古代龍と時の翼 9-30 相容れぬ存在

「テロン!」


 王宮の『転移の間』に走りこんだテロンを待っていたのは、彼のパートナーであり『万色』の魔導士であるルシカだった。


「すまない、待たせた! まさかもう――」


「ええ。ミディアル周辺に布陣している魔術師たちが『遠見マジックアイ』で古代龍の姿を確認したわ。南西から接近、北壁の上に現れたと連絡があったの。もう間もなくクルーガーたちの待機している地点に到達するはず。あの巨体ですもの、魔法なしでも目視で確認されている頃だわ」


「急ごう!」


 表情を引きしめ、テロンはきざはしを一気に駆け上がった。魔法陣の中央に立つルシカの傍に到着すると、彼女は腕を振り上げ、すぐに魔導の技を行使した。呼応するように魔法陣の五隅に配置されている魔法の宝玉オーブが燦然ときらめき、数多あまたの光の粉となって満ちあふれ、テロンの視界を白く染めあげる。


 足元がふわりと浮き上がるような――いや、落下するときにも似た感覚が押し寄せ、気づくと森の木々の間隙かんげきに立っていた。魔導の技で虚空に結ばれたものではない、筆記用の光粉で大地に描かれた魔法陣が足元にある。


「先に用事が終わったので、あたしだけ一旦ここまで来て魔法陣を描いておいたの。ミディアルの都市庁舎に出ていたのでは間に合わないと思って」


「助かるよ」


 テロンはルシカの優れた洞察眼に改めて感心した。周囲を見回すと、少し先の開けた場所に指令用に張られている天幕が見えた。魔導の輝きを見ていたのであろう数人の兵士たちが、到着した王弟と宮廷魔導士のもとへ駆け走ってくる。


「――状況はどうなっている」


「間もなく接触コンタクトが行われます!」


「わかった。行こう、ルシカ」


「ええ」


 テロンはルシカとともに遺跡の外壁に駆け寄った。ルシカを抱き上げ、壁のひときわ高い部分に向けて跳躍する。そこからは森の様子が眺め渡せた。


「陣容は問題なく整ったんだな」


 ここへ飛んだときから、大気が低く唸り声をあげてるような感覚が耳に生じている。緊張に張り詰めた大勢の気配――こちら側の兵士や仲間たちが森のあちこちに潜んでいるためだ。


 青かった空は刻一刻と暗さを増し、血のような赤い色に染まりつつある。王都から眺めるよりも遙かに高くそびえ立つフェンリル山脈の絶壁が、黒々としたシルエットとなって押し潰してくるかのような圧迫感を生じている。眼前に広がる深い森は、すでに夜の海のごとく沈み込んでいた。


 その黒い光景のなかに、上からゆっくりと降りてくる赤い炎のような輝きがあった。――いや、ゆっくりに見えるが、それは遠すぎる距離と相手の巨大さゆえに錯覚を起こしているからだろう。


 凄まじい速度だ。広大な山脈の起伏をものともせず、ザルバーンから物理的に飛行してきたのが頷ける。


「あたしたちは魔法で移動していたから近く感じていたけれど……相当な距離なのにね、塔のある場所まで」


 そう言って膨れっ面になり、目を細めるルシカの瞳の虹彩にはいつもの魔導の輝きがない。『遠見マジックアイ』すら使わず、自身の内なる魔力マナの放出を極力控えているのだろう。そこまで考えて、『転移』にあらかじめ描かれていた魔法陣を使っていたのも、強い魔導を放出してこちらの位置を気取られることを避けていたのだということに思い至る。


 テロンは視線を戻した。炎のごとく輝きを放つ点は、いまや巨大な龍の姿となって北壁の手前にはっきりと見えている。


「兄貴がいる場所まで、もう間もなくだな……」


 テロンは目の当たりにした古代龍の姿に速まる鼓動を感じながら、厳しい面持ちで眼をせばめた。夜闇に沈んでゆく視界に、鍛えた視力も役に立たなくなりつつある。かなりの距離なのだ。うっすらと魔晶石の輝きらしき光が見える気がするが、高い位置とはいえ地上からでは木々に阻まれて判然としない。


