古代龍と時の翼 9-26 相容れぬ存在

 リューナとトルテの存在する本来の時代、すなわち千三百年をさかのぼった現代――。


 王国の南部に位置する街ハイベルアでは、いまも必死の救援活動が行われていた。古代龍が目覚めとともに引き起こした天変地異の影響は計り知れない。隣国タリスティアルともようやく連絡が取れ、テロンは連携の取れた救援体制を整えることができた。


「いま、ひとつ懸念があるのは、膨れあがった地下水の影響だわ」


 救援と避難と、古代龍が襲ってきたときの為の作戦を構築したルシカが、厳しい面持ちのまま口を開いた。ふたりが居るのは、各都市へ連絡の取れる王の執務室である。


「ザルバーンの山岳氷河が消失し、周辺の氷河湖が決壊洪水を起こすかもしれない。地形も地質も情報がなさすぎて予測がうまくいかないけれど、ディーダ湖までの住民を避難させるべきだわ」


「ザナスとハイベルアに、その為の人員がすでに向かっている。西の国境であるラテーナの源流にも。あとは……ミディアルの住民と下流域の都市だな。この王都も含めて」


「下流域に関しては、おそらく持ちこたえられると思う。もちろん楽観することはできないけれど、いまはちょうど河の流量が少ない時期だから。おととしまでに完成した堤防と側流溝もあるし……工事が終わっていて良かった。グリマイフロウ老に感謝しなきゃ」


 ルシカはそこまで語ったあと、立ち上がって長い髪を片手で背に放った。


「あたしは例のものを用意するわね、テロン。図書館棟に寄ってから『転移』で飛ぶわ」


「俺も、こちらの指揮をルーファスに引き継いでから向かうよ」


 あるじ不在の執務机をちらりと見てから、テロンも部屋をあとにした。――兄貴のほうも、うまく行っているといいが。





 『大陸中央都市』ミディアル。名称通り大陸街道の中心に位置し、交易の豊かなソサリアの地にあり、もうひとつの交易都市テミリアやその先の王都ミストーナへ向かう際の重要な拠点として発展した歴史を持つ。


 大陸でも有数の貿易都市であり、また世界の主要種族である人間族、飛翔族、竜人族、魔人族、エルフ族以外にも、珍しいとされる少数種族も多く住んでいる。毎日大小さまざまな規模の隊商も訪れることから、滞在している人口は王都に勝るとも劣らないほどだ。


 けれど歴史上輝かしい時代ばかりではなく、先々王の時代には東のラシエト聖王国との戦乱のなかにあり、交易盛んな利便性が災いして、激戦区のひとつに挙げられていた都市でもあった。


「十五年前の襲撃のとき、わたしのなかに封印されていた『従僕の錫杖』によって、多くの犠牲者を出した街でもあるんですよね……」


「君のせいではない。俺が襲撃の可能性を考慮できていれば、あれほどの被害を出さずに済んでいたかも知れないのだ」


 行政区域の中央にある都市管理庁のなかで、都市を見渡せる窓に歩み寄っていた黒髪の少女が真紅の瞳を濡らし、隣に立った金髪長身の男がその肩を抱いて、さまざまな想いを映した瞳で都市を見下ろしていた。


 マイナとクルーガーである。クルーガーは王衣ではなく、軽鎧を着込んで愛用の長剣を腰に帯び、マイナはドレスではなく動きやすく丈の短い衣服に身を包んでいた。ふたりが居るのは部屋ではなく、王宮からの『転移』の魔法陣が描かれた最上階のホールの一角だ。


「我らは神ではありません。事が起こる前にすべてを察知し、完璧に対処しておくなどということは不可能です。それができなかったと嘆くのは、ひとの思いあがりではありませんか」


 声をかけて近づいてきたのは、『光の主神』ラートゥルのミディアル神殿の司祭であった。よわい七十を数える人生経験豊富な賢人である。飾るところのないストレートな物言いが、法と正義を司るラートゥルの司祭に相応しいともいえた。


「相変わらず手厳しい、マリウス老」


「ヤンチャ坊主の頃と、国王になって落ち着いた今と、正義感の強いところは変わりないようですな」


「おかげさまで真っ直ぐに育ったと言うべきかな。それにしても市長の姿が見えないようだが――お、来たか」


「申しわけございません、国王陛下。くだんの品の結界を解くのに手間取っておりましたので」


 ホールへ続く階段を駆け上がってきた若者が、そのままの勢いで足早に歩み寄ってきた。リヒャルディアのあとに就任したというヴァルス市長である。ひょろりとした外見であるが利発そうな眼をしていて、交渉術や頭脳が勝負となる交易都市の代表としては優秀な人物であった。手に布包みを大事そうに抱えている。


