古代龍と時の翼 9-21 闇夜の襲撃
ハイラプラスが言っているのは、魔法に関する制限についてであった。
つまり本来魔法には、創造、破壊、時間、空間、召喚、幻覚、察知などの属性があり、魔導士や魔術師は中級までの魔法であればほとんどの種類を使うことができる。だが最上位の魔法となると、魔導士であるものがどれかひとつ、もしくはふたつまでの種類しか行使できないという制約があるのだ。
「ですから、わたしも例外ではないのです。万能なる『神』ではないのですから」
「なるほど、お話はわかりました。僕の力の名は『封印』ですからね。専門魔導が必要とあれば、お役に立てるようベストを尽くします」
「頼りにしていますよ」
ハイラプラスはにっこりと微笑み、次いで遠くを見つめる眼つきになった。励ますようにディアンの背中を叩きながら言葉を続ける。
「神でもないのに万能の力を持つという『万色』の魔導士には、わたしもぜひお会いしてみたいのですが……生まれた時代というものだけは、どうしようもありませんからねぇ。――では、参りましょうか」
たどり着いた遺跡の最深部には、すでに宝珠封印のための用意が整えられていた。多面体で作られたような、独創的な台座が設えられている。
「では、やりましょう。完全な保存状態を維持できるよう、『歴史の宝珠』を『封印』すれば良いのですよね」
「ええ、お願いします。でもまぁ、その呼び名については納得していないのですけれど」
穏やかな笑みを変えないまま、ちょっとばかり不服そうな口調になったハイラプラスに、ディアンは思わず微笑んだ。
「そんなに気になるのでしたら、装置の名称をどこかに表示するなり明記するなりしておいたらどうでしょうか」
ディアンは軽い気持ちで思いつきを語ったのだが、その言葉にハイラプラスの笑顔が
「現代から過去へ戻り、事実を変えようとしても、それは決して変わることはないのです。リューナたちは過去へと時間を超えてやってきて、わたしたちと出逢った――そしてわたしは『歴史の宝珠』という呼び名が使われている事実を知った。つまり、知り得なければ名称を定めてこようなどと、そもそも思うことがないわけですから」
語りながら微笑を消し、ハイラプラスは真顔になってきっぱりと言った。
「現在は過去を変えることはできない。過去は現在を変えることができる。そして現在は未来を決定してゆくことができるのです」
「は、はぁ……。でもそれは、当たり前のことではないですか?」
「そうですよ」
ハイラプラスはいつもの人好きのする穏やかな笑顔に戻り、言葉を続けた。「当たり前のことなのです」と。
ディアンが『歴史の宝珠』を握りしめ、台座に向かおうと一歩踏み出したそのとき。――唐突に、大地が揺れた。
「……え、な、何が……!?」
轟音が高まり、鼓膜を圧する。何かとてつもなく巨大な存在が地下を押し通っているかのように、凄まじい振動が足元から伝わってくる。天井が緩み、一部がごっそりと抜けて地面に崩落した。瞬時に張られたハイラプラスの障壁がなければ、ふたりの体はぺしゃんこになっていたかもしれない。
「うわっ! 今度は床に穴が――」
足元の地面が抜け落ちた。異界への口のような、常闇へと続く
どこまで続いているのかも判然としない深淵から、ゴオオォォォォ、と凄まじい咆哮ともため息ともつかぬ音が吐き出されるのを聞き、ディアンは総毛だった。ハイラプラスが微笑みを消し、厳しい表情になって穴の
「……どうやら、歓迎されざる地と炎の支配者がお目覚めのようですね」
銀髪の魔導士の瞳が闇底に向けられ、鋭く
応えるように、その闇底に
――おまえは我が
頭蓋をビリビリと震わせるような怖ろしい声が――或いは思念のようなものが打ち据えんばかりに襲いかかってきたが、ハイラプラスは涼やかに銀の髪を
「ふむ、面白いことをおっしゃいますね。なるほどあなたが……始原のときより神を夢観てまどろみ続けているという『古代龍』ですか」
「ハイラプラス殿! これはいったい何なのです!」
ディアンはいつでも魔導を行使できるよう精神を高め、身構えた。だが相手の姿は見えず、感じる気配はあまりに異質なものだ。冷たい汗が首筋を伝う。
「自らを神と成さんとし、多大な迷惑を振りまこうとしているご近所さんですよ。我々と同じ、死せる定めに縛られた生き物です」
どこまでも静かなハイラプラスの言葉に揶揄する響きは僅かもなかった。不思議な哀しみに満ちたその言葉に、けれど相手は激昂し襲いかかってきた。
――ダマレェェェェェ!!
