従僕の錫杖 8-44 動きはじめた思惑

 クルーガーはじっと床に目を落として立っている。マイナがその隣に立って胸の上で手を組み、同じように床を見つめていた。


「――気持ちはありがたいが」


 クルーガーは口を開いた。


「俺もテロンと同意見だ。これ以上、君に無理をさせるわけにはいかない」


「……でも」


「でもも何もなしだ!」


 クルーガーは厳しい声を出した。いつになく激しい物言いに、ルシカが目をまるくしてクルーガーを見つめる。


 テロンが仲間たちを見つけて声を掛け、何とか事態を落ち着かせた全員がルシカの居る部屋に集まったときには、すでに深夜を越えていた。誰もが顔に濃い疲労の影を落としていたが、ルシカのことをテロンから聞き、それでも急いで駆けつけてきたのである。


 部屋の片隅にあるテーブルの上にはメルエッタの配慮で飲み物や軽食が用意されていたが、今だに誰も手を伸ばそうとはしていなかった。


「――ルシカ」


 金髪を背に流し、青を基調にした衣服をまとったすらりとした体格の青年は、握ったこぶしに力を込めた。奥歯を噛み、こぶしを震わせながら床を見つめていたが、突然その膝を折り床につけて叫ぶように言葉を発した。


「すまない、ルシカ……!」


 驚き立ち尽くした仲間たちの目の前で、クルーガーは心の内を吐露するように続けた。


「おまえにこんな重圧を、苦労をかけているのは――この俺なのだ。このソサリア王国に他ならない! 俺は国王だが、大事なもの何ひとつ、自分だけの力では支え守ることもできない……!」


 ルシカはベッドの上に横たわったまま、オレンジ色の瞳を動かさずじっとクルーガーに向けていた。


「ルシカには今までも、命の選択をさせるような決断を何度も迫ってきた。魔導の力に頼りっぱなしで……王宮に来たことでおまえの寿命を縮めてばかりで――」


「それは違うわ!」


 ルシカが叫ぶように声をあげ、思わず上体を起こした。途端に下腹を押さえて痛みに顔を引きつらせる。


「うッ――いたた……」


「ルシカ!」


「大丈夫か!?」


 テロンが、クルーガーが寝台に駆け寄り、ルシカを案じて腕を伸ばした。左右からふたりの青年に抱えるように支えられて、ルシカは「ふふっ」とやわらかな微笑みを浮かべた。


「なんだか、はじめてあったときのことを思い出しちゃった。……転びかけたとき、ふたりが支えてくれたときのことを」


 かつての、双子の王子たちは目を見開いて一瞬動きを止め――ああ、とふたり同時に、記憶の中で思い当たったかのような表情になった。


「あったなァ、確かに。そんなことが」


 クルーガーが口元を緩めた。


「出逢ったときには、転ぶばかりで何とも頼りなさそうな魔導士だったのにな。――思えば、宮廷魔導士に任命されたときから、ルシカは自分に対して厳しく戒めるようになり、他人に甘えることがなくなった。その『地位』こそが、ルシカを縛る『鎖』になってしまったんだ」


「……宮廷魔導士に任命されたこと、あたしは世界で一番の幸運だと思ってる」


 ルシカは小さい、だがはっきりとした声で言った。


「だってそうでしょ? あたしの生きる場所が、見つかったんだもの。……おじいちゃんとダルメス様がきっかけをくれて、クルーガー……あなたやテロンと出逢えた。あたしの世界でただひとつの居場所が見つかったのよ」


 すぅっと、ルシカの頬に透明な雫が一筋、流れた。昇りたての太陽のようなオレンジ色の瞳が、若き王の、どこまでも澄んだ夏の空のような瞳を真っ直ぐに見つめる。


「だから……だから」


 ルシカは、クルーガーを見つめて言葉を紡いだ。「ありがとう」、と。


 クルーガーの瞳が揺れ……そして少しずつ力がこもるように揺るぎないものへと変わっていった。


 それを見届けたルシカの体が、くたりと弛緩した。その背に腕を添えて支え続けていたテロンがゆっくりと体を寝台に戻してやると、ルシカは深く息をついた。


「それでね……これからの旅についての、妥協案なんだけど」


 ルシカが言葉に力を込めて口を開いた。思わず仲間たちが耳を傾ける。


「あたし抜きで『道』を進んで『打ち捨てられし知識の塔』へ到達して欲しいの。そこで、『転移』のための門を開いてもらいたい――」


 『万色』の魔導士は語った。


 塔の結界を解くことは魔術師でもできる――その方法さえ知っていれば。この王国内で、それを可能とする実力のある者がひとりいる。ただ、性格に難があるかもしれないが――。


