古代龍と時の翼 9-15 出逢いと再会

 部屋を出て行くふたりの背を見送り、テロンは静かな面持ちで立っていた。兄の声に振り返る。


「いい顔をしていた。あいつもおとなになったな」


「ああ、そうだな」


 クルーガーの言葉に、テロンは頷いた。あいつとはリューナのことだ。幼い頃から負けん気が強く、剣術に関してはほとんど独学であそこまで腕を磨いたのだから、相当な努力家でもある。少年は成長して青年となり、さらに親たちには想像もつかないほど過酷で重い責任をともなった二年という歳月を乗り越え、過去世界から戻ってきたのだ。


「あのふたりは、良いパートナーになりそうね。今の、あたしたちみたいに」


 娘の瞳に現れていた信頼の光をルシカも見ていたのだろう、彼女はテロンの腕にそっと寄り添うようにして頭をもたせかけてきた。


「それはちょっと早いんじゃないか、ルシカ」


「子どもの成長は早いものよ」


 片目を閉じてみせながら微笑む愛妻に、テロンは「やれやれ」とまんざらでもない顔をして微笑みを返す。息を深く吸い、彼は表情を戻して言葉を続けた。


「さて、俺たちもこうしてはいられない。すぐにミディアルに向かい、『時』の力を持つ魔晶石の確保と、古代龍に立ち向かえる陣容を整えなくてはならない」


「ミディアルへは『転移の間』から向かおう。いまは僅かでも時間が惜しい」


 国王である兄クルーガーも口元を引き締めて、頷いた。ここからは迅速かつ抜けの無い行動が必要となるのだ。限られた時間内にできうる限りの準備を整えなくてはならない。


「あのっ、わたしにもできることはありますよね?」


 マイナが頬を染め、必死の形相でクルーガーの王衣の袖を引いていた。ひとときも離れていたくないという気持ちが、ぎゅっと握られたこぶしにも現れている。


 無理もない、とテロンは思った。彼らはこうして同じ時間に生きるために十五年という歳月を待ったのだ。彼女にもわかっている。おそらくは、この成り行きならば十中八九、古代竜との戦闘に突入することになる。そしてそれが死を覚悟するほどに熾烈なものになるであろうことも。


 遠くで無事を願うくらいならば、愛する者の隣でともに戦っていたほうが安心できるのだ――彼女とて力ある魔導士のひとりなのだから。


「マイナ。君は安全なこの王宮に――とお決まりの台詞せりふ通りにいきたいところだが……そうもいかないよなァ、やっぱり」


「もちろんです! わたしも一緒に行きます。それに、プニールも!」


「おうよ。そう言うだろうと思っていたさ。それに君が来てくれたほうが良さそうだ。でないと俺の実力が半分も発揮できなくなっちまう」


 クルーガーは恋人を抱きしめて素早く唇を重ね、それから背筋を伸ばした。悪戯っぽくニヤリと微笑しながらきっぱりと言う。


「それに、国家の安全に係わることがらには、国王が率先して出向くことになっているのだからな」


「そんな決まりごと、ありましたっけ」


 友人であり宮廷魔導士でもあるルシカが耳にして、困ったように眉を上げながら肩をすくめた。国王自らが古代龍を相手に矢面に立とうというのだから臣下としては容認できないが、長年ともに肩を並べて戦い、苦境をも乗り越えてきた友人として反論はないのである。


「まァ、そう言うなって、ルシカ」


 そう応えたクルーガーのほうは軽い口調であったが、ルシカを見る瞳には心配のいろを隠しきれていない。テロンは兄の想いを理解している。友人であり妹のようであり大切な存在であったルシカもまた、できれば戦場へ連れて行きたくないのだ――以前、その命が目の前で失われかけたことがあったのだから。


 テロン自身、パートナーであるルシカとともに当たり前のように危険な外交や魔獣の群れのなかに突っ込んでいく日々ではあるが、窮地に陥るたび、彼女だけは絶対に失うわけにはいかないと自らの命を顧みず突っ込んでいきそうになることが多々あった。冷静な判断を欠かぬよう、自制することにどれほどの気力を費やしていることか。


