従僕の錫杖 8-39 ミディアル防衛戦
古くからの大通りも新興住宅地の狭い路地も、襲撃の外壁付近から逃げようとしている人々であふれかえり、大混乱になっていた。
「下を行っていたら、身動き取れなかったかもしれないわね」
「そうだな。ひとの流れに逆らって進むのは危険だし、何より混乱のもとになる」
ルシカは足元を流れ過ぎる光景を見て言い、テロンが跳躍の合間に答えた。
ミディアルの大通り、軒を連ねている商店は隣との間が詰んでいるところが多い。加えて、そのほとんどが石造りだ。飛翔族が多いので屋上にも足場や入り口があるという設計になっている。
テロンはルシカを抱えたまま、建物の上を跳んで移動していた。さすが体術で戦うだけはある、並外れた身体能力だった。
「テロンって、すごい」
ルシカは素直に思ったことをつぶやいた。見上げるとすぐ近くに、真っ直ぐに前をひたと見つめる青い瞳がある。普段の穏やかな瞳も好きだが、ルシカはテロンの内に秘められた熱さも好ましく思っていた。自分の信念を貫く強さは、いつもルシカの迷いを吹き飛ばしてくれる。
南に向かうにつれ、人々の混乱は凄まじいものになっていた。それもそのはず、すでに都市の入り口では怖ろしくおぞましい光景が繰り広げられていたのだ。
分厚い木材で造られた門は繋ぎ目から打ち倒され、門に殺到した骸骨やゾンビーたちが互いの体で傷つけ合い、かなりの数が大地に折り重なっていた。
それを踏みつけ乗り越えるようにして、あとからあとから
その勢いの凄まじさ、あまりの無頓着さにルシカは蒼ざめた顔になったが、何とか目を背けずに状況を見つめた。
森にいくつも感じる魔獣の気配はまだ少し遠い。この門から都市に侵攻しているのは
「行くぞ!」
南門の手前に到達したテロンはルシカに声を掛け、屋根から一気に下へ飛び降りた。テロンが脚をバネにして着地すると同時に、その腕に抱えられていたルシカが地面にふわりと降り立つ。
ふたりの眼前、大通りから門の外――森へ続く広い街道は、いま
門扉は閉ざそうと試みられたようだが、間に合わなかったようだ。地面に押し倒された門扉のその表面には、体当たりをされたとおぼしき汚れた跡がいくつも真横に
門の内側でも、腰でも抜かしたのか逃げ遅れている何人かが地面に倒れ、悲鳴をあげながら後退っている。そこへ今まさに、雪崩のように
ルシカが腕を突き出した。瞬時に魔法陣が展開される。輝く光が具現化され、流星のように飛ぶ。
ズドンッ!!
地面に倒れ伏していた老人にのしかかろうとしていた骸骨やゾンビーたちが光に突き飛ばされ、不快な音とともに後方へ重なり落ちた。その隙に老人はなんとか立ち上がり、まろぶようにこちらへ駆けてきた。逃げ遅れていた者や避難を促していた兵に合流して、都市の奥へと避難していく。
逃げる人々と入れ替わるように、テロンとルシカは前に出た。
「南へ真っ直ぐ、感じられる範囲に生きている者の気配はない」
テロンが発した言葉に、ルシカが無言で頷く。
「――ゆくぞ!」
ふたりは同時に、南街道に向かって渾身の力を込めた『
テロンの放った凄まじい衝撃が
ドオォォォォオンッ!!