怖ろしい圧力をもった衝撃が放たれ、ディアンは木っ端のように吹き飛ばされた。最初の衝撃で意識が遠のき、身を守る魔導の技はおろか、受身をとることすらできなかった。激しく壁面に叩きつけられ、全身を襲った凄まじい痛みに、今度こそ意識が途切れてしまう――。
眼を開くと、彼は封印のために設えられていた台座に寄りかかるように倒れていた。手のなかの固い感触に眼を向け、『歴史の宝珠』を握り込んだままであることに気づいた。
「ディアン! それをすぐに『封印』してください! 急いで――」
どこからかハイラプラスの声が聞こえてきた。周囲はもうもうとあがる土煙に閉ざされ、ハイラプラスの姿は見えなかった。だが切羽詰ったその声に、ディアンは素直に従った。
魔力は充分に高められていた。腕を空中に跳ね上げ、素早く魔法陣を展開する。『歴史の宝珠』が手のひらから浮き上がり、速やかに目の前にある台座のなかに吸い込まれるようにして消えていった。
「封印は実行しました! ――どこですか、無事ですかッ?」
視野が狭い。周囲の魔の気配を探ろうと、ディアンは深く瞑目した。
――ディアン、決して諦めないでください。この先、何があっても。
希薄な思念のようなものが心に届き、ディアンは弾かれたように顔をあげた。
急速に満ちはじめた異様な気配に気づき、息を呑む。次元を繋ぐ扉が開きかけていたのである。世界の
「な……!? うわああぁぁぁぁぁぁっ」
ディアンは絶叫した。飴のように伸びゆく空間に引きずられるように、彼の存在も同様に渦の只中へと
「それで――ハイラプラスのおっさんは、どうなったんだ。無事なのかッ?」
ディアンが話を切ったとき、リューナは友人の肩を掴んだ。
「僕にもわからないんだ。意識が回復したときには、もうこっちに着いていたんだ。僕はさっきの神殿跡の前に倒れていたらしい……ラハンたちに発見され、エオニアが介抱してくれたんだ。ハイラプラス殿のことを尋ねたけれど、僕の他には誰もいなかったと言われた」
「そうだったのか……」
リューナは眼を伏せ、次いで先ほどとは違う想いを込めて友人の肩をしっかりと掴んで支えた。ディアンが何とか微笑みの形に口の端を上げ、言葉を続けた。
「古代龍……あいつはエオニアを手に入れたがっている。僕がそんなことは許さない。ラスカだけでなくエオニアまで、ラハンやルミララから奪うなんて。家族は一緒にあるべきなんだ」
「でも、どうしてエオニアは古代龍に狙われているんだ?」
「彼女には秘密があるんだ。何ものにも変えがたい秘密が」
「秘密?」
「うん。それは――」
リューナの問いにディアンが答えかけたとき、機外に閃光が走った。ズウゥゥゥンッ! という地面からの突き上げられるような衝撃と轟音――ディアンの表情がサッと変わった。
「まさかやつらが? ――エオニア!!」
ディアンが叫ぶより早く、リューナはすでに
「トルテ!」
疾風のように走るリューナの深海色の瞳に、手に現れたものと同じ抜き身の刃の輝きが煌めく。エオニアの傍にはトルテがいる。ひとの為ならば逡巡なく自分で盾になろうとするトルテが。
――古代龍だか何だか知らないが、あいつに何かあったら許さない。トルテを護る為なら、どんな相手でも俺が叩きのめしてやるッ!!
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