古代龍と時の翼 9-13 ふたつの意思

 ふたりが合流したのは、王宮の正面門にほど近い中央広間だ。吹き抜けの広い空間には、荘厳な規模の螺旋階段がある。バルコニーはその二階にあり、さらに上へと進むと王族の私室や執務室などがある最上階まで到達することができるのだ。


 きざはしは低く広く取ってあり、リューナが駆け上ろうとするとかえってつま先を引っ掛けてしまうことになるので、トルテの手を引いているくらいが一番速く進むことができる――歩幅の違いを気にしている彼女には内緒だが。


「……ディアル……迎撃の……ようを組むにしても、魔導と魔術で結界を張るにしても、満足のいくものにはならないと思うの。それだけの時間は確保できないはずよ」


 執務室の手前で、そんな会話がリューナの耳に入ってきた。続く言葉も聞こえてくる。リューナは足を速めた。


「だから都市の防衛のためには、危険かも知れないけれど、都市とは離れた場所に誘導できればと思うの」


「ヤツの狙いである魔晶石をみせつけて、真っ向から戦いを挑むということだな。それなら手はある」


 そこで声がぴたりと止まった。リューナとトルテの足音に気づいた部屋のなかの者たちが、自分たちが入ってくるのを待っているのだ。入り口の扉まで進みながらリューナは大きく息を吸い、そのままの歩調で部屋に入った。


「トルテ、リューナ」


 驚いて眼をまるくしたのはふたりの魔導士、ルシカとマイナだけだ。クルーガー国王も王弟テロンも、入り口の横に立っている騎士隊長ルーファスも動じていない。ふたりの気配を、おそらくはリューナよりも先に感じ取っていたのだろう。


「国王陛下。どうしてもお話したいことがあって――邪魔をして申し訳ありません」


 リューナは一礼し、よく通る声で話しはじめた。このあたりの態度は気後れもなく自然そのものである。トルテと離れたあとの過去での二年間、王として古代魔法王国の避難民たちを導いた経験があったからだ。とりあえずいつもの生意気な物言いと遠慮の無さは引っ込めておき、おとなのような口調を心掛ける――もちろん、完璧ではないが。


「俺たち、友人を救うためにすぐに出発しなければならないのです。ですがその前に――この騒ぎは何があったんですか?」


 リューナの問いには、トルテの母であるルシカが簡潔に答えてくれた。


 古代龍のことを聞き、リューナの一歩後ろで息を呑む気配があった――トルテは本当に何も知らなかったようだ。リューナも自分の顔から血の気が引くのを感じていた。


「そんな――そんな最悪な状況で出掛けるわけにはいかない。俺もそいつと戦います!」


 そう声をあげたリューナを制したのは、国王クルーガーであった。


「ルシカから話は聞いている。リューナ、おまえたちの受け取ったメッセージを考慮してみても、ふたりは自分たちの為すべきことを完遂するほうを優先するのが良さそうなのだ」


 リューナは手にしていた『歴史の宝珠』を見つめた。『小型化ダウンサイジング』の魔導の技が施されている秘宝『歴史の宝珠』は、大きな窓からの光を受けて美しいオレンジ色に輝いている。


 複合魔法である、物質を縮小させる魔導の技がかかっていなければ、実は『歴史の宝珠』はとても大きなものなのだ。


 しばし逡巡したあと、リューナはもう一方のこぶしを握りしめ、口を開いた。


「わかりました。古代龍が襲撃してくるかもしれないっていうのに……このような非常事態に俺たちだけ外すことになって……本当に申し訳ありません」


 いつもの反抗的な態度を吹き飛ばし、リューナは国王であるクルーガーに頭を下げた。


「――トルテ。もう一度、メッセージが残された文献を見せてくれる?」


「あ、はいっ」


 ルシカの視線と言葉を受けたトルテが一歩下がり、流れるような動きで左腕を掲げるように眼前に持ち上げる。魔導行使のための準備動作だ。成長期にあるほっそりとした腕の表面を、もう一方の手で撫でるようにして魔法陣を紡ぎだす。


 腕先からきらきらと零れるように白いやわらかな光があふれ、一冊の古代文献が空中に滲み出るように現れた。すぐに実体を取り戻して落ちかかる重厚な本を、リューナが素早く片腕で受けとめる――もう一方の手のなかには宝珠が握られていたので。


