古代龍と時の翼 9-25 闇夜の襲撃

「リューナ!」


 地面に落ちたところに駆けつけたトルテに助け起こされ、魔導による『治癒ヒーリング』を受けて何とか立ち上がる。鼻と口から流れた血の跡を腕で乱暴にこするようにして拭い、リューナは首を振った。


「うぐ……。いまのは『衝撃光インパクトライト』だ。けど何故、『光』の最上位魔法まで行使できるんだッ? 魔導の常識では、多くてもふたつまでしか最上位魔法を使えないはず」


「その通りです、リューナ。普通、魔導の力の名は誰であっても、生まれながらにしてひとつかふたつしか持つことができないはずなんです。その制限を受けないのは、あたし以外には他ならないルシカかあさまだけのはずなのに……!」


 ――そうとも、さかしい娘よ。我であってもその制限からは逃れられぬ。だがしかし、いまの我が力に限界はない。そのためにも苦労して『万色』の力を手に入れたのだからな。フフフ……。


 リューナが耳を疑い、トルテが蒼白になった。


「何ですって……?」


「どういうことだッ! 『万色』の力は極めて稀な存在のはずだ。生まれながらに持ち得る力だと聞いているぞ。だからたとえ『万色の杖』があったとしても、それで『万色』という万能の魔導の力が手に入るわけでもない」


 そこまで言ってリューナは気づき、息を呑んだ。


「……な、まさか、おまえ……」


 ――正解だぞ、おまえがいま考えた通りだ。フフフ……怖ろしい考えか? だが真実なのだ。我は『万色』の魔導士を喰らって体内に取り込んだのだよ。千三百年前に、力と記憶と知識その全てをな……フフ。


「……う、嘘だ!!」


 龍はわらった。


 ――この偉大なるわれが、おまえらごとき虫ケラに嘘をついて何になる。そこな魔導の娘よ。見てわかるだろう? さぁ、おまえはもう気づいているはずだ、母の魔力マナの気配に。そして父の……伯父の気配にも。


 トルテはへなへなと地面に崩折れるように座り込んだ。魔導の流れを見定めることのできるオレンジ色の瞳にだけ、異常なまでの力を込めて。認めたくない事実を否定したくて、必死に眼を凝らしているのだ。


「……あ……あぁ……そん、な」


「トルテ……トルテ!?」


 ――わかったら、絶望のまま逝くが良い!!


 シニスターの腕先から雷撃の魔法が放たれた。リューナは反射的にトルテを抱え、かばおうとした。


「させないぞ!!」


 古代龍とリューナたちの間に、大きなものが割って入った。ディアンの乗る魔導航空機ヴィメリスターだ。雷撃は銀色の機体に直撃して爆ぜ、その勢いのまま散じた。周囲に硫黄のような臭いが立ち込め、大地の上を小さな雷が蛇のようにのたうちまわる。


 幾つもの悲鳴が交錯した。リューナは苦痛に顔を歪め、トルテは必死に自分のなかの魔力マナを集めた。雷撃は周囲にいたエオニアやラハン、ルミララをも打ち据えていた。魔導航空機ヴィメリスターの後方が弾けとび、機体が空高く舞い上がる。そしてきりきりと舞いながら離れた地面に落ち、爆発炎上したのである。


「ディアン!? いやあぁぁぁぁあ!」


 エオニアの悲鳴があがる。そのエオニアを、続けて放たれた次の電撃が襲った。傍にいたルミララとラハンが衝撃に弾き飛ばされる。


 シニスターは煙を上げる機体をつまらなさそうに一瞥してから、好奇そのものの瞳になって倒れ伏すエオニアに向いた。うっそりと笑うように顎を開き、唄うように邪悪な思念を響かせる。


 ――『五宝物』のなかで最も強力な品、『従僕の錫杖』。その復活の引き金は宿主の『生命の危機』。封印は心に受けた衝撃と絶望によって解き放たれ、錫杖は血潮と魔力の収束器官と結びついて具現化される。


