従僕の錫杖 8-16 手掛かりを探して

「……どうした、マイナ?」


 自分を覗きこむ裏表のない澄んだ青い瞳に、マイナはぱちぱちと目をしばたたかせた。


 そしてゆっくりと振り返り、目の前の男性ともうひとりの男性に、交互に視線を移動させる。驚きに開かれた目と口がまんまるだ。


「何かあったのか?」


「何かしたのか、兄貴っ」


 言葉の内容は違えど、似たような声が重なり――思わず双子は目を見合わせた。マイナと周囲は呆気にとられ、ただひとりぷっと吹き出し――明るい笑い声をあげたのはルシカだ。


「ふふ、あはははっ――なぁんだ、びっくりしたぁ。クルーガーってば、そういうことだったのね。どう説明したらいいのかな、ふふふっ」


 ルシカの声に全員の金縛りが解け、力が抜け、場の雰囲気が一気に穏やかなものに変わった。


「ああ、びっくりしました……とは言いつつ、何のことやらさっぱりですが」


 ティアヌが胸を撫で下ろし、リーファにまたしても小突かれている。


「……へ?」


 妙に納得した一同からの視線を集め、次に呆気に取られたのはクルーガーだった。顔を真っ赤に染め、腕の中で「ご、ごめんなさい」と肩を縮めるマイナを見て――ますます怪訝そうに首を捻ったのである。





「街灯が壊れ魔法の光も消えて、暗かったから、あのとき顔がよく見えていなかったのだな。しかしそんなに似ているのか? 俺たちには当たり前の状況だから、すっかり忘れてしまうんだよなァ」


 クルーガーが頭を掻いた。テロンとふたり、並べられて見比べられているのだった。その前に立っているのは並べた当人――ルシカが腕を組んで唸っている。


「うーん……あたしには、全然違って見えるんだけど」


 貴女あなたには当たり前でしょう、と周囲からすかさずツッコミが入り、ルシカが照れたように笑った。リーファが手を腰に当て、頷きながら言った。


「まぁ、知り合ったばかりではパッと見て判断つきにくいかもね。わたしだって初めて会ったとき、驚いたし」


「双子がいるって知らなければ、無理もありませんねぇ~」


 彼女の言葉に、ティアヌがのんびりした声で同意した。


「そんなものかァ」


 クルーガーは唸り、腕を組んで天井を見上げた。ふと、壁にいくつも貼られている世界地図に目が留まる。


「突然ですまないが、本題だ。ルシカならわかるんじゃないか……ミンバス大陸からここまで、船は自然に流されてくるものなのだろうか?」


 楽しそうに含み笑いをしていたルシカは、すぐに真面目な表情になった。クルーガーの視線を追い、世界地図を見上げて答える。


「……いいえ、海流と風に乗って普通にたどり着くのは難しいわ。この大陸の北にあったとされるミッドファルース大陸が消失したことで、その範囲のほとんどで海流が乱れ、風は無風状態よ。たとえ帆船じゃなくガレー船を使ったとしても相当に苦労するはず。グリエフ海の北は魔の海域なの」


 話しながらルシカは腕を振った。空中に複雑な魔法陣が描かれ、開き、光によって描かれた地図が浮かび上がった。


「これはね、魔導の『仕掛け花火トリックスター』の応用なの。イメージがしっかりしていればこうして空中に表示することも可能……って、その説明はこの際置いておいて、っと。こんなふうに――」


 ルシカは言いながらも、指で印を組み、腕を僅かに動かして映像を操作した。


 トリストラーニャ大陸の左に表示されているのが、西方のミンバス大陸だ。このソサリア王国が臨むグリエフ海には、ミンバス大陸周辺からの海流が真っ直ぐに流れてくるわけではない。


「グリエフ海の海流は魔の海域の影響で、主に東のほうからの海流になるの。だから西方からここまで向かう貿易隊商たちはソーニャの向こうで上陸し、陸路で来なければ――なるほど……クルーガー、そういうことなのね」


「そうだ。何らかの意味が――狙いがあったんじゃないか。探している方法は意外にこの近くにあるんじゃないかと、俺は思うんだ」


「どういうことなんだ?」


 テロンが訊いた。リーファやティアヌ、もちろんマイナも首を捻り、もの問いたげな表情だ。


「つまりね、どうしてマイナム――というより、この地域にたどり着かなければならなかったか、ということよ」


「追っ手が?」


「追っ手だけじゃないわ。あなたのおかあさんが、よ」


 ルシカは、マイナを見つめた。


「自分の体の内に封印されていた古代宝物のことを知っていた。それはクラウス様からの説明でわかっているわ。娘であるあなたを産んだとき、彼女は夫とふたりで悩んだんだもの――娘に受け継がせてしまった古代の宝物、その苦しみと狙われる危険を、どうにかして取り除けないかとね」


