歴史の宝珠 7-34 黄昏のはじまり
「つまり、どういうことなのですか。神々は破滅の方法を、僕たち現生界の民に伝えたということなのですか?」
ディアンが眉根を寄せた。それが事実だとしたらなんと意地悪な話だ、というように。
「いえいえ、そうではありません。神々が与えたのは『全てを』です。破滅だけではなく繁栄も、あらゆること『全てを』。それら全ての叡智があってこそ、私たちはここまで文明を築き上げ、進歩し続けてこられたのですよ」
ハイラプラスは言葉を切り、唇を舌で湿してから言葉を続けた。
「神界まで到達した人類に、神々は選り好みなく全ての
黙って聞いていたトルテが口を開いた。
「その叡智を、五つの種族はお互いの牽制と友好のために、五つに分けて管理することにした……そういうことですか?」
ハイラプラスは深く頷いた。
「そのとおりです。次元の仕組み、揺らぎのエネルギーと危うさの上に成り立つ
「なんてスケールのでかい話だ……。だけど、それでここまでひとつの王国が続いたっていう奇跡の説明がつくな。本物の神の知識で三千二百年も繁栄している王国なんて
リューナの言葉に、ハイラプラスと三人の王たちは眼を見交わし、各々の顔に哀しげな表情を浮かべた。
「――長く続いている王国だからこそ、最近衰退の兆しが無視できないほど顕著に現れはじめているんだ」
リューナのもの問いたげな表情に応えたのは、驚いたことにディアンだった。
「寿命は延びているのに出生率は下がる一方、人口は減り続けている。そして、魔導の力を自分の意思で行使できない民がほとんどだ……。今すぐ滅びなくても、このグローヴァー魔法王国は少しずつ確実に滅びへの道を歩いているんだよ」
ディアンは胸を押さえ、目を伏せた。
「王として、その憂いを何とか良い方向に変えたいとは思っているんだけどね。……でも、衰退は自然の定めなのかもしれない」
「どの種族も、その傾向は同じなのです」
フェリアも美しい顔を悲しみに曇らせた。その横で、ダルバトリエが指の関節をポキリと鳴らしながら口を開く。
「だからこそあやつらは、この世界に見切りをつけたってわけだ。神々の叡智を持ってすれば、破壊のあとに再生をすることができるって考えておるんじゃよ!」
「『新世界構想』というのは、ドゥルガーが書いた論文でもあります。学会では異端として扱われていますけどね」
ハイラプラスが長いため息をついた。
「そんなものを実現しようなんて、正気の沙汰じゃねぇな……」
リューナは唸るように言った。その言葉にハイラプラスが頷いた。
「その通りですよ、リューナ。あいつは私の瞳を奪った時点で、すでに正気を失っていたのでしょうし」
ハイラプラスはスッと背筋を伸ばし、一同の顔を見回した。
「――そこで、お願いがあります。『場所』の特定をするために、私に皆さんの魔力を貸していただけませんか」
執務室の中央からテーブルや椅子が片づけられ、床に魔法陣が描かれた。
ハイラプラスがその真ん中に立ち、取り囲むように描いた外周の五つの頂点に、リューナ、トルテ、ディアン、ダルバトリエ、そしてフェリアが立った。
「私に意識を同調させたら、こちらへ
リューナたちは頷いた。手順についてはすでに詳しく説明されている。ハイラプラスが手を掲げたのを合図に、足元の魔法陣が光り輝いた。
ドゥルガーは烈風のなかで、砂一粒残っていない大地に巨大な魔法陣を描こうと歩き回っていた。特殊な染料を垂らし、その色を地面に固定させる為の魔導の技を行使しつつ、である。
非常に高度で複雑な魔法陣であり、ただひとつの間違いも許されないため、こうしてドゥルガー自らが作業をしているのだ。ザルバスがもっと使い物になればいいのにとも思うが、自分と張り合えるほどの頭脳を持つ者がいないので……仕方あるまい。
