双つの都 10-16 幻精界の友

「この子は、まさか――」


「おそらく暁の魔導士さまと同じ、もしくは、それを超える力の持ち主となりましょう」


 それまでふたりを黙したまま優しげな表情で見守っていたイシェルドゥが、穏やかな表情を変えないまま伝えてきた。エトワと同じく思念の言葉ではあるが、畏れと驚きで震えているようにテロンには感じられた。


「私たちは魔力マナそのものの存在。ゆえに相手の身の内に宿した魔導までがはっきりと見えまする。これほどの力を内に秘めたものは、現生界でも極めて稀なはずです。これほどまでに力ある赤子だからこそ、母体の魔力マナの分離が引き起こされたのでしょう」


「そうだったのか……。だがもう大丈夫なのか、ルシカ」


「ええ。たぶん平気だと思うわ。いままでずぅっと、みんなが必死であたしのいのちを繋ぎとめてくれたのよ。おかげでちゃんと頑張れた。ものすごぉぉぉぉっく痛かったけれど」


 ルシカは微笑みながら答え、最後の言葉でペロリと舌を出した。


「でも、本当に凄かったんだよ。世の中のお母さんたちって、みんな凄いよね。あたしを産んでくれたお母さんにも感謝しているわ」


 にっこり微笑んだままのルシカの瞳は、あふれる涙で揺れていた。


「うん。ありがとう、ルシカ。君にも感謝しているよ」


 テロンはルシカの頬に優しく口づけし、改めて背筋を伸ばした。周囲に向けて口を開く。


「本当にありがとう。あなたがたが俺たちをここへ呼んでくれたことで、俺にとって大切ないのちがふたつとも無事に助かったのだから」


 テロンの言葉にこたえたのは、あとから部屋へ入ってきたエトワだった。


「とはいえ、『転移』の際に位置が特定できなかったことで手間と心労をかけて、すまなかった。我らのほうで問題があり、我らの都が成す魔法のすべてが正確に具現化されなくなりつつあったのだ。そなたらの生命を護る手段であったのと同時に、危険な賭けでもあったことを詫びねばならぬ」


「ううん。どうか気にしないで、無事だったんですもの。あたし、あのままでは本当に危なかったんだし」


 ルシカが言って、腕のなかのあどけない我が子を見る。生涯で最初の試練を乗り越え、疲れたのであろう、赤子は母親の腕のなかで安心したように眠りかけている。


「エトワ。その問題というのは何なんだ? 困っているならば、俺でよければ解決のために尽力させてもらうよ。こんなに世話になったのだから」


 テロンの申し出に、エトワはすぐに首を横に振りかけたが、黙したまま考え込むように目を伏せた。端正な顔にかげりが生じている。


「……確かに、そうかもしれぬ。だが、関係のないそなたらを我ら幻精界の事情に巻き込むわけにもゆかぬ」


「困っているときはお互いさまではないのか。あなたがたはこうして、俺たちを助けてくれたのだから」


 テロンの言葉に、エトワは再び逡巡をみせた。ルシカが言葉を重ねる。


「ええ。あたしも同じ気持ちよ。もし力になれるのなら役に立ちたい。あたしもこの子も、おかげでいのちが助かったんだもの。それに――」


 ルシカは腕のなかの温もりをそっと抱きしめ、迷いのない口調で言葉を続けた。


「あたしにも、今ならわかるわ。この『光の都』を維持している魔法に、何らかの大きな力の干渉を感じる。それを無理に捩じ伏せてまで、あたしのために、みんな懸命に魔法をつかってくれたんだもの」


 その言葉に、三人の女性たちの表情も動いた。エトワはそれらの微細な変化を感じ取ったのだろう、意を決したように顔を上げ、腕を広げた。


「では、ありのままを話すことにしよう。知恵を借りられれば、それだけでも助かる。万策すでに尽き、講じるべき手段もほとんど残されてはおらぬ。我らには、もはやどうしてよいかわからなくなっていたのだから」


 テロンはルシカを見た。ルシカも同時に、彼を見上げていた。交わった視線で、言葉がなくとも互いに同じことを思っていることが理解できる。


 ふたりは幻精界の友人に向き直り、話を聞くために耳を傾けた。





 ガァッ! 耳元をかすめ過ぎた唸り声、抜き身の刃のように鋭い気配。それは決して、比喩的な表現ではない。


「くそッ! こう暗くっちゃかなわねェぜ!」


 頬に熱いものがかかり、同時に焼けつくような痛みが生じる。ぬるりとした感覚は、彼自身の血だ。


「リューナっ!」


 こちらの身を案ずる声が掛かる。だが、『治癒ヒーリング』の魔法は飛んでこない。当たり前だ――トルテは自分の身と、その背後にかばっている幼いナルニエとピュイの身を護るため、『力の壁フォースウォール』の魔法陣を展開中なのだ。


 複合魔導の担い手である『虹』の魔導士トルテは、彼女の母ルシカのように複数の魔法陣を同時展開することができない。最初から組み合わせて発動させたもの以外の魔法を、あとで重ねて具現化することができないのである。


「無理もないか。着いた先ですぐに襲われるとか、俺だって思ってもみなかったもんな」


 まったく、ハイラプラスのおっさんが導いてくれる先にはロクなことが待ってないぜ――剣を構えつつ、リューナは盛大に嘆息した。すっげぇ高度に放り出されちまって自由落下した前回と、いきなりこんなでっかい狼の幻獣たちの群れの真っ只中に出ちまった今回と、果たしてどちらのほうがマシだったのかな、などと考えながら。


 真横から押し寄せる圧迫感……来るか!


