従僕の錫杖 8-17 海の向こうに渦巻くもの
大型の船舶は沖合いに停泊する為、
王都に隣接する港である。港の規模としては、北の街道にある大都市ロスタフに次ぐものだ。
「うわぁ~」
潮風に吹かれ、マイナの黒い髪がさらさらと鳴った。まん丸に開かれた目と口が、その驚きを代弁しているようだ。
「マイナムの港とは全然違います。漁船以外の船がこんなに!」
「王都ミストーナは、陸路と海路が交差する地でもありますから。僕もはじめて見たときは驚きましたよ。こんなにひとがいるのか、世界は何て広いんだろうって。この海から繋がる世界は、もっともっと広いんでしょうね」
港区域への入り口から倉庫の立ち並ぶ一角を抜け、一気に目の前が開ける場所である。
そこで立ち止まったマイナを追い越しそうになり、同じように立ち止まったエルフ族の青年が、彼女に共感して話しかけたのだ。
「はじめて見たとき?」
「はい。僕は『隠れ里』という、閉鎖された空間でずっと暮らしていた一族の者ですから」
ティアヌは薄青色の瞳を穏やかに微笑ませた。その背にぶつかるようにして追いついた女性が、明るい声で話に割って入った。
「大陸の南には、街全体が水没しているみたいに水路だらけで、馬の代わりに船が行き交っている場所もあるわよ。広い世界を巡っていると、いろんな発見があるんだから。旅はオススメよ!」
茶色の髪を軽く振り、琥珀色の瞳をきらきらさせたリーファが踊るような足どりで、立ち止まったふたりを先に
「――ほらほら。ルシカたちが待っているわ。行きましょ!」
やがて、目指す船が見えてきた。
王宮が召し抱える船が多数停泊する、一番奥の外洋側にある場所に、今多くの男たちが動いていた。必要な荷や物資などを運び入れ、あちこちの点検を行っている。
くだんの船は、パッと見ると中型の
ぐっと突き出した舳先には幾何学模様が施され、その飾り装飾と繋がるように左右から海面に向けて、細いが頑丈そうな鎖が出ていた。その鎖を繋ぎとめる役割を担った奇怪な金具の仕掛けは、船の横腹のほうにまで及んでいる。
見張り台は、舳先に張り出していた。
「何だかずいぶん、他と変わった印象の船ですね。今、実際に目にして、僕は馬車を思い出してしまいました」
「……なるほど、言われてみれば、そうね」
そんなティアヌとリーファの会話につられるように、マイナも顔を上げ、その白い船体を見上げた。
今のマイナの瞳には、その船全体に張り巡らされた魔導の技による結界が見えている。ぼんやりとだが、昨日の夜から、王宮のそこかしこに展開されている魔法陣やその影響までもが見てとれるようになっていた。
自分の内に閉じ込められ、今まで表に出てこなかった力が、
そういう事象を見通す瞳や力を持つ者を何と呼ぶのか考えていると、船の前でマイナたちの到着を待っていた宮廷魔導士ルシカが手を振っているのが見えた。その傍らには、王弟テロンの姿もある。ふたりとも、今の自分たちと同じように、旅装束に身を包んでいた。
「……魔導士……」
ふいにその言葉が、マイナの脳裏に浮かび上がった。
「おおおっ。こっちじゃ、こっちじゃ!」
低音がかすれたような印象の声に一同が目を向けると、甲板からひょっこり顔を出した小柄な老人と目が合った。かくしゃくとした動き、老人とは思えぬ身の軽さで船への
思わず呆気に取られて地面に立ち尽くしたままの一行まで駆け寄ると、老人は王弟殿下に気取った礼をして宮廷魔導士の手を取り、
「テロン殿、ルシカ殿っ! いやはや今回急ぎの出航でバタバタと忙しいことこの上ないが、嬉しいのぉ。ありがたいのぉ。我が娘を使っていただける日が来るとは!」
「娘?」
「この船のことだよ。リミエラ号っていうんだ」
リーファの問いには、テロンが答えた。なるほど、船には女性の名が付けられるというから、そういう扱いなのだろう、と一同が理解する。
「期待してます」
ルシカが朗らかに笑いながら応え、皆に老人を紹介した。
「グリマイフロウ老よ。機械工学の第一人者で、今回使うこの船の設計者なの」
「ふおっほほほ。科学好きが高じてな、機械技師をやっておるのじゃ。弟のグリマイスクスは化学好きが高じて、花火師なんてことをやっておる」
ふたり合わせて『ソサリアのグリマイ兄弟』といえば、奇特で常人には理解しがたい論理と技術で世間を驚かせる、天才天災コンビなのであった。
王国の明るい未来のためには新しい技術も必要だということで、国王や王弟、ことに新しいもの好きな宮廷魔導士から支援を受けて、一緒に暴れ――もとい、新しい技術の開発に取り組んでいるのであった。
