従僕の錫杖 8-40 ミディアル防衛戦

 驚いたルシカがオレンジ色の瞳を見開く。それはまごうことなき魔導の光だったのだ。


 同時にテロンが拳で魔獣を殴りつけ、相手は吹き飛んで門の柱に激突してずり落ちた。周囲にいた兵たちが剣を抜いて、いまだもがく魔獣に斬りかかる。


「テロっ、ルシっ!」


 舌足らずな子どものような可愛らしい声が響き、テロンとルシカたちは後方に視線を巡らせた。それは聞き知った声だったのだ。


「ここ、おまかせ! ――はやくっ!」


 テロンの立つ後方、大通りの真ん中で、驚くほど小さな影が声を張り上げている。


「――マウ! ついに完成させたのね!」


 その手に握られている翠と青に塗られた立派な弓に、ルシカが思わず嬉しそうな声をあげる。


 マウはトット族だ。見た目はミルク色の卵に小さな角と手足がついた愛くるしい姿だが、立派に少年といえる歳である。


 地面と水平に構えられた特殊な造りの弓の表面には、びっしりと複雑で精密な『真言語トゥルーワーズ』が刻まれていた。この上もなく優美な弓である。


 魔導の力を具現化させる魔法陣を弓の表面に彫刻することで、矢に光の属性を持たせて射ることのできる武器だ。ルシカが考案したものだが、実際に作ることができる技術を持った職人がいなかった。修行を重ねたマウがついに己の技術を磨いて作り出したのである。


「しさくひん、だい1ごうだよ」


 つぶらな瞳をきらきらさせ、マウが自信たっぷりに声をあげた。その横には竜人族の女の子が矢を抱えて立っている。テロンとルシカを見て大きく息を吸い、その女の子が叫んだ。


「おにーちゃん、おねーちゃん! ここは大丈夫だよっ。ボクたちに任せて行って!」


 得意げに笑っているその少女は、ギルドの長のひとり娘リンダであった。


 その背後、通りの奥から、何人もの冒険者のパーティが各々の武器を手に駆けてくるのが見えた。そのうちのひとりは、ギルドの長ディドルク――リンダの父親だ。


「よかった。これでもうここは安心ね」


「よし!」


 テロンとルシカは互いに目を見交わした。ルシカによって門に展開された魔法障壁は、押し寄せてくる大量の魔獣たちに破られてしまうだろうが、防衛戦のための態勢は整った。


 時間を稼ぐという目的は果たしたのだ。


 パパンッ! 再び都市管理庁から花火信号が打ち上げられた。


「南区域エリア、市街戦へ突入――」


「兄貴とマイナが心配だ。急いで合流しよう。そこに元凶の魔導士もいるはずだ。奴らを倒さなければ、この戦いは終わらない」


 テロンの言葉にルシカが頷く。


「そうね、急ぎましょう!」


 都市の中央に向かって駆けゆくテロンとルシカの背後の空で、いくつもの翼持つ魔獣の影が舞い上がった……。





 その頃、行政区へ移動したクルーガーとマイナは、古き城砦のかつての門周辺に設けられた広場に整列している、都市の自警軍に出くわしていた。


「陛下!」


 野太い声にクルーガーが首を巡らせると、軍を指揮していた中年の軍人が駆けてくるのが視界に入った。クルーガーとマイナは足を止めた。


「ノベルターヴェ卿か」


 鎧に身を固めた相手を目の前に、苦もなく相手の名前がクルーガーの喉から滑り出る。猪勇ちょゆうの異名を持ち、都市管理庁を預かるリヒャルディア市長から信頼されている軍隊長だ。


 両手持ちの剣や鎧をガシャガシャと激しく鳴らしつつ突進してくる相手に、気後れがしたマイナがクルーガーの背後に回る。


「なぜこのようなところに――」


 王宮にいるはずの国王がいらっしゃるのですか、と疑問を口にしかけた軍隊長は、その国王の微妙な表情に気づき、続く言葉を何とか呑み込んだ。その勢いを別の言葉に置き換える。


「陛下、ここは危険でございます。すでに敵が都市内へ攻め入り、現在、南と東の新興区域にて市街戦が展開されております。敵は死せる者アンデッドたちと多数の魔獣の群れです」


