古代龍と時の翼 9-14 ふたつの意思

「古代の邪悪が……」


 自分たちにのみ届けられたと思っていたメッセージが、いま聞き知った事実にも符合することに遅まきながら気づいた。リューナの決心が揺らぐ。抜け目のない天才であり魔導士であったハイラプラスが綴った言葉の意味を計りかねたのである。


 そのとき、腕の中で開かれていた文献を支えるリューナの視界の隅で、陽光を透け通したかのような金色の煌めきが揺れた。隣に立つトルテが動いたのだ。その動きに反応し、リューナは思わず少女を見た。


 折れそうなほどにほっそりとした腰と首、小さなおとがい、繊細な目鼻立ち……けれど希有な色彩である昇りたての太陽さながらの瞳には強い意思の光を宿し、ふっくらと瑞々しい唇は今、しっかりと結ばれている。さらりと肩に流れる髪は窓からあふれる光を受けて金の糸となり、桜色に染まるすべらかな肌をこの上なく惹き立てていた。


「こうしてはいられません。行きましょう! リューナ」 


 彼女は言った。愛らしい声に決然とした意思を込めて。


 真っ直ぐに向けられた大きな両の瞳。そこにリューナ自身の顔が映っているのを目にした。気後れがして自信なさげな……過去にミドガルズオルムの手前で、引き受けた王の立場に戸惑っていたときと同じ表情であった。


 古代龍のことを聞いて心が揺らいだのは事実だ。自分たち以外のすべてが、神話に登場するようなかくも怖ろしい相手と対峙することになるなんて。戦いになるのか――果たして勝てるのか?


 リューナは奥歯に力を籠めたあと、周囲のおとなたちを見た。


 国王でありトルテの伯父であるクルーガー。幼い頃から恋敵ではないかと反抗心のあった相手だ。その感情が子どもじみた誤解であることはわかっている。彼には愛を貫いている運命の相手がいたのだから。ようやく再会できた相手との幸せの絶頂にあったはずの女性は、戦う決意を真紅の瞳に宿して寄り添うように国王の傍らに立っている。


 トルテの父である王弟テロンは、王国と兄王を支える陰の護り手としての生き方を自ら選んだ英雄だ。どんな苦境でも決してあきらめることのない揺るぎなき心とその強さは、彼の娘トルテにも引き継がれている。万人に向けられる優しさも、おそらくはこの父から受け継いだ精神なのだろう。


 その傍で思慮深げに瞳を伏している宮廷魔導士ルシカ。類稀なる魔導の血と、その力のしるしであるオレンジ色の瞳は、彼女から受け継いだものだ。魔導の知識も技の数々も、そしてどんなときにも冷静に思考を巡らせる芯の強さも、彼女から娘に伝えられたものである。――方向音痴やおっちょこちょいが遺伝するのかはいまもって謎であるが。


 いずれをもってしても、王国――いや、この広いトリストラーニャ大陸でも屈指の強者たちなのである。このソサリアの王たちが勝てなければ、その古代龍とやらに現生げんしょう界の未来そのものが打ち砕かれているはずではないか。


 そうだ、思い悩むのは俺の性分じゃねぇ。リューナは意を決した。トルテと俺の役割が別にあるというのならば、それが正しい道なのだ。各々が為すべきことを遣り遂げることが必要なのだ。俺だって――あのときの俺とは、違う!


 リューナは顎をあげ、トルテと眼を合わせてきっぱりと頷いてみせた。


「――行きます、俺たち」


 リューナは言った。もはや揺らぐことのなくなった、決然とした口調で。


「親としては『時間』を超えるなどという危険なことは賛成したくはないが、為すべきことなら仕方ないな」 


「俺もテロンと同じだ。賛成しかねるところだが……気をつけていけ。メルエッタに言って必要な物資は何でも持っていくがいい」


 テロンとクルーガーが頷く。どちらもが真剣な表情で、どちらもが口元に力強い微笑みを浮かべていた。リューナたちを励ますように。


「ありがとうございます。トルテのことは、俺が全力で護ります」


 文献を閉じて片脇に手挟み、リューナはふたりに向かって深々と頭を下げた。そうして傍に寄ってきたトルテとともに部屋をあとにした。


 太陽が傾いた午後の日差しは、王宮の廊下を明るくしていた。魔導の力場や干渉までをも見通せるほどではなかったが、リューナの瞳にも煌めくような魔法陣のヴェールの裾くらいは視界の端に捉えることができる。


「リューナ、どこまで行くんです? あそこですぐに飛ぶのかと思っていました」


 声に視線を向けると、隣に並ぶようにして歩いているトルテがリューナを見上げていた。とたとたと軽快な足音だが、間隔が短い。すぐに自分の歩調を緩め、少女のペースで並ぶようにして歩く。


