねェ! まさか落ちたのか?


「くそッ!」


 リューナは飛びつくように崩れかけた通路の端へ取り付き、遥か下を覗き込んだ。小生意気な古代龍の相手とは普段喧嘩ばかりだが、無事であってほしい仲間であることに違いはない。


 眼下はいまだ治まらぬ土埃が渦を巻き、上からはまだまだ瓦礫が落ちてくる。通路も階段も崩壊してしまった箇所がほとんどで、おそらく暴走してしまった魔法が吹き荒れたのだろう、あちこちに凍りついた箇所や黒焦げになった壁が無残な姿を晒している。ぬめぬめとなにかの粘液がとめどなく滴っている場所もあった。


「ピュイちゃんを捜そうよ」


 ナルニエが小さな拳を握りしめ、力強く言った。ふらつく足で懸命に立ち上がり、駆け出そうとするので、リューナが慌てて腕を伸ばして幼女の襟を捉える。


「待てよ! いま俺の傍を離れるな。感じるんだ……この気配。あいつが来ている」


 リューナは油断のない視線を周囲に向けた。ぞっと背筋を撫でるように冷ややかな殺気の迫り来る方向を探り当て、利き腕に長剣を出現させる。思っていたよりも近い。


「トルテ、ナルと一緒に居るんだ。足元に注意しろよ、いつ崩れてもおかしくないからな」


 リューナは素早くいつもの魔術を詠唱し、長剣を構えた。狭い通路には長すぎる愛用の剣も、いまは見晴らしが良くなって周囲が広くなり、扱いやすくなった。存分に暴れてやれそうだ。なんとしても注意を引きつけ、後方のトルテたちを矢面から逸らしておかねばならない。


 ビリビリと肌に感じられるほどの鬼気迫る気配。いまやはっきりと感じられるその凄まじい殺気のなかに、憎悪と嫌悪の気配も嗅ぎ取れた。


 これほどまでの恨みを向けられる憶えはまるでなかったが、話が通じる相手ではない。


 重たげな金属の摩擦音がリューナの鼓膜を震わせる。歪んだ笑みをいかめしい顔に張り付かせて大股に階段を上ってきたのは、予想どおり、ラムダと呼ばれる油断のならない男だ。リューナは息を吸い込み、相手にぴたりと剣の切っ先を向けた。


「ほほぅ……まだそんな元気が残っているのか。手こずらせるものだ、忌々しい魔導士ども」


 野太い声をかすらせるようにして、ラムダが吐き捨てた。腰から抜いた剣は、リューナが見たこともない剣だ。鉤爪のように厚く鋭い、捻じ曲がった気味の悪い漆黒の刀身。


 相手の動きから目を離さぬようにして、リューナは鋭く訊いた。


「あんた、俺たちを殺そうとしているよな。俺たちは、この世界を救いにいく任務ミッションを受けてるんだぜ。あんたが都を護る役目にあるのなら、貴重な戦力をほふるのはおかしくねェか?」


「護る……だと? 笑止な」


 莫迦ばかにしたような口調で応え、ラムダが嗤う。思わず顔をしかめたリューナに向け、ラムダはすぐに真顔に戻り、低く鋭い声を響かせた。


「フン。おまえらはおまえらで使い道があったのだがな。統治者と民らをあざむく盾となり、くだんの地へ向かったのちに生贄となり、その場で果ててもらう予定であった。それほどまでに凄まじくも力強い魔力マナを身に宿した存在ならば、最後の仕上げに使えそうだと思ったのだが――」


「最後の仕上げ?」


 リューナが問うが、相手は構わず先を続けた。


「ふ、ふ、ふ。聞いても理解はできぬであろうよ。それにしてもおまえらは、ことごとく我が筋書きを台無しにしてくれる。こうなればもはや目障りでしかない。どうせ死ぬのだ、我が剣に血を啜られて糧となるが良い……!」


 言い終えると同時に、ラムダが疾風のように突っ込んできた。リューナは構えていた剣の角度を変え、得体の知れぬ威力を秘めた相手の刀身の切っ先を受け流した。じゃりっという不快な音が鳴り響き、次の瞬間、床が砕ける。


「やべぇ!」


 リューナは跳び退すさり、後方に立っていたふたりをそれぞれの腕にさらって大きく跳躍した。十数リールメートル離れた場所にある、まだ崩れずに残っていたきざはしのひとつに着地し、ふたりを降ろす。


 振り返ると、砕けた通路の無事な側でラムダがこちらを見据えていた。リューナの視線に応えるかのように剣を斜めに振り抜き、誘うようにゆっくりとした動きで切っ先を真っ直ぐに向けてくる。


 長剣を握りしめるリューナの袖を、トルテが掴んだ。


「リューナ、深みにはまるのは危険です。この都を脱出するのが、あたしたちの目的です。けれどもし闘うというのなら、あたしも一緒に!」


 トルテが決然と言った。リューナが慌てて首を横に振る。


「いまは出ないでくれ、トルテ。あいつはなにか俺たちの知らない因縁に衝き動かされている……そんな気がするんだ」


「……因縁?」


「待ってろ、すぐにかたをつけてくる。俺に考えがあるんだ。トルテは魔導でピュイの行方を探ってくれ。あいつは仮にも、俺たちと同じ魔導士なんだからさ。きっと、どこかに無事でいるはずだ」


 トルテはリューナの瞳をじっと見つめ、それから力強く頷いた。


「わかりました。ピュイを見つけたあと、あたしにも考えがあります。――リューナ、気をつけてくださいね」


「あぁ!」


 リューナはトルテに頷いたあと、視線を敵に戻した。再び長剣を構える。


 深海のごとき魔導の瞳に白い輝きを宿し、彼は一気に跳躍した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る