従僕の錫杖 8-26 邂逅のその果て
「確かに、乗っ取られたと考えるのは早計ですが――」
ティアヌが言いにくそうに口ごもる。
「何だ? 気にせず言ってくれ」
「はい。あのふたりが……テロンとルシカが、自分たちだけで行くと言い張ったのが気になるんです。ふたりだけで話し合っていたときの様子、ただの偵察にしては覚悟を決めたように真剣そのものでした。それに、武器なしでいつもと同じように戦えるのは、あのふたりだけですから」
クルーガーが一瞬、虚を突かれたような表情になった。すぐに立ち直ったが、その顔は苦しさを感じているように歪んでいる。
「……自らが危険に飛び込んでいくことになるとわかっていた。分散させる戦力を削ぐことなく、こちらに最大限の戦力を残し、戦闘に備えておくよう言い残していった、と」
「その可能性を考慮していたのは、おそらく間違いないと思います」
エルフ族の青年は、確信しているかのような口調で言った。
「あいつらは……自分たちの力を過信しすぎだ」
「危険な状況に、誰かを巻き込みたくなかっただけかもしれませんが」
クルーガーとティアヌの遣り取りの間に、リーファが割って入った。
「本当に……自分たちの寿命を縮めるくらいに優しいんだから! わたしたちのことも、もっと頼ってくれたらいいのに」
クルーガーは自分でも意識しないまま、こぶしを握りしめていた。彼の閉じたまぶたに浮かぶのは、「兄貴が国を表で支える、裏は俺たちに任せてくれ」と語った双子の弟テロンの姿だ。そして、その横で微笑むルシカの姿も――。
「何故ふたりだけで、何でもかんでも背負い込もうとする! 俺は自分の仲間を捨て駒にする気はないぞ……!」
クルーガーがテーブルの表面をバンと叩き、マイナがびくりと震えた。
だがその伏せられた表情を見て――苦しそうな痛むようなクルーガーの様子を目の当たりにして、マイナの瞳が揺れた。気づくと、その口から言葉が飛び出していた。
「……それほどに大切に想っている心は、たぶんテロンさんやルシカさんも同じなんだと思います」
その言葉にクルーガーは目を開いた。揺れていた青い瞳はすぐに落ち着きを取り戻し、マイナを見つめる。
「そうだろうな。
クルーガーが真っ直ぐに背を伸ばしたとき、部屋の入り口の扉が開かれた。兵が緊迫した声で報告をする。
「陛下、襲撃です!」
クルーガーは頷き、全員の顔を見回して声を張り上げた。
「迎え撃つぞ。ただしできる限り船を損傷させるな――行くぞッ!」
帰る場所を守るのが残された者の役目だからな――クルーガーは仲間たちとともに甲板まで駆け上がりながら、口の中でつぶやいた。
「こちらがはじまったとなると、向こうに何もないってワケがないだろう。必ず、無事で帰ってこいよ!」
ここにはいないふたりに向けて言葉を発し、クルーガーは魔法剣を抜き放った。
魔導士であるマイナと、魔術師であるティアヌの援護の魔法が飛ぶ。港から船に向けて放たれた火矢を、甲板の上を舞うように移動するリーファ、そして剣や槍を手にした兵たちが次々と弾き落としていった。
続いて雪崩れ込んできた憲兵たちの数は多かった。すぐにあちこちで対人の戦闘が展開される。
船上とその周辺――桟橋付近は、瞬く間に戦場と化したのである。
ギイィッ……。テロンとルシカの目の前で、大きな扉が重々しく開かれた。
部屋の内部は、大国の執務室や客間と比べても遜色がないかそれ以上に豪華なもので、テロンとルシカは軽く目を見張った。
「儂の名は、ロレイアルバーサ・リ・クラインである」
低く堂々とした声が響き、部屋の奥で立ち上がった人物がいた。豊かな白い髪と、戦士のように鍛えられた肉体を持つ壮年の男だ。
「――冒険者ギルドから、という話だが」
「はい。あたしたちはトリストラーニャ大陸、ミディアル支部の者。ミンバス大陸にあるいろいろな遺跡を調査したいのです。でも、こちらの勝手がよくわからなくて……。都市訪問の際、間違った手順を踏んでしまったのでしたらお詫び申し上げます」