 リューナはしびれる腕のまま剣を握り、何とか立ち上がって眼前に構えた。だが、背にした後方から凄まじいほど急速に濃くなっていく魔導の気配と突然放出されはじめた光に、思わず振り返る。


 エオニアの全身が赤い輝きに包まれていた。脈打つような光の根源はその体内にあった――胸の心臓と同じ位置に、光が反転したような影が現れたのである。影なのに、魔導の瞳を焼くほどに眩い輝きを発しているのだ。


「な……あれはまさか!?」


 リューナは眼をすがめた。その光景は、かつてミディアルを襲った『従僕の錫杖』の降臨のときの昔語りと同じであったのだ。だが――その古代の宝物は十五年の年月をかけ、地上から完全に消去されたはずだった。


 次々と受ける精神的なダメージが大きすぎるのだろう。トルテはがくがくと震えおののくばかりで、座り込んだまま立ち上がることができなくなっている。


 ――ザルバーンの地の奥深くで再びわれが目覚めたあと、ソサリアの地を治めていた王とその片割れがのこのこと偵察として乗り込んできたのだ。我はそやつらを捕らえ、喰った。そののちの王都での決戦で魔導士どもをも喰らい、力を取り込んだ。知識も記憶も、その全てが我のなかに流れ込んでおる。


 古代龍は語った。口調には得意げな響きを滲ませ、どうだといわんばかりに打ちひしがれている少女を見下ろしている。リューナの内に、ふつふつと沸いてくる猛烈な怒りがあった。


「……てめェ……!」


 激情のままに剣を構えて飛び出そうとしたとき、背後に走りこんできた影があった。リューナがハッとして振り返る。エオニアが倒れ伏しているはずの場所だ。


 そいつはすぐに大きく跳び退すさって背後の廃墟の上に降り立ち、リューナたちに向けて顔をあげた。


 その腕には抱きかかえられているエオニアの体があった。完全に意識を失っているのか細い体はぐったりとして生気がなく、腕と首がだらりと垂れ下がっている。地面に倒れ伏したままのラハンが腕を突っ張り、起き上がろうとしているのが、リューナの視界の端に映った。その苦悶の表情に、エオニアを抱えている相手が誰なのかをリューナは悟った。


 ラハンが叫ぶ。


「ラスカ! 莫迦な……莫迦な真似はやめるんだ!!」


 親であるはずのラハンの言葉を薄い微笑で聞き流し、男は古代龍を見上げた。ラハンとよく似た声が張り詰めた空気のなかに響き渡る。


「……シニスター! この女はおまえに引き渡す。が、俺との約束は忘れていないだろうな?」


 ――愛すべきこまよ、忘れてはおらぬぞ。よくやった。では我が都エターナルの城にて交渉しよう。先に戻っておるが良い。


「ならば」


 ラスカと呼ばれた男はニヤリと微笑み、一礼して柱の背後に消えた。


「待ちやがれ!」


 リューナは追おうとして気づいた。神殿跡の背後から現れた別の魔導航空機ヴィメリスターの存在に。はなから拉致だけに目的を置き、逃亡の手立てを整えていたのだろう。その手際は鮮やかで、リューナが柱に向けて跳躍したときにはすでに機体は手の届かない高さに舞い上がっていた。遠く……遠く、離れていく。


「くそぉっ!」

 

「何てことだッ!」


 少し離れた場所にガクリと膝をつくように降り立った人影に首を巡らせ、リューナは驚いた。背中に翼を持つ友人は、肩を震わせてみるみる遠ざかっていく機影を見つめている。


「ディアン! ――無事だったのか」


「僕は飛翔族だよ。墜落死なんてあるものか……。けれど彼女を助けることができなかった……ううぅ」


――力なき者よ。我は興ざめた……その命尽きるまで己が非力さを呪い、絶望とともに朽ち果てるが良い……!