 と、その位置に光輝く点のようなひらめきが生じた。古代龍とは違う魔法の輝きだ。それを見たルシカがささやく――普段の彼女が滅多に出さないような、厳しい声音で。


「クルーガーの魔術だわ。交渉決裂ね――予想通りだけれど。来るわ、古代龍が!」





 クルーガーは隠れもしなかった。アルベルトの森が途切れる場所に堂々とひとり立ちはだかり、古代龍を待ち受けていたのである。



 胸の前に捧げ持った『時』の力を持つ魔晶石の光は凄まじく、フェンリル山脈の絶壁を悠然と降下してきた古代龍の注意を簡単に惹きつけることができた。


「なるほど……ルシカやマイナが緊張し、心ならずとも震えていた理由がわかるな。凄まじくでかい、怖ろしげな外観だ」


 クルーガーは口もとにのみ微笑を刻み、油断のない瞳で相手を見据えたままつぶやいた。実はルシカたちが眼にして恐怖を感じたのは、古代龍の体の内に凝縮されている圧倒的な魔導の強さゆえなのであるが、魔導の力を継承していない彼に魔導の干渉を見る瞳はないので、実感はできないのだ。けれどそれはクルーガーにとって好都合であった。そうでなければ、遮るもののない『時』の魔晶石の輝きで眼がくらまされているところだっただろう。


 暗くなる空にまだ月は昇っていない。星すらも輝くタイミングを逸したかのようだ。地表を覆う豊かな森も、この夜ばかりは野生の動物の吼え声ひとつあがることなく、怯えたように沈黙のなかに沈みきっている。現生界で最も古く、最も強大な存在である伝説の『古代龍』――それが血肉を備えた実在の生き物として、圧倒的な負の気配を纏って目の前に迫っているのだ。


 古代龍がクルーガーの姿と手にした魔晶石の輝きとを瞳に映し、昆虫のように透き通る硬質の翅を羽ばたかせて空中に静止する。喉の奥から発するような不機嫌そのものの思念を叩きつけてきた。


 ――ソサリアの王! 脆弱で愚かな人間族を統べる、地表の数多あまたの小石の一角に過ぎぬおまえが、我を相手に企みをしようなどと思いあがっているわけではあるまいな?


「ひとつ訊こう」


 古代龍の揶揄やゆするような問いには答えず、クルーガーは低いがよく響く声を発した。


「何が目的か知らぬが、この現生げんしょう界には他にも多くの生命の営みがある。互いに干渉せず、互いの距離を保ちながら共存していく気は無いのか」


 ――否。無い。


 即答であった。クルーガーは眉ひとつ動かさず、続けて問いを発した。


「いにしえの魔法王国が遺した遺産『従僕の錫杖』、それを手に入れんがためにこの手にある『時』の魔晶石が必要だということか」


 ――おまえがそれを知って何になろう? 拒めば『死』、拒まずとも『死』。おまえと魔導士どもは我が力として取り込まれるためにだけ存在している。


 クルーガーは眉の片方をあげた。


「喰らうつもりでいるということか?」


 その回答は爛々らんらんと異様なまでの輝きを放つ瞳と、舌なめずりをする巨大な口もとであった。ずらりと並んだ乳白色の牙が濡れ濡れと輝き、きしるような顎の動きまでもが伝わってくるようだ。


 クルーガーは不快そうに口の端を歪め、相手の全身から放たれている凄まじいまでの殺気を感じ取って眼をすがめた。


「交渉の余地すら無いということか」


 ――交渉? わらわせてくれる……交渉というものは対等な者同士が行うことだ。まずは石と、魔導士どもを引き渡せ。女どもの肉はやわらかかろう。愉しみなことだ。


 この言葉でソサリアの国王は決心した。手にしていた魔晶石を降ろし、切り裂くように冷たい視線になって古代龍をめつけ、はっきりと言い放つ。


「いいだろう。おまえは我がソサリアの――世界の敵となった。互いの存亡を賭け、全力で戦おう」


 クルーガーは身に纏っていた外套マントをばさりとひるがえし、手にしていた魔晶石を古代龍の目先から完全に隠した。そして口もとを微かに開き、ひと続きの詠唱を囁くように開始する。


 グオォォォォォオオッ!


 龍は吼えた。


 ――必要である以外のすべてを焼き払い、喰らい尽くしてくれる……!


 巨大な顎が信じられないほどに凄まじい速度でクルーガーに迫り、バクンと閉じた。


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