「でも、どうして機械工学とやらのひとが、船大工になっちゃったんです?」
ティアヌが怪訝そうに耳をひくりと動かした。
「それはもちろん! これが、普通の船ではないからなの」
ルシカのオレンジ色の瞳が
「今回の船旅、できるだけ速く進みたいし、戻るときにもこの港まで一気に帰り着きたいし。何より――外洋の、これから通るルートは魔物だらけでとても危険な海域だから、ぜひともウルの力を借りたいのよ。そのためには普通の船では対応できなくて、ね」
「昨夜もその名前が出ましたが、ウルって誰ですか?」
続くティアヌの問いにルシカは口を開きかけ、テロンと目を見交わせた。少し迷ってから、改めて口を開く。
「あたしとテロンの友人よ。半年ほど前に知り合ったの。……でも、ちょっと言葉では説明しにくい相手なのよ。だから、あとで直接紹介するね」
「はあ」
気になっている事をはっきりと説明されず、
「なんというか――説明のしようがないよな、あいつは」
テロンが頬を掻きながら付け加え、船に向かって歩きはじめた。
「こうなったら、リーファ。僕たちも手伝いますよっ。一刻でも早く出航して、真実を見極めるのです!」
「ありま……、はいはいっ」
腕まくりして、魔術師の杖を腰のベルトに
残ったマイナが周囲を見回しながら立ち尽くしているところへ、ルシカが声をかけた。
「あたしたちも行きましょう。船の中を案内するわ。――それから」
小声で、あまり背が変わらない少女の耳元に囁きかける。
「クルーガーのことなら心配ないわ。止められたって聞くようなひとじゃないもん。またルーファスさんが泣くことになるでしょうけど」
「は、はぁ……?」
「だから、今は気にしないで。行きましょう!」
にっこりと笑い、ルシカはマイナの手を引いた。そして、船体に取り付けられた
出航準備を終えたリミエラ号は、外洋に向けて向きを変えた。
乗組員は、テロンとルシカ、マイナ、ティアヌとリーファ、そして強情についていくと言い張ったグリマイフロウ老、あとは乗組員十五名だ。王の直属兵なのだが、その出で立ちと振る舞いは冒険者、雇われの海の男という風情に仕立て上げられている。
テロンたちも、王宮での服装ではなく、冒険に出かける武道着や胸当、魔法を操る者のための長衣などを各々身に着けた。マイナは黒い髪を結わえ、動きやすそうな丈の短い衣服に着替えていた。グリマイフロウ老は、革の被り物にゴーグル、様々な工具を腰のベルトに収納した前掛けという、一風変わった装備だ。
「準備はいいぞ。おぉ、それから言い忘れておったわい。弟のグリマイスクスから旅への餞別として、特製花火を預かっておる」
「花火……ですか。必要あるのでしょうか?」
ティアヌが訊くと、グリマイフロウ老はニヤリと精悍な感じに笑った。
「もう積み込んじまったわい。さぁて、では、出航と行きましょうかの」
グリマイフロウ老に促され、ルシカはテロンに視線を向けた。テロンが頷いたので、甲板から舳先に向かい歩き出す。ルシカは甲板から数段高い位置にある物見台に立った。
外洋に向け、ルシカは目を伏せ、何事か、低く、高く、
やがて、応えた
ウルルゥゥゥゥゥルルル――!!
船の前、海面を割るようにして、巨大なものが浮上した。響いたのは笛の音のように高らかな
周囲の船から驚きの声があがるが、事前に知らせが回っていたのだろう、すぐに騒ぎは静まった。
魔術師ではなく魔導士が就いている、古代王国の再来とまで噂される『千年王宮』のソサリア王国だ。国民たちはすでに少々の不思議では動じないし、交易に訪れる東方や周辺の貿易商人たちも噂で知っているのだろう、奇異と畏れにも似た視線を向けるくらいの動揺で済んでいる。
波間にうねる巨体は長く、船の倍以上はありそうだ。全てが見渡せたわけではなかったが、敵ならば侮れない、凄まじい死闘を覚悟しなければならない相手だと誰もが思った。
その場に居て腰も引けず全く驚いていないのは、呼んだ当人のルシカとテロン、そしてグリマイフロウ老のみ。
「あたしたちの友人、『
ウルゥゥゥルル――!
ルシカの紹介に、宜しく、とでもいうように高位魔獣が鳴いた。
「――まんま、の命名ですね」
「さすが……」
ルシカに馴染みのあるふたりがつぶやくように言葉を交わし、少し離れた箱の陰でその会話を耳にした人物は苦笑したのだった。
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