 古代龍シニスターはわらい、そのまま悠然と背を向けた。その巨大な翅が打ち付ける風は嘲るようにリューナの髪をなぶった。巨大な影が離れていく……。後に残されたのは敗北に打ちひしがれたいくつもの影と、爆ぜ割られて黒く焦がされた大地、そして圧倒的な絶望感だった。


 トルテの体がふらりと揺れた。座った姿勢のままぱたりと地面に倒れる。長い髪が地面に流れるように広がった。


「トルテッ……!」


 リューナは少女の細く小さな体を抱き起こし、全身を震わせた。ディアンが歩み寄る気配があり、つぶやくような声が背中に触れる。


「……トルテは?」


「ああ。ショックを受けて……気を失っている」


「……無理もないよね。それにしても、何てことだ。……ハイラプラス殿も取り込まれてしまったのだろうか」


 リューナは腕のなかの小さな体を抱きしめた。その温かさに涙があふれそうになる。リューナは囁くように繰り返した。


「わからない。だが……こんな現実があっていいはずがない。あるはずがないんだ……」





「リューナ……」


 リューナの傍の地面に寝かされていたトルテが上体を起こし、体に掛けられていた毛布に気づいて首を周囲に巡らせた。森のなかにある天然の洞穴を利用した空間で、頭上にはくすんだ黄金色に輝く金属の機体がある。


 ラハンが言っていたもうひとつの移動手段とは、ひとつ型の古い魔導航空機ヴィメリスターだった。リューナとディアンの行使した『治癒ヒーリング』で動けるほどに回復し、その隠し場所まで移動したのである。


「ディアンやラハン、ルミララさんはいま起動のためのチェックをしている。この機体が飛べるように整備しているんだ。エオニアは……拉致された。古代龍は俺たちを放って引き揚げてしまった」


「そんな……」


 トルテは涙をあふれさせ、傍に寄ったリューナの首にすがりついてきた。


 激しくしゃくりあげながら腕に力を込めてくる。やわらかくしなやかな体が押し付けられ、リューナは自分が熱くなるのを感じた。だが、それどころではないのを知っている。トルテをやんわりと抱きしめ、その背中を何度も撫でさすった。


「リューナ、あたし、あたしどうしたらいいのでしょう……。テロンとうさまもルシカかあさまも殺されて……信じられない、信じたくはなかった。でも見えたんです、なつかしい輝きが……」


 リューナは唇を噛みしめ顎を震わせたあと、何とか落ち着きを取り戻した声で言った。


「国王たちは俺たちが出発したあと、ミディアルに向かったはずなんだ。もしいますぐ戻って警告できたのなら……。ん? 待てよ、おかしいぞ、トルテ」


「え?」


 リューナの言葉に、トルテが体を離した。


 至近距離で揺れるオレンジ色の瞳がリューナを見つめる。自分の考えをまとめる暇もないまま、リューナは言葉を続けた。


「俺が『歴史の宝珠』を探しに行って戻ってきて、みんなが集まっている執務室に行ったよな。当初は確かに、ザルバーンへ偵察に行くとかいう話になっていたと言っていた。けど結局、俺たちの話を聞いたトルテのかあさんが、ザルバーンへ行かずにミディアルに向かうべきだって、言ったんだったよな……? そうだ! 俺、確かに聞いたぞ。国王が同意して、ミディアルに布陣することについて話していたことを!」


「それって、つまり――」


「つまりさ、古代龍が話していた歴史は、その通りにならなかったはずなんだ!」


「じゃあ……」


「そうさ、トルテ! 歴史は俺たちがハイラプラスのおっさんのメッセージを受け取ったことで、不確かなものになっているのかも知れない。まだいろいろよくわかんねぇけど、きっと何とかなる。そんな気がしてきた……!」


「あぁ、リューナ。それってもしかして、もしかしなくても希望ですよね!?」


「ああ、トルテ! きっと……!」


 苦くくらく長い夜が過ぎ去り、森の隙間から見える東の空が白みはじめている。闇夜に沈んでいた空に、ゆっくりと、だが確実に、あたたかなオレンジ色の光が満ちはじめていた。


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