古代龍と時の翼 9-27 相容れぬ存在

「ルシカ」


 呼ばれたルシカは『転移の間』の巨大魔法陣へ至るきざはしの前で立ち止まり、くるりと振り返った。やわらかな金の髪が踊り、オレンジ色の瞳が曇りひとつない陽光のようにきらめく。すべらかな頬には健康そうな色が戻り、いつものような元気さと快活さを感じさせた。


「テロン」


 図書館棟の文官たちがかき集めてきてくれた魔晶石――ただしこちらは魔力マナを蓄えただけのもの――の数々のおかげで、ルシカはすっかり魔力と元気を取り戻していた。


 宮廷魔導士に任命されたばかりの少女の頃より責任者を任されていた図書館棟の部下たちからも、自分が倒れてしまうまで魔導を使い続ける魔導士はよほど心配されていたらしい。集められた魔晶石はかなりの数だったということだ。目の前の愛しい相手は他のみなにも好かれているのだな、とテロンは改めて思い、胸が熱くなった。


「大丈夫よ、心配しないで。みんなの気持ちを裏切るような無茶はしないから」


 テロンの想いを正しく理解しているのだろう、ルシカが首を傾げるようにしてとびきりの笑顔をみせる。テロンは頷きながらも心配そうな表情を隠せなかった。


「いいかルシカ。例の箱を見つけたら、すぐに俺たちのほうに合流してくるんだ。それ以上は何があっても、決してひとりでは行動するなよ」


「大丈夫よ、テロン。自分だけで困難を抱えこむことはしないわ。特攻もしない。ね、あたしが嘘を言ったことがあったかしら?」


「平気よ、というのはいつでも嘘っぽいんだけどな」


 テロンは彼女までの一歩を詰めて妻の肩を抱き寄せ、そっと自分の胸に引き寄せた。


「……テロン」


 ルシカが腕の中であたたかい息を吐き、そっと眼を閉じる。テロンはしなやかなルシカの体の感触を感じながら、いつくしむようにゆっくりと抱きしめた。静かな口調で言う。


「今度の相手は今までのような敵とは違う。純然たる現生界の存在だ。魔法だけで勝てる相手ではないし、剣や拳だけで勝てる相手でもない」


「うん。みんなで協力しないと勝てない。そして同じ世界の生き物同士、互いの存続を賭けた戦いになるでしょうね……。でもまあ、邪神を相手にして戦うほうがよほど手強いと思うわよ」


 ルシカが微笑み、パートナーであるテロンを見上げる。テロンは自分の顔が映りこんでいる瞳を覗きこむようにしてかがみこみ、妻の額をコツンと優しく小突いた。


「そのときの経験があるから、心穏やかではいられないんじゃないか」


「そうね、ごめんなさい」


 ルシカは途端にしょんぼりしてしまった。やれやれ、とテロンが嘆息し、通常の口調に戻して口を開く。


「ところで――ティアヌとリーファには、連絡取れそうなのか?」


「ええ、おそらくは。王宮からミディアルへ向かったのは一週間前のことだもの。いまは冒険者ギルドのミディアル支部に滞在しているはずだし、こちらの連絡は伝わっていると思う。ディドルクさんやマウたちもすでに動いている頃だと思うわ」


 ルシカは考えを巡らせつつ答えた。


「すぐに動かせる人材を余すことなく配備して、何とか戦力的に足りるかなというのが本音ね。『転移』できる者たちも限られているし。――でも、もし戦闘になっても、あたしたちは必ず勝たなくてはならないわ」


 テロンは頷いた。


「そうだな。俺たちは民を守らなくてはならないのだから」


「そう、たとえこの命に代えても――」


 テロンはぎくりとした。鼓動が乱れ、不安に瞳が揺れる。「ルシ――」と思わず呼びかけようとすると、ルシカは首を振り、瞳に力を篭めてテロンを真っ直ぐに見つめたのである。


