従僕の錫杖 8-41 動きはじめた思惑

「しつこいヤツだな」


 クルーガーが魔法剣を握りしめ、相手を睨みつける。先ほど受けた傷はマイナの『治癒ヒーリング』では完全に癒えていない。しかし相手に隙を見せるわけにはいかなかった。


「あんまりしつこいと女性に嫌われるぜ」


 回すように手元に魔法剣を引きつけ、その先を相手に真っ直ぐに向けて構える。


 殺意をまとってふたりを見下ろすルシファーは、すでに異形と化していた。胸元の魔法陣を赤く輝かせ、すっくと城砦上に立つ姿は、東方大陸に伝わるおにと呼ばれる昔語りの種族のよう。


 あるはずのない風に銀の髪がなびき、その瞳は炎に照らされた紫水晶アメシストのごとく熱を帯びていた。


「色男はおとなしく他の女でも追いかけていろ。そんな小娘に執着することもあるまいに」


「あいにく俺は自分の気持ちに真っ直ぐなんでね」 


 クルーガーが答えたとき、数本のナイフがルシファーに向けて投げられた。同時に、威勢のよい声が耳を打つ。


「消えなさいよ、変態!」


「――む!」


 振り返ったルシファーがナイフを鋼鉄のごとき堅さを持つ腕で叩き落とす。殺意を含んだ視線を向けられたリーファは、生唾を呑み喉を鳴らしながらも一歩も引かず短剣を構えた。


「おまえから死ぬか」


 ルシファーの体が城砦から滑るように落ち、その脚が壁面を蹴る。と、まばたき一回のうちにその鉤爪がリーファの眼前に迫っていた。


 ギャリイィィン!


 だがその爪は、同時に跳躍していたクルーガーの剣が受け止めていた。耳障りな音が響き渡り、目に見えない衝撃が一瞬遅れて生じた。


「こいつは俺が相手をする。手出しは無用だ」


 クルーガーが背後のリーファとティアヌに告げる。リーファが頷き、マイナと合流するためティアヌとともに駆け出した。


 だがそのとき、ふたりが到着するよりも早くマイナのもとに大きな影が飛び込んだ。一瞬焦ったマイナやリーファたちだったが、その魔獣を見極めたマイナが嬉しそうな声をあげる。


「プニール!」


 クルゥエエェー!


 ミディアルに到着したプニールが、魔獣を討とうとしている冒険者たちの包囲網をくぐり抜けてようやくマイナのもとに追いついたのである。周囲の兵たちが驚いた目で竜の姿の魔獣に抱きついた少女を見たが、すぐに納得した表情で目を逸らし別の魔獣に向かっていった。


 クルーガーはちらりとその光景に目をやり、目の前の異形に視線を戻してニヤリと笑った。


「――どうやらおまえとの勝負に集中できそうだぞ。今度こそ倒してやる」


「ほざけ。倒れ伏すのはおまえのほうだ――!」


 気合い、そして衝撃。金の髪と銀の髪が合い入れ替わるように位置を激しく変え、ふたりは切り結び、また離れ、またぶつかった。その度に凄まじい金属音が響き、火花が散る。


「一度負けたやつが、何度もしつこいぞ!」


「この肉体が朽ちぬ限り、目的のために何度でも狙うは当然のこと」


 クルーガーが剣で押し切った。ルシファーの体が後方の壁に叩きつけられ、相手は口元を腕で拭い唾を吐いた。赤いものが混じっている。


「何がおまえをそこまで駆り立てる?」


 若き国王の問いに、異形の姿に身をやつした男は答えた。


「忠義を尽くすためだ。ロレイアルバーサ様は我を見い出し、救ってくださったのだ。……何としても報いねばならぬ」


「『ひと』という枠からはみ出した領域に追い込まれて、それで救いだといえるのか?」


「ぬくぬくと守られ、権限も力もあるおまえには、虐げられてきた者の考えなぞ理解できぬだろうな」


 ルシファーは自虐的に唇を歪めた。はだけた胸にある魔法陣に鉤爪を伸ばす。クッ、と嗤うように息を吐き、自らの爪をズブリとその胸に埋めた。血は流れない。それは亜空間と繋がる魔法陣、『扉』でもあったのだ。


 長細いものが、ずぶずぶと魔法陣から引き抜かれる。それは剣だった。長く細身の、ごつごつと突起のある赤い針のような魔剣である。


 その魔剣自体が放つ殺気に、クルーガーは全身に緊張を走らせた。


「たとえ死に掛けていようとも、生きていれば俺にとって関係ない。錫杖のほうの娘は、その品自体が手に入れば良いとのこと」


 ルシファーは魔剣を振り上げた。天高く掲げられたそれは赤い光を発し、同時に展開された魔法陣が周囲に異常な重力の力場を発生させた。


 ズンッ……!!