「気にするな、急だったからな。むしろ結界解除までしておいてくれたこと、助かる。魔導士の魔力マナは極力温存しておきたいのでな」


 クルーガーたちは儀礼的な挨拶を交わし、すぐに本題に入った。


「ルシカさまより、この品に関する説明は受けております。それで――これがその魔晶石ましょうせきでして」


 ヴァルス市長が手に持っていた布包みを慎重に開いた。ほどける布の隙間からも眼を射るほどに強い脈動する光を放つ、手のひらほどの大きさの美しい石が出てきた。あらわになった石の光に照らされて、陽光あふれているホールであってもなお、それぞれの後ろに影ができたほどだ。


「すごい……瞳が焼けてしまいそうなほど強い魔力マナですね、純粋なる結晶といわれるだけあって。これが『時』の力を持つ魔晶石ですか……」


 自身も魔導士であるマイナが、魔力の流れを見ることのできる瞳を保護するために手を眼前にかざしながら言った。


「『時空間』の大魔導士の遺した魔晶石。これを包んでいた幾重にもあった封印を、ルシカひとりで今朝がた解いたというのだから、あの疲れも無理はなかったのだな」


 せばめた眼で魔晶石を見つめながら、クルーガーがつぶやく。保存用に残された只一枚の結界を解除するだけでも優秀な魔術師たちが手間取ったというのに、『万色』の魔導士はこの石の存在を完全に封じていた幾つもの魔法結界をひとりで一気に解放したのだから。相も変わらず無茶をしている、とクルーガーは友人の身を案じて瞳を伏せた。


「陛下――くれぐれもお気をつけて。古代龍とやらの報告は受けております。それに、これほどの魔力マナなのです。夜闇に輝く灯台さながら、周辺の魔獣たちの注意も惹きつけましょう。狙われる可能性があります」


 さしものヴァルス市長もクルーガーの内なる想いまでは理解しきれなかったらしい。見当違いの懸念ではあったが、クルーガーはニヤリと笑ってみせた。


「魔獣に関しては問題ないぞ。こちらには優れた『使魔』の魔導士がついているからな」


 クルーガーがちらりと眼をやると、マイナはハッと眼を開いて頬を染めた。その瞳が一瞬輝きを増したのを見て、彼は微笑んで彼女に応えた。そしておもむろに手を伸ばし、ヴァルス市長の手から魔晶石を受け取った。見かけに反して重量は軽い。ルシカが以前手にしていた『万色の杖』の先端にまっていた魔晶石も、重量に関しては薄いガラス細工のようだと思った覚えがあった。


 考えてみれば、魔力というものに質量があるのなら、魔導士として体の内に相当な濃さの魔力を内包している者たちは相応に重くなるはずなのだ。


「そうなるといろいろ困ることになるなァ」


 ――などと益体やくたいもないことをつい考えてしまうクルーガーであった。義妹と婚約者が魔導士なのだから、ひとごとではないので無理もないが。


 クルーガーは魔晶石を普通の絹布で丁寧に包み込み、懐に入れた。大きさがあるものなので、鎧の上に着ているサーコートの内側に収めた、というほうが正しいのかもしれない。


「俺たちはこのまま布陣してある場所へ向かう。マリウス老、各神殿の状況は?」


「ラートゥル神殿の守護騎士たちは、すでに向かわせました。ファシエル神殿からも神官たちによる救護班と守護騎士たちが出ております。他の神殿は街や周辺の町村へと派遣され、王宮よりの兵たちとともに避難のための準備をはじめています」


 司祭が報告し、あとを継ぐようにヴァルス市長が口を開いた。


「ミディアルの各ギルドもすでに動きはじめています。冒険者ギルドからは、ディドルク殿とリンダ殿がそれぞれ都市の外と中に冒険者の各パーティを配置したと報告を受けておりますから、都市の自治防衛隊とあわせて守りの態勢は整いつつあります」


「そうか――迅速な対応だな。せんの悪夢は繰り返さぬ。そして勝利した先にもひとびとの生活はあるのだからな。被害を最小限に食い止め、犠牲者を出さずにいこう。それがたとえ理想論であってもそれに向けて尽力することはできる」


 クルーガーは振り返り、窓の外を見た。すでに太陽は天頂を過ぎ、西へ西へと傾いている。


 ルシカによると、おそらく古代龍はこの遣り取りをもすべて見ることになるだろうということだった。だが、相手は神ではない――たとえ並び称されようとも、決して同じではないのだ。このように主要な遣り取りをすべて目撃していても、同時に展開されている多数エリアの動向まで――ソサリア王国全土の様子までは完璧に把握できていないはずであった。


「俺たちはそこに勝機を見い出す」


 ソサリアの国王は心の内で決然と囁き、傍らの婚約者であり心強い仲間である少女とともに、仲間たちと合流するために歩きはじめた。


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