「憎々しいハイラプラス、あいつ以外はな」
ドゥルガーは相手の顔を思い出し、なおいっそう不機嫌そうに顔を歪める。ミドガルズオルムの襲撃で目の前からは追い払ったが、できれば抹殺しておくことができていたら何の憂いもなく事を進められたのに……とも思う。そこまでザルバスに期待できるとも思えなかったが。
「いつこちらに気づくかわからぬからな……策をいくつも用意しておかねばならないし……面倒なことだ」
ぶつぶつとつぶやきながら、半分以上描き終わった魔法陣を見回す。腰を屈め、低い姿勢で長時間作業している為に、首から腰にかけて疼くような痛みが消えず、ひどくつらい。回復のための魔導の技を使う間も惜しみ、動き続けている。
いつ『
「あの女……結局今回も最後までは役に立たないというわけか」
ズキンッ! ドゥルガーが苦々しげにつぶやいたとき、右目に刺すような激痛が走った。
「うがっ!! ……クッ……な、何だ!?」
あまりの痛みに危うく意識を失いかけ、力の抜けた手から貴重な染料を入れた筒が地面に落ち、中身がこぼれた。吹きすさぶ風があっという間に筒ごと残りの染料を空中へ巻き上げる。
ズクンズクンと脈打つように、焼け付くように痛み続ける右の瞳を押さえ、ドゥルガーはよろよろと歩いた。
「まさか――まさか……?」
ビクン、と背骨が折れるのでは思われるほどに引き攣り仰け反ったドゥルガーに、遠くからザルバスらしき人物が慌てたようにまろびながら駆けてくるのが見える。
――周囲は荒涼としている。赤っぽい岩が露出し、風の浸食に晒されている大地が延々と続き、その上には発光する特殊な染料で中程まで描かれた魔法陣。
遠くに見えるのは、ミッドファルース大陸の中心を取り囲む環状山脈だった。目の前に見えたのは、虚ろに落ち窪んだ『穴』……大地に穿たれた空虚な闇。
くるりと大地と空が回転し、激しくぶれた視界。その後に見えるのは、ただ薄い色の空ばかり。それは突然ただの黒一色に閉ざされ――。
地面に仰向けに倒れていたドゥルガーは鋭い舌打ちとともに立ち上がり、右目を覆っていた手を下ろした。
「ご無事ですか、ドゥルガー様ッ!」
ザルバスが駆け寄ってきた。
伸ばされた腕を振り解き、ザルバスの体を激しく突いた。驚いたような表情で後退る臣下に燃えるような高熱を発する瞳を向け、ドゥルガーが天に向かって吼えるように叫んだ。
「――ハイラプラスめッ! 何と忌々しい、何と腹立たしい小癪な真似をッ!!」
ドゥルガーの右の瞳、本来ハイラプラスのものである瞳が見ていた光景を、その場にいる全員が『
「……ふふっ。少しだけ気分がスカッとしましたよ」
可笑しそうに微笑んだハイラプラスは満足げに頷いた。剣呑な光がその右の瞳をかすめ過ぎたが、すぐにいつもの温厚な態度に戻って言った。
「ありがとう、皆さん。これで『場所』が特定できました」
「あの魔法陣……やつは何て怖ろしいことを考えておるのだ」
ダルバトリエが自分の目を見開いたまま、唸るように低く言った。
「……ひとつの大陸が、いや、世界が本当に壊れてしまうよ。まさか本当に実行しようとしているなんて」
自分の目で――いや、奪われていたハイラプラスの右目で見た光景に、ようやく対面している危機を本当に納得したディアンが震える声で言った。
「発動した時点で大陸は無事では済まないでしょうね……本当に『
さきほどの表情から一変して、ハイラプラスが淡々と言った。
「ひとつの大陸が……」
リューナとトルテは思わず互いの目を見つめ合った。リューナとトルテの時代――現在の地図には、ミッドファルース大陸は存在していない……。
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