古代龍と時の翼 9-32 炎の龍と水の決戦

 森の静寂しじまは剣が打ち付けられる音に取って代わられ、夜行性の魔獣たちの気配は炎と鉤爪に掻き消されていた。厳しくも温もりに満ちた森と鏡のような大河の流れ――そのような光景はいま何処にもない。


 ひとや魔獣たちの連携によって地面へと引きずり降ろされた古代龍は、はじめの屈辱が抜けるとすぐに猛烈な反撃を開始してきた。


 鋭い突起の生えた尾が大地を薙ぎ払い、木々とともに甲冑を着込んだ兵士たちを簡単に宙へ弾き飛ばした。脚に喰らいついていた魔竜と魔狼が振り払われ、うち一体が大地に叩きつけられ動きを止めた。


 祖父の代で戦乱の時代が終わり、平和の時代となって久しい。兵士たちにとって、魔獣討伐や暗躍する賊たちとの戦いはあっても、これほどの巨躯を持つ生き物との戦闘経験はないのだ。兵士のほとんどが相手の何処に狙いを定めれば良いのか迷い、無駄な突撃を繰り返しては鋼のような鱗に弾き返されている。


「まずは前脚を狙え! はねは魔法に任せておけッ!」


 テロンは出しうる限りの大声で叫んだ。相手に聞かれようとも、どうせ心の内まで読まれているようなものだろう。相手は自分たちより遙かに知能の高い生き物なのだから。だが、それゆえに隙も生じる。


「一箇所に固まるなッ! 一撃を食らわせたらすぐに退しりぞけ、詠唱のタイミングに合わせろッ!」


 テロンは闇雲に動き回る兵士たちに声を張りあげた。


 古代龍は脚に群がる兵士たちを蹴り飛ばし、後脚のみで立ち上がって周囲を睥睨した。牙の並ぶ顎の硬そうな皮膚をめくりあげる。明らかに嗤っているのだとわかる――侮蔑の、そして残忍な嗤い。人間族ごときに何ができるのかと嘲笑っているのだ。


 空にすぐ舞い上がろうとしないのは、自らを大地に引きずり下ろした生き物たちの思い上がりにたっぷり報復を果たしてからと考えているからに他ならない。それに何より、すぐに逃げたと思われるのがしゃくなのだ――それが本能のみでは動けない、知性あるものの落とし穴だ。


 しかし――これほどまでに強敵だったとは。テロンは兵士たちがやすやすと撥ね退けられているのを目の当たりにして、きつく拳を握り締めた。


 離れた場所には魔術師たちが整列している。すでに同じ魔法の詠唱を一斉に開始しているのだ。テロンの耳に魔法のことわりを紡ぐ声が潮騒のようにひたひたと押し寄せる。その声が高まってゆくのを感じ、テロンは再び声を張りあげた。


「詠唱、終わるぞ!」


 古代龍に打ちかかっていた兵士たちが一斉に身を引く。そこへ丁度、古代龍の首が降りてきてあぎとを閉じた。タイミングの良い号令に、龍の視線が忌々しげにカッとテロンに向けられたとき、詠唱が完成した。


 まるで標高たかい場所へ転移したときのようにキィンと鳴る音が内耳を揺さぶり、空気のいろが変化した。『真空嵐ウィンドストーム』である。魔法によって刃となった真空が古代龍の翅二枚を包み込み、ずたずたに切り裂いてゆく。


 続いてルシカの『分解ディスインテグレイト』が炸裂した。右に残る翅二枚が逆棘のように突出している胴体部位もろともごっそりと塵になって掻き消える。皮膚の一部も消し飛ばされたのが効いたのか、龍が苦痛に激しく身をよじった。


 テロンはその光景を見て目を見張った。魔導士というものがいかに希有で、いかに強大な存在であるかを知らしめるような力の差――魔術師の数十人が束になっても、ルシカひとり分の攻撃に敵わない。周囲から「オォッ」というどよめきが起こり、刹那、賞賛するような視線が宮廷魔導士に向けられた。


 だがテロンにはわかっている。魔術より強大であるがゆえに、魔導士の行使する魔導の技は消耗が激しい。


「……はぁっ、はぁ」


 腕を下ろしたルシカが息をつき、膝を落とさないまでもふらりとよろめいた。だが、すぐに唾を呑み無理に顔を上げ、凛とした声を発する。


「残る左も狙って!」


 狙いは翅だ。空に上がられたら文字通り手も足も出せなくなるからだ。魔術師たちの数は他国より遙かに多いソサリアだが、今回の陣容ではミディアルの内外に配置された人員がそのほとんどを占めていた。ここに集った魔術師は交代で詠唱できるほどに人数が確保されていない。ルシカの号令で、魔術師たちがすぐに次の詠唱を開始する。


 ――おのれっ、『万色』の魔導士ィィィイッ!


