従僕の錫杖 8-25 邂逅のその果て

「おい!」


 背後から掛けられた声に、テロンとルシカのふたりは振り返った。憲兵たちを率いているリーダーらしいが、どうにも頼りない印象で、虚勢ばかりの人物に見える。


 長い平和の中で、軍の質が落ちてしまったのか、あるいは優れた上官たちが失われてしまったのか? ふたりの足に置いていかれそうになって、声を掛けてきたらしい。


「あら、間違っている? 城に向かえばいいのよね?」


 ルシカはくるりと振り返り、意地悪く訊いてみた。妖艶な変装に合わせてみたというのもある。


「ロレイアルバーサ・リ・クライン――ターミルラ公国の魔導研究の第一人者で、大臣の地位にある人物だと記憶している。我らを呼んでいるのはその人物なのだろう?」


 テロンがルシカの言葉に補足した。自分たちは冒険者ギルドの意向で行動しているのだが、と話を続ける。


「冒険の情報を求めてこの街へ立ち寄っただけだ。調べ物があって先ほどの図書館を訪れたのだが、人がいなかったので勝手に奥まで踏み入ってしまった。非礼があったのならば詫びよう」


「大臣さんなんだから、城にいるはずよね」


 言葉に詰まる憲兵のリーダーに構わず、テロンとルシカは再びさっさと歩きはじめた。


 街中は、相も変わらず静かなままだ。押し殺したような静寂、押さえつけられたような圧迫感のようなものを、鋭敏なテロンは感じていた。


 魔法的な影響ではないのだろうと、彼は思う。もし『強制ギアス』などひとの心を乱したり操るような魔法が原因ならば、彼の傍らを歩くパートナーの魔導士がすぐに気づくはずだ。


 そのパートナーは、軽い足どりで歩いてはいるが、周囲に向ける目は真剣そのものだ。何があろうとも見過ごさぬように気を張っている。


 時々その瞳が揺れるように震えるのは、頭の中でいろいろな考えをまとめ、各方面から検証し……同時に船に残してきた仲間たちを思いっているからだろう。


 ――そんなふうに、自分以外の事ばかりを気にしているから、足元が見えていなかったりするのだろうな、とテロンは思っている。


 城の入り口の手前の段で、ルシカがつまずいた。ほとんど同時にテロンが腕を伸ばして、その体を支えてやる。ルシカの体は軽い――あっけないほどに。けれどその存在は、その生命は、テロンにとってこの世界の何よりもずっと重く大切なものなのだ。


「おまえをずっと見ているから、何が見えているのか……何が見えていないのか、わかるからな」


「え? なぁに?」


 テロンが心の内でつぶやいたつもりの言葉だったが、ルシカには届くものなのかもしれない。敏感に彼女が顔を上げたので、彼は優しく微笑んだ。


「いや、何でもない」


 テロンは顔を上げ、つられるように視線を上げたルシカと共に、目の前の門を――そしてその先に建っている城を見た。


 優美な尖塔が立ち並ぶさまは、トリストラーニャ大陸ではあまり見られない建築様式だ。それは優雅で、華麗な眺めだった。


 森の恵みで発展した歴史があり、主要な建物や塔は石材だが木材を使っている箇所も多くある。そして、そのどれもに凝った装飾が施されている。


「街の様子がこうも閑散としていなければ、さぞ美しい眺めだったのだろうな」


「そうね。……残念だわ」


 海からの恵みと、森からの恵み、それによる海産物と工芸品と良質な港とが、小国ながらもターミルラ公国を豊かな貿易国として発展させてきた。取り囲むように連なるガーランディア山脈は自然の要塞となって、陸からの他国からの侵入を阻んでいる。