都市に殺到していた骨と腐肉の塊が散り、何かに気づいたかのようにハッと目を見開いたルシカが
声が震え、その瞳に涙が
「ひどい……あの死体たちって……そんな!」
「ルシカ、どうした!?」
テロンが思わず傍らのパートナーの顔に視線を向けた。
「あれは『
「なるほど……『
ルシカが心に受けた衝撃を、テロンも理解した。単に死体を利用するだけではなく魂をも冒とくしているのだ。死してなお現生界へ呼び戻されて朽ちた体に無理やり封じられることが、いかほどの苦しみであるのか――。
「早く黄泉の国へ送り還してやることが、彼らにとってせめてもの救いということか」
テロンが奥歯を噛みこぶしを握りしめた、そのとき。
「――許せない! 絶対ッ!!」
ルシカが叫び、腕を突き出した。魔導の気配がルシカを取り巻く真紅の風となって吹き上がる。
『
次の瞬間、その空間が真っ赤に染まった――。
まさに空間そのものが灼熱の炉に変わったかのようである。火の属性を持つ攻撃魔法のなかでも最高位にあり、魔導士ですら本来専門とする者にしか行使できない力だ。
『万色』の魔導士の破壊魔法に、見える限りの範囲の地面が瞬時に燃え尽き、そこにあったものすべてが焼き払われた。
きらきらとした無数の光がいくつも、空中に染みこむように消えていく――。縛られていた魂が、本来の在るべき世界へ戻っていくのだ。
「魂だけでも――どうか安らかに」
熱をもった瞳を伏せ、ルシカは祈るようにつぶやいた。瞬時に多大な
「ルシカ」
テロンの静かな声に、ルシカは刹那、オレンジ色の瞳を閉じた。
「うん……ごめん」
「いや、気持ちはわかる。ただ無茶をしないで欲しかっただけだ」
痛みを含んだような言葉に、ルシカが大きく目を開いてテロンを見上げた。テロンは揺れる瞳を閉じ、すぐに開いた。力のこもった瞳に戻っている。
背後から声が多くの気配が近づいてくるのを感じ、ふたりは振り返った。編成を終え準備を整えた冒険者たちが、ミディアルの防衛を預かる兵たちが、各々の武器を手に駆けつけてきたのだ。
「後方はいまだ住民たちの避難で混乱しているが、この門はもう彼らに任せても問題なさそうだ」
そう判断したテロンは、彼らに向かって声を張りあげた。
「ここは頼む! 俺たちは東門に向かう!」
「はい! お任せください――お早く!」
指揮を執る兵の見知った顔の何人かが、声をあげて応えてくれた。彼らは抜刀してテロンとルシカの横をすり抜け、焦土の向こうから踏み入ってくる敵たちと対峙した。
「――ルシカ、これを」
テロンは上着の
「え?」
思わず受け取って戸惑ったように声をあげるルシカを再び抱えあげ、テロンは地面を蹴った。ルシカが手のなかを見ると、渡されたものが魔力を蓄えた魔晶石であることがわかる。
「テロン?」
「使ってくれ。そのために持ってきた」
ルシカは魔晶石を見つめた。――こんな用意があったとは彼女にとって意外だった。その石に込められた夫テロンの心配する気持ちを感じ取り、ルシカは魔晶石を胸に押し当てた。
「ありがとう……」
ふたりが次に向かう先――東門の方向からは、ガアァン、ガアァンという凄まじい音が鳴り響いている。
テロンは全力でその方向に走った。そして門の手前にある建物の屋上で足を止める。
こちら側――東門には、まだ
瞬時に状況を見極めたふたりは、すぐに次の行動に移った。
ルシカはテロンの腕から屋上に降り立ち、テロンはそのまま地面に向けて跳躍した。体当たりが繰り返されて今にも砕けそうな門扉を支える兵たちの中に飛び込み、自らも扉を押し支える。魔導行使の時間を稼ぐためだ。
屋上に残った『万色』の魔導士は、空中に腕を滑らせ、天高く振り上げた。ルシカの腕先に光が生じ、空中を
ゴガン、ガガン、ガンッ! 地面が爆ぜ割れ、瞬時にせり上がった。
割れて亀裂を生じた大地に、体当たりを繰り返していた狼めいた魔獣が足を取られて引っくり返る。魔獣は唸り、魔導の気配を追ってふたつある首のひとつを上に向けた。
魔導士にしか扱えない専用魔法『
魔獣に発見されたことに気づいたルシカは、流れるような動きで次の魔導の動作に移った。新たな魔導の輝きが空中を渡り、門の上に物理的な障壁を展開する。
だが障壁が張られる一瞬前、その魔獣一匹だけがすり抜けて門を跳び越えた。
「――ルシカ!」
気づいたテロンが叫び、瞬時に『聖光気』を
パシュウゥゥゥンッ!
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