 そうして『反転せし光の錫杖の解除方法』の実行には、『転移』でルシカが現地まで一気に飛ぶ。徒歩の移動で体にかかる負担を可能な限り減らし、魔導の力が必要な部分だけを執り行う。


 それがルシカの妙案だった。


「だが、性格に難のある魔術師というのは――? ん……あァ。何となく、誰のことかわかったぞ」


 クルーガーが腕組みをして言った。眉が互い違いになっている。


「確かに、そうだな。いつもルシカにやられてばかりだから、目立たないけど」


 テロンも頷きつつ応えた。頭痛でもしているような顔つきになっている。


 マイナはキョトンとした表情でそんなふたりを交互に見つめ、次いで後方に立っていたエルフの青年とフェルマの少女を振り返った。ふたりが肩をすくめて首を横に振る。


「メルゾーン・トルエラン。今のファンの魔術学園の学園長よ。いろいろ貸しもあるし動いてもらわなくっちゃ」


 その瞳にちょっぴり悪戯いたずらっぽい光を浮かべ、ルシカが微笑んだ。





「ルシカ、久しぶりですね」


 次の日の朝早く、連絡を受けてすぐにシャールが夫のメルゾーンとともに駆けつけてくれた。寝台に起き上がっていたルシカを、ふわりと軽く抱きしめる。


「おめでとう、ルシカ! あなたもとうとう母になるのですね」


「シャールさん」


 ルシカは頬を染め、はにかんだように笑った。そして少し心配そうな表情になって言葉を続ける。


「ごめんね。リューナちゃんが生まれて一歳になる前なのに」


「いいんですよ、こちらは大丈夫です。お父さまが孫を独り占めできると喜んでいましたから。たまには良いと思いますよ」


 『癒しの神』ファシエルの高司祭になり、昨年第一子を出産したシャールが、変わらぬほんわりとした微笑みで言った。少し肩を越えた黒く艶やかな髪が、さらりと揺れる。


「それにお留守番とはいえ、ふたりは王宮にいるのですから。周囲がなにやと世話を焼いてくれるに決まっていますし」


 シャールの父というのは、ソサリア王宮の傭兵隊長ソバッカ・メンヒルのことである。かつての戦乱の時代に、先王であるファーダルスと組んで冒険者として大陸を回っていたこともある武人だ。


 そのとき組んでいたもうひとりが、かつての宮廷魔術師ダルメス・トルエランである。メルゾーンの実の父親であり、昨年、孫を見る前に亡くなってしまった人物だ。


 王都の受けた損傷といい、ルシカの祖父である『時空間』の大魔導士ヴァンドーナの犠牲といい、一年前の『きょく』と『神の召喚サモンゴッド』の痛手は計り知れないほど大きいものであった。


「ふっふっふ。ついにこの俺の魔術が、王国にとって必然となったか」


 赤っぽい金髪を束ね、派手めの衣装、指や腰にジャラジャラと魔石の類を身につけて、甲高い声なのは相変わらずだ。ちなみにミディアルに残るルシカと、付き添うシャール以外の全員が、すでに旅支度を整えていた。


「はいはい、メルゾーン。よろしくお願いしますね」


「なんだその投げやりな態度はっ!」


 ちなみに、勝手にルシカのことをライバル視しているので、当然ルシカも朗らかに対応というわけにはいかない。ふたりは犬猿の仲であった。――まあ、出逢いかたも悪かったので無理もないだろうが。


「ちょっと、唾を飛ばさないでよ、おじさん」


 リーファが迷惑そうに言った。メルゾーンがヒクッと頬を引きつらせる。


「お、お、おじさんんんんんん!?」


 どうやらもうひとり、犬猿の仲が増えそうな勢いだ。


「あっ、あの……よろしくお願いします」


 マイナだけは礼儀正しく挨拶をしていた。


 そんな光景を見つめ、クルーガーとテロンは嘆息していたのであった。これから目指すのは、今は人外魔境と化している天然の要塞、『大陸中央』フェンリル山脈の最高峰ザルバーンにあるという『打ち捨てられし知恵の塔』へ至るための『道』だ。生半可な場所ではない。


「――大丈夫かしら」


 計画した張本人なのに、ルシカは不安になって小首を傾げたのであった。


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