 小さくとも、豊かで平和な公国であったのだ――かつては。





 港で待機しているリミエラ号の船室のひとつの広い空間に、船の乗組員である直属兵の分隊長、グリマイフロウ老、ティアヌ、リーファの姿があった。


 中央に固定されたテーブルの周囲に集まった皆は、それぞれの考えを巡らせながらほとんど話もせず待機している。ティアヌとリーファは窓から港と城下の街並みを見ていた。


「今頃、ルシカたちは……」


 心配するようにかすれたリーファのつぶやきに振り向き、ティアヌが何か言おうと口を開きかけたとき、入り口の扉が開かれた。


「――待たせたな」


「クルーガー陛下、体は大丈夫なのですか?」


「ああ、もう心配ない。治癒が良かったからな」


 クルーガーは言いながら、続いて部屋に入ってきたマイナの顔を見た。マイナに微笑んでみせたあと、クルーガーは厳しい面差しになって部屋のテーブルまで歩いた。


 集まっていた皆が顔を上げ、テーブルの周囲に歩み寄る。


「外の状況を見た。もうあまり時間がないようだ――戦闘の準備はできているか?」


 クルーガーの問いには、控えていた隊長がすぐに答える。


「整いました。皆、臨戦態勢です」


「――さっきから見ていたけど、もう周囲は完全に取り囲まれているわね。ただ、すごく素人っぽいけれど。へっぴり腰なのよね。包囲っていってもあちこち隙間だらけ。自国を守ることすらできそうにないって感じだわ」


 リーファが肩をそびやかしながら言った。その隣で、ティアヌは眉を寄せて顎に手を当てている。


「リーファの言葉通り、本当に形ばかりの兵隊みたいです。古参の者がいなくなって、新参者ばかりで構成されているような……。政権交代でもあったのでしょうか」


「――確かに、この国の状況はおかしい」


 クルーガーは頷いた。


「マイナの母君が大公の娘であったとして、今現在このような状況にあるのが腑に落ちない。母君がソサリアの地にたどり着いたのは、マイナが生まれる前のことなのだ。そのときに混乱はあったらしいが、少なくとも半年ほど前までは平和で落ち着いた国だと確認されていた」


「最近状況が変わったばかり、としか思えませんね」


「うむ。街にも港にも、ここから見える限り戦乱の跡も略奪の跡もない」


「大公の名は、カールウェイネス・ルル・ターミルラ。マイナの母の実の弟ということだ。マイナにとっては叔父に当たるな」


 クルーガーは隣に立っていたマイナの顔に視線を向けたが、目が合った少女は顔を伏せた。自分の腕を掴んでいる手に、きゅっと力が入った。


「――母のことはあたしもほとんど聞かされていません。いずれ話すつもりだ、と父からは言われていたけど……」


「そうだったのか」


 頷いたクルーガーは視線を前に戻し、口を開いた。


「そのカールウェイネスという大公は、立派な人物だと伝え聞いている。確かな外交手腕、民を愛し、国は平穏で豊かだったと。だが、今はこの状況だ」


「マイナを襲った犯人たちが、国まで乗っ取ったとか?」


「まさかそんな、突拍子もない話です! ――と言いたいところですが」


 リーファの言葉に一旦声をあげたティアヌだが、テーブルに手を突いて身を乗り出し、言葉を続けた。


「ありえない話ではないですよね。力のある魔導士ならば、魔法の守りの薄い国を乗っ取ることは可能だと思います」


「ふぅむ……確かに、王都が襲撃されたときのことを思い出すとその説はいなめないのだが」


 クルーガーは考え深げに眉を寄せながら、言葉を続けた。


「そのカールウェイネス大公自身が、魔導士ではないかという噂もあるらしい。だからかどうかは知らないが、大臣のなかには魔導を学問として研究している者もいたのだ」


「国の規模はソサリアほどではないとしても、ここも同じように魔導の力に親しい国家というわけじゃな」


 それまで黙って話に耳を傾けていたグリマイフロウ老が口を挟んだ。


「魔法に対する対抗手段がいくらあっても、それだけが国を崩す方法ではないがの」


「まだ乗っ取られたと決まったわけでは」


 マイナが言い、口に手を当てた。


「ごめんなさい、邪魔するつもりは――」


「え? いいんだよ、もちろん。いろいろ意見を言ってくれなくちゃ」


 当然のことのようにリーファが言い、傍らのティアヌも頷いた。


「俺たちは仲間だからな。変に気を使わないでくれよ」


 クルーガーがマイナに向かって微笑んだ。ホッとした表情のマイナだった。


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