古代龍と時の翼 9-11 ふたつの意思

 冒険者たちでも容易に到達できない標高と自然の脅威、ザルバーンの崩壊であちこちが割れ砕けているはずの大地。そこに現れ、いまなお徘徊しているであろう古代龍。大人数で出向いては混乱するばかりで、並大抵の者では移動すら難しく、隠密に行動するのはさらに厳しいものとなりそうだ。


 テロンが口を開こうとしたとき、またもクルーガーが先に言った。


「最善の方法としては、そうだな……救助に関してはやはり俺たちだけで行ってきたほうが早いか」


「俺もそう思っている、兄貴」


 兄も同じことを考えていたらしい。テロンが同意するように頷くと、たちまち騎士隊長をはじめ大臣たちから反対の声があがる。


「陛下ッ! どこの国に、自らが冒険者のように気軽に出掛けてゆく国王がいるというのですか!」


 はっきりと言ったのは、騎士隊長ルーファスだ。双子の王子の幼少からのお目付け役であり、剣術の師範でもある彼は、常日頃から主君に対しても糖蜜にくるむことのないはっきりとした物言いをぶつけてくる。それが先王からずっと信頼をおかれている理由のひとつではあるが。


「だが、それが妥当な判断というものだ、ルーファス。魔導士でなければそもそも、あの場に至るのも困難な場所なのだ。それに加え、古代龍と時を同じくして現れたのだぞ。少女が何か知っていると考えるのが自然ではないのか? 救助ももちろんだが、いまは何より情報が欲しい」


「――私が言いたいのは、何故国王陛下自らがそこに出向かれるのか、ということですよ!」


 もう決断した計画に思考を巡らせはじめた主君を見て、ルーファスが重厚な執務机をバンと叩いて反論する。壮年を過ぎたとはいえ、大陸でも指折り数えられる腕力と剣術の武人である。先々代から受け継がれている頑丈な机であるが、今日この瞬間、まさに今にも割れ砕かれて終わりを迎えてしまいそうであった。


「では訊くが、他の者に任せよというのか?」


 国王クルーガーの冷静そのものの言葉と真っ直ぐに射抜いてくる視線に、ぐぅ、と黙り込む。ルーファスは双子の王子に剣術を教え込んだ師範だとはいえ、すでに腕も体力も俊敏さも、駆け引きさえも上回られてしまっているのだ。


 目の前に立つ国王と王弟、このふたりに匹敵する人物など、国内にはいないであろう。たとえいたとしても、王であるクルーガーは、自分の思いつきの為に他人を死地へと送り込むようなことを是としない。それはルーファスにも、いや、彼だからこそよくわかっている筈であった。


 テロンは、ルーファスの瞳に諦めのいろを見て、たたみかけるように口を開いた。


「だから、俺たちで行くのが最善なんだ」


「テロン様まで……」


 ルーファスがため息をついた。ルシカと並び、王国すなわち国王の決断における良き相談相手である王弟の同意となれば、騎士隊長ごときが反論する余地など無くなったも同然である。だがどこの王国に、国王自らが冒険者よろしく危険のなかに飛び込むという無茶がまかり通るものなのか。


 しかし――双子の父である先王ファーダルスも、即位前の戦乱の世にあって一介の冒険者に身をやつし、大陸を回っていたのだ。ルーファスは観念したようにうな垂れた。そも目の前の主君らは、王子であった頃から自分たちの為すべきことを決めたら、いっかな譲ろうとはしなかったことを思い出したのだ。


 ルーファスの顔に現れた疲労に気づき、テロンはいつかの王宮抜けのときの彼の落胆ぶりを思い出した。そのときと同じため息をついたあと、騎士隊長が表情を引き締めて彼らふたりに頭を下げた。


「御意。留守はお任せください。ただ……一刻も早く、無事でお戻りになられますよう」


「了解した。すぐに戻るさ。……気苦労をかける、ルーファス」


 ニヤリと微笑み、自信たっぷりに請け負いながらも、兄の表情には翳りがあった。彼もまた、幼少からの世話役に老いを見たのだろう。


「俺たちは心配ない。それよりも――」


 国王である兄は表情を引き締めて、もうひとつの本題に入った。その重々しい声音に、場の雰囲気がぴんと張り詰めたものに変わる。大臣たちは慌てて姿勢を正し、耳をそばだてた。


「王国の民を護るために、急ぎ行動せねばならぬことがある」


「――とは?」


「王国の中央を流れる大河ラテーナ、水源となるのはゾムターク山脈の他、もうひとつはフェンリル山脈なのだ。此度の氷河消失で、地下水脈が一気に膨れあがるはずだ」


 そのことが引き起こす現象に思い至り、騎士隊長や大臣たちが息を呑む。


「河川の氾濫が考えられる。流域の都市や村、住んでいる民すべての安全を確保するのだ。食料や必要物資、避難経路の確認を。ミディアルを拠点とし、王宮との連絡を確かなものにした対策本部を置け。各地に王宮直属の魔術師たちを派遣して、その兆候がみられた際には迅速なる対応ができるように」


 クルーガーはさらに細かな指示を出し、大臣たちにそれぞれの役回りを振り分けた。


 大臣たちがばたばたと出て行ったあと、部屋に残ったのは国王と王弟、そして騎士隊長となった。


「陛下――」


 何やら言い掛ける騎士隊長を手で制し、クルーガーは扉を見た。直後、コン、コンと軽やかな音が響く。いつもより幾分か早いリズムだが、クルーガーには誰だかすぐにわかったようだ。嬉しそうな、それでいて苦しいような、微妙な表情になる。テロンにはその気持ちがよく理解できた。自分だってルシカにどう切り出せばよいのか――。


「クルーガー!」


 扉が開くなり駆け入ってきた少女は、真っ直ぐにクルーガーの胸に飛び込んだ。心細かったのだろう、いっぱいに開かれた真紅の瞳が潤むように揺れている。


「マイナ」


 クルーガーは少女を抱きしめ、そして色白の頬をそっと手のひらで包み込むようにして上向かせ、瞳を覗きこむように見つめた。どう切り出せばよいのか言いよどんで口を半端に開いていたが、彷徨うように揺れていた視線が代わりに物語ったようだ。彼女の眼がさらに大きく見開かれてしまう。


「クルーガー……? まさかあそこへ行かれるのですか?」


 怯えと不安をたたえた瞳で真っ直ぐに見つめられ、観念したようにクルーガーが頷く。


「どうしてもというのなら、わたしも……わたしも一緒に行きます!」


「すぐ戻るから、待っていてくれ、マイナ。古代龍は魔導の気配を察するかもしれないらしいから、連れてはいけない。大事な君を危険に晒したくないんだ」


「で、でもっ」


「何も古代龍とやらとじかにやりあおうというのではない。偵察と、飛翔族の魔導士の保護が目的だから、心配しなくてもいい」


「わたし……わたし、嫌な予感がするんです。行ってはいけない、そんな気がするんです!」


 さしも切れ者と謳われるソサリア国王も愛する娘には弱いらしい。泣かせたくはなかった相手の涙の雫を、途方に暮れたような眼をしてすくいあげているばかり。


 兄の窮地にどう口を挟めばよいのかわからず、テロンは困った。が、開け放たれている扉から、その耳に聞きなれた足音を聞き、無意識に背筋が伸びる。いまの兄と同じような顔をして扉へと向き直った。


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