「遺跡巡りに出かけるいつもの荷物くらいには、用意を整えていこう。前回は、全然何の備えもなく飛んじまったから――着いた先でハイラプラスのおっさんに逢えていなかったら、俺たちどうなっていたことか」


「そうですね……おなか空いて倒れちゃいますもんね」


「そっちかよ! ――って、そうだな、それも大事だけど」


「大事です」


 深く頷いているトルテに嘆息しつつ、リューナは王宮内を巡り歩いた。


 厨房頭のマルムやメルエッタから必要なもの――携帯食料や水などの物資を受け取り、他の荷はトルテの部屋で揃えた。続き部屋になっている場所に、迷宮の探索に欠かせない簡易ランタンや『発火石』の小函、筆記用具、簡易テントの類から煮炊きの小道具、魔石やナイフの類が幾セットも仕舞われているのだ。


 同様の用意はリューナの実家がある学園敷地内にもある――そちらは『秘密基地』という名であり、遺跡探索の戦利品も保管されている。


 あらかじめ用意している理由は簡単だ。こっそり出掛けるときに便利だからだ。抜け出す際に悠長に準備などしていたら、バレてしまうだろう。しかしこのことが、少しの時間も惜しい今日という日に役立ってくれたことが、何だか妙に嬉しかった。


「――っと、いけねッ。剣も持っていきたいが……目立つかなぁ」


 リューナの愛用の剣は、背にくくりつけなければならないほどに長く重い剣だ。過去に飛んだときには、現在より遥かに治安の良い都市だったために、刃物の携帯が禁じられていた。着いた先での騒動は極力避けたい。時代が違うだけで自分たちの常識が通用しなくなる可能性も、しっかりと考慮しなければならないのである。


「かといって、魔力マナを消費する『物質生成クリエイト』の剣だけじゃ心許ないし……」


 良い知恵がないものかと尋ねたくて、リューナはくるりとトルテのほうに向き直った。


 トルテはハイラプラスの文献を胸に抱きかかえていた。リューナが「それまで持っていくのか?」と問いかけようとした目の前で、トルテは魔導の技を行使した。再び腕の何処やらへ分厚い本を消し去ったのである。


「すっげぇ! それってどうやるんだ? 俺にも……できるかな」


 期待と好奇心が入り混じった瞳でリューナが問うと、トルテが無邪気に笑った。首を傾げるようにして彼女が尋ねてくる。


「うふふ、便利でしょう。リューナもやりたいですか?」


「やりてぇ!」


「わかりました。では――伝えますね」


 リューナまでの数歩の距離を歩み寄り、トルテは背筋を伸ばした。少女はかかとを上げて爪先立ち、しなやかな細い腕を持ち上げるようにしてリューナの首に回した。ぐっと引き寄せられ、体が前かがみになる。急速に彼女の顔が近づいた。


「え、と、トルテ――?」


 ドクン、と心臓が跳ねたのをリューナは感じた。過去世界で彼女から魔導の技を伝えられたときのことを思い出し、リューナの頬が熱くなる。甘くうずく胸が苦しくなった。鼓動はますます落ち着きを失って暴れ狂い、遺跡中を全力で駆け走ったかのごとく鳴り響いている。


 トルテの顔が目の前いっぱいに迫ってくる。すべすべした頬、きめ細かな肌。咲き初めの花のようにやわらかな唇が近づき――。


 リューナは霞む視界に思わず眼を閉じた。コツン、と額に軽い衝撃。


「……え?」


 いぶかる間もなく、きとめられた川から大量の水が解放されるときのように、膨大な情報が有無を言わさず脳に一気に流れ込んできた。その知識の奔流がリューナの内なる部分に流れ込んだのは、時間にしてふた呼吸ほどの間であった。


 古代にて魔法王国を三千年という長き繁栄の栄光に導いた叡智――魔導のことわりと、物質が物質たらんと結合している秘密のすべて。魔導とは知恵であり知識である。『全て』を理解することで、自身の魔力と確固たる理解のもとに対象の存在形態を変容させるのが、魔導の魔導たるゆえんであった。


 トルテの体が離れ、リューナはよろめいた。ふらつく頭を片手で押さえ、もう片方の手を心臓のある位置に押し付けるようにして、倒れそうになるのをこらえる。それほどに凄まじい体験だったのだ。


「リューナ!」


 初めてではない。今までに二度の経験はあったが、あまりにも遣り取りする情報が膨大すぎる。脳がおかしくなってしまいそうだ。慌てたトルテが腕を伸ばし、リューナの体を抱き支える。


