古代龍と時の翼 9-29 相容れぬ存在

「マイナ。魔獣たちは配置についたのかい?」


「はい! 魔竜二体と魔狼五体、指示に従ってくれました。プニールはわたしに付き添ってくれて、いま外で待っています」


 クルーガーの問いに応じて勢い良く頷いたので、マイナの結い上げた黒髪がぴょこんと揺れた。外に犬でも待たせているような軽い口調であったが、プニールはすでに大きく育ち、全長十リールメートルに達する立派な魔竜である。マイナの魔導の力によるはじめての仲間であり、また、塔に封じられている間もなお心の繋がりが途切れなかった魔獣だった。


 名を呼ばれたのが聞こえたのであろう、プニールが天幕の一部を捲り上げるようにして鼻先を突っ込んできたので、マイナと兵士たちが慌てた。


「きゃっ、プニール! ダメでしょ、外で待っててくれなくちゃ」


「いいさ。プニールには俺が戻るまでの間、マイナを護っていてもらうのだからな。男同士の頼みだ――マイナのこと、頼んだぜ!」


 クルーガーは顔色ひとつ変えず、天幕に入り込んだ巨大な頭部の鼻先を親しげに叩いた。


 クルルゥ、とプニールが穏やかにいて同意する。それでも天幕の内部には鼻息による風が渦巻き、さまざまな物品や地図の類が散乱する騒ぎとなった。


 クルーガーは天幕の外に出て周囲を取り囲むような遺跡の一角を見あげ、プニールを手招きするように呼んだ。傍に立っていたマイナを抱き上げ、プニールが近づけてくれた鼻先を「ちょっと借りるぞ」と蹴るようにして一気に遺跡の壁上へと跳び上がる。


 そこは遺跡で一番高い場所であり、展望台のようになっている場所だった。石造りの足場もしっかりとしている。陽光をいっぱいに浴びた日向ひなたの石の温かさと、割れ目から伸びている自然の緑の匂いに包まれている。そこに、『転移』の魔術の為の魔法陣が白い粉のようなもので描かれていた。


「『転移テレポート』の魔法陣も用意できたしな。各陣容も整いつつある。あとはテロンとルシカが合流すれば、いつ古代龍が襲ってきても対処できるぞ」


「この魔法陣はクルーガーが描いたのですか? すごいですね。戦いの魔術だけではなく、いろいろな分野の魔法も勉強しているとは言っていましたが、ここまで習得しているとは思いませんでした」


「ん? 何故マイナがそれを知っているんだ」


 ニヤリと微笑もうとしたクルーガーが動きを止め、片眉をあげて目の前の少女に問うた。国王としての公務の合間に魔法の知識を独学で学び、少しずつ魔術として習得していたことは、臣下をはじめほとんど知られていないつもりだったからだ。目覚めた後のマイナにも、まだ話していないはずだった。


「いいえ、お話してくださいましたよ、クルーガーが。あ、もしかして――あの、ですね、えぇっと、ひとつだけ……告白しても構いませんか? どうしても伝えたかった言葉があるんです」


 マイナは急にもじもじと手指を絡ませはじめ、上目遣いになってクルーガーを見上げた。


「告白? 俺を愛しているとかなら言わなくてもわかっているぞ。まァ、この耳でしっかと聞けたら嬉しいから歓迎だが」


「違います! あ……い、いえ、愛してますというのは、ち、違わないんですけれど。わたしが言いたかったのはそのことじゃなくて、ですね」


 マイナは動揺のあまり両腕を振り回しながら言葉を続けようとして、我に返り、深呼吸をひとつした。頬は染まったままであったが、両手をきちんと揃え、この上もなく幸せそうな微笑みを浮かべてクルーガーを見上げる。


「クルーガーは、わたしが塔で錫杖の解除を受けている長い年月の間、時間が許す限り何度も、塔に足を運んでくださいましたよね。そしてわたしに、いろいろな話をしてくださいました」


「そうだが……でも何故それを。ルシカか誰かから話を聞いたのかい?」


「いいえ。あの、わたし……ずっと聞いていたんです。あなたが来てくださって、扉の前でいろいろ話してくださったことを」


 聞いていた、と語られて、クルーガーが唖然とする。確かに塔へと通っていたとき、扉の前でマイナに語りかけるようにいろいろな話をしていたことは事実だ。だが、あの塔の内部は亜空間として外界から切り離されているものだとばかり思っていたのである。


 マイナは頬を染めて嬉しそうな表情で微笑み、穏やかに言葉を続けた。


「冬の大雪のときのこと、塔の外の様子、ルシカさんの出産の時の大騒ぎのこと、隣国とのパーティで気疲れしてしまったこと、国政会議での騒動のこと、ルーファスさんにわたしのことを納得してもらったこと……嬉しかったこと、吃驚したこと、なさけなかったこと。あなたはわたしに向けていろいろ語って聞かせてくれました。きっとクルーガーは、わたしに本当に届いていたとは思っていなかっただろうけれども、夢見心地のうちに励まされていたんです。本当に嬉しかった――」