 どうにか落とさないで済んだリューナはふぅと安堵の息を吐き、腕のなかの本を見つめた。それは確かにハイラプラスの書き残した文献であった。トルテの魔導の技で、腕の何処やらに仕舞われていたらしい。


「すっげぇ! トルテ、こんな魔法をいつの間に……」


「リューナの使う『物質生成クリエイト』の応用です」


 トルテが微笑みながら言った。彼女は一度見た魔法を完璧に再現できるという特技があるが、応用までできるとは――リューナは無邪気な幼なじみの笑顔を眺めて嘆息した。


「複合魔法というのは、『失われた歴史の鎖の輪』と同時についえた素晴らしい技術なのよね。すごいわ、トルテ。今度詳しく教えてね」


「は、はい。えと、ルシカかあさまのように、いくつもの異なる魔法を同時に展開させることはできませんけれど……」


 こんなときにも変わらない笑顔のルシカが片方の目蓋を閉じてみせると、トルテがはにかみながらも嬉しそうに頬を染める。


 リューナには彼女の気持ちが理解できた。母親であるルシカを、魔導士の先達せんだつとして大変に尊敬しているのだ。素直に誉められれば嬉しくもなるであろう。――もっとも、おっちょこちょいで方向音痴の母親の特性に関しては、自分のほうがしっかりしているとトルテは思っているようだが……リューナはそっと苦笑いを洩らした。


 ふと視線を感じたリューナが顔をあげると、トルテの父であるテロンと眼が合った。思わず背筋が伸びる。


「そういえば、リューナ。君も魔導の技を扱えるんだよな。幼い頃から魔術使いだと思っていたが、もしかして魔導の血を引いているということなのか」


「ああ……えぇと、そのことなんですが、親父には内緒にしておいてほしいです。たぶん母方のほうの血筋だと思いますので……」


「わかっているよ。そんなことが知れたら、きっと地団駄踏んで悔しがるだろうから」


 テロンが苦笑交じりに応えた。負けず嫌い、目立ちたがり屋のメルゾーンなのだ。息子が魔導の技を行使できるなどと知ったら、せっかく和解した父と息子の関係がまた微妙なものになってしまうかもしれない。


「それで、本には何と?」


 咳払いをしたクルーガーが、完全に逸れていた話題を戻した。


「あ、はっ、はい。そうでした。……これなんです」


 リューナの腕が支える文献に、トルテが手を伸ばした。表紙がめくられ、くだんのページが開かれる。


 覗き込んだ一同は食い入るようにそこに綴られていた文字を読んだ。クルーガーもテロンもそれぞれのパートナーが魔導士であるため、王国末期の表記文字くらいは読める。


 張り詰めた緊張と、激しく揺さぶられ戸惑っているような微妙な空気が沈黙となってその場を圧した。……しばらくは誰も口を開かず、それぞれの思考の内を彷徨っているかのようであった。


「……ハイラプラスは、魔法王国後期に名を遺している、とても優れた『時間』の魔導士だわ」


 『万色』の魔導士であるルシカがつぶやくように言った。本人直筆の文字に指を差し伸ばし、見えない魔導の気配でも探るように眼を伏せている。


「ヴァンドーナ殿の遣り方に慣れていれば、おのずとその先も見えてくる……か」


「ええ……意味なくメッセージを残すとは思えないもの」


 テロンとルシカの会話を聞きながらも、リューナは自分の鼓動が激しくなるのを感じていた。


 メッセージをもう一度目にしたことで、この上もなく気持ちがいているのだ。早く……一刻でも早く親友を救いに出発したい、と。


 そこに綴られていた文字はこうであった。


  古代の 邪悪が 動き出すとき

  野望 荒ぶる水と炎となりて 襲いくる

  打ち砕かれん 心せよ 

  未来に 飛ばされし 翼ある友の救出を

  時の力もつ魔晶石 ふたつの波紋 ふたつの干渉

  携え 発動させよ 時の翼 青のしるしの導きのままに

  忘るるなかれ はかなき願い 我はかなわず


 ――どうかディアンのこと、頼みます。


 ハイラプラス・エイ・ドリアヌスシード


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