「ごめんなさい。やはり負担が大きいのですね……だいじょうぶですか?」


「あ、いや、何とか。心配ない。それよりまた前みたいにくち――にかと思って、焦っただけで」


 思わずリューナは口走ってしまい、慌てて頭を振った。すぐに意識をしゃんとしたものにして顔をあげる。


「……い、いや、何でもない。気にすんなよ」


 ぽかんとして動きを止めていたトルテの顔がみるみるうちに真っ赤になり、リューナのほうが驚いた。少女はもじもじとしてあさっての方向へ視線を流しながら言った。


「だ、だって。へんなトラウマになっちゃうと……えと、こ、こま、困っちゃいますし」


「それはどういう――」


「何でもありません! さあ、ディアンを探しに行きましょう」


 眼をぎゅっと瞑ったまま腕を伸ばし、こちらをせっついてくるトルテの真っ赤な顔を見て、リューナはホッと胸を撫で下ろしていた。――な、何だ、俺のこと意識していないわけでもなかったんだな。しかしこれは……やべぇ、すっげぇ可愛い。


 リューナは、安心していいんだか抱きしめればいいんだか判然としない気持ちを何とか落ち着かせようとして、大きく息を吸い――吐いた。


 そうしてようやく、手にしていた『歴史の宝珠』の『小型化ダウンサイジング』を解き放った。


 オレンジ色の球体は、ふたりで抱えるのがやっとというほどの本来の大きさに戻った。球の表面に手で触れると、古代魔法王国の光文字が浮かび上がるようにして綴られていく。その輝く魔法語ルーンを読み取り、作動させるためにキーとなる部分を然るべき順序で選択していき、『実行』の文字が出てきたところを指で叩いた。


 ヴンッ、という幾千もの羽音が合わさったような低い音ともに、不透明だったオレンジ色の表面が透明に変わった。表面の障壁が消えたのだ。


 座席のようなものと操作レバー、そして計器のようなものが並ぶ正面中央に、すべらかな表面のモニターパネルが取り付けられている。魔力は充分に充填されていたので、装置はすでに稼動しているのだ。明滅する光文字がそれを証明していた。


「発動させよ、青のしるしの導きのままに、ってメッセージにありましたね。……あっ、これのことではありませんか?」


 トルテが指し示したのは、モニターパネルの右端に浮かんでいた青い小さな魔法陣のような印だ。


 リューナは、その場所に指を滑らせた。触れられた魔法陣はパネルの中央に移動して大きく展開し、年号を綴る数字の羅列に変わった。リューナは止めていた呼吸を再開させ、隣で首を伸ばすようにして覗き込んでいたトルテを見た。


「これでいいんだよな……? ずいぶんと先の未来みたいだけど」


「いまから千三百年先なんですね……。こんな時代にディアンが飛ばされたというのでしょうか」


「不安はあるけど、ハイラプラスのおっさんのやることに間違いはないもんな」


「そうですね」


 トルテと確信に満ちた視線を交わし、リューナは瞳に力を込めた。トルテが頷く。


 ふたりは各々の荷物を抱え、装置に戻った。リューナは今しがたトルテに伝えられた魔導の技を行使して、自分の長剣を体の表面に収納した。


 もとになった『物質生成クリエイト』は、周囲に存在する元素から物質を作り上げるという魔導の技だ。それを応用してトルテが考え出した新魔法は、構成元素を一時的に分解し、散じてしまわぬように魔導の力で繋ぎとめたまま自分の皮膚の元素と一緒になじませておくというものである。だからあまり大きなものは持ち運べない、という制限があった。


 それでもすっげぇ便利な魔法だよな、とリューナは感心した。これがあれば保存食料を家から持ち出すときにも、親父に見つかる心配がないってわけだ――あ、でも、『魔法感知ディテクトマジック』を使われたらやばいかも。


「どうしたんです?」


 気づくとトルテの顔がすぐ傍にあったので、リューナはまたも心臓が跳ねるのを感じ、焦った。狭い場所にふたりで座っているので顔が近いのだ。


「な、何でもないよ。さあ、出発だ!」


 リューナはパネルを叩いた。いつかと同じ、凄まじい魔導の光――次いで生じた押し潰されるような圧力から、トルテを少しでも護ろうとリューナは彼女の体を抱えこんだ。


「いくぞ、トルテ!」


「うんっ!」


 後悔はしていない。飛ぶのだ、親友の待つ場所へ。『時間』の魔導士ハイラプラスの導きにしたがって。すなわち――未来へと。


 周囲に膨大な魔導の白い光が満ち、ぜ、すべての存在と時間を圧倒した……!



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