「それには及ばぬ。冒険者たちは国家に俗さぬ、自由な身分。それに……そなたたちには別な話もあったのでね」
ロレイアルバーサはサッと片手を挙げた。
人払いをしたいのだ――すぐにテロンとルシカは気づいたが、その合図を向けられた衛兵は理解していないらしかった。その証拠に、入り口の傍で突っ立ったままである。
部屋の
「やれやれ、見苦しいところを。――実は、ひと月ほど前に
ロレイアルバーサは精悍な顔をしかめ、ため息をついてみせた。
「そのゴタゴタのなかで兵や大臣の大部分を投獄するという事態になり、新兵を早急に実務に就かせる破目になったのだ。おかげで兵たちの礼儀の教育すらままならぬのだよ。……正直辟易させられている」
「心中お察しします」
ルシカが礼儀正しく口元を微笑ませた。金の髪と白い薄布が揺れて顔があらわになり、部屋を満たしていた陽光が僅かに明るくなる。
ロレイアルバーサが目を見張った。
その瞬間、黄金の瞳に強い輝きが宿ったことにテロンが気づいた。危険な輝き――本能が彼にそう告げている。
「……クク……、ウワハハハハッ!」
含み笑いしたかと思うと、突然爆発するようにロレイアルバーサが哄笑した。テロン、ルシカの全身にサッと緊張が走る。
「ロレイアルバーサ大臣?」
テロンが呼びかけると、相手はパッと笑いを引っ込めた。
「フン、儂は大臣ではない! この公国の新たな大公なのだよ。……『時空間』の大魔導士と謳われたヴァンドーナの孫娘、ルシカ・テル・メローニ」
「祖父を――あたしを、知っているのですね」
ルシカは髪を掻きあげ、被っていた白い薄布を外した。大きな両の瞳が陽光の元にさらけ出され、オレンジ色の虹彩に白い輝きが宿る。
「もちろんだ、類稀なる魔導士の娘。どんなに変装しようとも、儂の目は誤魔化せない。そなたを見紛うはずがない」
男はうっそりと佇んだまま、ルシカの顔に視線を奪われていた。まるで長い間探していた恋人にようやく巡り会えたかのように。
「……知り合いなのか、ルシカ?」
「いいえ」
小声で問うたテロンに、ルシカが即座に答えた。祖父が生きていたときにも、この男と会ったという記憶はない。
その言葉が耳に届いたのだろう。男はさも悲しげに首を横に振りながら、真っ直ぐにルシカに近づいていった。
「つれないことを……。今、こうして知り合えたではないか?」
ルシカの前に立ち、見下ろすように、その容姿と顔――殊更に太陽を宿したようなオレンジ色の瞳をじっくりと眺めた。
あからさまに
仲間たちのことが頭をかすめる――他国で騒ぎを起こすのは得策ではない。マイナのことで目の前の男が敵となるなら、戦闘もやむなしと想定していた。だが、自分のことで何かあるとは思ってもいなかった――。
それでもルシカは、落ち着いた口調で尋ねた。
「どういうことでしょうか。それに、見たところ、あなた自身も魔導士ですね」
ルシカの瞳には
部屋に入って邂逅を果たしたときから、相手が魔導士であると気づいていた。魔導を研究している者だと聞いていたので、おそらく多少の魔術の心得くらいはあるに違いないと思っていたが……まさか自分と同じ魔導士だとは。
ルシカは顎を上げ、男を正面から見つめ返した。気圧されてはいない。だが、嫌悪感は拭いきれなかった。男の目に宿る光が普通ではないからだ。
目の前の男は
「そなたは若く……まことに美しい。
ロレイアルバーサの背丈は、テロンより僅かに低いほどの長身だ。壮年期を過ぎる年齢だというのに、若々しく、筋肉も発達している。そんな頑強そうな体躯に負けまいと、小柄なルシカは背筋を伸ばして対峙している。
「美しい花の命は短いというが、そなた、すぐにも終わらせとうはなかろう? どうだ、惜しいとは思わぬか」
「……おっしゃる意味がわかりませんわ」
ルシカは一歩も後退することなく立っていた。いつでも魔導を行使できるよう、精神を集中させ高めながら。
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