「つまり――」


「あなたのおかあさんはその方法があることを知っていた。この地を目指したのは、解決方法があるからなのよ、きっと。国を離れて逃げるだけなら、他にも隠れる場所や治安の良い国はたくさんある――それこそ、海流に乗って進めるルート上にいくつも」


「何故その話を、父は知らなかったの?」


「自分たちの力や情報だけでは叶わぬ方法だったのか、あるいは――死を免れないほどに危険な方法だったのかもしれない」


 ルシカが空中の映像を消し、眺めていたクルーガーが振り返った。


「その方法が知りたければ、ミンバス大陸に行く必要があるか?」


「そうね――ここへ来る前に知っていた知識だというならば、彼の地にあるという、出身地である公国へ出向いたほうが確実だと思うわ。追っ手のことも、機関と呼ばれていたものの実体も調べなきゃ」


「あの船を使うのか?」


 テロンが訊き、ルシカはニッとばかりに微笑んだ。


「えっへへ。大義名分ができるしグリマイフロウ老が喜んで出してくれると思うわ。ウルも試してみたくてうずうずしていたし。あたしも楽しみだし!」


「その言葉が好きだなぁ、ルシカは」


 クルーガーが苦笑した。


「あの船って何ですか? ウルって誰です?」


 珍しいことに目がないティアヌが、身を乗り出すようにして訊いた。その横ではリーファが両腕を広げている。


「どうやら、わたしたちも旅に付き合わなきゃって気がしてきた。ルシカたちが構わないなら、ついていくわ。どうせ世界中を旅するつもりだし」


「もちろんよ! ね、テロン、クルーガー。行ってもいいよね?」


 双子は顔を見合わせ、互いにニッと笑ったあと彼女に向き直った。


「もちろんだ! マイナを助ける手掛かりを得られる可能性があるなら、行こう」


「ルシカが行くと決めたなら、止められないからな」


「あ、あの……わたしの為に、そこまでしていただくわけには」


 マイナは卓の間で恐縮したように身を縮め、クルーガーに背を軽く叩かれて顔を上げた。


「いいんだ。あのふたりが王都に進入し、騒ぎを起こした時点でこの王国の問題になっている。領地であるマイナムでの事件もゆるしがたい。国王として、犯人たちを捕らえ、裁きを下さなければならない」


「そのためには、事件の真相を知る必要がある――そして、皆が納得のいくような解決を為さねばならない。それが俺たちの務めであるんだ」


 クルーガーとテロンが交互に言った。傍らでルシカも頷いていたが、ちょっと首を傾げた。


「国王として――って、クルーガー」


 困ったように、形の良い優しげな眉を互い違いに動かし、細い腰に握ったこぶしを当て、宮廷魔導士は言った。 


「いちお~言っておきますけどね、臣下として、立場として。国王自らが出向いていくおつもりですか? あたしたちにお任せくださいな。……とは言っても、友人としては言ってもしょうがないかなぁとか思ってるけど」


 言葉の後半部分を小声で付け加えるのを、周囲の仲間たちは聞き逃さなかったが。


 何ともいえない表情のテロンは、苦笑して視線をあさっての方向に飛ばし、クルーガーはハハハと哄笑した。


「うむ。出立は明日だ。急ぎ仕度を整えなければならんな。船、食料、兵――それから、マイナ、君も一緒に行こう。この王都の護りは万全だが、俺たちが居なくなれば――コホン、宮廷魔導士の不在が、敵の魔導士が攻めてきたとき事態を悪くしかねない。同じ狙われる危険につきまとわれているならば、ともに居たほうが確実に危険に立ち向かえると思う。マイナ、それでいいか?」


「え、は、はい。ミンバス大陸の、母の故郷に――ですか? はい、もちろん!」


 あまりの急展開にぐるぐると頭の中が回っていたが、マイナは急いで頷いた。見上げた傍らの青年の瞳には、楽しそうな光が宿っている。目が合うと、片目を瞑ってきたので、自分自身の瞳の色と同じように、マイナの頬がさっと紅く染まる。


 マイナが周囲を見回すと、宮廷魔導士に指示された文官たちがにわかに活気づいて新たな本を抱えて奔走し、国王から指示を受けた兵が伝令の為に走り出て行き、エルフ族の青年と琥珀の瞳の娘が他の者たちと一緒に卓を片づけはじめていた。


「なんだか、すごいことになっちゃった」


 昨日の不吉な黒い影が襲撃してから、今、マイナの人生は目まぐるしく変化していた。その奔流の中で、少女は戸惑い、翻弄されていたが、このいくつもの出逢いが自分の将来を救い明るい兆しとなりつつあることをも確信していたのである。


 どきどきと高鳴る胸を押さえ、その内にある古代宝物の存在を、マイナは自分自身の感覚で感じはじめていた。


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