 リューナは右手に握った長剣の柄をくるりと回し、手元に引き寄せたと同時に虚空を真一文字に薙いだ。剣にかけられた『武器魔法強化エンチャンテッドウェポン』の淡い輝きが一瞬だけ照らしたのは、ずらりと並んだ歯と鋭い牙だ。


 ガヅン! という凄まじい手応えと衝撃音が闇に響き渡る。うぉんうぉんと響き渡る様子からして、ここは谷間のように大地に刻まれた亀裂の底らしい。


 反動で宙を飛んだリューナは、硬い大岩に衝突した。岩の背後、うまい具合に隙間がある。感覚の導くままに身を翻し、リューナは岩の背後に飛び込んだ。


 それまでリューナが立っていた場所に巨大なものが激突し、音と振動が岩裏まで響くほどに周囲を揺るがす。


「こうも暗いと不利だもんな」


 リューナは刹那、両の眼を閉ざし、精神を集中させた。左の腕を突き出し、手首を回し動かすように手のひらを僅かに突き上げる。何もなかった空中に光の球が生じた。初歩魔法のひとつ、『光球ライトボール』だ。


 放り投げるように腕を振り上げ、魔法の光を遥か頭上へ移動させる。魔法の輝きが、冴え冴えと輝く月光のごとく周囲を照らし、リューナたちの置かれた状況をくっきりと陰影で描き出した。


「……うわ、最悪じゃんか」


 剣の柄を握りなおして飛び出すと同時に光景を目に焼き付けながら、リューナは奥歯を噛みしめた。


 これほどに多いとは――闇に属する幻獣『月狼ムーンウルフ』だろうと思われる巨大な狼が、見える範囲だけでも十五体は居るのだ。魔獣たちと同じく、幻獣も魔導の技に引き寄せられる習性を持っている。彼ら自身が純然たる魔力マナで構成された体躯をもっている体ろう。


 おかげで、幻精界の住人であるナルニエの存在、そして魔導の血を濃く受け継いでいるトルテの両方が、狼たちを多いに惹きつけ刺激しているのであった。


 リューナがおとりになって敵を散らし、その隙にここから移動できればと思っていたのだが、どうやら失敗のようだ。リューナが魔導の技を行使したにもかかわらず、狼たちの視線はトルテたちに釘付けである。


「どうしましょう、リューナ。展開している魔導の障壁も目立つのでしょうけど、これがなくては一撃でやられてしまいます。それに、ナルちゃんの気配は隠せそうにありませんし。――あッ!」


 話している間にも凄まじい体当たりを食らい、トルテの眼前に展開されている障壁がズシリと揺らぐ。


 『力の壁フォースウォール』の魔法効果は、衝撃を受けるごとに減じられてゆく。許容を過ぎれば障壁ごと掻き消えてしまうのだ。


 リューナはトルテたちの真正面に身を躍らせた。


 襲い掛かってきた狼の牙を長剣で受け止め、気合一閃、弾き飛ばす。その一瞬を有効に使い、トルテは魔導を遣って障壁を張りなおした。


 背後に展開された魔法の気配を肌で確認し、リューナが剣を構えて一歩前に出る。


 背後は崖だ。リューナはともかく、トルテやナルニエをかかえてとなると……とてもではないが、登りきれない。王都を囲う城壁ほどの高さがあるのだ。荷物は地面に放りっぱなしだ。だがどうせ、ロープを取り出して登る余裕などありはしない。


 古代龍の生き残りであるピュイは役に立ちそうもなかった。狼のほうが遥かに素早く、遥かに強靭な鉤爪をもっている。それでもふたりの少女をかばおうと牙を剥き出して唸り声をあげ、彗星の輝きでも宿したかのような瞳を油断なく光らせてはいるが。


「わたし、おとりになるよ」


 決然とした小さな声に、リューナは耳を疑った。彼が反応するより早く、トルテの凛とした声がこたえた。


「いけません! ナルちゃんひとりが出て行っても、状況は変わりませんよ」


「そうだぞ、ナル。足手まといにしかならねぇぞ。いまはとにかく、みんなで無事この場を離れることを考え――そうか! ナル、やっぱり頼めるか?」


「リューナ?」


 トルテが戸惑ったような声をあげる。けれど彼女にはわかっているはずだ。リューナが子どもを犠牲にするような真似をするはずがない、と。


「任せろ。俺に考えがあるんだ」


 リューナはニヤリと笑い、横目で背後を窺った。ナルニエは怖気づいてはいない。リューナの言葉に何かを感じたのだろう、しっかりした表情で頷いている。散開していた狼たちはじりじりと脚を前へ進め、確実に包囲を狭めつつある。急がなければならない。


「俺の背に乗れ、ナル!」


 リューナは叫び、膝をバネにして沈みこませるように身をかがめた。トスン、と軽い体重が背にぶつかり、首に小さな手のひらが当たる。リューナは片腕を背後に回し、もう一方の手に長く重い長剣を握りしめた。


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