 軍隊長は早口で報告をした。そして僅かに眉尻を下げ、情けなさそうな、申しわけなさそうな表情になる。


「この都市は、交易のかなめ。基本、門は常時解放されております。――ゆえに此度こたびのような不意打ちに遭っては、門で敵を封じることが非常に難しく――」


「攻め入られたことについて責任の言及はしていない。それに、おそらくこの襲撃は『魔導士』によるものだ」


 クルーガーは軍隊長の言葉に被せるように言った。


 『魔導士』という言葉に、軍隊長が息を呑む。魔導士とは、常人には計り知れないほどの影響力を持つ畏怖の存在なのだ。その敵対行動は天災とも言われるほどである。


 大陸全土でも、最近魔導士であると発覚したマイナを除けば、ルシカの他には五名ほどが存在を確認されているのみであり、経歴や詳細もほとんど明かされていない。知らないということ――無知は恐怖にもなり得る。軍隊長が唯一知っている王国の宮廷魔導士が持つ魔法行使の実力を考えれば、特に。


「南区域には死せる者アンデッドが多数侵入したとのことで、ラートゥルの神官兵たちがすでに向かいました。態勢が整うまでに事態が深刻なものになるかと危惧されたのですが、おそらくテロン様とルシカ様が動かれているのでしょう、兵たちを向かわせる時間を――」


 瞬間、クルーガーの瞳がギラリと光った。


 腰に帯びた魔法剣を一気に抜き放つ。驚く軍隊長の頭上の空間を、気合い一閃、いだ。剣が放った凄まじい風圧が、ゴウッと駆け抜ける。


 ドンッ! クルーガーと軍隊長の傍らの地面に翼を持つ巨大な蝙蝠が激突した。その翼と胴、そしてくびがクルーガーの一太刀でほとんど泣き別れ寸前になっている。


 軍隊長や兵たちが見上げた頭上に、いくつもの巨大な影が舞っていた。魔獣のなかには翼を持つものがいる。いま地面に突っ込んで絶命したものも、本来夜行性なのであるが、魔導士の『使魔』によって無理やり引きずり出されたのであろう。


 もっとも、黒い雲が都市の上空を覆い尽くしているので、昼日中よりも遥かに暗いものであったが。


「て――ッ!」


 軍隊長の号令でエルフ族の優れた射手たちが矢を放った。狙い過たず、頭上の影に突き刺さる。そこへ飛翔族の兵士たちが斬りかかっていった。


「中央区画への敵の侵入は、ここで何としても食い止めるのだ!」


 軍隊長が大声で周囲の兵たちに矢継ぎ早に指示を飛ばす。


 クルーガーは風の魔法を付与エンチャントさせた剣を振るい、上空から突っ込んでくる魔獣を次々と地面に叩き落としていった。


「クルーガー! このたくさんの魔獣たちはいったいどこから!?」


 魔導の力を行使し、クルーガーや周囲の兵たちを援護しつつ、マイナが悲鳴のような声を発した。目が回るような戦いのなか、少女は戸惑いと混乱を振り払えないでいるのだ。


 街中で討ち洩らされた魔獣や死せる者アンデッドまでもが、戦闘の渦に加わり、さらに事態は目まぐるしいものに発展していく。


「大森林アルベルトは、魔獣たちが多く生息する魔境だ。おそらく周囲に住まう魔獣たちを使い魔として送り込んできたのだろう――ただし凄まじい数だが」


「こんなにたくさんの魔獣を……操っているの?」


 マイナは信じられない思いで周囲をぐるりと見回した。


 その無防備になった魔導士の少女に、狼めいた体躯の魔獣数体が飛びかかった。魔導の気配は常に魔獣たちの注目を集めているのだ。


 ガツッ! クルーガーが少女と魔獣との間に飛び込んだ。剣で魔獣たちを押し留める――だが数が多過ぎた。


「クルーガーっ!」


 マイナの悲鳴があがる。クルーガーの肩に、脚に、魔獣がその牙を埋めていたのだ。


 クルーガーは呻き声ひとつあげず自分の血が散った唇を引き結び、剣をひねるようにして受け止めていた牙を叩き折った。そのまま自分の肩と脚に喰らいついていた魔獣の体を剣で一気に貫く。


 ギャウゥゥゥッ!


 断末魔の悲鳴をあげたのは、魔獣たちだ。


 マイナが蒼白になって剣を下げたクルーガーに『治癒ヒーリング』を行使する。肩からドクドクと流れていた血が止まり、クルーガーは再び剣を構えた。


「サンキューな、マイナ」


 周囲に鋭い視線を向けながらもニヤリと微笑み、少女に礼を言った。


「……そんな、こちらが――」


 思わず目に涙を浮かべたマイナが喉をつまらせたとき、冷ややかながらも苦痛と怒りに満ちた声がその場に響いた。


「見つけたぞ。今度こそ、今度こそは――錫杖を我が手に貰い受ける!」


 クルーガーとマイナが視線を上げた先、城壁の上に、銀の髪をひるがえした異形の男ルシファーの姿があった。


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