従僕の錫杖 8-27 邂逅のその果て
「
自信に満ちあふれた口調で、ロレイアルバーサはルシカに告げた。ルシカの眉が僅かに寄せられる。
「――今度こそ、の意味がわかりません」
相手から視線を外さず、ルシカは言葉を発した。テロンが今にも動きそうな気配を感じるが、今は駄目よと祈るように心の内で繰り返す。
何かが引っかかる、ズレている――強い違和感があるのだ。この感覚の正体がわからなければ、こちらから仕掛けることはできない。
ロレイアルバーサは黄金の瞳を揺らし、焦点が合っていないような、遠くを見つめる目つきをしている。まるで淡い過去の夢でも見つめているかのよう……。
ふいに、ルシカは、その不思議な感覚の正体に気づいた。
「そうか……あなたの瞳は、あたしを見ているわけではない」
ロレイアルバーサは微かな声でつぶやいていた。熱に浮かされたように。
「……もうそなたを他の誰にも渡しはしない……ルレア……」
ルシカには、その名前に覚えがあった。
「……ルレア? あたしの祖母の名前だわ。おとうさんの母親――あたしが生まれるよりずっとずっと前に亡くなったひと」
「その瞳……我が愛しき、麗しき魔導士……ルレアのもの」
うっとりと夢見るように、男はつぶやいていた。その瞳に映っているのはルシカではなく、そのルレアという女性なのだ。
「あたしはルレアじゃないわ。目を覚ましなさい!」
ルシカは突き放すように固い声を発した。その声で、ロレイアルバーサの焦点がはっきりとしたものに戻る。
「――太陽の瞳は、選ばれし者の証」
今度はルシカの顔をしっかり見据えながら、口を開く。
「そなたの祖父、偉大なる『時空間』の大魔導士と言われたヴァンドーナの瞳を覚えておるか? 受け継がれてゆく魔導の血統の
ロレイアルバーサは言葉を続けた。
「そなたの類稀なる魔力の質……その容姿……そなたはルレアそのものなのだ」
「狂っていると思うわ、そんな考え」
「ヴァンドーナはもういない、儂と共に来るしかないのだ……来てくれるだろう? ふたりで平和な世界を手に入れるのだ……!」
ルシカは眉をひそめ、オレンジ色の瞳に力を込めた。はっきりとした口調で答える。
「お言葉ですが……時は進み、決して戻りはしない。あたしはあたし。あなたが想い続けているひととは違う。……たとえ誰であっても、失われたひとの身代わりにはなれません!」
カッと瞳を見開いたロレイアルバーサは、憤怒のあまりぶるぶると震える手をルシカの細い首に伸ばした。
「――儂は『時』の魔導士。過去の魂を呼び戻せる存在。そなたを
だが、その手がルシカの首に触れる前に、それを掴んで止めた腕があった。――テロンだ。
「我が妻に、手出しは許さない」
口調はあくまで静かであったが、テロンの瞳の奥には燃えるような青い炎が宿っている。怒りで顔色が蒼白になっていた。
ロレイアルバーサが振り払おうと力を込めるが、掴んだテロンの手と腕は微動だにしない。
「……妻とは笑止な。若造が! おまえごときには相応しくない。引っ込んでいろ!」
ロレイアルバーサが上擦った声で叫んだ。
テロンは顔を歪め、口を開いた。よく響く低い声で、はっきりと言い放つ。
「――あんたはヴァンドーナ殿に負けたんだ。失恋した相手をいつまでも忘れることなく想い続け、その孫娘で本懐を遂げようなどというほうが……よほど笑止だ!」
ロレイアルバーサがようやく手を振り解いて後ろに下がり、テロンを激しく睨みつけた。青い瞳と、黄金の瞳が、火花を散らす。
「ほざいておれよ。あの錫杖を手に入れたならば、おまえごとき敵ではない。全てが儂にひれ伏すのだからな……!」