 けれど今回も迷っていられる状況ではない。それはわかっている――彼女の魔導の力と判断力はどうしても必要なのだ。


「では、行こうか。――ルーファス、ミディアルの市長と各神殿へ連絡を! すぐにそちらへ向かうと」


 クルーガーは王衣を翻し、マイナを伴って部屋を出て行った。騎士隊長も主君に付き従い、部屋をあとにした。


 自分たちも行動をはじめようと歩き出したテロンは、ひとり動かないルシカに気づいた。


「――どうした、ルシカ?」


「あ、ううん。いいえ」


 深く考え込むように動きを止めていたルシカは顔を上げ、扉口に向かっていたテロンに追いついた。そのまま一緒に進むのだろうと思い、再び歩き出したテロンだったが、ルシカは彼の腕に手をかけるように身を寄せてきたのである。


 テロンの耳に、彼女の囁くような声が聞こえた。


「さっきの、ふたりが受け取ったメッセージ……複数の意味があったの、気づいていた? あたしにもトルテにもまだすべて理解できていないけれど……あたしたちいま、とても細く脆弱な運命の糸を渡っている気がする。だから――」


 怖いの、とルシカは素直な心の内をテロンに明かした。小刻みに震えるルシカの肩を抱き寄せ、テロンはその細い体に腕をまわした。聡明すぎる彼女の胸には、常人には考えも及ばないような懸念が幾つも渦巻いているのだろう。


 俺たちには大切なものが多すぎる――テロンは自身の胸を突いてくる想いに、僅かの間、身をゆだねた。どれひとつとして失いたくないものが自分たちにはたくさんありすぎるのだ。国も民も仲間たちも――ふたりの愛娘、トルテのことも。





 ガクン、という衝撃をまず最初に感じたのは覚えている。白い光に取って代わり、押し寄せるように視界を埋めたのは暖色の光の洪水だ。


「――え、ちょっ……!」


 フワッという浮遊感のあと、全身の血の流れが頭蓋に収束して膨れあがり、内臓が引っくり返るような感覚が押し寄せる。


 うそだろ、おい! リューナは慌てて口を閉ざし、叫び声を必死でこらえた。その感覚が何を意味しているのかを知りすぎるほどに知っていたので。


 大気が薄い。周囲の光景は遠近感を拭い去ったように精緻なもので、まるで微細な蜘蛛の巣か雪の結晶の只中に、小さな小さな存在になって入り込んだかのようだ。


 ずらりとならぶ光点や明滅を繰り返している光の色模様が、実は幾千と並んでいる窓であったと知るのに、ふた呼吸分の時間が費やされた。


 思わず愕然とする――何だよこの都市と建物の群れは……冗談じゃないぜ、魔法王国グローヴァーの百倍はありそうだ!


「うぅ……苦しいです。いったい何が――」


 腕に抱きしめていたままの少女が身じろぎし、伏せられていたオレンジ色の瞳があがった。混乱しかけていたリューナの思考が、スッと沈み込むように静かになる。そうだ――いまこの状況にあるのは俺だけじゃない。トルテが一緒なんだ!


「え? きゃあぁぁぁぁぁッ!」


 自分たちが落下していることを理解したトルテが悲鳴をあげ、リューナの首にすがりつく。やわらかな体が有無を言わさず押し付けられ、金色の髪が踊り狂うようになびいて視界を奪う。


「落ち着け、トルテ。何とかする!」


「あ、はいっ」


 リューナは左腕でトルテを支えながら支柱の一本を掴み、視界と片腕の自由を確保した。


 トルテはリューナの胴に腕を移動させ、しっかりと抱きついた。


 乗り込んでいる装置――『歴史の宝珠』のパネルを叩き、素早く眼を走らせてみる。どこかに落下を食い止める機能くらいあるだろうと思ったのだ。だが、まるで見当たらない。操作レバーや計器に手を伸ばし、引っ張ったり押さえたりしてみるが、状況は変わらなかった。


「何か……何か手があるはずだ」


 リューナは歯噛みした。その間にも、落下による風圧で座席から浮き上がりそうになっている。ふたりの体を座席に留めておくことすらままならない。早く何とかしなければ、このままむなしく地面に叩きつけられてしまうというのに。


「よりにもよって、何でこんな空中に出るんだよ……!」


 『歴史の宝珠』――時間移動タイムトラベルのために造られた装置――によってたどり着いた先が、何もない空間だったなんて。何かの間違いであって欲しいと願わずにはいられない。


