古代龍と時の翼 9-44 運命の選択、時の翼

「覚悟、できてるか?」


「もちろんさ」


 ふたりの青年は、それぞれ深海のあおと透けるような赤の瞳を、眼下に広がる光景に向けた。高熱に揺らめく不毛の砂漠、屹立きつりつする巨大な結晶体の根元にうずくまるのは古代龍の居城――。


 なにゆえ『龍』ともあろうものが、五種族のような建築物を造り、あえて自分以外の生き物を支配下に置くことを考えのだろうか。酔狂といえばそれまでだろうが、始原から生きている龍のことだ……その行為にも理路整然とした狙いがあるに違いない。


 それを打ち砕くためにも、彼らにはいま為さねばならぬ行動がある。


「できれば、無駄に命を奪いたくない。それが傀儡くぐつにされたひとたちであっても」


「同感だ。できるだけその方向で頑張ろうぜ」


 金色の魔導航空機ヴィメリスターは大空へと舞い上がり、古代龍シニスターの居城の正面に回り込んでいた。トルテを侵入路へと送り届けたあと、ちょっと時間はかかったが、リューナの操縦とディアンの魔導との連携により、城外の対空砲台のほとんどを沈黙させ、ラハンとルミララが安全に待機できる状況も確保した。


 かくして、リューナは操縦をラハンに任せ、ディアンとともに船外に立っているというわけだ。


 背後にそそり立つ紅玉ルビー色の巨大な結晶体を背景に、同じ色に輝く宝石めいた堅固な城がずっしりとえられている。背後の結晶体は超自然のものであるが、手前に建つ城は明らかにひとの手によって加工されたものだ。


 さらわれたエオニアが幽閉されている部屋までは、正面門からでないと到達できない。そしてその門には、数え切れぬほどの兵たちが集結しつつあった。


「まあよく、あんなにもわらわらと出てくるなぁ」


「ありったけの強化魔法をかけておいたほうが良さそうだね、リューナ」


「そうだな。――おっと、大丈夫だぜディアン。俺には自前の魔法がある」


 自分にまで魔導の技による加護をかけてくれようとするのを制して、リューナは慣れた詠唱を口のなかでつぶやいた。唱え終わると同時に、『倍速ヘイスト』と『倍力インクリーズパワー』の魔法効果がリューナの体を包み込む。


「魔導の技が使えるのに、君はいつもそのふたつに関してだけは言葉の力で魔法を行使するんだね」


「こればっかりはさ、譲れないんだよな。そうでないとやる気が出なくて」


 続いてリューナは腕先を虚空にすべらせるように動かして印を組み、魔法陣を具現化させた。白く穏やかな光の渦がふたりを包む。『防護プロテクション』だ。


「知識そのものは僕から学んだはずなのに、力の行使は君のほうが優れている気がするよ。君の魔導の『名』はいったい何だろうね?」


「考えたこともなかったな、それ」


 魔導にはそれぞれ属性があり、その種類ごとにきっぱりと区分されている。その区分が『名』となり、得意とする魔導の力と専門分野を示すのだ。


「まあ何であれ、使えるものを使うだけだ。さて――行くか!」


 リューナは右腕を眼前にかかげた。左腕でサッと撫でるようにしてから、びゅんと右腕を振り下ろす。魔導特有の青と緑の光がまとわりつくようにつどったその腕には、いつの間にかひと振りの長剣が握られていた。長さと重さのあるその剣は、トルテの父テロンより贈られたものだ。


「僕たちが飛び降りたら、すぐにここから離れてください。あとは脱出の合図があるまで隠れていて」


 ディアンが魔導航空機ヴィメリスター内部で操縦桿を握っているラハンに向けて叫んだ。了承したというしるしに、胴体の上にある機外照明が明滅する。


 ふたりは頷き合い、機体を蹴って空中に身を躍らせた。


 ごうごうと耳もとで風が鳴り、乾燥した熱風が体の表面を掠め過ぎる。


 金色の魔導航空機ヴィメリスターはすぐさま空へ戻っていった。リューナとディアンは城の正面門を目指し、着地と同時に全力で駆け出した。


「門って、古代龍も出入りするのか……間近で見るとさらにでっかく感じるぜ」


 リューナは口のなかでつぶやきながら眼をすがめ、横っ飛びに移動した。直前まで走っていた直線上に雷撃が駆け抜ける。軌道を変えない攻撃魔法は、避けやすい。


 リューナの走る速度は相当なものだった。魔法の射程距離の端から、撃ってきた兵士たちの只中に飛び込むまでに呼吸を十も数えていない。


 攻城兵器カタパルトからの投石さながらに勢い良く飛び込んできた青年に、兵たちは度肝を抜かれたようだ。列が乱れ、攻撃の態勢が崩れる。リューナは着地の姿勢から背筋を伸ばし、剣を担ぎ上げるように持ち上げてニッと笑った。


「さあ――死にたくないヤツはとっとと逃げやがれッ!!」


 堂々と言い放ってから、剣を振り回す。襲い掛かってきた数人の兵をまとめて薙ぎ払い、腕や武器を損傷させる。戦意を剥き出しにした者たちを蹴りつけるようにしてリューナが空中に跳ぶと、斬りかかろうとして突っ込んだ兵たちが互いにぶつかりあい、床に転がった。


「同士討ちはみっともないぜ。さあさあッ! 道をあけろ!!」


 リューナは長く重量のある剣をことさら大きく振り回し、声を張りあげ、兵たちを牽制した。体を回転させたついでに片腕を空中へと跳ね上げ、緑に輝く魔法陣を頭上に展開する。


 ゴウ、と烈風が生じ、生じたかと思うとすぐに激しく渦巻く旋風となった。リューナを中心に張り巡らされた風の障壁に、斬りかかろうとした兵たちが弾き飛ばされ、包囲陣の外に放り出される。


 頭上の魔法陣が消え失せると同時にリューナは移動し、門から内部を見渡した。あとからあとから押しかけるように増える敵兵たちに辟易へきえきする。無駄な戦いは望みではない。敵の包囲網をぶち壊す良い方法はないか?