「やはり、あなたが狙っている張本人なのね!」
テロンの背にかばわれていたルシカが声をあげた。
「――あんたには、何ひとつ渡しはしないさ」
テロンが言うと同時に、後方のルシカが腕を振り上げて魔法陣を具現化させた。足元いっぱいに赤い光が
「あたしは『万色』の魔導士、ルシカ。あたしたちはみんなを守り抜いてみせる!」
ルシカは片腕を真下に振り下ろした。凄まじい波動が放出され、部屋の窓が瞬時に砕け散る。衝撃は渦を巻くように部屋中を駆け巡った。
「何ッ!!」
飛び散る硝子の嵐に、思わずロレイアルバーサは腕を掲げて自らをかばう。硝子の破片は、術者であるルシカと傍にいるテロンにはかすりもしなかった。
テロンはルシカの腰を抱き、素早く窓から空中に身を躍らせた。
「クソッ……待てッ。逃がさんぞ!!」
悔しそうな声を残し、そのまま三階分ほどの高さを落ちる。そしてテロンは脚をバネにして、見事な着地を決めた。
夫の首に腕を回していたルシカが顔を上げ、ニッコリと笑った。テロンは目元を笑わせて応え、すぐに駆け出した。
「そういえば、ルシカ、収穫はあったのか?」
城内を走り抜けながら問うテロンに、抱えられたままのルシカが頷いた。
「ええ、もちろんよ、テロン」
ふたりは刹那だけ目を見合わせ、頷きあった。
「では、もうここに用はないな」
必死に追いかけてくる憲兵たちを翻弄しながら、テロンは港へ向かって風のように駆けた。腕に人ひとり抱えていようとも、へっぴり腰の憲兵たちには誰一人として、彼の足に敵う者はいなかったのであった。
ザブン! ザン……ザッパーンッ!
船の甲板から制服を着込んだ憲兵たちが次々と落とされ、さかんに水飛沫をあげていた。憲兵たちは数で圧倒していたが、戦況は彼らにとってかんばしくないどころか、はっきり言って劣勢である。
相手の者たちが余程剣の扱いに熟練した冒険者たちなのか……実力差が歴然としすぎていた。
しかも、甲板上にいる者は体つきのしっかりした男たちだけではない。木箱や手摺の上を舞うように、流れるように動き回る少女にすら、憲兵たちは敵わないようだ。おまけに、巨大なスパナのようなものを振り回している老人にも、容赦なく船から叩き落とされている。
「何と無様な。腰抜けの憲兵……寄せ集めの
港の倉庫などの建物が並ぶ一角。屋根の上でそんな光景を眺め、ギジリ、と奥歯を噛みしめる男がいた。船の上の戦況を見極めた彼は、苛立たしげに銀の髪を掻きあげた。
「……あれでは時間稼ぎにもならん!」
ましてや、錫杖を体内に持つ少女を拉致してくることなどできるはずもないではないか――男は心の内で苦々しげに言葉を吐き捨てた。
「しかし……船上の冒険者どもの動き、妙だな。正規の訓練でも受けたかのような剣術……まるで王城の衛兵ではないか。しかも、何やら覚えのあるような構えをしている」
ラートゥルの大聖堂ではじめて
「ふっ……ククッ……ここでもまた立ちはだかるというのか。つくづく縁がある……」
含み笑いを洩らしながら、銀の髪の男は革鎧の前を開いた。裸の胸に直接描かれた赤い魔法陣が、陽光のなかにあってもなおまばゆく輝いている。
「――
男は足元を蹴り、空中に跳びあがった。胸の魔法陣に片手を突き当てる。
ズンッ! 着地した場所で、敷石が陥没し砕け散った。顔を上げた男は、すでに異形と化している。
「今度こそ、容赦はせぬ。引き裂いてくれるわッ!」
裳裾のように銀の髪をなびかせ、
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