 マイナは語りながらも、真紅の瞳を潤ませていた。


「あなただけが重ねていく年月のことを思うと、わたしのために待たせてしまうことに後悔を感じてもいました。けれど、国王の仕事がどんなに大変か、どんなにたくさんあるのか、わたしはあなたが迎えに来てくれたあとのこの二週間で、よくわかりました。そんななかでもあんなにたくさん塔に来てくださったこと……時間を作るだけでもすごく大変だったことを知って、とても驚きました。だから、だから」


 伝えたかったんです。どうしても。あなたに、ありがとう、と――その言葉は喜びと感謝の涙に滲んでしまい、唇の動きとなってクルーガーに伝わった。


 クルーガーは虚を突かれたように硬直していたが、やがてゆっくりと口もとをほころばせた。


「あれを全部聞かれていたと――いや、声が届いているといいなとは思っていたが、実際に届いていたとは……」


 クルゥエエエールゥルルル。


 ふたりの背後に首を伸ばしたプニールが、からかうような啼き声を発した。クルーガーは珍しくも照れくさそうに頬を掻き、それから微笑して、マイナをしっかりと抱きしめた。

 

「では行ってくる。計画が恙無つつがなく成功するよう、祈っていてくれ。すぐに君のもとに戻ってくるよ」


「はい。クルーガー、どうか気をつけてください」


「俺は大丈夫だ。マイナも気をつけて――プニール、頼んだぞ」


 クルルルゥ。


 魔竜のいらえを聞いたクルーガーは微笑み、すぐに口もとを引き結んで下の広場に戻っていった。





 テロンは港に停泊している白亜の帆船トップスルスクーナー――リミエラ号の甲板に立ち、その船を所有している仲間に用件を伝えていた。


 天候もよく眼に眩しいほどに輝いていた海面であったが、太陽が傾くにつれて海風も穏やかになっている。そんな海面から顔を突き出しているのは、どれほどに長さがあるのか上からでは判断がつかぬほどに長大な胴体と、事情を知らぬものが見れば悲鳴をあげて卒倒しかねないほど怖ろしげな印象の頭部をもつ魔獣であった。


 中型の帆船の横幅ほどもありそうな巨大な頭部には、エラのような突起が並んでいる。蛇のような外観だが、呼吸については空気中でも海中でも問題ないようだ。ドラゴンの瞳のように瞳孔が大きく、希有な宝石よりもなお美しい彼の瞳の奥には、はっきりとした知性の光がある。


 ウルと名づけられた、『海蛇王シーサーペント』である。本来海に生息し、上位魔獣である彼はルシカやテロンたちと魔の海域での探索の途中で巡り会い、友人になった。その後王都までついてきて、グリマイフロウ老が彼の為に設計した魔導船を一隻もらい、このソサリア王国の北部である三角江エスチュアリー内に居ついたのである。


 主に食するのは魚であるが大型のものを好むため、ここより北にある魔の海域グリエフ海にまで出かけていってたらふく食べてくるのだ。なので、漁業を生業とする漁師たちと争うことなく、うまく折り合いをつけている。むしろ、海賊等の被害が皆無となり、海上交易が盛んな周辺都市からは喜ばれる存在となっているのであった。


「――ルシカが懸念し、予見している内容はこれですべてだ。あとはウルの判断に任せるよ。ただ、そういう可能性があるのは理解していてくれ」


 ウルゥルルルルゥゥゥ。


 了解した、という響きの返事であることがテロンにもわかる。かれこれ十六年になろうかという長い付き合いなのだ。


 ウルはテロンにそっと鼻先を押し付けてきた。こちらの全身が映りこむのではと思うほどに巨大な眼球が、もの言いたげにじっとこちらを見つめている。それに気づいたテロンは、相手を安心させるように目の前の表皮を優しく叩いてやった。


「おまえの気持ちは理解できるよ。――そうだな。今回も無茶をしないでほしいが……ルシカは無茶をしたくてしているわけでもないからな。俺たちで護ってやらなくてはならない」


 同意するように『海蛇王シーサーペント』の首が微かに上下に揺れた。


 テロンは眼を閉じ――それからゆっくりと開いてウルに微笑んでみせ、甲板から降りた。そろそろルシカも戻っている頃だろう。


 王宮へと駆け走る街並みを吹く風は、ひんやりとしたものに変わっている。空の色彩が抜けるように透明になり、西の地表に近い部分から全体へと赤く染まりつつあった。


 この王都からは遠い『大陸中央』フェンリル山脈の中心であるザルバーン。そこから迫り来る脅威がミディアル周辺にて目視で確認されるのは、このすぐ後のことである――。


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