古代龍と時の翼 9-22 闇夜の襲撃

 トルテは、エオニアとともに神殿跡の地下に広がる空間の奥に戻っていた。


 数千年を超える年月を経ているからだろう、魔法の輝きは薄れていたが、石造りの柱にははっきりと魔導の技による維持の結界のための魔法陣が刻まれている。


 おそらく魔法王国中期に放置され無傷のままに遺されていた地下遺跡を利用し、後世になって上に神殿を築いたのだろうと思われた。トルテの魔導の瞳には見えているのだが、同じ魔導士であるはずのリューナが気づいていたのかどうかはわからない。


 リューナは今頃、ディアンからどんな話を聞かされているのだろうか。ディアンは様々な事情を抱えているようにみえた。彼が大切に想っているエオニアにも複雑な背景があるらしい――友人のためにならば、役に立ちたいと思う。リューナもきっとそうなのだろう。


「エオニアさんは、こちらに住まわれるようになってから長いのですか?」


 隣を歩く年上の女性に、トルテは尋ねてみた。内なる考えに沈みこんでいた女性は顔をあげ、薄闇のなかでもきらきらと輝いて見える赤い瞳でトルテを真っ直ぐに見返してきた。


 とってもきれいな瞳だわ、とトルテは思う。いつもは明るく笑い、優しい眼差しをしていることが多かったはず。それなのに、ここへ向かっているときから暗く沈みこんでいるのは何故なのかしら――と。


「わたしがここへ来てから、四年になるかな。両親はもう少し長いけれど。わたしは本当の娘ではないのよ。種族が違うんですもの、気づいているとは思うけれど」


 微笑むように首を傾げたので、薄桃色の髪がさらりと流れた。嘘偽りのない言葉であることはわかる。トルテは相手の嘘が見抜ける特技があるからだ――伯父であるクルーガーが言っていたが、生まれながらに人の上に立つことを期待されて様々な思惑のなかで育つと、自然と身につく特技なのだという。自分や大切なものを守るために必要になるから。


「はい。でもまるで本当のご両親みたいに思えます。とても仲良さそうで、あったかくて。やっとおうちに帰ってきたようですのに、どうして悲しそうなんですの? もし差し支えなければ、お話を聞かせていただいても構いませんか?」


「ええ」


 エオニアは足を止めた。ラハンとルミララがいる部屋が目の前だからだ。温かな光が戸口の隙間から足元まで延びている。聞かせたくない話でもあるのだろうか。


「わたしには以前の記憶がないの……そう、四年前に拾われるまでの記憶が。まるで極寒の地を歩くような厚ぼったい衣服を身に着けて、この近くに倒れていたらしいわ。ひどく衰弱していて起き上がることもできず、混乱していて言葉すら失っていたって、父が――ラハンが言っていた。たぶん精神的なショックを受けていたのね。わたしも目覚めてしばらくのことは憶えていないのよ」


「そうだったんですか」


「あれから四年。父も母もとても良くしてくれて、わたしは言葉を取り戻すことができた。兄も、いろいろなことを教えてくれて……でも今は兄は居ないの。わたしのせいでいなくなってしまったようなものかもしれない……」


「お兄さん?」


「わたしを手に入れたがっているやつが居て、その目的を達成するために兄をそそのかして、あちら側に引き入れてしまった。兄に話をしたけれど、聞いてはくれなかった。わたしのせいなのよ……兄はわたしを欲しがっている。交渉の手段……保身のための切り札として」


 エオニアの手が震えていた。トルテはその手を取り、両手でそっと包み込むように握った。


「お兄さんを一緒に連れ帰ることができなくて、とても辛い思いをなさったのですね。別離の痛みに――そしてお兄さんの決意がひるがえらないことを知り、悲しみに打ちひしがれ、さらにそれをおとうさまとおかあさまに報告しなくてはならない。それがいまも胸を締めつけているのですね」


 トルテは優しい表情のまま、瞳を狭めた。先ほどの部屋で、温かな印象に整えられた壁や調度品を見回したとき、壁にかけられていた絵姿をトルテは見ていたのだ――描かれていたのは、ラハンとルミララ、そしてラハンに顔立ちが良く似た青年だ。おそらくあの青年が、エオニアのいう兄なのだろう。


「そしてここに、あなたのお兄さんが来るかもしれない。あなたはその予感を感じ、おそれているのですね」


「……その、通りよ。でも何故あなたはそれを知っているの?」


「知っているわけではありません。そんな気がしました。あなたもディアンも、とても優しいひとですから」


 にこっと微笑んだトルテの顔を、エオニアが眼を見開いたまま見つめた。トルテは真面目な顔になり、小首を傾げた。


「でもどうしてあなたが狙われているのでしょう。それに、狙っているという相手は誰なんです?」


「――シニスターと呼ばれる『古代龍』よ。不吉そのもの、現生げんしょう界に生きる全ての生命の敵だわ。あいつは自分以外の生き物のことなど、少しも思い遣ってなんかいない。ただ自分の存続だけを考え、目的を完遂するためだけに生きているのよ」


「目的?」


「それが何なのか、わたしたちにはわからない。ただひとつ確かなことは、シニスターの支配から……傀儡かいらいと成り果てて未来への希望を失った、わたしたち現生界の生き物の本来の姿を取り戻さなければならないということ。ただそのためだけに、父や母、かつての同胞たちは戦ってきたというわ」


