古代龍と時の翼 9-31 相容れぬ存在

「兄貴!」


 テロンは目の前の魔法陣に現れた兄の姿が無事であることを確認し、ほっと安堵の息をついた。


 ――何処だ? 消えるなどと……あのような輝きの強さは隠しきれるものではないはずだ。何処だ、何処だ……!!


 先ほどクルーガーがいた地点で取り残された古代龍が、怒りのあまり絶叫するような思念をとどろかせている。激しく首を振っているのは、すぐに回復しない視界に苛立ってのことだろう。その直前まで眼前にあった魔晶石の強い輝きが、古代龍の眼をくらませているのだ。その魔晶石がいまここに移動してきたことにすら、まだ気づいていない。


「ルシカ!」


「わかっているわ!」


 クルーガーが外套マントの下に隠した魔晶石を抱えたままルシカに走り寄る。ルシカは胸の隠しから取り出した品にもう片方の手をかざし、指先で素早く印を結んだ。手のひらにあるのは四角い箱のような魔道具マジックアイテムだ。それは外側に開くように展開し、平らな一枚の面となった。


 それはテロンも目にしたことのあるものだ。表面に魔法語ルーンが書き綴られ、内側に魔力マナあふれる危険な魔法の品を封じるための箱。ルシカは自宅に戻り、祖父である『時空間』の大魔導士ヴァンドーナの『封印箱』を取ってきたのである。いつぞや『生命の魔晶石』を求めたときに使用した、亜空間を内に秘めた小箱であった。


 あのときに手渡された箱は壊されていたが、大魔導士亡き後に荷を整理していた折に同じものを見つけたのである。それをテロンとルシカは憶えていたのだ。魔力マナの光を隠せない魔法の品を隠すには、うってつけの手段だった。


 『時』の魔晶石はクルーガーの手からルシカの函に移され、完全に閉じられた。脈動していた魔力マナも光も、もはや全く感じられない。亜空間に封じ込め、完璧に外界から遮断したのである。


 古代龍の苛立った思念が、恐怖に怯えて黙り込んだような静寂の大地に殷々いんいんと響き渡った。


 ――おのれえぇぇぇぇぇッ! 我の眼前から魔晶石を消し去るとは! 舐めた真似を。我は不吉の象徴シニスター。我はこの国を焼き払ってくれる……!!


 シニスターは絶叫し、怒りを爆発させた。翅を羽ばたかせ、前傾姿勢になる。


 ぐん、と翅の一振りで真下にある森の木々が悲鳴のような音をあげて吹き払われ、あるいは倒された。闇に潜んでいた小動物たちは逃げ惑い、さしもの魔獣たちも木々の下敷きにならぬよう駆け走るのみ。


 怒りが彼の眼を狭めているのだろう。シニスターは目の前にある都市に逡巡なく向かっていった。すなわち『大陸中央都市』ミディアルに向けて。


 巨大な龍がぐんぐんと都市に迫る。その喉が、顎が、一気に膨らんだような気がして、テロンはぞくりとする予感に息を呑んだ。


「来るっ! 魔力マナが口もとに集中している。炎が吐かれるわ!」


 いまや魔導の瞳の力を解放したルシカが叫ぶ。魔導士である彼女には、相手の身体を流れる魔力マナがくっきりと見えるのだ。


 手のひらに握りこんだ伝令の魔石に向け、クルーガーが思念を流し込んだ。同時に叫ぶ。


「『魔法障壁』展開、詠唱はじめろッ!」


 テロンは眼を凝らした。この場所からは遠く輝く大都市の明かりの集合は、まるで煌めく砂糖菓子のようだ。大都市の明かりを消していないのには狙いがあった。そしていま、その狙い通りに事が運んでいるのだ。


 シニスターはテロンたちのいる場所の南に姿を現し、北東に向かっている。ミディアルの南西から接近されるかたちとなった。


「おそらくミディアルを焼き払い、俺――というか魔晶石をあぶり出そうというのだな」


「危険な賭けだけれど、大丈夫かしら」


 立案者であるクルーガーとルシカが不安な面持ちを見合わせている。住民たちは各避難場所に集められ、障壁部隊に組み込まれなかった魔術師たちが小規模な障壁を張っているはずだ。万一のときは、それが破られる前に都市の内部で最終決戦となる。


「不安をいだくのは当たり前だ。大勢の命がかかっているのだから。だが、出来得る対策は講じてきた。俺たちは、俺たちのすべきことをやり抜くしかない」


 ふたりに向けてそう言ったとき、古代龍の口もとが膨らむのをテロンは見た。


 灼熱の炎が吐き出され、アルベルトの森が一瞬真昼のように明るく照らされた。炎が虚空を奔り抜け、ミディアルに迫る……!


「――障壁展開確認! 間に合った!」


 傍で発せられたルシカの声と同時に、視線の先で虹色の壁が出現した。炎の赤と陰の黒に塗り分けられていた世界に、まるで太陽スペクトルに煌めく膜のような壁が四枚、都市と古代龍の間に立ちはだかる。


 ゴオオオォォォオオッ!!