 周囲にあるのは、無機質な壁と壁の狭間はざま――遠近感を狂わせるほどの巨大な建造物にぐるりと囲まれた間隙かんげきであった。陽に透ける蜂蜜さながらの暖かな色彩が空間を満たしている。夕暮れ時なのかもしれない。


 過去世界で訪れた魔法王国の監視塔に勝る規模の建造物が存在しているだけでも脅威なのに、あろうことかそれらが太古の森のごとく絡まり合うようにして建ち並んでいるのだ。自分たちはその建造物のド真ん中――何もない空中に出てしまったらしかった。


 あまりに美しい色彩が織り成す空間に放り出され、現実感はどこかへ置いてけぼりを食らったようだ。けして覚めることのない、ひどく緩慢な夢のなかに取り残されてもがいている気がする。……まるで蜜のなかに落ちて為すすべもないままおぼれ沈みゆく蜜蜂のように。


 そうこうしている間にも、装置は地面めがけてまっしぐらに落ちていく。ごうごうという大気の叫びが耳をろうしかけている。リューナはひりつく喉に唾を呑み込み、もう一度装置のあちこちをくまなく見回した。


「くそッ! どれがどれだかわかんねぇ!」


「――あたし、『浮遊レビテーション』を使ってみますッ」


 腕に抱えたトルテからの提案に、リューナはその体を支えたまま自分から僅かに離した。魔導による魔法行使には準備動作が必須だからだ。


 だが、トルテが腕を宙に差し伸ばしたとき、視界の端にギラリと鋭い反射光が閃いた。鳥ではない何か――銀色の輝きを放つ、巨大な金属のかたまりだ。


 リューナの眼が驚愕に見開かれる。考える前に体が反応した。


「えっ、きゃ――」


 トルテが半端な悲鳴とともに、再びリューナの腕のなかに抱え込まれる。行使した魔導の効果がぎりぎり間に合い、自分たちと装置の双方を包み込んだ。ようやく落下のスピードがぐんと落ちる。


 銀色の巨大な影のほうもこちらに気づいたかのように、慌ててスピードを緩めた。


 ぐわっ、という凄まじい空気のかたまりが押し寄せ、噴射された蒸気のようなものがリューナの視界を奪う。その中から眼前にぬっと突き出された金属の突起は、停止しきれず『歴史の宝珠』に衝突し、凄まじい音を立てた。


 支柱を掴んでいた手が離れる。リューナは咄嗟に、衝突によって目の前で停止した銀色の突起にしがみついた。


 胸に抱えこんだトルテが何か叫び、リューナの腕から身を乗り出すようにして『歴史の宝珠』に手を伸ばした。衝突されたほうの装置がその破片とともに視界から消える――キラリとはかない煌めきを残して。


 リューナはその輝きを信じられない思いで見送るしかなかった。だが、あのまま乗っていたらふたりも無事では済まなかっただろう。


 けれどまだ、こちらの状況が好転したわけではない。周囲に満ちていた蒸気がようやく薄れ、相手の全体像が目に飛び込んでくる。


「――何だ、これ!?」


 それは異様なものであった。大きさは小型の船舶ほどもあり、掴んだ突起部分の感触は間違いなく金属のものだ。だが――金属でできたものが、これほどの大きさのものが、空中に浮かんでいるとは……!


「まぁ……。すごいです、まるで作りものの飛竜みたいですね」


「呑気なこと言ってんな、トルテ。それより『歴史の宝珠』が……おわっと!」


 銀色の物体がグラリと降下し、リューナはぞわりと背筋が冷たくなった。そのまま落ちるのかと思ったのだ。だが、銀の飛竜はどうにか体勢を立て直したらしい。


「あっ。リューナ――ほら、あそこ!」


 拭えぬ冷や汗に思わずリューナが舌打ちしようとしたとき、トルテが声をあげた。


 彼女の視線に促されて首を巡らせたリューナは驚いた。銀の飛竜の首のずんぐりした部分の上半分が開いていたのである。


 まるで食事の際に皿の上に被せてある半球状のものが、後方に跳ね上げられたかのようだ。驚いたことに、そこから顔をのぞかせている人物がいた。


「――早くこっちへ!」


 相手が叫ぶ。同時に、こちらへ向けて精一杯に腕を伸ばしていた。


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