 強い意志を秘めたエオニアの瞳に、光が差し込んでいる。トルテが瞳をあげると、いつの間にか部屋の扉が開け放たれていた。シルエットのようになって、ラハンとルミララの夫婦が立っているのに気づく。


「――そこで立ち話も何だ、入ってきなさい、ふたりとも。それからエオニア……ラスカのことはおまえが気に病むことではない。さ、こっちへ」


「……はい、おとうさん」


 静かなラハンの言葉に、エオニアが頷く。トルテは三人の様子を眺め、そして促されるまま部屋に戻りながら、リューナのことを思っていた。


「襲ってくるかもしれないというのなら……大丈夫かしら。リューナ、ディアン」


 そのつぶやきが耳に届いたのだろう、娘の肩を抱いたラハンが、トルテを振り返った。


「ここは一度襲撃され、徹底的に破壊しつくされた跡なのだ。よもやこんな地下に隠れ家があるとは思うまい、この上に住んでいた息子だって知らないことなのだよ――灯台下暗しというやつだ」


「上にあった都市は、ずっと以前に崩壊した遺跡のように見受けられましたけれど……」


「ほとんどはそうだ――大昔に栄えていたという都市の、破壊し尽くされた成れ果てだ。だがこの神殿のすぐ側に家屋を建てていてね、そこに住んでいたのだ。今は見る影もなく焼け落ち、この数ヶ月の間にすっかり草の芽が生えて覆い隠されてしまったが。いやはや、破壊の上にも生命が生まれるのだから……自然の力というものは素晴らしいものだ」


「その自然の力が、わたしたち生き物にもあると良いのですけれど……。個々の意思を失って、生ける屍のようになってしまったわたしたち以外のひとびとのなかにも」


 それまで口を開かなかったルミララが、前掛けを外して畳みながらしんみりと言った。


「え……どういうことですか」


 トルテは意味をはかりかねて、目の前の中年の女性を見つめた。脳裏に浮かんだのは、透き通る蜜色の光のなかに建ち並んでいた、美しくも壮大な超高層の建築物の群だ。グローヴァー魔法王国の王都もかくやと思わせるほどの規模にみえたが……そういえば生気のようなものは感じられなかったことを思い出す。人影がなく――まるで夢のなかに出てくる幻さながらの街のようだった。


「我々はかつてこの地で、隷属を逃れ、自我が残っていたひとびとに読み書きを教えていたのだ。知識を伝えるための学術機関の生き残りとして」


 ラハンが部屋のソファーに深く腰掛けながら、手で顔を覆うようにして言葉を続ける。その仕草や身に纏っている気配には、相当な濃さの疲労が窺えた。トルテは椅子に座りながら、壁にかけられている絵姿を見回した。そこには、目の前の男性と女性と息子が描かれているほかに、肩を寄せ合いつどっている二十人ほどのひとびとの姿が描き残されている。


 トルテの視線に気づいたルミララが、寂しそうに微笑みながら口を開いた。


「息子と、上にあった村に暮らしていた住民たちよ。わたしたちは知識の伝道者、歴史の語り部――何世紀もの間に古代龍によって捕らわれ、ただ生き長らえて子孫を残していくだけの人類を、いつか本当の意味で解放して、自由な生命としてこれからの世界を生きてゆきたい……その時がきたときのために、知識や歴史を伝え遺していた隠れ里だったの」


「あたしたちの未来が……そんなことになっているなんて。いったいどこで間違えたというのでしょう」


 トルテは呆然としてつぶやいた。父や母、伯父たちが平和に導いてゆくはずの世界が、千三百年もの間にこうも変貌しているとは……信じられない思いだった。けれど、目の前の者たちが決して嘘偽りを語っているわけではないことはわかる。何があったのか――そう、ひとつだけ思い当たる、はっきりしていることがある、それは――。


「『古代龍』、が原因なのですね」


 トルテは言った。胸の衣服を両手でギュッと握りしめ、苦しくなる呼吸にあえぎそうになりながら。


 自分のなかに熾火おきびのように生じた怒りがあった。渦巻く不安もまた、あった。かつて感じたことがない様々に渦巻く複雑な感情だ。――父と母はどうなったのだろう……そこまで考えが及んだとき、トルテは眼前が真っ暗になるのを感じた。


 何かが起こったのだ、自分たちが発ってきた現代で、父と母の身に。そして王国に。でなければ、このように世界が変貌するはずがない……!


「大丈夫か?」


 なかば意識を失いかけて傾いたトルテの体を、ラハンが支えた。エオニアとルミララも心配そうな表情で覗き込んでいる。ぐらぐらと揺れる視界の隅に、地図があった。地形からして、見慣れたソサリア王国の領土の地図だ。だがそこに知っている都市の名は残っていない。隣にある地図でトルテは知った――この上にあった都市がかつて、ミディアルと呼ばれていたという事実を。


「あぁ……リューナ……!」


 トルテは悲鳴をあげるように心の内で呼びかけた。打ちひしがれた瞳をあげ、支えてくれる青年を求めてオレンジ色の瞳が彷徨う。――どうしよう、リューナ……!


 そのとき、地下空間を凄まじい衝撃が襲ったのである。


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