「と、言うのは簡単だけれど……あたしは命と引き換えにする気はないわ」


 濁りのない清らかなオレンジ色の瞳は、傍に安置されて輝く『転移』の宝玉オーブの光を映しこみ、微笑むようにやわらかな光に満ちていた。


「残されるほうのことを考えると、そんな安易な方法は選べない。必ずどちらも無事で勝利すること。護るものも、そして自分も。たとえそれがどんなに困難なことであっても――決して、決してあきらめないんだって。そう教えてくれたのは他でもない、テロン、あなたなのだから」


 ルシカの揺るぎない信頼を感じ、テロンのなかで不安や懸念が静まった。まるで澄み渡った湖底深くの泉のように。底深いところから温かく途方もない力が湧いてくる気がした。


「ああ。それに俺は、護りたいものがたくさんある。ルシカも、家族も、兄貴も仲間たちも、国のみんなも。すべてだ。どれひとつとして失いたくない」


「同じ気持ちよ、あなたと」


 ルシカは明るい表情で言った。力強い眼差しになり、はきはきと言葉を続ける。


「そのためにも、いまは行動すること。迅速に、そして大胆に。――じゃあ、あたしももう行くね。テロン、また後で」


「こっちは任せろ。あいつは、ルシカか俺でないと話ができないからな。解除の為に無理はするなよ。また後で必ず――」


 王国の護り手であるテロンとルシカ――夫婦は少しの間見つめ合い、互いに相手を元気づけるための微笑を浮かべ……その微笑の形のまま唇を重ねあった。


 それからすぐにきびすをかえし、それぞれの役割を果たすため――ルシカは『転移』の魔法陣へ、テロンは友人に説明するため、王都の港へと向かったのである。





 古代龍は久しぶりにたかぶる感情を感じていた。落ち着けようと努力してはいるが、はやる気持ちのためにかえって苛立ちを強めてしまう。


 ――まったく、あの『万色』の魔導士めが。人間族の分際で……。鉤爪のひと弾きで引き裂かれるほどやわらかな身であるくせに。


 静まることのない心のせめてもの慰めにと無意識のうちに前脚で掻きえぐった大地は、すでに見る影もなく爆ぜ割れており、あまりの手応えのなさにかえって憤りをあおるのであった。


 ――乗り込んでくると思うたソサリアの王どもが来る気配もなく、魔導士どもも国土のあちこちに散って何やら不可解な動きを……ぬううぅぅぅッ!


 鼻から噴出された灼熱する息が礫岩れきがんを溶かしている間にも、古代龍は白色矮星にも似た瞳を下界に向け続けている。体の内に取り込んだはずの『時間』の魔導の力が、何故かまったく役に立たなくなっていることもせなかった。


 加えていえば、願いを叶えるためのはしらたる娘を取り逃がしてしまったことも相当な誤算であった。腹立たしいことに、それも『万色』の魔導士が要らぬ入れ知恵をしたからに違いないのである。


 いまや、すべての歯車が狂いはじめていると認めざるをえない。


 ――われの眼を誤魔化すことができると思っているわけではあるまいな。あの石の行方を暗まそうとでもいうのか?


 そう吐き捨てた途端、古代龍は唸り声をあげて眼をせばめた。ふいに、無視できぬほどに強い輝きが閃き、彼の瞳を突き刺したのである。どうしても手に入れなければならない品を見出し、そこに否応なく心が吸い寄せられていく。


 ――ほほぉ、その石を持って何処へ行くというのだ、ソサリアの王よ。我に差し出すというのか、それを餌に我をおびき出そうとでもいうのか、はてさて。


 ズン、と大地が震撼した。古代龍が立ち上がったのである。ただひとつの願いは事象のはてにて叶うはずなのだと信じ、永劫にも等しい年月を生きてきた始原の龍が。


 ――すべてを焼き払い、地の淵に呑み込ませてでも、我は必要なものを手に入れる。真なる意味での『神』となり、我は到達するのだ、次元の極みに。


 龍は瞑目し、次いでカッと双眼を開いた。おもむろに八枚のはねを開き、フェンリル山脈を下るべく空へと舞い上がる。あとに残されたもうひとつの影に、願いの完遂の誓いを立てて。


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