 古代龍が牙顎を軋らせ、噛みしめた間から憎悪の唸りを発した。前脚を振り上げ、そこに剣を突きたてていた数人の兵士たちを払い落とす。憎々しげに力の籠められた古代龍の眼は、再び足もとに押し寄せてきた兵士たちを跳び越え、ルシカたち魔法使いのいる場所をめつけている。


 テロンはその前脚が虚空を滑るように動き、魔導特有の青と緑の光を生じたのを見た。光が駆け奔り、空中に輝く魔法陣を描き出す。その中央部分が透けるような紅蓮の色に染まってゆく。


「魔法が来るぞッ!」


 テロンが後方に声を張り上げた瞬間――!


 ゴオォォォオオオゥゥッ!!


 炎が魔法陣から大量に吐き出された。まるでつぶてだ。『火球ファイアボール』なのだろうが、その数が想像を絶している。それらは詠唱を続ける魔術師たちに向けて真っ直ぐに飛んでいく……!


 ルシカがその炎の真正面に駆け込むのが見えた。テロンはすぐに地面を蹴り、彼女に向かって走り出した。


「護りの障壁を!」


 ルシカが腕を斜め上に突き出す。『完全魔法防御パーフェクトバリア』だ。


 咲き開く花火のように一瞬で展開された光の障壁が、炎の弾をズシズシと受け止めていく。衝突と同時に周囲に凄まじい音と衝撃が生じ、大気が渦を巻いた。踏み止まれなかったものが地面を転がる。


 だが、障壁の後方にいる魔術師たちは無事だ。そしてその半数がかろうじて呪文を中断されることなく詠唱を続けている。


「……く」


 ルシカの表情が悔しそうに歪む。一枚の障壁では炎の全てを吸収しきれないのだろう――テロンはルシカのもとへ飛び込むと同時に上へ向けて『衝撃波』を放った。自分の中で収束させていたからだ内の魔力マナを拳から撃ち出したのだ。


 『衝撃波』が残る炎を虚空へと吹き散らし、そのあおりを受けて悲鳴とともに倒れこんだルシカをしっかりと胸に受け止める。すぐにテロンはその場から横っ飛びに退いた。


 一瞬後、魔術師たちの魔法が完成した。テロンたちの体があった空中を飛び越えて緑の光が突き当たり、古代龍の左の翅が一枚、真空の刃で完全に引き裂かれる。


 龍が口を開き、絶叫した。凄まじい形相をテロンとルシカの立つ大地に向ける。開かれた口蓋の奥深くから、ちろちろと炎が昇ってくる。それはすぐに渦巻く炎となって視界を満たし――。


「させません!」


 巨大な影が突っ込み、龍の横っ面に衝突した。龍は驚き、思わず炎を呑み込んだ。プニールだ。その背に人影がふたつある。


「てぃやあぁぁぁッ!」


 大きいほうの人影が魔竜の背を蹴り、古代龍の顔面に向けて剣を構えて踊りかかった。


 クルーガーの突き出す魔法剣は翠玉エメラルド色に輝いている。魔法剣に風の属性魔法を付与エンチャントさせているのだ。美しい輝きが燃え上がるように煌めき、龍の巨大な眼球に迫る。白く濁り輝く瞳の表面に、翠の刃と勇ましい魔剣士の姿とが大写しになる。龍が鋭く唸りながら前脚を動かそうとした。


 剣が突き立ったのは古代龍の眼の横、こめかみの近くだ。クルーガーは舌打ちしたが、効果はあった。痛みを感じたのだろう、次なる魔導行使のために動きかけていた前脚がびくりと痙攣し、収束しかけていた魔力マナの輝きが霧散する。


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