 炎がぶつかり、衝撃と同時に空中で渦を巻いた。障壁では吸収しきれなかったのだ。想像を超える炎と熱に障壁の周囲の森が焼けはじめる。おそらく犠牲も出ているに違いない――『癒しの神』ファシエルの神殿から派遣されている神官たちが、ひとりでも多くの命を救ってくれることをテロンは願った。


 障壁は持ちこたえた。背後の都市は無傷だ。後方で待機していた魔術師たちの魔法が、森の炎を消火していく。


 テロンは視線を傍の仲間たちに向けた。ルシカが下の広場に集まっている兵士たちに向けて次々と救護の指示を飛ばしている。そのルシカの向こうで、クルーガーが魔石を通して次の指示を伝えていた。エルフの射撃部隊に『魔導弓』の用意を命じているのだ。


 シニスターが甲高く唸り声をあげた。打ち羽ばたく翅の動きとともに、その場に静止する。その動きが止まった瞬間をクルーガーは逃がさなかった。


「いまだ――!」


 夜目にも鮮やかに輝く光の筋が、古代龍の巨大な体躯に向けて放たれた。駆け上がる花火のような音が遅れて耳に届く。都市の南から放たれた光の矢は、次々と古代龍の体躯に命中した。エルフ族は優れた射手でもあるのだ。そして、その弓矢はただの弓矢ではない。


 光り輝く矢には風の魔導の技が乗せられていた。矢そのものは龍にとって微細な針にも等しいが、突き刺さった場所で魔法陣を展開し、『真空嵐ウィンドストーム』が吹き荒れる。何十と射込まれる魔導攻撃に、シニスターの表皮は浅からず切り裂かれていった。


 シニスターは怒りの咆哮をあげ、姿勢を僅かに崩した。そこへ南門の外に待機していた冒険者たちが走り寄る。まだ剣や斧は届かない高さであるが、投げナイフやクロスボウ、魔術師たちの攻撃魔法がつぶてとなって龍を襲った。


 尾が冒険者たちに振り下ろされ、凄まじい土煙があがる。龍は苛立ったように牙を剥き出し、都市を北から襲うことにしたらしい。翅を広げて地面から離れ、向きを変えた。すなわち、いまテロンたちが待機している場所に向けて進みはじめたのだ。


「ここからは俺たちの出番だな……!」


 クルーガーは決然と囁き、次なる指示を飛ばすべく魔石を握りしめた。森に潜んだものたちの位置に視線を走らせ、緊張に頬を強張らせている。


「古代龍は自分の意思では地面に降りない。大地に降りるのは屈辱も同然のはず」


 ルシカが言いながらも精神集中をはじめる。瞳の中に無数の白い光が生じ、闇のなかでも鮮やかにオレンジ色の色彩がくっきりと浮かび上がる。彼女は素早く魔導の技を行使して、クルーガーに『倍速ヘイスト』と『防護プロテクション』の魔法をかけた。


「サンキュー。さあ――引きずり降ろしてやろうぜ! マイナ、プニール――いまだッ!」


 クルーガーは魔石に向けて指示を出すと同時に自身も床を蹴り、遺跡の屋根伝いに駆け走っていく。地面に降り立った彼の後ろ姿はすぐに見えなくなった。その向かった先の森闇のなかから、巨大な影が幾つも立ち上がった。


 魔獣たちだ。そのうちの一体の背には小さな人影がある。


 魔獣は頭上を通過する古代龍のふいをつき、その脚や翅に喰らいついた。自分の数倍はあるような相手だが、怒りと野望に目がくらんでいたシニスターを大地に引きずり降ろすには充分であった。


 ――うおおおぉぉぉぉッ! 許さんんんんッ!!


 シニスターは激しく全身を震わせて尾や脚を振り回し、翅を打ちつけた。その体躯に牙や爪を立てていた四体の魔獣が吹き飛ばされる。うち二体が動かなくなった。シニスターは正面に回りこんでいたプニールに目をつけ、顎を開いて牙を剥いた。


「いけない! 避けて!!」


 背にいたマイナがプニールに回避指示を飛ばしたが、間に合わない。けれどその鼻面に魔法剣を突き刺した影があったので、危ういところで狙いが逸れた。


「させるかよ……!」


「クルーガー!」


 マイナの顔が輝く。クルーガーが他の魔獣の背を借り、跳躍していたのだ。マイナはすぐに次の指示を魔獣たちに伝えた。古代龍の尾に魔獣たちが飛びつく。バランスを崩した古代龍の巨大な体躯が、前のめりになる。


 そこにテロンとルシカは走り寄っていた。


「ルシカ、いくぞ!」


「ええ!」


 跳びあがったテロンは、空中で全身を『聖光気せいこうき』で包んだ。黄金の陽炎のようなものは、内なる魔力マナが形状を変えたもの。剣を引き抜いたクルーガーと入れ替わるようにして古代龍に打ちかかる。


 ルシカは身を護る魔導の技を行使し、次いで攻撃補助の為の強化魔法を次々と行使した。視界に入っていたほとんどの兵士たち、そして自身やテロンの身に魔法効果が現れる。


「突撃だ! 空へは上げるな、ここで討ち取るぞッ!!」


 クルーガーの号令で、待機していた兵士たちが動きはじめた。


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