 はっと、リューナの目が見開かれる――入り口からずっと視界に入っていたものに、改めて気づいたのだ。


「イイモノがあるじゃねえか!」


「リューナっ?」


 後続のディアンが驚いて彼の名を呼んだ。奥へ奥へと続く広大な通路を進んでいたリューナが、突然進路を変えて真横に走ったからだ。リューナはちらりと彼を振り返って言った。


「ディアンはそのまま奥へ進め!」


「わかった!」


 ディアンは問うことなく背の翼を広げ、同時に床を蹴った。畳まれていたのが信じられないほどに美しい翼が広がり、力強く羽ばたく。ふたりは王国末期にそれぞれの種族の王としてともに過ごした、いわば戦友である。新しい土地では幾度となく魔獣や魔竜たちと衝突していた。連携を取るため、互いを信頼して動くのが常だった。


 天井高い通路内を飛翔するディアンに魔導攻撃の筒が向けられ、炎の魔法が次々と撃ち出される。だが、ディアンは優雅とも呼べる飛行であざやかにすべての攻撃をかわした。


 海の鳥類がおかでは愚鈍な動きであっても水中では高速で泳げるように、飛翔族にとって空を移動することは本来の行動形態である。とてもではないが、反応の鈍い兵たちに追いきれる速さではない。


「飛翔族をみくびってもらっちゃ困るよ」


 ディアンは微笑み、敵の攻撃の合間を狙って空中に静止し、腕先をぐるりと動かした。魔導の準備動作だ。次弾に先んじて彼の魔導の技が具現化される。攻撃魔法ではない――『封印』の魔導の技だ。


 人造魔導の筒が次々と沈黙していく。


 一方のリューナは、柱の基部へと駆け寄っていた。正面入り口の門から両サイドに設置されている飾り柱のひとつだ。高さはゆうに十リールメートルを超えている。天井には繋がっていない。天井はさらに遥か高い位置にあった。この正面通路だけでも王都にある荘厳なラートゥル神殿がすっぽり入るほどの規模なのだ。


「逃げないとぺっしゃんこになるぜッ!」


 リューナはあえて大声をあげ、目の前の柱に剣を一閃、ひと振りで基部を派手に斬り砕いた。反対側にも駆け走り、整然と並んでいた柱の根もとを次々と破壊していく。


 入り口から左右に立ち並んでいた飾り柱は、格好の攪乱かくらん材料となった。ズシャアン、ズシャアン、と凄まじい衝撃と轟音を上げ、見事な細工を施された柱が次々と床に倒れていく。


 結晶のような柱が幾万もの欠片に砕け散った。それらが天井から差し込む陽光を受けてきらきらと輝くさまは、いにしえの物語にある幻精界での光景、精霊たちの乱舞のよう。夢のように美しくもあり、滑稽で大掛かりな見世物のようでもあった。悲鳴が乱れ飛び、緑や青、赤の魔法が光を筋を引いてでたらめな方向へ撃ち出された。兵たちはすっかり混乱している。


「うっしゃあ、これで最後だぜ!」


 リューナが剣を振りかぶったそのとき。


けてリューナ、火薬だ!」


 頭上を翔けるディアンの鋭い声に、危ういところで床に身を転がし、リューナは銃弾の雨からのがれた。立っていた床が微細なつぶてに容赦なく穿たれ、ボコボコとした穴が無数にできた。破片がリューナの腕に当たり、赤い筋をひく。


「チェッ、いよいよ登場かよ」


 リューナは奥歯に力を籠め、鋭い視線を周囲に向けた。


 右に四つ、左に五つか――リューナの広い視野に、銃火器とかいう黒い筒を構えた兵士が見えた。ディアンの話では、火薬によって発射される弾丸は魔法の防護障壁でも貫通してくるという。リューナは気を引き締めた――ただひとつとして喰らうわけにはいかないってわけだ……!


「走ってリューナ! この階段の先が広くなっている。そこまで行けば――」


「よっしゃッ!」


 リューナは目の前の低いきざはしを一気に駆け上がった。背後から弾丸が床をえぐる、凄まじい音と気配が追ってくる。だがそれが唐突に途切れた。気がつくと、リューナは途方もなく広い空間にたどり着いていた。


「何だよこれ……すっげぇ!」


 シンプルな円形の大広間だが、その規模が凄まじかった。冗談ではなく『千年王宮』の建物がすっぽりと入ってしまいそうだ。リューナは遥かに高い天井を見上げた。張り巡らされたヴェールのような霧のさらに上、ぼんやりと霞む高さに、何かの記号が見える。円形の天井の真ん中に描かれたそれは、魔法陣のようにも見えた。


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