 周囲のものが全て一瞬で地面に叩きつけられた。


「うあッ!」


「きゃっ!?」


「ぐっ!!」


 クルーガーだけではない、リーファやティアヌ、マイナとプニール、そして周辺で戦っていた兵も魔獣も全てのものが、突如発生した不可視の力に押し潰されている。


 ただひとり、その影響を受けていないルシファーが、禍々しい輝きを放ち続ける剣を手にしたまま足を踏み出した。マイナの傍に歩み寄り、その細い喉もとを無造作に掴みあげた。


 伸ばした腕の先に、小柄な魔導士の体が宙吊りになる。マイナの瞳が恐怖に見開かれた。


「……ぐっ、マイナ……!」


 クルーガーは押さえつけてくる魔導による力場に抗い、腕を突っ張って身を引き起こそうと渾身の力を込める。


「『従僕の錫杖』がこの娘の生命と繋がっているというのなら、接合を切り離せばよいだけのこと。この剣で娘の生命を切り裂いてな……!」


 ルシファーが剣を高く振り上げた。切っ先をマイナの胸にピタリと当てる。少し上方へ引き、勢いをつけて一気に力を込めて刺し貫こうとする――。


「やめろおぉぉぉッ……!」


 クルーガーが自分の体をねじ込むように、マイナとルシファーの間に割って入った。


 クルーガーは間に合った。ルシファーの魔剣は背中から彼の胸鎧を貫き、ずぶり、と内部に突き刺さり貫通した。


 だが、マイナの体までは届かなかった。胸を抜けてきた剣先をクルーガー自身が咄嗟に掴み、止めたのだ。クルーガーの口元から血があふれ、流れる。


 マイナは目をいっぱいに見開き、硬直したように動きを止めたままぶるぶると震え、目の前の青年の血を見た。


「だ、いじょうぶ、だ……マイナ」


 まばたきも忘れ去った少女の瞳が動き、青い瞳と出合った。クルーガーは口元を震わせ、微笑もうとした。


 舌打ちしたルシファーが剣を引き、放り捨てるようにクルーガーの体を横へ振り払った。血の雫を散らし、その体が地面を跳ねる……。


「あ……あぁ……あああ」


 マイナの中で、何かが音を立てて切れた。


「いやあああぁぁぁぁぁああぁ!!」


 少女は絶叫した。その体を奔り抜けた感情が何であったのか、少女に理解する時間は与えられなかった。


 それは衝撃、恐怖、哀しみ、絶望――そして、怒り。


 マイナの全身から血よりもなお赤い光――真紅の魔導の光が一気にあふれた。周囲を圧倒し、染め上げ、爆発的な勢いで広がっていった。


 少女の体が、何の支えもなく宙へと持ち上がる。マイナの瞳は見開かれたまま、真紅の輝きを発して微動だにしない。その胸の内から、肌も衣服も透かして内に封印されたはずの力の根源――『従僕の錫杖』の反転せし光の影が現れた。


「――マイナ! クルーガー!」


 そのとき、広場に走り込んできた人影があった。


「遅かったか!」


 テロンが頭上を見上げ、厳しい表情で声を発した。


「く……クルーガー!?」


 ルシカが地面に転がったクルーガーに気づき、悲鳴のような声をあげた。テロンの腕から滑り降りて駆け寄り、横向きの体を支えて膝の上に抱え上げる。


 とめどなく流れ続ける血に濡れていく自身の手と石畳に、ルシカの顔が蒼白になる。急ぎ腕を掲げ、もう一方の手のひらをクルーガーの胸に押し当てる。


 一瞬にして具現化された青と緑の魔導の光が魔法陣を結び、魔導士と青年の体を照らした。光を発する手のひらの下で、血が止まり傷が閉じていく――。


 ようやく開いたクルーガーの青い瞳の横に、ルシカの涙がぽたりと落ちた。クルーガーが視線を巡らせてルシカの顔を見る。まるで悪戯を見つかったときのようなばつの悪そうな表情で微笑んだクルーガーに、ルシカがホッと息を吐いた。


「あたしのことなんて言えないじゃない。無茶ばっかり……」


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